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コード・ガーベンさん『ミケランジェリ ある天才との綱渡り』

2008-07-24 08:31:02 | 読書
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(本書では『ABM』と略される)は、20世紀を代表するピアニストの一人です。
モーツァルト≪ピアノ協奏曲≫のやドビュッシー≪前奏曲集≫の名演奏で知られ、優れた録音も残しています。
また音楽教師として熱心に活動し、ポリーニやアルゲリッチなどを指導しました。
その反面、相次ぐコンサートのキャンセル(『キャンセル魔』)としても名高いだけでなく、パルチザンとしての従軍、レーサーとしての活動など、その人物像は神秘化されています。

『ミケランジェリ ある天才との綱渡り』はレコードプロデューサーとして彼と長年仕事をしたコード・ガーベンが、側にいたからこそ知りえたミケランジェリの人物像を描いた貴重な作品です。

本書では、まず『早くから才能を発揮』~『「あのドイツの」』でミケランジェリの生涯を鳥瞰します。これに基づき彼の生涯をまとめると以下のとおり

1920年、北イタリア・ブレシアの近くで生まれ、
1931年、わずか11歳でコンセルヴァトリウムに入学
1938年に、ブリュッセルで開かれたコンクールで聴衆の好評を博すも、不可解な理由により7位にとどまる。
翌年、ジュネーブのコンクールでパデレフスキやコルトーによって絶賛され1位になる。
1943年、ベルリン・フィルと初共演し国際的な演奏活動を開始
1946年からは、コンセルヴァトリウムでの教師としても活動
1955年、重い肺炎のため再起が危ぶまれたが年内に回復、
1970年代の初頭よりドイツ・グラムフォン社と契約、優れた録音を残す
1988年、演奏中に心臓発作を起こすが手術に成功
1993年、最後のリサイタルでドビュッシーを演奏
1995年、逝去

続く『その人物像に迫る』以降の節で、年代順に重要なエピソードを詳説し、
ところどころで日常的なエピソードに触れる形式となっています。

たとえば、代表作となった≪前奏曲集≫の録音では
2台用意したピアノの調律は遅々として進まず、
レコード会社の重役がレコーディングに立ち会おうとすると、「もし、彼らが入ってきたら、私は反対側から出て行く!」とこれを徹底的に拒否。

朝食中、においが気に食わないとハチミツの瓶を投げつけたり

あるいは、筆者とミケランジェリが決別する原因となったラヴェルの演奏でのトラブル

などミケランジェリの「タイヘン」な人柄を知ることができるエピソードが紹介……


と、これだけなら下世話な楽屋話集に過ぎないのですが

しかし、作者は自ら指揮台に立ち、著名歌手のリート演奏を勤めるほどの人物。

ミケランジェリの演奏の特徴について、その音楽観・演奏方法を念頭に具体的な分析を行います。

これによれば、前述の≪前奏曲集≫に関して
ミケランジェリは、(絵画に対して)音楽は常に古典的な芸術であると考え、「印象派」ドビュッシーの演奏であっても「明確なタッチ」で行った、とのこと。

具体的な演奏方法については、リヒテルとの比較を試みます。

たとえば、《前奏曲集》の≪帆≫について、

リヒテルは「気前良くペダルを使う」。そのため、とても「きたない」部分が生まれ、いくつものハーモニーのブロックが曖昧になって、危険なまでに不鮮明な中間色になってしまう。
ミケランジェリは、悪魔的に完璧であり、挑発的な明確さを持つ。

同曲の別の個所―上昇するトリルの後の非常に難しい個所―については

リヒテルは支持されたクレッシェンドを、三番目の和音がほとんど聞こえないほどのデクレッシェンドへと、ひっくり返してしまう
ミケンランジェリは、誤った付点で弾く。


文字を読むと??ですが、実際にCDで聴き比べてみると、なんとなくわかるような気がします…たぶん


また、とても興味深かったのが、30年代にカラヤンと共演したラジオ録音がソ連軍によって持ち去られたという話。後年では、絶対にありえなかった両者の共演。
なんとしても、見つけてほしい録音です

なお、付録としてモーツァルト≪ピアノ協奏曲20番・15番≫、ショパン≪4つのマズルカ≫、ドビュッシー≪前奏曲集第1集『帆』≫など代表的な演奏を収録したアルバムがついてきました。(←現在は、権利の関係から付録はないそうです)
このCDには練習中のミケランジェリの肉声も録音されています。