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坂東眞砂子さん『傀儡』

2008-09-25 00:23:57 | 読書
『死国』、『狗神』が映画化されて話題になった

直木賞作家・坂東眞砂子さんの最新作『傀儡』は

鎌倉時代を舞台に

中国から禅宗を伝えるために渡って来た僧侶と
一族を侍によって惨殺された農民
さらに諸国を廻る傀儡たちの運命が交錯し合う重厚な作品


ストーリーの細部は…ブログがつぶれちゃうのでこれ以上は書きませんが

まぁ、色んな人たちが出るんだと推し量ってください。


本書の舞台となる鎌倉時代初期は

一面で、華やかな貴族文化に代表され

反面で、天狗や魑魅魍魎の類が跋扈した平安時代に近接しています。


また同時に、鎌倉幕府を打ち立てた武士たちによる粛清の真っ只中でもあり

別の角度から見れば、鎌倉新仏教と呼ばれる仏教の諸理論が花開いた時代でもあります。


本書では全編通じて、こうした鎌倉時代特有が的確に表現され

読んでいる最中、それがずっとまとわりつきます。


帯には

―戦いを好む者には、禅は魅力的に映るのでしょう


と書かれてあったり

主人公の僧侶が、鎌倉仏教のどれにも親近感を抱けず

最終的に、民衆の躍念仏の中に、仏と一体となる智慧を見出す


という展開がとても著者らしく感じました。


個人的には、
本書の前提となってる鎌倉仏教の認識が教科書レベルの古めかしいものに感じたり、
主人公(←たぶんに筆者の思考が投影されていると思われる)の問題意識やたどり着く結論に対しては、大いに疑問を感じますが

ともあれ、小説としてとても面白く読みました。


そもそも作品の絶対数が少ない鎌倉初期を舞台に選んだという点

また、このご時世

宗教屋さんの立場からでも

スピリチャルな立場からでもなく

真っ正面から宗教を取り上げる心意気がステキです。


多少のデッドボールでも、笑顔で進塁できる方のみお読みください。

葉室麟さん『風渡る』

2008-09-04 01:05:02 | 読書
生き残るために知謀の限りを尽くした戦国時代―

そんな時代、随一の知将と呼ばれたのが黒田官兵衛


豊臣秀吉に仕え、毛利攻め、備中大返しなどでその辣腕を振るった人物です。


葉室麟さんの『風渡る』は、そんな官兵衛がキリシタンであったという奇異な史実をもとに

彼と日本人宣教師ジョアンの交友を中心に描く

これまでにない戦国絵巻です。





物語は1565年の京から始まる

宣教師ロレンソとジョアンが街角で行う説教に

時おり、理知的なまなざしの若い武士が熱心に耳を傾けていた。

彼の名前は黒田官兵衛

当時はまだ、播州・小寺家の一家臣に過ぎなかった。



ある日、官兵衛が写本のために貴族・清原家を訪れると

廊下で二人の武士とすれ違った

一人は足利将軍家家臣、細川藤孝

もう一人は明智光秀


二人の知将は、これからたどる数奇な運命をまだ知らない―


そしてその日、官兵衛はジョアンたちに、はじめて声をかけた。


当時、宣教師たちは13代将軍・足利義輝の庇護の下

京での布教活動を許されていた


しかし、間もなく時代は風雲急を告げる

梟雄・松永久秀が足利将軍・義輝を誅したのである

京の支配権を握った久秀は、宣教師への弾圧を開始した―



物語は官兵衛の信仰心、さらにジョアンの出自の謎が大きな渦となり

時代を突き動かしていく。



これまでも多くの小説で取り上げられた黒田官兵衛ですが


その多くは、本能寺の変の直後、豊臣秀吉に向かい

「これであなたの天下が来ますね」

と進言するような「行き過ぎた才気」、「鬼謀」を強調するものでした


しかし本書ではそうした側面は息を潜め

真摯に信仰に向かう、知的で理想主義的な人物として描かれます。


本作で、「鬼謀の人」の役割を与えられるのは

むしろ、清廉な軍師とのイメージが強かった竹中半兵衛。


官兵衛を壮大な深謀遠慮の渦に巻き込む半兵衛の智謀

そして、彼を突き動かす武士の意地


従来の彼のイメージを覆す彼の姿に、官兵衛は〈悪魔〉の影すら見ます。


そして、この〈悪魔〉の姿は

商人や、南蛮諸国の思惑、さらにはキリシタンの中にすら現れ

時代を破滅的に動かしていきます。


こうした様々な人物が抱える業の描き方は

本書を〈単に史実を追った話〉以上のものにしているように感じました。



また、日本人宣教師ジョアンを「かすがい」として

黒田官兵衛を思いもよらぬ人物を巧みに結び付けていく点も

本作の大きな魅力と言えます


とくに、ジョアンの出自にかかわる〈ある人物〉と官兵衛の結び付きを読んだときは

この物語が更なる大きな物語へ繋がるように感じたのですが


どういうわけか、朝鮮出兵を前に―関が原は描かれず―終わってしまいます

せっかくこれから、クライマックスというのに…

すごく残念です。



とはいえ本書は

内藤ジョアンや清原枝賢など、脇役を固める登場人物のセレクトもかなり渋く

要所では宣教師の奏でる南蛮音楽が効果的に用いられるなど、

面白みのある趣向も凝らされており

とても強い好感を持ちます。



この本が売れれば、続編が出るかもしれないので

ぜひ、ご一読ください。

ヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』(再読版)

2008-09-03 01:24:49 | 読書
先日紹介したヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』の記事にたくさんコメントをいただいたので

自分がどのように読んでみたかを、書いてみました。


読んでみて、自分なりに考えた感想は先日の記事に書いてありますので、そちらをお読みください。




私は、この本の重要なテーマは、主人公ハリドンの成長だと考えました。

ですから、まず、主人公ハリドンや彼を取り巻く登場人物たちの性格・気持ちを理解しようと思いました。

そして、そのためには、ただ読むだけでなく

「なんでこうなるんだろう」と疑問を持ちながら読み、何度も読み返すことにしました。


もちろん、そのようにしなくても物語を読むことはできますし、
あらすじを頭に入れることができます。

しかし、それでは書いてあることを読んだだけで

登場人物や物語を理解したことにはなりません。

私は、理解するには、〈考える〉ことが欠かせないと考えます。



では、登場人物について〈考える〉にはどうするのか?

私は文章を読んでいて、不思議に思うことを〈考える〉きっかけにします。


私が不思議に思ったのは、たとえば次のようなことです。


なぜ、ハリドンは新しいウォーキングシューズをはかなかったのか?

ハリドンはどうして、暗闇を怖いと思ったことがないのか?


こうした疑問に答える手がかりも、文章の中に探します。

しかし、それはそのページに書かれているとは限りません。

ですから、色んなページを読み返すことが必要になります。


また、〈考える〉ための手がかりは文章だけではありません。

本書は挿絵も、作者ヤコブ・ヴェゲリウスが手掛けています。

ですから、挿絵も物語の重要な一部として見ることができると思いました。


しかも、ヴェゲリウスの挿絵は

警察官の机の上にあるエンピツは、長い順番に並べられている

など、細部も考えて描いています。

そこで、挿絵の中に文章には描かれていない手がかりを見つけ、

これを〈考える〉手がかりとすることも考えました。


たとえば、エッラは

「(アメリカに行くという夢をかなえたら)そしたらその先、なんの夢を見ればいいのよね?」

と言いますが、

これを読んで私は、作者は「夢はかなえなくてもいい」と言いたいのかなと疑問に思いました。

そしてこのセリフだけ見ると、エッラは暗い雰囲気の人とも読めるそうです。


しかし、挿絵を見るとそうではない―やさしそうな人で、それなりに仕合せそうな人だだという印象を持ちました。


そこで、

やさしそうで、しかも、それなりに仕合せそうなエッラがなぜ、

「そしたらその先、なんの夢を見ればいいのよね?」

というセリフを言うのか?

という疑問を持ち、これについて考えてみました。


このように考え続けることで、エッラの性格や

この本の重要なテーマと考える「希望」について、自分なり(=それなり?)の答えを見つけることができました。



逆に、絵が無いことにも注意します。

この本には、重要な人物である船長の絵がありません。



これには、船長がどんな人物なのかをはっきり示さないことで


船長がハリドンを捨ててしまうかもしれない


と、読者に思わせる効果もあるでしょう。




しかし、私はあえて船長の顔を描かないことで
>
>
船長について読者に積極的に想像してもらう、


ことが筆者の一番のねらいだろうと考えました。



そこで、本に書かれた情報を元に、


船長はどんな性格なのか、どんな雰囲気の人なのか


について考えてみました。

そうすると、船長の人柄だけでなく、ハリドンとの関係、
さらには物語全体についても、自分なにの理解できたように思います。



登場人物について考えてみる方法には、

他の登場人物と比較する方法も有効でした。


たとえば、ハリドンとイヌを比べてみます。

私は、

なんとかハリドンの役に立とうとするイヌは、

人を疑うことを知らなかった昔のハリドンに似ていると考えました。

こう考えてみると、


イヌはこれまでどんな風に生きてきたのか?


なぜハリドンはあのような性格になったのか?


ハリドンはなぜ、イヌに少しずつ親切になるのか?


などの疑問について、理解しやすくなったと思います。


同じように、ハリドンが成長したらこうなるかもしれない、という人物はいないだろうか?と考えたり

船長やエッラと他の人物(たとえばニセ船長や金持ちの男)を比べてみたりもしました。



こうやって登場人物を比べていくと、


その人物がどういう性格なのか

どうして、そういう性格になったのか?、


という登場人物についての疑問だけでなく


作者は人間を、どのように描こうとしているのか


という、より難しい疑問についても考える手助けになったと思います。

そして、登場人物について色々考えることは、物語全体についてを自分なりの理解をすることにつながったと思います。


最後に、

コメントにラストシーンについて質問がありましたので、ラストシーンについて。





最終章のタイトルは、この本のもとのタイトルと同じ「エスペランサ」です。

これは「希望」という意味です


そして、最終章を読むと、ふたつの「エスペランサ」が登場します。



私は、この場面では「希望」がキーワードだと考え


一夜の冒険の末、ハリドンは希望を見つけれたのか?

それはどんな希望か

その場にいる他の登場人物にとっての希望とは何か



などと考えてみました。



また二つの「エスペランサ」の登場の仕方も印象的なので、

これは何かの『比喩』ではないかな、とも考えてみました。




以上が、私なりの『曲芸師ハリドン』の読み方です。


もちろん、この本を読む方法はこれ以外にもあります。

私の読み方は間違いだらけかもしれません


でも、もしこのブログを読んで、

『曲芸師ハリドン』を深く読むきっかけを少しでも得ていただけたら、

とても嬉しいです☆

長い記事を読んでいただきありがとうございます


~おまけ~

バーの名前は、登場人物たちの未来をほのめかしていると思います

ヤコブ・ヴェゲリウス『曲芸師ハリドン』

2008-09-02 10:54:26 | 読書
スウェーデンの児童作家ヤコブ・ヴェゲリウスの『曲芸師ハリドン』
本年度の青少年読書感想文コンクールの課題図書にも選ばれている作品です。
路上で大道芸をして暮らしているハリドンは、唯一の友人である<船長>と一緒に暮らしている。
ある日、家に帰ると<船長>が書きおきをして出かけていた。
ハリドンは<船長>の帰りを楽しみに一人で夕食を食べ、眠りについた

その夜、夢を見た
夢の中では、吹雪の中<船長>がハリドンを置いて旅立つ夢、
何度も繰り返し見た夢だ

目を覚ますと当たりは真っ暗なのに、
<船長>の部屋から音がしない
おそるおそる、中をのぞいたが、そこに船長の姿はなかった。

ハリドンは起きて<船長>を待つ
しかし、いつまでたっても帰ってこない
―どうして<船長>は帰ってこないのだろう―

不安に駆り立てられたハリドンは、夜の町へ<船長>を探しに出る

行きつけのジャズバーに行ってみたが、そこに船長はいなかった。
バーのマダム・エッラは「心配しなくてだいじょうぶよ」という、
しかし、不安はますます膨らむ。

船長が悲しいときに行く公園に行ってみた。
真っ暗で物音一つしない公園
物音がするほうへ行ってみると
そこには<船長>の帽子とその中で寝ている小さな犬がいた。


人を信じ切ることのできない孤独な少年が、
唯一の友人を探すために一夜の冒険をし、成長する物語。

「児童書だから安心なはず」と思って読んだのですが、、
挿絵が不穏な雰囲気を漂わせ、
作品中の天候が徐々に悪化し、ハリドンが見た夢のようになっていくので不安が膨らみます。、
そして、ついに吹雪の場面になったときには、
「ハリドンは捨てられてしまうんじゃないか」とすごく怖くなりました。



本書の重要なテーマが<人を信じること>です。
「他人を信用しないのが、身のためだ」
これまで受けたひどい仕打ちのせいで、人を信じ切れなかったハリドンが
真夜中の冒険の果てに人を信じることを覚えます。
終盤、ハリドンが「ああ、そんなことは考えてもみなかったさ」という場面は、
ホッとすると同時に、様々な感情が凝縮されていてとても印象に残りました。

ハリドンの成長に大きな役割を果たすことになる、夜の公園で出会う犬は
まるで、以前のハリドン自身のような存在。
振り切ろうとしても必死について行きハリドンの役に立とうとする場面や、
強がって「ぼくなら、だいじょうぶ!」という様子が、とてもいじらしいです。


表紙の絵は、作品中では一度も登場しない大道芸をするハリドンと犬のツーショット。
この物語のあと、彼らはこの絵のように一緒に街に出て
大道芸をしたのだろうなと思うと、心が温まりました。


ハリドンが夜の街で出会うのは、かなり困った大人たちです。

酔っ払った船員に、融通の聞かない警察官、そして傲慢な夫婦―
中でも強烈なのが、金持ちの男と犬を捕まえる男。

金持ちの男は、より多くのお金を稼ぐことに執着し
偶然ルーレットの当たり目をあてたハリドンを捕まえようとします。
そしてハリドンにはルーレットを当てる力がないとわかると、
「こいつはひどい詐欺師だ」と言って警察に突き出し、
挙句の果てに懸賞金をせびろうとします

その金持ちの男に利用される、野良犬を捕まえる男はかなり可哀想な人物です。
孤独な彼は「おおいにやくにたった」と言われただけで、舞い上がり
ハリドンを嬉しそうに金持ちの男に引き渡し、自分の小屋で一緒にコーヒーを飲もうと誘うと

金持ちの男は一言
「ばかめ。あんなみすぼらしい小屋にこのわしが本当に足を踏み入れると思ったのか!」

あの男はどうなったのでしょう。
きっとますます孤独になり、残酷になったのではないでしょうか。


彼らと対照的に、エッラと船長はハリドンを温かく見守る優しい人物です。
しかし、エッラも
「(もし夢を実現させてしまったら)その先、何の夢を見ればいいのよね?」と語り、夢を実現させようとしません。

「夢は実現させるものだよ」とエッラに言った船長も、ハリドンには夢をあきらめているように見えます。

このように、本作に出てくる大人は同じように<孤独>や<満たされなさ>を抱いていますが、
船長やエッラと金持ちの男、犬を捕まえる男には決定的な違いがあります。
それは船長たちは、それなりに仕合せそうなのに
金持ちの男たちはまったく仕合せそうでないことです。

このことは、本書の原題でもある『エスペランサ=希望』の意味や持ち方について考えさせます。


児童書は久しぶりに読んだのですが、とてもステキな本でとても嬉しくなりました
課題図書はつまらないとお考えの方には、とくに読んでいただきたいです。
もちろん、犬好きにもおススメします。


追伸~

何かのお役に立てれば…と、『ハリドン』についてもう一つ記事をUPしました

8月16日の記事です



そちらでは、私はどういう風に読んだのかを書いています

もし興味のある方はご覧ください