画家の中川一政は物書きの素質もある。一語一語に重みがあり、様々な事に応用がきく名言が目白押しだった。中国の書の本もかなり読んでいる様で、今後、もっと読んでみたい一人になった。
特に、宮本武蔵を引用している処は奥深いものを感じさせてくれた。
中川一政著 『我思古人』
1 何を書いたらいいのかわからない時は?
「何を書くのかわからない。昔、「白樺」で六号雑誌を同人が書くに、お前も書けというと、何も書くことが無いという。そうしたら筆をとにかくもて、書くことは出てくるからと誰か云っていた。これはどうも秘訣のようだ」と。
また、「武者小路実篤さんは、たまに小説をかくと八十枚位の無駄をするそうである。それ位の労力をして、はじめて調子が出るという。これを億劫がっては小説は書けないと自分に話した。
私は先ず、しくじることを予め覚悟するようになった。全身全力で一枚書いてしくじると、それから調子が出ることを覚えた。これが私の仕事のコツと云えば云える」と。
今は、パソコンがある。どれだけしくじっても、直ぐに立ち直れる。すぐに何かを書く意識さえあれば。
2 普段から観る眼を養う参考に
「戦争に行った絵描きは兵士になってしまった。今日、山をみても絵描きとして見ることが出来ない。美しい山をみてもすぐ何メートルという風にしか見られないそうでる」と。
機能や目的を追うと、美は発見できない喩のようだ。
美術家が何の為、かんの為という時は身を落とす時のようだ。
3 落ちつくには自分の顔をじっくり鏡で見る事かもしない?
「能の楽屋裏へ行ったら、次の番組に出るシテが、衣裳をつけて大きな鏡の前に端然腰かけていた。
役者が登場人物になりきる準備には、これはもっともよい方法であって、而も心を落ち着ける点で座禅に似ている」と。
4 肉を食べると、蚊によくかまれる?
「渋い好みと云うが、渋さということは甘さの裏なのである。甘さを知り尽くし、甘さに飽いた人でなければ渋さはわからない。
私の友人の食道楽な男に、結局一番うまいものは何かと聞いたら、暖かい飯に生玉子をかけて食う事と答えた。表から裏へまわってくるのである。
沢山品物を飾り立て、賑やかなにしている店は大した店ではない。大商人というものは飾り立てず、一見何もないように見えるというのだ」と。
石井鶴三曰く、「私には少しも蚊が来ません。貴方は肉食をするでしょう。肉食をする人には蚊が来ます。私には来ません」と云って裸の腹を撫でた」と。
5 絵画も自分の感じで描くもの?
「ムーヴァマンは見えるものではなく見るものであり、外にあるものではなく、内に深くあるものです。動いているものにはだんだん勢いがあり、座っているもの、眠っているものには各々眠っているものの勢い、座っているものの勢いがあります。これらのもののうちにある勢いをムーヴァマンと言います。
絵画の中でこのムーヴァマンを感得し、それを表現しなければならない。肉眼で見るものではなく、感じるものと言えばもっとわかると思う。内面にあるものです。
ムーヴァマンは結局は詩なのだろう。それでそういう風に目に見えないこういうものをどういう風に表すかというところに画かきの力量が出てくるだろう。
書経に「詩は人心の物に感じて言にあらわるの余なり」と。
この志というのは昔の志の字は士の心ではなくて心の上に之の字がついたものです。心の行くところ、赴くところというのが本義です。
心がここにあって、それが何かに感動した時におこる。心というものは静かなのが天の性で、何もなければ平静だが、それが何かに感動して動けばいろんな風な形をとる、我々画かきでいえば、ものを見て、木なら木、山なら山、そういうものを見てふっと心が動く、それがムーヴァマンなのです。言葉に表せば詩になり、形にあらわれば画になる」と。
6 目を見にするか観にするかで絵の描きようが違う?
宮本武蔵の「兵法三十五箇条」の「目付の事」の中に
「目のおさめ様は常の目よりも少し細きようにして、うらやかに見る也、目の玉を動かさず、敵合近く共、いか程も遠く見る目也。
其目にて見れば、敵のわざは不及申、左右両脇迄も見ゆる也。観見二つの見様、観の目強く、見の目弱く見るべし」と。
目の玉をぎょろぎょろ動かさない。敵と敵との間隔、敵と味方の間隔がいか程に近い間でも、それを遠くみることをしなければいけない。
画をかく場合もそうなので、目を強く見張ってみる時には全体をみてないで、そのものを細くみている、観の目です。目を細ようにしてうらやかにみている時に、自分の画の大体をみることが出来る、また、景色の大体をみることが出来る。
目を細くしてみると明暗がわかる、目をみはってみる時には色彩がみえる。
石井鶴三がいうには、画かきの目付は、どうも左右に開いて出るようになっている。というのはやっぱり見の目を繰り返しているうちにそういう風になると。
安井曾太郎の目を見ても梅原龍三郎の目を見てもそういう風になっている。
宮本武蔵は画も書いているし、彫刻もやっている。あれだけの画をかく宮本武蔵が剣に弱いということはない。そういう風に逆に考えていって、宮本武蔵は偉いということがわかる」と。
普段、散歩する時も目を細めたり、目をみはったりして景色を見るのも一興だと思う。
7 日本人はみるは「見る」がほとんどだが、中国では多数の「みる」がある?
「目という字は誰が見ても象形文字です。
「みる」という字はこれに人という字を付けたもので、即ち人のところに目がついている。
それから「みる」という字を辞書をめくると、「みる」とう字が三十五ある。如何に中国人が「みる」ということについて複雑な生活があったかということがわかる。
日本では「みる」と言えば、ただこれ(見)だけでも間に合うが、中国ではいろいろなみかたがある。上からみたり、下からみたり、横からみたり、斜めにみたり、大体にみたり、細かくみたり、いろいろなみかたがある」と。
一方で、「李白の詩に牀前(しょうぜん)月光を看る、疑うらくはこれ地上の霜。
それから、
孤雲ひとり去って閒(かん)なり、
相看て両(ふた)つながら厭はざるはただ敬亭山あるが為なり。
この「看る」という字は象形文字です。手と目とくっついた字で、手を目の上にかざしてみる形なのです」と。
8 油絵は頭で、日本画は腕で?
「一般に油絵の人の方が日本画の人より考えている。頭も目も訓練している。
材料を油絵の人は頭で使う。日本画の人は腕で使う。油絵の方は腕を磨くとは言わないが、日本画の方では腕を磨くとうことが今日言われていそうな気がする」と。
9 スポーツを技を見せるために限界を作った?
「昔の水泳は川や海で為され限界というものがない。
今の水泳は五十メートルとか、二十五メートルとかいうプールの制限の中で行われる。
相撲でも昔は土俵がなかったし、拳闘でもはじめは勝負がつかず二日もたたかったという記録がある。制限を設けて技をきびしくして来たのである」と。
10 石井鶴三という画家は時間をじっくりかけて絵を描く?
「石井鶴三という人間は時々、水面へ浮かんで来て泡をはく金魚のような按配式に、山気に飢えるのである。
梅の花を描こうと思って随分長くかかりました。こうやって梅の香がしてくるまでは筆がとれません。気持ちがそれまでになるのが大変だと云った事があるのです。
そこまで来ればよい。梅の花の形がかけたって何になる。それだけの事なら何のことはない。
こうやっていて、山の風が窓から吹いてくるようにならなければ山の景色はかけません」と。
また、「画家の石井鶴三の如きは挿画を一枚かくに朝から座ってようやく夕方になって筆をとる気持ちになってくるという。その間は、家の者がポンプで水くむ音さえ気になって困るという。相撲の立ち合い同様、自分もなかなか立ち上がれないという。制限時間を一杯に使っているのである。
相撲の妙味は立ち合いまでにあるという。鶴三も立ち合いまでを見せたら、画を見せるよりおもしくはないだろうか」と。
11 暇なときは絵描きの気持で自然のあれこれを想像できたら楽しい?
「画かきである幸せは、リンゴ一つ持っても、梅の一枝をもっても、一日一人いても退屈をしない。山を見ても田圃の切株をみても飽くことを知らない。
必ずしも筆をとらなくても心に描き、空に描いて愉しんでいる。