老人の戯言

老人の経験、知識、見識も現在に貢献するものが多いのではないか。

核の論議と頼りになるか米国

2006-11-05 09:22:26 | Weblog
 北朝鮮の6ヶ国会議復活にからんで動きが活発化しているが、表向き北朝鮮を除く5ヶ国は一致しているが、各国の思惑には相当の隔たりがある。
 ロシアは北朝鮮の労働力頼りの面から、韓国は同種民族意識と一旦事が起きればソウルが火の海になる事、難民問題などから、中国も難民問題その他から、米国でさえも中間選挙を控えイラクの失敗から民主党優勢のなかで、一部の金融制裁すら解除の方向と云われている。
 日本のみが拉致問題もあり強硬姿勢を保っているが、日本のみが強硬な制裁をしても効果が無いに等しいのは残念な事である。
 そこで浮上したのは核論議であるが、従来の経過を見ても米国との安全保障は日本人が思うほど米国民は比重を置いていないことは米国民と話をしたり、米国に行って見れば直ぐに判ることである。お人よしの日本人の一人よがりである。
 日本の新聞には米国の動きは毎日のように報道されているが、米国では殆ど日本の事は報道もされていないのである。
 また米中接近も日本の頭越し外交であり、米国のおかれている窮状と中国の覇権主義が上手く補間関係にたまたまあるからである。
 核が悪の枢軸国からテロを含めた諸外国に行渡り、日本のみが唯一の核被爆国故に持たないとのセンチメンタルなこれまでの主張は意味が無くなる日も近い。
 米国が頼りにならず、矢張り核は自国でも保持して相手を牽制するのがリアルな解決ではないか。核被害国なるが故に自衛上持つ必要があると主張して始めて核の縮減に世界が向くか問うてみる価値があると思う。juntaro
 

高校必須科目履修問題

2006-11-05 08:54:27 | Weblog
 御承知のようにて掲題の問題が波紋を呼んでいる。今日の報道2001ではこの問題の被害者は居なかったと中川成長会長は云われたが犠牲者は高校生である。
 戦争による勤労動員で世界史を習わないで、社会に出た我々老人は国際社会に出て如何にコンプレツクスをもったか思い出してみれば良い。中学時代の戦時下教育は月に2回の日曜日の午前中に限られ、学習科目は戦争に必要な理数系のみでおよそ教養に関したものは英語も含み皆無であった。
 石原都知事はそんな物は歴史の本を2~3冊読めば学校で70時間も補修しなくても充分とおっしゃるが、基礎教育はやはりTPOで若い学生時代に教わり予習復習してテストをうけるから身につくのである。
 勿論卒業後の自己努力による教養を一層磨く事は社会人として、国際人として重要な事である。
 戦後肩輪の偏重した教育しか受けなかった今75歳過ぎの我々は如何に社会に出てから勉強しても国際舞台で教養の欠如を恥たことか。
 中学、高校の教育は受験の手段でなく国際人としての最低の教育を施す所であると認識すべきである。juntaro