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昭和史について

2019-02-12 14:35:14 | エセー

スマホ等の新製品が出るとすぐに買ってしまう人がいれば、様子を見て買う人、全く買わない人に分かれる。

 

半藤一利氏はケイタイ、パソコンを持たない主義だという。

それで、よくあの多くの書物を書けたものだ、と思う。手に豆ができないのか。

 

 半藤一利著  『昭和史を歩きながら考える』

 

 

1 電話大嫌いな半藤氏

 

「1878年に電話が初めてでき、1902年に加入者が一万二千人となった。

 

 ならば漱石先生も、と推理したがあてがはずれた。作品には電話登場の場面がほとんどない。

 

 『吾輩は猫である』にちょっとあり、 『それから』に一箇所だけ。

漱石は、ことほか電話を嫌った」と。

 半藤氏も電話嫌いで、かかってくると気分が悪い。ケイタイも持つ気がない。この間も、頼み事を聞いているうちに、相手がどのくらい真剣に頼んでいるのかわからなくなって、思わず、「目には目に程にものを言い、といってな。キミの目を見ないで、電話だけでOKするわけにはいかない」とやったら、受話器の向こうから冷やかすように、

「センセイ、そん上から目線で断らないで下さいよ」と。「クソッ、オレの目が電話で見えるのかよと、余計に腹が立った」と。

 

 

 

2 大阪の女性の声が美しいなんて?

 

「谷崎潤一郎が最も賞揚しているのは、大阪人の、それも女性の声なんである。全体として東京人より大阪人の声の美をみとめ、公平にみて、男は五分五分であるにしても、女の声は大阪の方がよろしい、とはっきり書いている。

 

 しかも大阪の女性は、十の事を三つしか口にしない。残りは、沈黙のうちに仄かに漂わせる美しさで表しているという。

 

今の日本、とにかくテレビのおかげで、全国一律、その土地独特の言葉が失われて、いわゆる標準語なるものに統一され、旅がちっとも面白くないが、大阪人は違う。頑固に昔ながらの言葉を使っている。そこがすごぶるいい」と。

関西に長年住んでいると、そんなこと思ったこともなかった。

 谷崎氏も半藤氏も関東の人だから、物珍しくそう思っているのではないか。

 

確かに、旅行すると、何処もここも、同じような店ばかり。味もどこもマニュアル的。話し言葉も標準語が多い。

そんな中、関西だけがやはり、特別である。エスカレータも右に位置し、左を急ぐ人のためにあける。

 

3 野球の珍プレーは面白い

 

半藤氏は、「プロ野球はツバメファンである。国鉄スワローズの「ピッチャー金田、キャッチャー谷田、ファースト飯田・・・」なアナウンスが耳の底にある。

 

 昭和35年の夏、駒沢球場のオリオンズとフライヤーズの試合で、八回裏、2アウト満塁で、打者山内が空振り三振、が、捕手後逸し、球はバックネットへ。山内は猛然と一塁へ走り出した。

 何を勘違いしたのか、守っていたフライヤーズの内外野手全員がベンチに引き揚げてしまった。

 だれも守備者のいないダイヤモンド。三つの塁を埋めていたオリオンズの走者が、エッサエッサと走り出し、次々と本塁を踏み出した。

 

 振り逃げの山内まで鈍足で走ってホームイン。三振で一挙四点で逆転、という珍プレーなのである」と。

 

 こんな珍プレー初めて、聞いた。ビデオあれば是非見たい。

 

5 テレビを見るのは時間の無駄?

 

「いまは亡き作家の深沢七朗さんの言葉に、テレビに出るヤツは二流、出たがるヤツは三流、つくるヤツは四流であり、一流の人物はテレビには決してかかわらぬ、というがある。

 

 半藤氏の経験によると、テレビ局へ行く時間、待ち時間、打ち合わせ時間がとてつもなく浪費される。ビデオ撮りだと、カメラが何度も回され、実際の画面に映る数十倍の時間がかけられる。テレビとは、莫大な時間を必要とするご苦労な、無駄の多い仕事である。

 

 政治家はあんなに何にでも出てワイワイやっていれば、政治家としての国家百年の経綸を考える時間はない。人気商売で、頭の空っぽそうな顔を売っているだけである。

 

 どうもテレビは、つくるヤツは馬鹿、出るヤツはもっと馬鹿、そして観るヤツは・・・・・だ」と。

 

昔、ジャーナリストの大宅壮一氏は、テレビが出来た当時、日本人一億の総白痴になると、言った。

何も考えられなくなるからだろうか。

しかし、今やテレビよりもっと刺激の多い、インターネットがある。

将来、認知症になる人が今後、ずっと、増えるのではないか。

 

6 今、降っている雪も大きな目で見ると、環境破壊を防ぐ?

 

 「今、自然破壊や環境破壊やら、工業技術文明の無茶な開発や汚染から、日本列島の約半分を守ってくれるのが雪だそうだ。次の時代のため、日本文化の原始性と自然の美しさと有難さとを、雪は温存してくれている」と。

 

 

7 あなたはお守りを持ちますか?

 

 「千人針の日本兵を中共軍は実によく観察している。昭和15年、日本の上海特務機関が秘かに入手した八路軍の秘密文書によると、これこそが日本軍隊の弱点と指摘する。

 

 日本軍兵はほとんどがその身体にお守りとか、千人針をつけている。お守りがあれば弾丸がそれて死を免れるとか、千人針があれば、千人力を合わせて彼を助けてくれるに等しいとか、いざという時に怪我をしないとか、日本将兵は思っている事だ」と。

 

日本人が無宗教でも、元旦に神社へ行くのは、お守りを買うために行く人もいるからだ

と、思う。

 

また、何かと縁起を担ぐのも、占いに凝る人が多いのも、外人から見ると、弱点に見えるようだ。

 

 

8 絶対という言葉を使う人は信頼おけない?

 

 半藤氏は戦後、「絶対」はないんだと。「絶対に日本は勝つ、とか、絶対に神風は吹くとか、絶対に自分の家は焼けないとか。この日以来、一度も絶対という言葉を使いません。本を書く時もこの言葉を使ったことはない」と。

 

これを、読んで、高校時代の戦争に行った古典の教師も同じ事を言っていた、と思い出した。

 

今や、新書を見ると、絶対に・・・とか、必ず・・・と、平気で使う人がいる。

こんな時、この言葉を思い出して、本を買うかどうか判断すればいい。

 

9 短く話すのは、知的な衰えか?

 

 半藤氏はケイタイ、インターネット、メールにも無縁である。

「小さい画面をいつも相手にしているせいか、この頃の日本人は短く断言的に、喋ったり書いたりするのが得意である。

 

 ものを書く時も、怒っている調子で、短く書く。さあ、どっちだ?とやる方が読者に歓迎される。論理正しく丁寧に、というのは投げ出されてしまう。勝ち誇ったように、「ドーダ、わかったか」とやるのである。それらは見る、聞く言葉ではない。昔から日本人は割り切ること好む。改憲か護憲か。靖国参拝賛成か反対か、反米か親米か。昭和史はそうした割り切りの連続で亡国へ突き進んだ」と。

 

 

この箇所を読んで、現代人は、少し待たされると、駄目でイライラする。スーパーのレジに並んで、前の客が財布を探し出し、横のレジに後から並んだ人に追い抜かれると、爆発しそうな表情にならないか。

 

これも、スマホなどのせいかもしれない。

また、新書もそうだ、と思う。簡単にスラスラ読める本が大流行りで、少しでも、難しい事を書くと嫌われる傾向がある。あっという間に読めるが、後に、残るものはほとんどない。

 

 

10 「・・・流」は軽蔑の意味があった?

 

「当初、「流」という言葉を誉め言葉と思っていたが、そうともいえない。

 

 漱石の『木屑録』に、「もし、漢文センセイがこの屈曲の二字を見たら、きっと書き間違いとおもうぜ」と。

 

 高島氏の漱石の漢文の訳だが、漱石が「漢学者流」と書いたところを、わざわざ「センセイ」と片仮名にしたのは、冷やかしととっているのである。

 

もう一つ、漱石は髪飾りをやたらひらひらさせている女ども、という意で、「巾かく者流」という言い方をしている。これでみれば、「流」にはかなり軽蔑の意がこめられていた。

 

 つまり、女流作家とは、その昔は男の世界に土足で踏み入れてきた余計なことをする女の意であったと見るべきではないか」と。

 

 

 確かに、男流作家なんて言葉を聞いたことがない。女流の流が軽蔑の意味があったとは意外だった。

 

 

11 現代は、バラバラ事件当たり前?

 

 

「年の瀬になると世情は殺気立つ。ここ五、六年、日本中で残忍な事件が多くなった。昔ならバラバラ事件など全くなかったから、そんな残忍な事件があると日本中が大騒ぎになったのに、いまはしょっちゅうあるから、誰もびっくりしない」と。

 

どうして、こんなことが起こるのか。移民がたくさん入って来たからではないのか。

そして、自殺者も年間、何万人も死んでいる。JRの遅れは当り前になっている。

人を殺したり、自分の死が本当に軽くなってきた。

 

12 今の若い者は、と言い出すのは伝統的?

 

 「いまどきの若いやつは・・・」とくさすのは、ソクラテスの時代だからそうだ。その通り場は、無気力、無関心、無責任の三無主義を叱る言葉。これに無感動、無教養、無作法の三つが加わると完璧になる。おまけに、無協力、無行動もプラスしておけば、もういうところがない」と。

 

若い頃から、何度も聞かされた言葉であるが、十代の青年まで、一年下の後輩を、俺の時代は・・・、しかし、後輩ときたら・・・という。

 

老人に限らず、あらゆる年齢層で発している言葉ではないか。

ソクラテスの時代からそうだったとは、使った方が誇りらしく思えてきた。