老人の戯言

老人の経験、知識、見識も現在に貢献するものが多いのではないか。

自民党復党問題

2006-11-24 21:08:17 | Weblog
 造反議員復党問題で中川幹事長と政調会長との間で意見が割れている。
幹事長の踏み絵のような要求は企業で始末書の提出を求める方式と似ている。
 これはマイナス面のみが多く意味がない。
私が育った企業でも、良く始末書の提出を迫る事業部と事故や誤りを犯した場合、責任の追及よりも、今まで以上に働いていただき償いをして貰うスタイルの管理方式と二つの方式に別れていた。
 私は幸い後者のグループに所属していたので、始末書や誓約書を書かされた覚えはないが、事件の後に名誉回復もあり、懸命に仕事を果たした思い出は多々ある。
 また始末書を仮に受けとっても自分が転属するときに本人に返して不問にするのが自分の方式であった。
 どちらが良いかは異論もあろうが、事業部の成績やモラールは後者の方が遥かに優っていたと思う。
 特に事務系の管理職は良く始末書を要求する習慣が強かったようだ。
今回の造反議員達も安部政権を良しとして復党を希望しているのであり、マニフェストの遵守や阿部首相の所信方針への支持を誓約書で書かせるなど大人のやる事ではない。
 早く決着を付けないとマスコミや野党の餌食になるから、安部党首の明快な結論を問われていると思う。juntaro

画像通話のお勧め

2006-11-23 17:13:22 | Weblog
 最近は単身赴任の増加、子弟や孫の海外赴任や日本にいても高齢化に伴いお互い
顔を合わせる機会が減り、メール通信のみでは物足りない人が多いのではないか?
最近Windows live Messengerに加入して、経費は全く不用で国内外の友人や家族と
顔を見ながら会話や無事を確かめ合って悦に入っている。
 以外に知らない人が多いのでお勧めである。
Hotmailのアドレスを入手し、PCにWeb Cameraがついてなければ、3,500円くらいで一番安いのを購入してダウンロードすれば即日通話が可能で略世界中と画像を見ながら会話が可能である。
 近未来の電話機能を先取りしたような気分で、内線電話気分で気楽に懐を心配しなくても、時差さえ考慮して通話すれば相手に喜ばれること確実です。
御参考まで。juntaro

参議院の再開

2006-11-22 20:11:34 | Weblog
 さすがに民主党も共産党と組み沖縄県知事戦に負け恥ずかしいのか、再開に応じたのは褒めても良いとおもったが、今日の質疑を見てガッカリした。
 大部分の時間はタウンミーテングのやらせの責任の追及を当時の安部官房長官にせまったり、イジメ問題などの終始して、肝心の教育基本法案の審議は僅かであった。
 基本法があって始めて施行細則にはいるのであり、重箱の隅をつついて会期を一杯にして廃案に持っていこうとの意図と思うが、国民もそれほどバカではない。
 自民党と民主党の案を突き合わせてさらに優れた案にするのが与党と野党の使命で、野党案が50%以上盛り込まれれば始めて野党も選挙に勝てるようになるのである。
 これでは100時間以上の審議をしても前進は見られないし、後味の悪い流産か強行採決かになってしまうであろう。
 従来の米国型教育から欧州型の良いところを取り入れて日本独自の国家100年の計に相応しい基本法を完成させる事を希望する。juntaro

破綻は夕張市のみではない

2006-11-22 19:56:17 | Weblog
 北海道の夕張市の破綻は360億円に達し、20年かけての再建案が提示されたが、市職員は給料30%減で4年間に4分の一に、小中学校は11校が2校に統合され、バス代は4倍になるので大騒ぎになっている。
 この種問題は夕張市のみであろうか?この50年に880の市町村が財政再建団体の援助を受けているのであるし、地方分権が進めばさらに破綻する市町村が増えることは必定だ。
 かって12万人いた人口が十分の一近くに減っているが、炭鉱の町から観光の待ちに再出発しようとしての失敗のツケである。
 何時か米国のマサセッツ州の財政再建の経済破綻をご報告したが、市の財政を立て直すための投機失敗である。
 市町村のような小さな単位の自治体には財政再建のプロや経験者はおらないから今後もこのような事の再発は充分予想されるし、危機に瀕している自治体も沢山あるのである。
 日本国自体も国民一人当たり700万円の負債が未だ毎日増えているのであるから、国が頼りに成らないこともお判り戴けると思う。
 道州制を推進する団体もあるが、ドンブリ勘定でやるなら、国家でするのも大差ない。
 山の彼方に必ずしも幸せがあるとは限らない事を良く認識して、政治に感心を持って始めて日本は先進民主国家になれるのである。juntaro

家の中の整理

2006-11-20 20:08:26 | Weblog
 偉そうな事を先回書いてしまったが、実は結婚50年を来年迎えるのに一度も転勤は無いし、引越しもせず家の中では不用品の山のなかで生活しているのが実情である。余命幾許も無く最近整理を思い立った。
 一番厄介なのは書籍と書類であり、毎週の資源ごみの回収日にダンボール数箱ずつ腰を痛めない範囲でだしている。
 友人に聞くと書籍はBook OFF センターが引き取ってくれるとの事で電話したがけんもほろろに断られた。戦前の漱石全集や蘆花全集なども幾ら立派な装丁でも紙の色が変色していたりしては一切引き取らないとの事である。元来定年になり読み返す日を楽しみにしていたが、いざ歳を取ると根気が無くなり、この希望はあえ無く潰えさってしまったが、資源ごみにして捨てるのは何か国家的損失のような気がする。
 次に大学時代のノートや勉学の資料は自分以外に価値がないので、捨てる事に踏み切ったが、つい中を見ながらノスタルジャーに慕っているうちに完全に埃を吸って風邪症状になってしまった。以降マスクをして作業をしている。
 会社時代の種々の資料も自分には思い出深いものでも孫子には全く無縁の物であるので、先ず心を鬼にして処分を始めている次第である。
 これで自分史を書く野望も消え何か死に急いでいるような錯覚も覚える今日このごろであるが、CDやDVDに残すのも無意味でかつその根気も無いので致し方ないと諦めの心境である。
 自分が何時別の世界に行くのか、何時痴呆症になるのか不明のときにやっぱり人に迷惑を掛けないのが現在出来る最大の仕事とわりきりながら割り切れぬまま整理を進めているが、整理が済めばどのような心境になれるのか予想もつかない。
人生は何年生きたかでは無く、何時間有効に過したかであるの一言が身に沁みる昨今である。juntaro