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沈黙の重み

2018-07-16 07:27:15 | 日記
ピカート 『沈黙の世界』

「ラジオは、純然たる騒音語を製造するための機械装置である。そこでは内容はほとんど問題ではなく、一つの騒音が生じることだけが問題なのだ。言葉はラジオのなかでつき裂かれているように見える。言葉は、いはば不様な堆積に変えられている。ラジオの場合にはもはや沈黙はない。しかし、また、言葉もない」

現代では、ラジオよりテレビが当てはまるだろう。沈黙という背景を失った時、言葉は意味を失った騒音語となって空しく鳴り響き続けるだけである。

江戸時代の良寛は沈黙のよさをよく理解していた。
その良寛に「戒語」というのがある。
その中に、「ーよく心得ぬことを人に教ふる、ー推(お)し量(はか)りの事を真実になしていふ、-物知り顔にいふ、-しらぬ道の事をしったげにいふ」とある。

今はラジオ、テレビ、新聞、雑誌などで情報はあふれ、私もそうだが、一億層評論家になっている。しかし、自分で考えた真実とか、意見はほとんどない。

また、「-悪しきと知りながらいひ通す、-あひだのきれぬ様に物いふ、-人のことわりを聞き取らずしておのがことをいひとほす、-いきもつきあわせず物いふ、-おしのつよき」と。

これらは現代の病を良寛は見通したかのようだ。政治家やテレビの政治討論など、すべて、この五条にあてはまっている。お笑い番組の芸能人の所作である。そして、それが一般に移って、ただ言い張る人間が勝ちということになる。江戸時代もこういう人がいたのかと、びっくりする。

しかし、昔はこういう人もいたにはいたが、今に比べて少ないはずだ。日本人はもっと、一日中、何言というくらいしか物言わぬ人がいたが、そういう人の一言はこわい重みがあった。骨があり、言葉によってではなく、行いによって見せれば、他人に多弁を要しない。

いずれにしろ、良寛は目立ちたがり屋、自己宣伝、口の達者、きらきらして実のない者、居丈高な者、正直でない者、騒がしい者、理屈ぽい者、おしゃべりな者などが、嫌いで、卑しいと見ていたようだ。

良寛に弟子に近藤万丈がいる。その『奇話』に良寛のことを
「師常に黙々として、動作閑雅にして、余りあるが如し、心広ければ体ゆたか也とは、この言ならん」と

口数が少なく、動きが鈍く、ゆったりとそこにいるだけで人に何かを感ぜしめるような人だったようだ。

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