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ネットで調べて、近所の本屋さんで買おう!!

魚喃キリコ さん『ハルチン2』

2008-07-29 09:13:42 | 読書
先日(7月27日)の朝日新聞の書評欄で南信長さんが紹介していた

魚喃キリコさんの最新作『ハルチン2』

大好きな作品にもかかわらず、まったくチェックしていなかったので、
すごく嬉しくて、早速買いに行きました

『ハルチン2』は
98年に出版された『ハルチン』の続編に当たる作品。

『ハルチン』は、同じ雑貨屋さんでバイトをする女の子
ハルチン(彼氏なし)とチーチャン(彼氏あり)の日々を描いた作品

マガジンハウスの雑誌『Hanako』での連載にあたっては
「暗いことは絶対に描いちゃいけませんと強くいわれ」たということもあり
(『鳩よ! No197』P57)
著者のほかの作品とは違い、とてもコミカルなストーリーです。

そして、『ハルチン2』では
『ハルチン』の時には、まだ23歳だったハルチンとチーチャンも、
すっかり年齢を重ね―作品中では「約10年」、実際の連載と同時進行なら12年!!―ました。

しかし、ハルチンは、いまだに恋愛未経験でバイト生活
一応、「あたし何処に行くんだろう」と悩んではいるものの
バービー人形に2万近く使ったり、似合わないパーマ(←通称「ビブーティー」)を懲りずにかけてみたり
意味不明な寝言を言ったりと相変わらず

一方、しっかりもののチーチャンは正社員にもなり、
いまでも美人で料理上手ですが
テレビの相談番組に熱くなり、ファッションもリバイバルが始まり
恋愛では、恋愛終着駅に来てしまったりと
確実に老けました

ささやかなせつなさは感じますが
めまぐるしく時代や社会が変わったにもかかわらず、二人の友情が続いていること
そして、思いのほか仕合せそうなことに希望が感じられます


個人的には、しっとりとしたモノローグから一転してオチがつく作品が印象的

代表作である「Strawberry shortcakes」や「blue」などでは登場人物の淡い心情を描くために、効果的に用いたモノローグを
惜しげもなく<ネタフリ>として使用する点に、多層的なおかしさを感じます


なかでも、チーチャンが初々しいカップルを眺めるエピソードは、

モノローグもその後のオチもとても好みです


チーチャンのモノローグを少し引用するとこんな感じ


あんまり長く目が合っちゃうと
恥ずかしくって
下を向いちゃうんだ

話すことがとぎれちゃうと
甘く不安な顔になるんだけど

でも大丈夫

男のコが
すぐにまた
話し始めてくれるから


キュンと来ちゃうよね

キュンと来ちゃうよ



純粋にキュンと来た方だけでなく
懐かしさやほろ苦さを感じた方には、本書を強くおススメします


また、前作『ハルチン』と同様に『ハルチン2』でも
途中で絵の描き方が変化しますので、
その辺に注意しながらそれぞれを比較するのもおもしろいと思います。


さらに、巻末には筆者の日常を記した「ハルチン番外編 ナナナン」も収録

ハルチン同様、バービー人形を集め
毎晩のように酒を飲み
挙句の果てに骨折までしてしまう―

著者の豪快にして繊細な日々が描かれおり、
こちらも併せ読むと、いっそう本編を楽しめると思います。


前作『ハルチン』をお持ちの方や魚喃さんの作品が好きな方以外も、ぜひお読みいただきたい作品です。



なお、上述『鳩よ!』の対談で筆者は
『ハルチン』の連載を一度終了させた理由として

(作品の中で登場人物が成長していく、年を取っていくことを前提に)

「はるちんって、もうすぐ30歳くらいになる設定なんですけど、このまま彼女が異性とかに興味を持たないままだと、どう扱っていいかわからないので終わらせてもらったんです」(57P)

と述べています。

30歳は越えたのに男性に(あんまり)興味を持たないハルチン

続編を描くにあたって、筆者にどのような変化があったのかも気になります。

井上荒野さん『切羽へ』

2008-07-25 12:30:04 | 読書
井上荒野さんの最新作『切羽へ』は、
廃墟が多く残る九州の離島に住む夫婦を主人公にした中編小説
2008年度上半期の直木賞を受賞した作品です。


九州の離島で暮らすセイと陽介の夫婦。
セイは、児童が6人しかいない島の小学校で養護教諭をし、陽介は画家をしている。

四月、セイの小学校に新任教諭として石和聡が赴任してくる
「実際、呼ばれてませんでしたよ」
こういって始業式に遅刻してきた石和に、
「冗談だとしても、面白くもなんともない」と同僚の月江は不信感を隠さない
そういう月江が―東京から月に1,2度島を訪れる―「本土さん」と不倫をしていることは、島の人であれば誰でも知っていることだ。

淡々と過ぎ行く島の日々

そんなある日
セイが知人の老女ハツエを訪ねると、ハツエの家が雨漏りしていた。
しかも、ハツエはすでに亡くなった夫をまるで生きているかのように話す。

動揺したセイは、偶然近くを通りかかった石和に雨漏りの修理を頼んでしまう


四季のうつろいとともに、人々のゆれる想いをつぶさに綴った作品
静かな文体とはうらはらに、とても濃厚な情感が漂う
本書中のことばで言えば「ああもう。むせかえるごたある」です。

読み始めてみると、文章は読みやすく、大きな事件も起きないので
すぐに読むことができる作品かと思いきや
数行読んでは意味を考え、数ページ読んではため息をつき―と
思いがけず読むのに時間がかかってしまいました。

そのため印象深いシーンは多く、ラストシーンも余韻に満ちているのですが、とりわけ印象深かった箇所を挙げるなら次の2箇所

まず、石和とセイが映画館跡に立って会話する場面です(129p)。

「ここが映画跡だと、教えようと思ったわけじゃないのよ。ここに来るのが、小さな頃は怖かった。そう言おうとしたんです。映写機が突然空中にあらわれて、恐ろしい景色を写しはじめるような気がしたの。鉱山の爆発とか、戦争とかそういうもので死んだ人たちとか……」
「今はもう怖くないんですか?」
「ええ」
「どうして?」
「そういうものがあらわれてもいい、と思うようになったから」

そして、セイと陽介が、亡き夫が生きているかのように話すハツエについて会話する場面(122p)。

「また亡くなった人のことば、生きてるごと話しとった。しっかりした口調で話すとばってん……」
訴願ね、と夫はしんみり頷いた。
「そいでも本人の頭の中では、死んだご亭主ともう一度暮らしとるだから、幸せなことかもしれんよ」
「そがん思うたほうがよかね」
「そうたい」

ここも、とても印象深かったです


ところで、井上荒野さんの作品では食べ物が効果的に用いられます。
前作『ベーコン』は食べ物とそれにまつわる人々を描いた短編集でした。
そして本作でも、食べ物が効果的に使用されています。

たとえばこのような場面(59p)―

めずらしく市場に出ていた豚肉の塊を切って炊き合わせたが、肉ばかり残されてしまった。昨日、夫はあまり食欲がなかった。
私は、さほど心配にはならない。数日前から、夫は再び、新しい絵を描き始めようとしているからだ。その期間夫は食べなくなる。
<中略>
実際、私はその期間、人間の男ではなく、野生の動物の世話をしているような気持ちになる。
昨日から雨が降り始めた。
台所の流しの排水溝に、ラードがとろんと溜まっていた。

この後、一行あけて

六月の島に降る雨は、蒸気のように細かくて、べたべたしている。

と続きます。

ここでは、せっかく料理を作ったのにほとんど食べてもらえない「空しさ」が、
入梅が近いじっとりとした空気や排水溝で光るラードの様子とあいまって、
いっそう強いものになっているように感じました。

この他にも、そうめんや東京の高層ホテルで食べるサラダやグリル、烏賊のしおからなど
食べ物が効果的に用いられているシーンが多くあります。
各所での描写の違いに注目すると、一層その場面の心情を深く理解できるように思いました。

他にも、「あんた」と「あなた」、島言葉と標準語など明確な使い分けがされていますので、そちらにも注目すると面白いです。


なお、この本の帯には「彼に惹かれてゆく、夫を愛しているのに―」と書かれていますが、
本作で描かれているのは、ありきたりな不倫よりも漠然として、
それでいてもっと濃厚な心情のように感じました。

帯だけを見て「不倫ものか」と手に取らなかった方も、安心してお読みください。

コード・ガーベンさん『ミケランジェリ ある天才との綱渡り』

2008-07-24 08:31:02 | 読書
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(本書では『ABM』と略される)は、20世紀を代表するピアニストの一人です。
モーツァルト≪ピアノ協奏曲≫のやドビュッシー≪前奏曲集≫の名演奏で知られ、優れた録音も残しています。
また音楽教師として熱心に活動し、ポリーニやアルゲリッチなどを指導しました。
その反面、相次ぐコンサートのキャンセル(『キャンセル魔』)としても名高いだけでなく、パルチザンとしての従軍、レーサーとしての活動など、その人物像は神秘化されています。

『ミケランジェリ ある天才との綱渡り』はレコードプロデューサーとして彼と長年仕事をしたコード・ガーベンが、側にいたからこそ知りえたミケランジェリの人物像を描いた貴重な作品です。

本書では、まず『早くから才能を発揮』~『「あのドイツの」』でミケランジェリの生涯を鳥瞰します。これに基づき彼の生涯をまとめると以下のとおり

1920年、北イタリア・ブレシアの近くで生まれ、
1931年、わずか11歳でコンセルヴァトリウムに入学
1938年に、ブリュッセルで開かれたコンクールで聴衆の好評を博すも、不可解な理由により7位にとどまる。
翌年、ジュネーブのコンクールでパデレフスキやコルトーによって絶賛され1位になる。
1943年、ベルリン・フィルと初共演し国際的な演奏活動を開始
1946年からは、コンセルヴァトリウムでの教師としても活動
1955年、重い肺炎のため再起が危ぶまれたが年内に回復、
1970年代の初頭よりドイツ・グラムフォン社と契約、優れた録音を残す
1988年、演奏中に心臓発作を起こすが手術に成功
1993年、最後のリサイタルでドビュッシーを演奏
1995年、逝去

続く『その人物像に迫る』以降の節で、年代順に重要なエピソードを詳説し、
ところどころで日常的なエピソードに触れる形式となっています。

たとえば、代表作となった≪前奏曲集≫の録音では
2台用意したピアノの調律は遅々として進まず、
レコード会社の重役がレコーディングに立ち会おうとすると、「もし、彼らが入ってきたら、私は反対側から出て行く!」とこれを徹底的に拒否。

朝食中、においが気に食わないとハチミツの瓶を投げつけたり

あるいは、筆者とミケランジェリが決別する原因となったラヴェルの演奏でのトラブル

などミケランジェリの「タイヘン」な人柄を知ることができるエピソードが紹介……


と、これだけなら下世話な楽屋話集に過ぎないのですが

しかし、作者は自ら指揮台に立ち、著名歌手のリート演奏を勤めるほどの人物。

ミケランジェリの演奏の特徴について、その音楽観・演奏方法を念頭に具体的な分析を行います。

これによれば、前述の≪前奏曲集≫に関して
ミケランジェリは、(絵画に対して)音楽は常に古典的な芸術であると考え、「印象派」ドビュッシーの演奏であっても「明確なタッチ」で行った、とのこと。

具体的な演奏方法については、リヒテルとの比較を試みます。

たとえば、《前奏曲集》の≪帆≫について、

リヒテルは「気前良くペダルを使う」。そのため、とても「きたない」部分が生まれ、いくつものハーモニーのブロックが曖昧になって、危険なまでに不鮮明な中間色になってしまう。
ミケランジェリは、悪魔的に完璧であり、挑発的な明確さを持つ。

同曲の別の個所―上昇するトリルの後の非常に難しい個所―については

リヒテルは支持されたクレッシェンドを、三番目の和音がほとんど聞こえないほどのデクレッシェンドへと、ひっくり返してしまう
ミケンランジェリは、誤った付点で弾く。


文字を読むと??ですが、実際にCDで聴き比べてみると、なんとなくわかるような気がします…たぶん


また、とても興味深かったのが、30年代にカラヤンと共演したラジオ録音がソ連軍によって持ち去られたという話。後年では、絶対にありえなかった両者の共演。
なんとしても、見つけてほしい録音です

なお、付録としてモーツァルト≪ピアノ協奏曲20番・15番≫、ショパン≪4つのマズルカ≫、ドビュッシー≪前奏曲集第1集『帆』≫など代表的な演奏を収録したアルバムがついてきました。(←現在は、権利の関係から付録はないそうです)
このCDには練習中のミケランジェリの肉声も録音されています。

山本まさきさん、古田雄介さん『ウィキペディアで何が起こっているのか』

2008-07-20 07:49:18 | 読書
システムエンジニアである山本まさきさんと、
ITやサブカルチャーを中心に扱うライターの古田雄介さんの共著
『ウィキペディアで何が起こっているのか―変わり始めるソーシャルメディア信仰』

現在700万人を越える人々が利用しているといわれるインターネット上の百科事典「ウィキペディア」。
本書はその運営実態や抱える問題を明らかすることを目的に書かれた作品です。


まず1章では、ウィキペディアについて基本的な知識が示されます。概略以下のとおりです。
①ウィキペディアが創始されたのは2001年だが、日本で、本格的に普及したのは2003年以降である。
②ウィキペディアの登場によって、それまで個別のブログやホームページ上でされていた議論が「一つのコンテンツ」上で行うことが可能になった。
その結果、ユーザーは効率よく、公正な情報を手に入れることが可能になった。
③ウィキペディアのユーザーは誰でも項目の編集ができる。
ユーザーには編集を匿名で行う「IPユーザー」と、利用者登録して行う「ログインユーザー」がいる。
④各コンテンツごとに、ユーザーの選挙で選ばれた「管理者」がおり「ブロック」や「保護」などの権限を有する。
さらに、一般の「管理者」よりも権限の大きい「ビューロクラット」と「スチュワード」がいる。
⑤ウィキペディアの基本的なルールは5つ
―偏見を避ける、独自の調査を載せない、著作権を侵害しない、ウィキペディアは百科事典、他の参加者へ敬意を払う


2章では、これまでにウィキペディアで起きた事件を紹介します。

挙げられるトラブルには、省庁や企業の関係者が自分たちにとって都合のいい情報を掲載・不都合な情報を削除した、有名人に対する中傷記事の掲載、気に食わないユーザーへの脅迫、議論の妨害などがあります。

3章では、ウィキペディアの管理体制を概観しながら、中立性・公正さを維持するための取り組みと問題点を論じます。

4章では、ウィキペディアの管理者を務めている人物、ウィキペディアに対して批判的な立場の人物、インターネットに詳しい弁護士のインタビューを掲載

終章である5章では、ウィキペディアを含む「ソーシャルメディア」(「情報を効果的に共有する仕組みを持ったサービス全般」のこと)について、その中立性・公正さ、さらに反権力、反既存メディアの観点から論考します。


本書は文章が平易で、実際のウィキペディアの画面も掲載されています。
そのためウィキペディアをほとんど見たことがない私でも、それがどのようなものなのか、どのような問題を抱えているのかを簡潔に知ることができました。

また、5章ではソーシャルメディア全般について論じているので、幅広く現在のネットが直面する問題について把握できます。

ただ時々、論理がアレな箇所があります。

たとえば182ページではこんな具合

読売広告社が2002年に実施したアンケートでは、政治、マスコミ、企業、人の順で消費者の不信感が強い。
 ↓
海外でも、マレーシアでは20~31歳の世代では64.5%がブログをはじめするインターネットメディアを信頼しており、テレビや新聞への信頼は低かった。
 ↓
ソーシャルデータを信仰し、既存の情報全部をソーシャルメディアで置き換えようとする動きも、こうしたデータを見れば無理からぬことだ




……はい?

こういう箇所がしばしばありますので、これが気にならない方にはおススメします。

南信長さん『現代マンガの冒険者たち』

2008-07-19 01:34:06 | 読書
朝日新聞等でマンガに関する連載・コラムを執筆している南信長さんのマンガ評論集『現代マンガの冒険者たち』


6つのテーマ―ビジュアル、Jコミック、ギャグ、ストーリー、少女―ごとに

代表的なマンガ家5~8人を取り上げ、各ジャンルの特徴と、それがどのように進化・形成されてのかを描きます。


たとえば、ストーリーマンガに関する4章「〈物語の力〉を信じる者たち」では

まず、序に当たる「〈ストーリーテラーたち〉の世界観」で

手塚治虫を中心に〈ホット⇔クール〉を縦軸、〈日常⇔空想〉を横軸にした図表を用い

ストーリーマンガを書くマンガ家がどのような志向性、世界観を持つのか俯瞰します。

ここに登場するマンガ家は、本宮ひろ志さん、ちばてつやさん、安野モヨコさん、浅野いにおさん、とり・みきさん、藤子・F・不二雄さん、荒木飛呂彦さん、山田芳裕さんなど約80名。


次に、代表的なマンガ家―浦沢直樹さん、諸星大二郎さんと星野之宣さん、福本伸行さん、弘兼憲史さんと本宮ひろ志さん、さそうあきらさん―について、彼らの作品の特徴、前の世代からの影響を詳説します

また、筆者がとくに注目するマンガ家について短い解説が加えられます―
本章では、細野不二彦さん、柏木ハルコさん、ゆうきまさみさん、島田虎之助さん、藤田和日郎さん、笠辺哲さんの5名。



一般にマンガの評論というと、個別の作品への思い入れ(=思い込み)が優先しすぎて絶叫調になったり

あるいは、エクリチュールやら社会学等の議論を念頭においたがために、なんだかわからない内容になったりしがちですが

本作はそのいずれとも無縁。



確かに、筆者は本書で

よく「マンガが面白くなくなった」なんて言う人がいるけれど、それはその人が面白いマンガを発見できなくなっただけの話である。面白いマンガはたくさんある。


とマンガ愛を熱く語っていますが、作品の分析に「愛」や「熱さ」を持ち込みません。

作品そのものと作者のインタビューだけをもとに作品の解説を行い、客観性を保持しようと努めます。
作品の売り上げやブームをあまり重視しない点や、同様の理由からと思われます。


この点には好感が持てますし、なにより読みやすくていいです。



個人的に興味深かったかったのが、浦沢直樹さんが《将棋の駒》論について触れている箇所。

《将棋の駒》論とは、浦沢さんの言葉によれば「桂馬は桂馬の動きしかできない」ということ

これを浦沢さんは作り手の言葉として語りますが、読み手もこのことを自戒しなくてはいけないなと思いました。

ややもすれば、作品や登場人物への思い入れが強くなりすぎるあまり、作品そのものを味わいきれなくなるからです。



本書は1冊通読するのも面白いのですが、
各章の冒頭に掲載されている、作家の分布表(←大傑作です)だけ見ても楽しめますし、
マンガを読むたびに、その作品がどのような文脈に位置するのかを確認したり、
新しく読むマンガを決めるときの参考にしたり、といろいろな読み方ができます。


1年間に100冊程度はマンガを読むという方であれば、必携ともいう作品です。

黒川博行さん『大阪ばかぼんど―ハードボイルド作家のぐうたら日記』

2008-07-15 00:36:14 | 読書
ヤクザ、北朝鮮、美術品の贋作、悪徳警察官などダーティーな題材と
コミカルで歯切れのいい大阪弁の会話が魅力的な黒川博行さんのエッセイ集
『大阪ばかぼんど ハードボイルド作家のぐうたら日記』

夕刊フジに掲載されたエッセイを6つのテーマ(ギャンブル、夫婦生活、買い物、老化、ペット、車)に分類して収録した作品です。


藤原伊織さん、鷺沢恵さん、東野圭吾さんなど豪華な作家陣や、
馴染みのスナックのママさん、編集者とのマージャン話は、
マージャンのルールがまったくわからない私でも楽しく読むことができました。


Tシャツとアロハ、それにトランクスだけで100円ショップに買い物に行ったり

胸の大きなお姉さんに誘われ、健康食品を売る催眠商法の会場に入ったエピソードなどは、ずっと笑いっぱなしでした。


また、ほとんどのエッセイに登場する奥様がとても印象的。

黒川さんの奥さまは日本画家にして、映像型記憶の持ち主―
夫婦喧嘩では、何年も前の出来事を持ち出して連戦連勝。
あるときは、廊下に這いつくばり、スフィンクスのようになぞなぞを出し
突如として、思春期の乙女になり(黒川さんの)加齢臭がくさいと言い出すなど
とっても素敵な方です。


なかでも好きなのが、株主優待の箱が黒川さんよりも持株数の少ない奥さまの方が大きくて言い争いになる話―
「これはどういうわけや。おれは五千株、きみは三千株しか持っていないのに、俺のツヅラのほうが小さい。納得いかん」
「それはね、あんたが<欲張り爺さん>やからやんか」よめはんは笑う。
「するとなにかい、きみは<花咲爺さん>か」
「ちがう。<花咲姉さん>や」
「えらい老けた姉さんやな」
「誰にものいうてんの」

本書の別の箇所でで
黒川さんは「男と女が共同生活をすることの意味がわからない」という意見に「そういわれればそうかもしれない」といい、
また「結婚生活というものは女にとってのマイナスのほうが大きく、かなしいかな、いまの日本社会ではこれが現実だといわざるをえない。」ともいいます。

この意見にはおおむね賛同しているのですが、
でも、こんなに楽しい夫婦生活を見せられると、結婚もいいかもしれないと思ってしまいます


また、ご親族の死や黒岩重吾さんの葬儀の話は少ししんみりし、心温まる内容。



黒川さんの作品を読んだことのある方にも、
そうでない方にも強くおススメしたい作品です

羽田圭介さん『走ル』

2008-07-13 21:41:38 | 読書
高校在学中に『黒冷水』でデビューし、
文藝賞を受賞した羽田圭介さんの最新作『走ル』

本年度上半期の芥川賞にノミネートされている作品です。

物置の片隅でレース用の自転車「ビアンキ」を見つけた高校生・本田は
翌朝、彼王子から四ツ谷までそれに乗って部活に向かう。
練習終了後、コンビニまでジュースを買いに行ったはずの彼は、
そのまま自転車をこぎ続ける―

四ツ谷から秋葉原、越谷、渡良瀬遊水地―そして、宇都宮へ

公園で一夜を明かすことを決めた彼は、その夜、小学校の同級生・鈴木さんにメールを送信した。



主人公の本田は、実に愛すべき高校男子。

カップラーメンにベーコンと冷凍野菜を入れたのを食べれば
うまさとは油と糖分の組み合わせなのだと実感し

カレー3人前を30分で完食したことを、男の壮大な世界の話として彼女に語る

そんなのがレース用の自転車にまたがってしまうと

時計を見ると四時二〇分。東西に延びている街道を東に向かっているというのに、ビルや効果に邪魔され太陽を見ることはできない。もうどれくらい昇っているのだろうか。今日という一日は、いつ始まったのだろう。陽が昇るのがゆっくり過ぎて「今日」というくさびをいつ打ってよいのかわからない。

とか言ってしまいます。

さらに、ステイシー・オリコ似の美女・鈴木さんから
「すごーい!そんな遠くまで行っちゃうなんて、喘息だった昔の本田君からは考えられないね」
なんてメールが来ると、ますますテンションが上がり、月山がピレネー山脈に思え

僕は決してギヤを軽くすることはなく、代わりにスタンディングポジションをとった。世界最高峰の自転車レース、ツール・ド・フランスの覇者ランス・アームストロングも、ピレネー山脈で同じことをした。

となり、挙句の果てに横を通り過ぎる車が、チームのサポートカーに見えちゃいます

あぁ、若い…


古びた地図を見ながら
行く先々で新しい出会い―
名所旧跡、仏閣寺院を訪れこれまで気づかなかった何かに―

なんてことはなく

現在地はケータイのGPSで確認
東京の友人とメールをしつつ
充電がヤバクなったら、コンビニで充電器を購入

東京にいる恋人からのメールにうんざりし
盛岡に転校したステイシー・オリコ似(たぶん巨乳)の鈴木さんからのメールに胸をときめかせ
妄想パワー全快で、北を目指す

―当然、旅の終わり方も非常に彼らしい終わり方に。



全編通じて、自分の過去を見せられているかの気恥ずかしさと
妄想をパワーにできる「若さ」を感じ、
主人公が真剣になればなるほど、口元の笑みが止まらなくなる<若々しさ>(=「馬鹿ばかしさ」)てんこ盛りの作品

それでも、読み終わった後はすがすがしく
思わず、「若さばんざ~~~い」と万歳三唱したくなりました。

個人的には、かなり好きな作品
ぜひとも、ケータイサイトでの配信もしてほしいです



なお、ステイシー・オリコは↓の美女

うん、イスタンブールまででも自転車でいけそう


津村記久子さん『婚礼、葬礼、その他』

2008-07-13 21:02:54 | 読書

思えばしょうもないけれども楽しい日々だった。

当時は、そういう時間に終わりが来るということは、頭では理解していたものの、会社に入り、しがらみに負けて、葬式をやる会館のトイレから友達の結婚式のスピーチをする羽目になるなどとは予想だにしていなかった。

(津村記久子さん『婚礼、葬礼、その他』)

 

デビュー作『君は永遠にそいつらより若い』で太宰治賞を受賞した津村記久子さんの最新作『婚礼、葬礼、その他』は、OLを主人公にした表題作他1作を収めています。

『婚礼、葬礼、その他』のあらすじは以下のとおり

 

主人公・ヨシノは屋久島旅行を申し込んだ直後に、大学の同級生・友美から結婚式の二次会の幹事を頼まれる。

泣く泣く、旅行をキャンセル。二次会の準備をして、式に出席していた友美だったが披露宴の直前に上司の親の訃報を知らされ、そのお通夜に出るはめに

慌てて喪服に着替え葬儀場に向かったヨシノだったが、

故人が愛人を囲い、娘にも孫にも嫌われていることを知り呆然とする

―私はなんていう人物の葬儀にきてしまったのだろう。

そんな彼女に追いうちをかけるように、披露宴に出席している友人から電話が来る。

 

 

結婚式に葬儀と有無を言わさない事情や、他人のささいな事情に振り回され続ける主人公。

極限まで達したストレスと空腹は、それまで「頻繁に呼ばれる人生」と自嘲気味に考えたり、

 

祖父母が死んだという事実をなかなか受け入れられないでもいる。ときどき、彼らが生きているような気分になったりするのだ。ボーナスをもらったら何かしてあげよう、などと。 

この女の子は、それを望むところではないだろう、とヨシノは思う。そしてほんの少しだけ、故人にいい思い出がないらしい彼女を幸運だと思ってしまう。

 

と思っていたヨシノに変化をもたらす。

最終的に、彼女がたどり着く心境には妥当性と共感を感じます。

また、大事件によっていきなり成長するのではなく、小さな出来事と微かな変化を積み重ねる点も誠実で、好感が持てました。

 

もちろん、他人には笑い話のような出来事が次から次へと起こり、文章もユーモアに富んでいるので、クスクス笑いっぱなしで(も)読めてしまいます

 

<芥川賞候補>と構えることなく気軽に読んでいただきたい作品です。


紺野キリフキさん『ツクツク図書館』

2008-07-06 22:01:57 | 読書

本日の貸出

『ぼくだけのお姫様』 ユージ

『愛すべき妻』 山田祐二

『おれはあいつに殺される』 作者不詳

 

(紺野キリフキさん『ツクツク図書館』より)

 

前作『キリハラヒロコ』がものすごくヘンで、おもしろかった

紺野キリフキさんの第2作『ツクツク図書館』。

 

つまらない本しかない図書館を舞台に

夏でもコートを何枚も着込む新人職員の『女』

ぎっくり腰の祖母に代わって、本を元の位置に戻す幼稚園児『戻し屋ちゃん』

日本中からつまらない本を集めてくる『運び屋』

職員の誰にも頭の上がらない、気弱な『館長』など

ヘンテコな人々の奇妙な日々を描いた連作集。

 

本を読むのが仕事なのに、ぜんぜん本を読もうとしない『女』 

自分でページをめくり、本を読むネコ

ポルノ本ばかりの《ポルノ王国の部屋》を探し出した男子学生に起こる悲劇

どこからか聞こえる男の泣き声

どこかに眠るという「伝説の本」とそれを守るガイコツ

などなど不思議な雰囲気が漂うエピソードが次々と披露されます。

 

登場人物(←とくに『女』)のせりふや突飛な行動、そもそもの設定自体がとっても可笑しくて

なんども声を上げて笑ってしまいました

 

前作同様に一文一文が短く、各エピソードも短目なので気軽に読めます。

また、ほとんどのエピソードにサブストーリーがあるという構成が新鮮。

こうすること、作品の奥行きが増しているように感じました

しかも、そうしたサブストーリーが本編と同じくらい(・・・もしかしたら、それ以上に)おかしいので、次第にそっちのほうが楽しみになったほど。

 

なかでも気に入ってるのが「△変態」というサブストーリー

『キリハラヒロコ』に登場した<伝説の変態ゴトウさん>がカメオ出演しています

前作で彼のファンになった方は見逃せません 

 

どういう風におススメしていいのか、いまいちわからないのですが

冒頭↑の「本日の貸出し」が笑えた方には強くおススメします

 

なお、

職員もわからないほどたくさんの本と、それが入った小部屋がある図書館

という設定がボルヘスの『バベルの図書館』のパロディに思えて仕方ありません

実際どうなのか?、作者の次回作ともども気になっております


長島槙子さん『遊郭のはなし』(さとのはなし)

2008-07-06 00:30:30 | 読書
櫛が、落ちているのです。
蒔絵の赤い櫛なんです。
ただ、なんとなく、落ちている。
   <中略>
そうと悟られないように、何気なく落ちているんです。
捨て罠みたいなもんですよ。誰かがうっかり手を出すように、仕掛けた罠でございます。
その誰かにしか見えません。他の人には見えないのです。選ばれた誰かにしか、その赤い櫛は見えないんです。ですからその人が拾うまで、黙ってそこに落ちている。
もし、手にとって拾ったら……
死ぬんです。
櫛を拾えば日をおかず、必ず死ぬというのです。
怖ろしい櫛でございましょう……


長島槙子さんの『遊郭のはなし』(←『さとのはなし』)は、
吉原にある大桜(大きな遊郭)『百燈楼』を舞台に語られる連作集

怪談好きの若旦那が、偶然耳にした『赤い櫛』の話に興味を持ち『百燈楼』を訪れ、古くから伝わる<七不思議>について女将、幇間たちの話を聞く
という形式を採っています。


雨宿りのために入った遊郭の軒。人の気配もあまりなく、三味線の音すらしない格子の向こうで花魁が自分に微笑んでいる。
思わず店に入った男が過ごす恐怖の一夜。(『死化粧』)


猫が化けて、花魁の名代を務める(『遣手猫』)

豪遊を競い、あげくの果てに死んだ花魁を幽霊として身請けしようとする豪商の顛末(『幽霊の身請け』)

など各エピソードは個別に見れば、わりとオーソドックスな話なのですが
連作集という形式が功を奏し、後半で話が一段と面白く(=怖く)なるので

途中で油断すると、大変なことになります。



また、怪談の醍醐味の一つ、<現世>と<異界>が入れ替わる瞬間

『百燈楼』という舞台ならではの演出がたまりません。



文章が読みやすいことはもちろんのこと、

女中、妓夫、女将、内芸者……と話ごとに語り手が変わり、最後まで読むと遊郭の基本的な構成員の話を聞いたことになる、
という構成はとても面白かったです。

また、吉原や遊郭に関する基礎知識の説明が適所・適量なされている点にも好感が持てました。


吉原を舞台にしているの情交の場面もあるし、血しぶきがバッと飛ぶこともありますが
それ自体の描写は控えめなので、イヤな気分になることもありません

安心して、ぞんぶんに怖がってください