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どうして、西邊邁氏は自殺をしたのか

2019-02-20 15:01:15 | 歴史

田中英道著   『日本人を肯定する

近代保守の死』

 

三島由紀夫、江藤淳、西邊邁といった、保守派は自殺するが、左翼はなかなか自殺しないようだ。

 

西部氏の水死は、漱石の好む、西洋のオフェーリアを真似たのではないかと、憶測を呼ぶ。

死んでなお、沈まず、浮いていたので。

 

さて、この本の中心は、フランクルフルト学派が今まで世界を牛耳っていたが、9・11以後、グローバリズムからナショナリズムに切り変わったという事だった。

 

 

1 西邊邁氏は病院で死ぬのが嫌で、自殺した?

 

西部邁によると、いま自然死と呼ばれるもののほとんどが病院死で偽装されていると、指摘する。

 

 「瀕死者にとっての病院は、死体製造工場にすぎず、そこの医師や看護婦は、日に一人か十人か場合によりうるが、毎日のように死体と接触している。人間の死は彼らにとっては何の情愛も抱くこともない業務上の出来事となっている」と。

 

僕は、この文章を読んで、街を一歩外に出て、店に入ると、すべて、マニュアル通りのしゃべり方で話す店員を思い浮かべる。

いや、店だけではない。役所も人々の表情もみな画一化されているようだ。

 

医者も患者を診るより、コンピューターの判断を信じる。機械的に対応する医者。

最期をそんなところで迎えるのかと思うと、他人事ではない。断食死した方がいいと思う。

 

 

 2 西邊邁氏の自殺を幇助した二人の逮捕をあの世でどう思っただろうか?

 

 「西部氏は、病院死を避けるために、短銃の入手を計画したが、入手先主の予期せぬ死によって、中止したという。

 武器不法所持は犯罪だが、西部氏は合徳という。

「自死用の不法な武器調達はおおむね合徳に当たると考えた」と。

 

これで自殺していたら、個人の死ですんだが、どうも二人を巻き込んだのは西邊邁氏のとんでもない責任だと思う。当然、知識人である氏が自殺幇助罪を知っていたはずだから。

 

3  江藤淳氏の自殺は乃木将軍を真似た?

 

「明治天皇の崩御に際して乃木大将も自決した。そのことに感動した漱石を通して江藤淳氏は、昭和天皇を考えるのだと思います。氏は自衛隊を国家の軍隊とすべきだ、という。国家の中の軍隊が出動しなければならないなら、真っ先に銃を取る、と述べている。

 

 江藤淳氏が自殺したのは、1999年です。昭和天皇はすでに崩御されていた。やはり、江藤氏は昭和天皇ととともにあったのだと思われる。恐らく、遅れ馳せながら昭和天皇に殉じた自死であった、と推測できる」と。

 

この憶測はどうだろうか。妻に先立たれたので、後追いしたのではないかと、僕は思うが。

 

4 フランクルフルト学派が西欧や日本の左翼の源だった? モリ・カケ問題も根はフランクフルト学派から?

 

 

「1991年にソ連が崩壊し、社会主義が失敗したが、カルチュラル・スタデイ、フェミニズム、ジェンダーフリー、ポストモダンといったカタカナ用語が姿をかえ、思想として存続している。

 

 これらの言葉は、マルクス主義の退嬰的運動にすぎないフランクルフルト学派が世界に送り出している。

 

 フランクフルト学派は、マルクス主義哲学者ルカーチ・ジェルジュ(1885-1971)がドイツのフランクフルト大学に1920年代に設立したマルクス研究所です。

 

1930年に、マックス・ホルクハイマー(1895―1973)という哲学・社会学舎がフランクフルト学派の中心的存在で、この人物が、今に至るまで学派の思想の基本的部分を構築した。

 

 ソ連崩壊の六十年前に、フランクフルト学派は、マルクスのプロレタリアート暴力革命理論は不可能だと見抜いた。直ちに、文化革命へと、その戦略の舵を切った。

 

 ホルクハイマーと同時期に、哲学者のテオドール・アドルノ、精神分析のエーリッヒ・フロム、社会学のウイルヘルム・ライヒがフランクフルト学派を先導した。

 

 ところが、1933年に、ヒトラーがベルリンを掌握したので、ユダヤ人のホルクハイマー、アドルノ、フロム、ライヒなどがアメリカに亡命し、コロンビア大学の援助でニューヨークに新フランクフルト学派を設立した。

 

 アメリカのルーズベルト大統領は歓迎し、情報戦略機関の諮問委員に採用した。

 日本でも社会学者を名乗る人は、この系統に属する。

 

  フランクフルト学派の武器のうち、強力なものは、批判理論です。

 マルクス用語に疎外がある。現代人は、自然からも社会からも疎外されている、という。

 

 疎外を排除するために、フランクフルト学派は、社会の伝統を否定した。文化を否定すれば、社会は壊滅し、社会が壊滅すれば疎外の原因がなくなると。資本主義、権威、家族、家父長制、階級制、愛国心、国家主義、保守主義など。

 

 この批判理論こそ、アメリカと日本は共有してしまった。現在も続いている。日本の革新政党、社会主義政党、左派のうるさく些細なことの政府批判も、この理論に基づいている」と。

 

「国会で、憲法問題や北朝鮮問題があるときに、小さな「モリ・カケ」問題が、野党によって延々となされた。このとき、批判や批評を延々とやるべきだという「批評理論」が底にあった。

 

 それは、マルクス主義の後退の後、フランクルフルト学派によってつくられた「批判理論」であった。

 やっている国会議員も、ジャーナリストも、理解していない。単に保守と革新の対立と思っていたでしょう」と。

僕は、ソ連が崩壊した時、左翼はなくなると、思った。しかし、今でもある。

そして、どうして、左翼は与党の案を何でも反対するのか、不思議に思った。

この本を読んで、少しずつ納得しつつある。

 

5  どうして、古いことを嫌うのか?

 

 

 「古典を重んじることをクラシシズムと言います。音楽のクラシックという言葉もそうですが、クラシシズムは、古い、という意味ではありません。高い段階でのグループをクラスといい、そうしたあり方を尊重するのがクラシシズムです。

 もともと人間が持っている気高い精神、深い英知が評価のメルクマールとなって世に伝わることをクラシシズムと呼ぶのです。

 現代は、古典として語られるものを、古臭いもの、として否定する。それはイデオロギーに基く文化破壊衝動に過ぎません」と。

 

現代、物は使い捨ての時代である。電化製品も何年かたつと、自動的に使えなくするようにメーカーは仕込んでいる。企業で働く人間も使い捨ての時代。

日本では、古いものは悪い、というイメージを作ったのは、明治からだろう。

技術革新が明るい未来を拓くを標語にして、政府は国民をだまして来たのではないか。

人間も同じ。古い老人は汚い、駄目なもので、若さがすべてだと、考えるようになった。

その元々の源はマルクス思想から始まったのではないか、と思う。

 

 反対に、何十年使っても壊れない物に憧れる。かつてのカメラのライカみたいに使えば使うほど、美的価値がわかるような物。

日本にそういう物を探すとするなら、どうしても、神社やお寺に参る以外にないようだ。

 

 

6 司馬遼太郎はなぜ、天皇を書かなかったのか?

 

 

「司馬遼太郎が織田信長の評価している点は合理性です。

 合理性に従わない者を殺す、つまるところ、天皇をも無視するような行動をし、思想をもつ点を司馬遼太郎は評価します。近代的な合理性があることに対する評価といえる。

 

 大村益次郎、秋山真之を扱うにせよ、司馬遼太郎の作品には、権力者と言われる人物がいない。上に立つ政治家・軍人はいない。フランクフルト学派的な権力・権威批判の心情にあるようです。

上に立つ者ほど負担は大きい、苦しむことも多いという事実を無視します。

決定的なのは、司馬遼太郎さんの書いた著作に、天皇が一切描かれていないことです。

 天皇を書くと、合理性が一瞬にして消えてしまうからではないか。合理性という絶対根拠が消えることを恐れたのではないか」と。

 

いろいろな作家が織田信長を好きだとかいう人が多いが、よく考えると、怖い話ではないか、と思う。

 

あれほど、多くの僧侶を生き殺ししながら、合理性だけで好きだという人が多いようだ。

 

司馬遼太郎も昭和を生きた人で、かの合理性信仰に陥っていようだ。その奥にはフランクフルト学派があるのに。

 

 7 キリスト教徒の西欧がどうして、こんなに戦争をして人殺しをするのか?

 

「キリスト教は、それぞれのナショナリズムと一線を画す、個人の宗教であることです。

キリスト教は国家と結びつかない。ユダヤ教はこのキリスト教と対立しますが、ここに問題があるのです。その結びつく部分は旧約の部分です。

 

 キリスト教は旧約と新約の両方を聖書にしています。旧約はユダヤの聖典であり、新約はイエス・キリスト出現以降の聖典です。キリスト教が新旧両方を聖書としている限りは、布教において、共同宗教のユダヤの考え方が入って来る。

 

 戦争の時には「目には目を」と言う旧約の考え方を揚げ、平時になると、隣人愛を説く新約を揚げることになる。ユダヤという共同体の宗教である旧約と個人宗教を説く新約が一緒になってキリスト教となっている。だから、キリスト教社会では、どうしてもユダヤ人の共同体観と合一せねばならないのです」と。

 

もし、キリスト教が新約だけを聖典とし、旧約を排除していたら、戦争はもっとすくなかったのではないか。

戦争に都合いい言葉を旧約から引用して、平和になると、新約に戻る。いい所どりをするにもほどがある。

 

7 イスラエルの国が明確になった以上、デイアスポラスが減り、ナショナリズムがグローバリズムより優位になる?

 

「人口も2020年には、外のユダヤ人よりも、イスラエル国内のユダヤ人の方が多くなる。

 

 イスラエルを建国した以上、イスラエルも普通の国を運営する以外ない。グロバリゼーションを主要な政策とできない。デイアスポラスの特権はなくなってしまった」と。

 

トランプ大統領もイスラエルを正式に認めている。今までの、離散したユダヤ人はイスラエル国家を大事にし、自然と、ナショナリズムを重視するようになる。だから、世界もその方向に変動するという事か。

 

8 最近のテレビ番組は歴史より食べ歩き?

 

 「最近、多くの団魂の世代が、ジーンズをはき、クールビスで日本の街を歩いても、何も歴史や伝統文化を説明できない。

 今まで、フランクルフルト学派の術策にはまり、テレビの「〇〇散歩」の類の番組で、関心があるのは、食べ物の食べ歩きで「おいしい」という場面を見せることです。神社・仏閣には関心はありません」と。

 

多くの人は健康食にはまり、歴史なんていや、が本音だろう。