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一つの顔とは

2018-08-15 14:37:29 | 人生論

 

ホフマンスタール著  「帰国者の手紙』

 

「一個の人間の顔、それは一つの象形文字だ。ある神聖な、明確なしるしだ。そのなかの魂の現在があらわれている。動物だってそうではないか。水牛がものを咀嚼する時、その顔を見てみたまえ、鷲の顔を見てみたまえ、犬の顔を見てみたまえ。一個の人間の顔の中にははっきりした意欲と決意があらわれているとき、それは一個のばらばらな意欲と決意以上のものだ。そういう顔をぼくの夢想の中のドイツ人は持っていた。だがともかくそういうとき、ぼくはそういった顔を内側から見たという気になったものだ。私はこういう人間だと、それらの顔には書かれていた。」

ホフマンスタールはこう書いた後で、どうしても嫌な、理解不能な人間のタイプについてこうだめ押しをする。

「しかし、自分にとって一体何が大事なのかを彼自身知らぬ男、クラゲのように人生の上に横たわって、一方の触手ではあれに吸いつき、別の触手ではこれに吸いついて、しかもその手足の一つは他方について何も知らず、一本をひきちぎられれば先にはいのびるだけで痛痒も感じない、そんな人物の心には入ってゆくことができぬ。ところが今のドイツ人の存在はまさにそんなふうなのだ」と。

 

このドイツ人を日本人に置き換えれば、現在の日本人にもこの指摘はあてはまるようだ。電車の中で、前に座った人々の顔を眺めても「これが私という人間だ」というような力強い顔を見かけることは滅多にない。

 大抵は、ホフマンスタールのいうように、これであり同時にあれであり、一方でこういう態度をして、一方では、まるで別の態度をとる。そんなクラゲ的印象なのだ。

ホフマンスタールは二十世紀初めにドイツで生きた人だ。彼らより現代日本はもっと管理が徹底している。人間の役割は部品化しており、人は人格を求められないで、機能としての性能のよさ、機械のように、命令執行能力を求められる。生産性の向上、品質管理の徹底、事務の迅速化などの企業利益が至上価値となっている。だから、こういう顔になることは、極めて難しいだろう。

 

ホフマンスタールははこの本の初めに、作中人物の口をかりて、自分にはこれといった理論はないが、しかし、大事な指針はある、と言う。

「しかしそれでも一つか二つ、あるいは三つの章句、箴言、まあ何でも好きなように呼ぶがいいが、そういうものはある。決して忘れることのできない語の組み合わせというものがある。だれが主への祈りを忘れるだろうか。だから、

The  whole  man  musut  move  at  once.

(その人間の全部が一度に発動しなければならない)」と。

人生のクラゲのようにしがみついているタイプの人間と全く反対側にある。

ここから、感じたのは、自分のことを言われているみたいで、恥ずかしいが、

自分の本音を隠しておこう、今は出す時でない、今自分が求められているのは、一つ役割を演じることだ、本当の自分は成功したときに出すべきだ。こういう風に考えていると、おそらく生涯にわたって役割しか果たせない部品のような人生で終わるだろう。死がいつ、人を襲うかもしれないに。

 


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