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私はアルファであり、オメガであるを使いたい

2018-02-26 12:17:41 | 日記
フィリップ・セリエの『聖書入門』を読んで

この本は格言の由来やキリストに関する音楽、絵、文学など多様な作品を読む気にさせてくれる。あれも知らない、これも知らないことを如実に知らせてくれた。心に残った文章を書き出し、少し考えてみた。

1 13世紀にはフランス語で果実は「林檎」になった。1640年には、男性の喉仏を指すのに「アダムの林檎」という表現ができた。

林檎は健康食品で有名だが、咽喉ぼとけを食べているとは、今までの良いイメージが少し悪くなった。

2  「ソロモンの裁き」という言い回しは、見たところ解決法がなさそうな係争に対して下される。叡智に満ちた裁きを指す表現として定着している。

 こういう慣用句をすぐに使えるようにしたい。

3 詩編は旧約のうち新約に最も多く引用されている書で、その頻度は他の文書を大きく引きなしている。

 聖書に素人の僕は、まずはこの詩編から読みたくなった。

4 知恵を手に入れるのを理想とすると静逸、世界秩序の遵守を求めることになる。ストア派哲学の特徴である。モンテーニュやスピノザでも、知恵を求める理想は非常に強かったが、人間のプロメウス的野心や「世界を変える」マルクスになると、社会を政治的に組織化しようとするので、その欲求は弱まる。19世紀後半から、文人や哲学者は賢者の隠棲よりも燃える生を求めだした。ボードレールやランボウがいい例だ。

 大昔は知恵を得るには静けさが必要だった。僕はストア主義が好きだ。16世紀頃までは静けさを大事にしたが、近代に入って、急に闘う文人が出てきたのは情けない。産業革命がその原意であったのではないか。

5 イエス、マリア、ヨセフの三幅対の崇敬はルネサンス以降広まった。ヴェニスの画家ジョヴァンニ・ベッリーニ(1516年没)が好んだテーマだった。

6 「善きサマリア人を演ずる」というのは、「人助けをする」ことである。

8 使徒パウロは『使徒言行録』と、彼が著者だとされる13通の手紙または書簡のゆえに、最もよく知られている。紀元10年頃、タルソスで生まれ、パリサイ派だったので、キリストの初期の弟子と対立。助祭ステファノの石打ち刑の現場にいた。35年頃、ダマスコへの途上、回心の経験にとらわれる。
 パウロはローマに帰り、おそらくネロの迫害の時に殉教したらしい。(68年)

よくパウロの名は聞いていたが、聖書に入る前にこの人をもっと知りたくなった。パウロとネロ大いに関心あり。

8 西洋全体に「三つの邪欲」という名前で広まった。肉欲、好奇心、高慢の三つである。

現代人はこの三つを望まなければ、出生できないようになっている。何とも嫌な社会だ。

9 『ヨハネの手紙』で「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができない。」という。

 今、世界人類を愛しなさい、とか言われても、イメージがわかない。それよりも、身近な人に親切にする方が大事だと
わかった。近所の人への笑顔での挨拶とか、電車でのお年寄りへの席譲りとか、できることから始めたくなった。

10 黙示録のはじめと終わりで、栄光に輝くキリストは、「私はアルファであり、オメガである。はじめであり、終わりである」という。
 アルファとオメガはギリシャ語アルファベットの最初と最後の文字である。フランス人がこの言葉を使う時は、その人について自分はすべてを知り、すべてを支配していると自負していることを嘲笑しているのである。

恋愛する時に有効な言葉ではないだろうか。

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