◇juri+cari◇

ネットで調べて、近所の本屋さんで買おう!!

山田芳裕さん『へうげもの 第七服』

2008-08-28 22:56:10 | 読書
『サライ』等ではおなじみの江戸初期の茶人・古田織部を主人公にしたマンガ

山田芳裕さんの『へうげもの』

『BSマンガ夜話』でも取り上げられ、ますます絶好調です。


最新刊7巻(←正しくは、七服)では、

山上宗二の処刑から織田長益の剃髪までが描かれています。


メインのストーリーでは

少し前から、ジワジワ広がりつつあった秀吉と利休の溝が決定的になる一方、

織部が茶人として自らの道を模索中といったところです。



そんな本巻、見所はなんと言っても、

宗二の処刑を知ったときの支障・利休の表情。


憤怒、憎悪、悲しみ、己の無力さを知った虚しさ……

さまざまな表情が混ざった実によい(?)表情をしております

ちょっと、狂言面の『武悪』に似ているように感じました。


この絵があるからこそ、その後の利休の無表情さがとても活きます。



私がこの巻のウラテーマだと思ったのは、2つの『光秀の遺産』


一つは、政治的遺産。

それは、

すでに明らかになりつつある、徳川家中のしたたかさ

そして、天海。


2~3巻で光秀をかなり好意的に取り上げていたので、

「明智光秀=天海」説を山田芳裕さんはどう料理するのか?

か気になっていた方も多いと思われますが


この巻でようやく、著者ならではの天海が描かれます。


これは天海の実際の経歴に一致するものですし

のちの「明智が原」、「桔梗紋」なども合理的に説明のつくものです

こうした虚実皮膜をたくみに縫い合わせる様子


さらに、天海が登場する場面で徳川家康が着ている着物の模様は

光秀が家康に以前贈った足袋の模様と同じであること

にも見える細かい書き込みも、本作の魅力です



もう一つの遺産、文化的な遺産―真っ白な安土城―は

思いがけない、日本美術史の巨人に受け継がれていました。

その人物とは、小堀遠州。


彼の茶道が、白を重視していること

代表作である忘筌席や金地院の八窓庵を思い起こせば、

光秀-遠州という系譜はうなずけるものです。


しかも、

遠州が近江出身で、幼い日に真っ白な安土城を目にした可能性があることを考えれば、

これは単なる思い付きなどではなく、真っ白な安土城を登場させたときから、

計算していたように思われます。


-スゴすぎです



本巻には

他にも、「のぼうの城」で一気に有名になった忍城攻めや

「伊達の白装束」、江戸が風水に基づいていること

などの有名エピソードや

「しま模様」、「すき焼き」のようなタイプのエピソードまで

とても多くの情報が盛り込まれています

その量は、これまでの巻に比べてとくに多いように感じました。



メインのストーリーは、

利休の切腹に向けて着々と進行中

織部も〈武人〉と〈茶人〉、そのどちらとして生きるのか再び葛藤します


どちらも小説等で、古くから扱われたテーマ

筆者がそうした旧作品の蓄積を踏まえつつ、どんな新説を打ち出すのか

とても楽しみです。



本作は、純粋にマンガが好きな方から

美術に興味のある方

さらに、細川忠興の顔の傷が本当はもう一箇所あることに気がついている

少しどの過ぎたマニアの方まで幅広く楽しめる作品


まだ、読んだことのない方は、ぜひご覧ください☆

ショスタコーヴィチ『ジャズ組曲 第1番・第2番』

2008-08-26 11:55:50 | 音楽
一見、教条的なプロレタリアート芸術だけど
その裏に、何重にも屈折した内面が伺うこともできる(……らしい)ショスタコーヴィチの作品

代表作である交響曲5番、9番やいぶし銀の『レニングラード』などはいずれもソビエトらしい重厚感のある楽曲

しかし、そのような作品群において異彩を放つのが『ジャズ組曲第1番、第2番』

『第1番』は
ワルツ、ポルカ、フォックスロット
の3曲からなる構成。
『第2番は』
行進曲、リリック・ワルツ、ダンス1、ワルツ1、小さなポルカ、ワルツ2、ダンス2 フィナーレ
の全8曲から成ります。
編成を一見すると、何がジャズかわからないかもしれませんが、
実際、聞いてもどこがジャズなのかがさっぱりわかりません―

両曲とも、あのズシ~ン、ドス~ンとしたショスタコーヴィチとは信じられない優美な楽曲

とくに、第1番はワルツでは、サクスフォーンの甘美な旋律
遊び心に満ちたポルカと気高いフォックストロット
いずれも劣らぬ余韻を残します。

この曲が作られた1934年は、この曲の直前に発表した〈マクベス夫人〉が一瞬絶賛され、愛人とうまくいっていた時期です。
しかし、そんな時間は長く続かzy―
1936年の1月には、社会主義リアリズムの名の元で芸術活動に対する統制が強まり、自身も強い批判の矢面に立たされることにます。
軽快で優美な楽曲の中に絶えず付きまとう不安は、作曲家自身のものかもしれません。


地獄を見たあとに作曲された組曲第2(正式には『舞台管弦楽のための組曲』は、
編成の経緯がよくわからないので、書くことがないのですが、

色んな楽曲からの引用が大半で
30年代に批判を受けるきっかけとなった『明るい小川より』の楽曲も引用されたりと、
ショスタコーヴィチの明るめの楽曲を、一度に聞くことができる内容です。


なお、このジャズ組曲は現在買えるアルバムが少ないのですが、
NAXOSから出されている、ヤブロンスキー指揮のこのアルバムは、
とてもお買い得なアルバムですので、ぜひ一度お聞きください

早見裕司さん『となりのウチナーンチュ』

2008-08-21 11:05:19 | 読書
早見裕司さんの『となりのウチナーンチュ』は
沖縄で暮らす少女・彩華と東京から沖縄に引っ越してきた少女・夏美が出会い、
ともに成長するファンタジー作品。

先日紹介した『曲芸師ハリドン』と同じく、今年の青少年読書感想文コンクールの推薦図書です。




沖縄に住む15歳の少女・彩華は、小説家志望の父親と二人で暮らしている
母親は、いつまでもまともに働こうともしない父親に愛想を尽かして出て行ったのだ。
公立の学費すら払えないので、高校には通っていない。


ある日、彩華は青蛙神(蛙の像)が喋るのを聞いた。
娘にはユタ(巫女)の才能がある!!と喜ぶ父親を横目に
彩華は、へそくりを使って神経科に通うことにした。

その夜、青蛙神と話していた彩華は
自分が寂しかったことに気づく
そして、青蛙神は、翌日隣の部屋に「人が引っ越して来る」という予言をした。
「その人と出会うことで、、彩華の人生は、そうだな……面白くなる」
のだそうだ。

翌日、予言どおりに隣の家に引っ越してくる家族がいた。
東京から来た、夏美とその父・和久の親子だ
夏美は東京で、学校になじむ事ができず
家でも、成績のことしか気にしていない母親とうまくいってなかった。
しかもその母親は、離婚して家を出て行った後も、生き霊となって夏美に付きまとい続けている。
親子は、そんな東京での生活に区切りをつけるために沖縄へ引っ越してきたのだ。

同じ年だけど、なんとなく頼りない夏美と少しお姉さんっぽいはすぐに親しくなった。
そして、二人は一緒に生き霊について相談するために、彩華が通う神経科を訪れた。

二人が待合室で待っていると、
ファンキーな格好のオジイが入ってきた。
オジイは実は神様で、うつ病で神経科に通っているのだ。

オジイは夏美の顔を覗くなり、夏美に小さな袋を差し出した。
マース袋―厄除けのお守り―だ。
オジイはそれを空港のお土産屋で買ったというのだが―





親・学校・故郷―
既存の枠組みにこだわらず、一人の人間として成長していく二人の姿がたくましく感じられます。
また、
「ゴミは消えてなくならないけど、心の中のいやなことは、時間が経つとともに消えていくんだよ。」
など、気持ちのよい台詞・文章も多く
ラストシーンもさわやかで、とても読後感がよい作品です。


この作品で描かれているのは、二人の少女の成長です。

学校や母親との関係に悩み、自分に自信のなかった夏美は、
沖縄に来て、彩華たちと出会うことで次第に強さを取り戻し、
母に立ち向かえるようになります。

これにともない、彼女の中での「沖縄」も変化します。

東京にいた頃の夏美にとって、『ちゅらさん』のビデオは唯一の「救い」でした。
母親の「生き霊」も、沖縄のことを思い浮かべれば消え去ったのです
ここでは、「沖縄」は「沖縄」であるだけで「救い」でした。

でも、父親と期待を胸に訪れた「沖縄」は『ちゅらんさん』の世界ではなく
街中に基地があり
国道とパチンコ屋、高いマンション、びっしりと並んだ住宅、海も森も見えないただの住宅街に過ぎなかったのです。

しかし、彩華と出会い一緒に過ごすことで
夏美にとっての「沖縄」は、
自分を受け入れてくれた場所、お互いに必要とする彩華がいる場所として、
自分にとってかけがえのない場所になりました。

このことが、本作を単なる「沖縄もの」(青い空とどこまでも広がる海に囲まれてると、癒されてました~的な話)にとどまらない、射程の広い作品にしているように感じました。

一方、彩華は最初から、
へそくりで神経科に通院したり、
母親のいない一家を切り盛りする―など
とてもしっかりした、しっかりしすぎた人物です。

しかし、その反面
「彩華。寂しかったのではないか」
と言われると、
「うん、自分でも驚いている」
と答えていたのです。

ですから、彩華が夏美と出会い、
―自分の人生にとって必要な人が、必要なときに、実際の人物として現われる―
という言葉を実感できるようになる場面ではホッとしました。



最初はあまり……だった作品ですが、
読み進めるうちに、どんどん好きになりました。

『曲芸師ハリドン』と同様に、感想文用の推薦図書と思い読まないでいると損をするので、ぜひご覧ください。



〈蛇足な話〉

ところで、本作の特徴の一つとして
「仮面ライダー クウガ」、「ガッキー」、「ガレッジセール」、「パク・ヨンハ」
など固有名詞が多く登場していることがあります。
このことは、本書が「現在の読者」を強く意識して書かれていることを示している、
と思うのですが、

固有名詞がそれ以上の深い意味合いを持って用いられているシーンがあります。

夏美と彩華たちがカラオケに行くシーンです。


この場面で彩華は陽気にmihimaruGTの曲を歌います

一方、夏美は中谷美紀さんと浜崎あゆみさんの曲を選び、
浜崎さんの曲を歌っている最中にトランス状態になり、
遠く離れた東京にいる友人・季里と夢の中で再開をするのです。



このシーンは、少し気をつけなくてはいけないように感じました。


ここで夏美が歌う浜崎さんの曲は「Moments」です。
なぜ、「Moments」なのか
夏美は「彼女の歌は、心の奥のとても深いところにあるものを描いているように思うのだ」
と浜崎さんの曲が好きなようです

しかし、(夏美が歌いそうな)バラードのなかでも「Voyage」や「Dearest」、「SEASONS」でもなく、あえて「Moments」を選んだのか?

そこで、「Moments」の歌詞を見てみます。

花のように儚いのなら、君のもとで咲き誇るでしょう
鳥のように羽ばたけるなら、君のもとへ飛んでゆくでしょう
風のように、漂えるなら、君のもとへたどり着くでしょう
月のように輝けるなら、君を照らし続けるでしょう

このように、この歌は遠く離れた場所にいる〈君〉を想うものです。
そして、この曲を選んだ時、夏美は東京にいる友人・季里のことを考えていたのです。

このことから、夏美は―自覚的か、無自覚かはわかりませんが―その時の心情を反映した曲を歌う人物だという仮説を立てられます。

そしてこれに従うと、夏美が中谷美紀さんの「こわれたこころ」を歌うことは重要な意味を持ちます。

ご存知の方もいるかもしれませんが、
この曲は天童荒太さん原作のドラマ『永遠の仔』の挿入曲。
歌詞も『永遠の仔』に沿った内容となっています。

参考のために歌詞を一部引用すると、こんな感じです。

失った宝を見つけても 奪われて
空っぽを抱きしめて 愛を求めてた
傷口に誰も気づかない
助けてよ

こうしたことを加味して考えると、
夏美という人物(とくに母親との関係)がより鮮明になり、
彩華の母親について、

あのお母さんも、夏美を気にはかけていたのだろう。ただ、たぶんその方向がまちがっていた

と述べられていることも、理解しやすくなるように思いました。

向日葵

2008-08-20 11:27:12 | 読書
向日葵の 蕊(しべ)をみるとき 海消えし
                     ~芝不器男~


芝不器男は昭和初期の歌人。

叙情的な句風で知られ、「ホトトギス」などで活躍したものの、

病気のため27歳で逝去。


驚くほどマニアックな人物ですが、
10年に1回くらいのペースで句集が刊行されていますし

超人気雑誌『俳句あるふぁ』でも昨年の2月に特集記事が組まれていました。

『ASPERGES』(『アスペルジュ』)

2008-08-19 01:56:19 | 旭山動物園
昨年訪れてから、とても気に入っている美瑛にあるレストラン『アスペルジュ』に行ってきました。


レストラン『アスペルジュ』は、札幌の人気レストラン『モリエール』の中道博さんとJA美瑛の共同プロジェクトとして誕生したレストラン

美瑛産の食材をふんだんに使ったフレンチ料理を手軽に味わうことのできるお店で、JA美瑛のが運営する『美瑛選果』の中にあります。


場所は旭川市から、自動車で約30分

国道237号線を進み、美瑛市に入ると右手にサイロのような筒状の建物

左手にラーメンの『山頭火』の看板があり、

その奥に『美瑛選果』という看板が見えます。




↑の写真は富良野市側から見た、国道237号線


『美瑛選果』の建物はガラス張りのモダンな建物。




建物に入って左側に『アスペルジュ』はあります。

キッチンはオープンキッチンになっているので、中を覗けます(↓の写真左側)





『アスペルジュ』の店内は白を基調とし、光を多く取り込んだ開放的な空間。


メニューは、ランチタイムにはコース3種類とアラカルトが4種類




コースでもアラカルトでも、まず出てくるのは



玉葱のトマト煮




チーズが効いたコーンがパリパリしていて、これから出てくる料理が楽しみになります。


以下のメニューは、の内容です。


サラダは20種類の野菜を使ったサラダ。





野菜そのものの甘さを存分に味わうことのできる料理です

爽やかな味のドレッシングが素材の味を引き立てます

また、見た目も美ししく、目でも楽しむことができる料理です。



続いて出てくるのは、「一晩マリネしたトマトの低温ローストと茹で上げブロッコリー」




添えられているのは、自家製マヨネーズとワインビネガーを使用したソース


マヨネーズやソースをつけても美味しいのですが

まずは、そのまま食べていただきたいです

とくに、味が凝縮されたトマトの美味しさは驚きます。

やはり北海道、素材そのものの美味しさ(素材力)がけた外れです



メインは『美瑛産豚もも肉の自家製ジャンポン さやかを使ったボンムピューレ』

ジャンポンは量が多く見えるかもしれませんが、塩味が引かえ目なので、ペロリと食べれます。

「さやか」とは美瑛町で生産しているジャガイモ
これを使用したピューレは、そのまま食べるのもいいですが

やはりジャンポンと一緒に食べるのがベスト

ジャンポンの塩味と、ピューレの甘さが一体となり、まさに妙味。


また、添えられたクリームは野菜を使った独特の風味があるもの。

こちらはハムで包み、けしの実のパンと一緒に食べるのがおススメです



付けあわせとして、ベーコンと一緒に煮込んだ玉葱も出てきます。




食事の最中、何度「甘い」と言ったかわかりませんが、この玉葱も甘~~い。

シャキシャキした歯ごたえと、とろけるような食感の二つを同時に味わうことができる、地元ならではの一品。

玉葱の美味しさが詰まったスープはパンにつけるなどして、残さず飲みたいです。


デザートは『メロンのスープ仕立て ココナッツソルベ』




メロンのソースとココナッツ

この組み合わせのなんと美味しいこと。

そして、何も手を加えていないメロンの甘さ


言うことはありません。




コーヒーと一緒に出てくる『黒豆ブラウニー メレンゲクリーム』






黒豆ブラウニーは固めの黒豆がコーヒーに合います

またメレンゲクリームは、メレンゲのシュワシュワ感がたまりません

気に入りすぎて、帰りに買い込みました。




一方アラカルト、

美瑛牛の赤ワイン煮込み





ソースは甘くない味付けで、夏場に食べても重くなりません。

煮込んだお肉は、ホロホロ感がたまらず無口になって食べてしまいます。

脂身が少ないのも嬉しいです


パンと一緒に食べると美味しいのは言うまでもありません。


しかし、一番のおススメは




肉厚なグリエの美味しさはもちろんですが、

リゾットが絶品

好きすぎて写真を撮るのを忘れてしまいました。


量も多いので、コースと同じくらいおなかが一杯になります。


サーロインは未挑戦なので、今度頼んでみます。



なお、『アスペルジュ』はディナーもありますが

内部情報?によると、ディナーをやっていることはあまり認知されていないとのこと

ディナーにも、ぜひ足を運んでみてください。



料理を堪能した後は、併設されている『選果市場』へ




『選果市場』では美瑛産の農畜産物が販売されています

野菜はもちろんのこと、お米や小豆、アスペルジュでも出されているベーコンも購入できます。





おススメはユリ根。

味が濃く、ユリ根饅頭にも茶碗蒸しにも合います。


北海道と言えば…のトウモロコシはお土産に最適です。


美瑛産のお米「ななつぼし」はおにぎりにすると、具のいらない美味しさ



ほどよいもっちり感はどんな使い方にも向いています。





最後に訪れるのは、『選果工房』


ここではドリンクや軽食の他、ソフトクリームやプリン、ケーキ

アスペルジュで提供されるメレンゲやブラウニーが販売されています

おススメはニンジンのパウンドケーキ



紅茶にもコーヒーにも合う上品な甘さのニンジンがやみつきになります。

写真の1カットで250円、1ホールで1000円なので、かなりお得です。


そして最後はもちろん、ソフトクリーム




これを食べながら、美瑛の観光地『四季彩の丘』に向かいます

↓の写真は選果工房のテラス席



ここでジュースや、ソフトクリームを食べるのもおススメです。



レストラン・アスペルジュ (Restaurant ASPERGE) (野菜料理 / 美瑛)★★★★★ 4.5



緑川ゆきさん『夏目友人帳』

2008-08-18 20:10:59 | 読書
以前も取り上げた、緑川ゆきさんの『夏目友人帳』


妖怪を見れるせいで、孤独な日々を送ってきた少年が、
祖母が残した「友人帳」を手に入れたことがきっかけで、次第に他者と触れ合うことの大切さを学ぶ少女マンガ。

月刊『LaLa』や隔月発売の『LaLaDX』で連載されています。



主人公・夏目高志は幼い日に両親を亡くし、親戚の家をたらい回しにされてきた。

しかも夏目は、妖(あやかし)と呼ばれる妖怪を見ることができる能力のため、

周囲からは気味がられ、ずっと孤独だった。



どこかにきっといるんだ


同じものを見る人が

わかってくれる人が―…




そんな日々を過ごしていた夏目は現在、心優しき藤原夫妻のもとで暮らしている。


しかし、夫妻に心配をかけたくない、また一人に戻りたくない
そう思う夏目は

妖が見えることを、誰にも言えないでいた。



そんなある日、凶暴な妖に追われた夏目は、
祠に封印された強力な妖・斑(にゃんこ先生)と出合う。

そして、斑から祖母・レイコが残した『友人帳』の存在を知らされる。


夏目と同じように、妖を見ることができたレイコは、

その能力せいで人間には嫌われ、いつも一人だった。


そこでレイコはうさばらしのために妖をいじめ、名前を奪い支配していたのだ。



その日から、夏目の周りには名前を取り戻そうとする妖が現れるようになった。



人と妖、妖を見える人と見えない人、
妖を見える人の中でも、妖に友好的な人と敵だと思う人


結局、他者とはわかりえないかもしれないと思いつつも、

少しでも彼らに近付こうとする夏目の姿に心を打たれます。



本作の特徴の一つは

徹底して、夏目から見た世界を描いていることです。


夏目以外の登場人物がモノローグやふきだしで気持ちを語ることはほとんどなく、

各話に登場する妖の気持ちも、

夏目に記憶が流れ込むという形でのみ描かれるなど、

夏目が知ることのない情報は読者も知りえないようになっています。


こうすることで、
他者のわからなさ、わからないがゆえの孤独が徹底して描かれます。

しかし、この作品の魅力は

そこまでわからない他者であっても、

少しでも近付きたい、理解したいと思い、他者に対する優しさを持てる

ことが描かれている点だと思います。


妖を見れず、自分を気味悪がる人に対して


―何も、知らないくせに。

と思っていた夏目が、次第に


同じものを見
同じものを感じる人でさえ、すれちがってしまう。

そんな悲しみを皆は知っていたんだ


と思えるようになったり

最初は自分を不幸にする原因だとばかり思っていた妖に対しても

それぞれに悲しみや願いがあることを知り


友人だと思い、彼らの役に立ちたいと感じるようになる。


こうして夏目が少しづつ成長していく様子を、丁寧にに描いていることに、強い好感を持ちます。


また、単行本の4巻からは巻末に特別編である『夏目観察帳』を収録

こちらは、夏目以外の登場人物が夏目について語る物語

幼い頃の夏目と出会った妖が



一人で生きていたいなぁ


という呟く夏目に対して



私は、妖で

人のことはよくわからない

けれど、一人は悲しいことだよ



と想う『夏目観察帳②』や


母親をなくし、一人で生きる子ぎつねが登場する『夏目観察帳①、④』


これらを読むと、夏目が自分で思う以上に、
心優しき存在に囲まれているのかがわかります


さらに、本作の特徴としては、全作に作者の解説がつけられていることです。
これを読むと作品をより深く味わうことができます。



少女マンガを買うのは躊躇してしまう方もいるかもしれませんが

ぜひ一度ご覧いただきたい作品です。


個人的に好きなのは

エピソードでは、ツユカミさまが登場する第2話(単行本1巻)
フリーマーケットで買った絵をめぐり第15話。


キャラクターでは、

夏目を「夏目の親分」と呼ぶ河童(第5話)
第7話以降登場する〈式神〉の柊


絵では、花火に見とれるでっかい妖(5巻の『夏目観察帳③』)

妖怪の背後から、バットを持って忍び寄るレイコの後ろ姿(第6巻)

―です。

荻原浩さん『愛しの座敷わらし』

2008-08-16 02:08:26 | 読書
そうだよ、座敷わらしは、怒ったりしない。
誰かをうらんだりもしない。きっと自分の命を奪ってしまった自分の親のことだって。
そういう心が芽生え前に、この世から消えちゃったんだ。
「シャボン玉やってみる。」
こくりと頷いたように見えた。
「じゃあ、まず、ぼくがやるのを見てて」ちゃんと遊び方を教えてあげなくちゃ。
さっきよりもっと大きな玉にしようと思って、がんばりすぎたのがいけなかった。
ふくらんだ玉は、ストローから離れたとたんに弾けてしまった。
シャボン玉の歌の、続きの歌みたいに。


生まれてすぐに、こわれて消えた。



幅広い題材を描く荻原浩さんの最新作は、座敷わらしが登場する『愛しの座敷わらし』

東京から田舎へ越してきた一家が、座敷わらしと出会い、家族の絆やたくましく生きる力を取り戻す作品です。


東京で暮らす一家が、父親が転勤のために、家もまばらにしかない田舎の一軒家に引っ越すことになった。

一家の新居は、民芸館のようにしか見えない古家屋。
玄関を入れば土間、トイレは和式、家の中心には囲炉裏
そして二階には、古びた仏壇、家の裏には小さな祠―

この家が気に入っている父親の晃一を除き
しぶしぶこの家で暮らし始めた一家だったが、すぐに不思議な出来事が起きはじめる。

と、と、と 足音がするので振り向いてみると、誰もいない
母の史子は肩が重くなったと感じ
ペットのクッキーは誰もいないのに吼えている


そんなある夜、長女の梓美が鏡を覗くとにそこには小さな子供がこちらを見ていた




次第に絆を強め、成長する家族―とくに子供と祖母―の様子がたくましく

たしかに座敷わらしは幸福を運んできたのだなぁと思うと心が温まります。


しかし、本書はなんといっても座敷わらしです

マンガの本につまずき、けん玉を見て「きゃ」とか「ふわわぁ」と言う姿がとっても愛おしいのです。

ですから、物語の終盤、別れの予感が漂い始めるとものすごく悲しくなり、
最後のセリフがとっても嬉しくなりました。


視座は中年サラリーマン、専業主婦、女子高生、小学男子、祖母と替わるので
それぞれの反応の仕方を比較でき、出来事を立体的にとらえられるのも面白いです

また、比較といっても、単に反応の違いを見るだけでなく
家族ならではの、類似点を見ることができるのもおもしろいです


たとえば、座敷わらしがいることを受け入れようとする時

父親の晃一はサラリーマンのバイブル『課長の品格』を必死に引用し
「常識を疑い、固定観念を捨てろ」だ
―と思います。

これに対して、小学生の智也は

全部の事実から、「そんなことありえない」を引き算すると、答えは、ひとつ。

―とどうやら『名探偵コナン』経由で仕入れた『シャーロック・ホームズ』を引用して自分を納得させようとします。

こういうふうに親子だなぁっと感じる箇所を散見するなど

細かい描写が多々あります。


他にも、

智也が田舎のトマトは、苦手な鉄錆みたいな臭いがしなかった、と感じたり、
史子が、実はトンカツはキャベツ料理なのだ、と思うなど
田舎暮らし・生活の様子がこまかく描かれていたり、

各人の性格・内面について、

史子の父親が「病は気から」が口癖だったけど、風邪をこじらせて亡くなったとか
長女の梓美は学校で「いい子」になっていると、家では機嫌が悪くなる

など。

こうした緻密な書き込みの積み重ねは物語や登場人物に説得力を与え、

だからこそ、彼らの成長や変化を嬉しく思えるようになります。


さらに、扱われる題材の選び方にも注目です

家族それぞれを取り巻く現代的な状況―とくに、子供を巡るタイヘンな事情―や
座敷わらしが生まれた悲しい歴史にもキチンと目を配りつつ
話を重くしすぎないバランスのよさと

おまけに、読み始めると最後まで一気に読みたくなる妙趣溢れる語り。


使い古された言い方ですが、

老若男女問わずに笑って、泣ける作品です

熱烈におススメします
ぜひ、読んでください!!


なお、荻原浩さんには同じく座敷わらしが登場する短編集『押入れのちえ』があります。
こちらもハートフルな作品ですが、他の収録作品の刺激がやや強いので
より多くの方におススメできるのは、まちがいなくこの『愛しの座敷わらし』

繰り返しになりますが、本当におススメです!!!!

森博嗣さん『スカイ・クロラ』

2008-08-05 11:28:02 | 読書
戦おう。
人間のように。
永遠に、戦おう。
殺し合おう。
いつまでも。
理由もなく、
愛情もなく、
孤独もなく、 
何のためでもなく
何も望まずに……。

森博嗣さんの『スカイ・クロラ』は
キルドレと呼ばれる、思春期の姿のまま永遠に生き続ける子供たちを描く『スカイ・クロラ』シリーズ第1作。
本作はカンナミ・ユーヒチを主人公とし、終始彼の視座から物語が進みます。


新たにに着任したぼくは、草薙水素のもとで任務に着くことになる。
着いて早々の戦闘、ぼくは同僚の土岐野や湯田川と出撃して
敵の飛行機を2機撃墜した。

その夜、土岐野と飲みに出かけ
娼婦から前任者ジンロウのことを聞いた
ジンロウは一週間前に死んだという
しかし、飛行機には傷がない
なぜジンロウは死んだのだろう

ある日、草薙に呼び出されたぼくはジンロウについて尋ねてみた
しかし、彼女はジンロウの死について語ろうとしない
そこでぼくは草薙に聞く
「あなたはキルドレですか」
彼女の目が大きくなるのが見えた―


死ぬことがない体で、誰が敵かもわからないゲームとしての戦争を戦うキルドレ
彼らは空虚な<生>の向こうになにを見つけるのか



透明感のある文章は、大半がキルドレである登場人物や
大空を駆け巡るシーンを印象深いものとします。
これに、必要かつ十分な情報のみが描かれる構成が相俟って
作品全体をいっそう研ぎ澄まされた印象にしているように感じました。

とりわけ、これが効を奏するのが、本書の見所である空中戦のシーンです。


翼が傾き、斜めにスリップしながら、急降下に入る。
軽く反転。
背面のまま下りていく。
頭上には、海と白い波。
逆さまの方が、頭に血が上らなくて済む。
メーターを見た。
左右を確かめてから一度反転。
周囲を眺める。
前方に三機。
速度が遅い一機に狙いを決めて、ダイブの角度を修正。
後方を振り向いて確かめる。
逆方向に反転して、あたりの様子をさらに確認しながら右手は丁寧に安全装置を外した。


ここでもユーイチの眼から見た世界が描かれるので
まるで自分が操縦席に座っているような感覚が味わえ
加えて、余分な情報を省いた文章が躍動感をいっそう高めています。


もう一つの本書の見所といえるのが、キルドレたちの葛藤です。

彼らは一見クールですが、
永遠に生きることができるにもかかわらず、常に死と隣り合わせであり
生きたいと願い、生き残った結果、死にたいと思うことになったという
矛盾した状況におかれたが故の、苦悩を抱えています。


冒頭に引用した部分は、ユーヒチが最終的にたどり着く心境です。
(本当はもっと長いのですが、イロイロ関係するので割愛)

字面を追うと、一見スゴイ内容に見えるかもしれませんし、
そうも読めるのですが、私は別の読み方をしました。

まずユーヒチは「人間のように」と言ってます。
つまり、自らは「人間」ではない―「年をとって死んでいく」運命を持たない「キルドレ」だ―と認めているのです。

そのうえで、「理由もなく、愛情もなく、孤独もなく、何のためでもなく何も望まずに」
ただ「戦おう」そして「殺しあおう」と言います。

ここでの心境は、空中にいるときの
「音もなく、望みもなく、光もなく、目的もなく」
という心境とほぼ同じです。

それまで、ユーヒチは地上に降り立つと、
「堕ちないようにもがくこと」と「死にそびれてしまったこと」の呪縛を感じ、
「死ぬ」か「あれこれ考える」以外は、その呪縛から逃れる方法はない
と考えていました。

しかし、「理由もなく~」は地上での心境で
ここでユーヒチは「死ぬ」か「あれこれ考える」以外の方法で呪縛から逃れたのです。

また、ユーヒチはラストの直前で、それまで拒み続けた<ある行動>を取りますが
そのこと自体とその理由が、彼らを単なる機械から画しています。

こう考えると、「理由もなく~」という「純粋」で「綺麗」な心境は
永遠に生き続ける「キルドレ」が至る一つの結論として納得のいくものであり、
呪縛から逃れたことと、<ある行動>を取れたということからすれば、
彼なりの方法で生きていることを受け入れた、楽観的なものといえるでしょう。

(*ここにいう「~はなく」は「un」ではなく「dis」だと読みました)


もちろん、このせりふを楽観的といえるのはキルドレだからで
ご近所さんがこんなこと言ってたら警察に通報しますね。

もちろん、こうしたややこしい内面について考えずに
単純に飛行機で戦っているシーンだけでも、すごく面白いです
ワクワクしてきます


メカやSFはちょっと…という方にも強くおススメです。
もしお買いになる際は、装丁の美しいハードカバー版をぜひ!!

ノーマン・モス『原爆を盗んだ男 クラウス・フックス』

2008-08-02 12:37:19 | 読書
アメリカのジャーナリストノーマン・モスによる、20世紀の科学者クラウス・フックスの評伝。

先日BSで,ナショナル・ジオグラフィックが制作したドキュメンタリードラマが放送されていたので、読んでみました

まず、本書にしたがいフックスの生涯をまとめると以下のとおり。

クラウス・フックスはドイツ出身の科学者で、
1940年代にアメリカ・イギリスの原爆開発の情報をソ連に提供していた人物です。

1911年、ルター派牧師の子としてフランクフルト近郊で生まれる
30年代、ナチスへ対抗するために共産党に入党。その後、ナチスからの迫害を受け、イギリスに亡命。
そこで、モード委員会のもとでウランの分離実験を行っていたペイノルズの助手となる。
1941年夏、同委員会の目的が原子爆弾の開発であることを知り、ソ連への情報提供を決意。直ちにこれを行う。
1943年~、ペイノルズがアメリカとの共同研究に参加するのに従い渡米。
ニューヨークでウラン拡散の研究を開始、このころよりソ連の諜報員ハリー・ゴールドと接触し始める。
その後、ペイノルズらとともにロスアラモスへ移動。ベームのもとで研究に参加。
この時に、プルトニウム型の原子爆弾についての知識を入手し、これらの情報をゴールドを通じてソ連に提供する。
1945年、原子爆弾の完成後、しばらく情報提供を中断
1946年、イギリス政府からの招聘に応じて、コッククロフトが所長をするハーウェルの原子力研究機関に赴任。
ここでの研究の中心的な人物として活躍。
一方、このころから情報提供を再開。イギリスの原爆開発計画をいち早くソ連に伝える
1948年、スターリンの抑圧的な政治姿勢を知り、情報漏洩を減らす。
1950年、親交のあったイギリス軍保安将校ヘンリー・アーノルドに情報提供の事実を認める。
同年2月、警察に逮捕され14年の刑に服する。
服役後は、東ドイツに赴き、原子力研究所に籍を置く。
1988年、死去。

本書は、フックスの人生を時系列に沿って描いたシンプルな作品。
内面やスパイ活動に重点をおくわけでもなく、淡々と足跡を追います。

科学や科学史を専門とする研究者が書いたわけではなく、
また、フックスが独自の研究を行わずに、他の科学者の研究スタッフとして活動したこともあり
本書には化学式が一切登場しませんし、フックスが携わった研究についても具体的な内容についてはほとんど触れられません。
この点は、とても読みやすかったです。

一方、本書が強調するのは、フックスは控えめな性格だったにもかかわらず築き上げた、交友関係の広さ。
ロスアラモスでは、ペイノルズやファインマン、テラーなど主要な研究者やその婦人たちとパーティーを開いたり、ピクニックやスキー、映画鑑賞に行き、
さらに、ロスアラモスを出た後にオッペンハイマーやワイスコップなどと食事に行った、というエピソードが紹介されます。

よく聞く名前が次々に登場するので、とても興味をそそられる話です―が、
相手にとってフックスがどれほどの位置づけだったのかはわからないので、
ほどほどに聞いておいたほうがよさそうです

また、フックスはスターリンの姿勢に疑問を感じるようになる以前は、自身のスパイ活動中に一切の良心の葛藤を感じなかったとのことですが

その理由が印象的でした。曰く、

「私はマルクス主義を適用して、心の中に二つの別々の区画を構築したのです。一つの区画に受け持たせたのは、交友関係を作ること、個人的関係を結ぶこと、人々を助けること、<中略>、他の区画では社会の包囲勢力から離れて完全に自立することに成功したため、「自由な人間」になり得たように思えました」

なにを言っているのかよくわからない点もあるし
そもそも、これを額面どおり受け取ることには躊躇しますが、興味深い話でした。


もう少し詳しく知りたかったのが、
フックスがもたらした情報がどれ位ソ連の核開発に寄与したか、という点。
本書中では「1,2年は早くなった」という証言が紹介されていますが
ソ連の核開発についていずれ読んでみないといけないと感じました。

物語形式で書かれているものの、無理に盛り上げることもなく、
また、異様な思い入れを注いだり、独自の概念を持ち出すこともなく
あくまで一人の人物のある側面に特化して書かれた作品(←タイトルは煽りすぎだと思います)

読みやすく、興味深く
なにより、よほどのことがない限り、
この人について本が書かれることはないでしょう(苦笑)から貴重な本だなと思いました。