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内村鑑三とは?

2019-01-27 18:00:52 | エセー

最近、哲学者の梅原猛氏が亡くなった。

氏は、大学院時代、奥さんに養ってもらったそうだ。そんな屈折時、小学生がするように、鉛筆、消しゴムをころがして、プロ野球のゲームを対戦表を、氏なりに組んで、幼児のように遊んだ時期があったという。

 

 氏には遊びにも、学問にも夢中になって、遊ぶ性格のようだ。何事も忘れて。いいか悪いかは別として、一つのフローに入っている。

最近、ビジネス書など読んでも、時間の無駄ではないかと思うことがある。

 

スラスラ読めても、何の進歩にもならない。ビジネス書はご丁寧にも、誰にでも買ってもらえるように、章事に、要約までしている。

同じような事を、少し言葉を変えて、人の云ったことを書いている本が何と多いことか。

 

二、三十年前のベストセラーを今でも、再販しているのが目立つ。それだけ、現代の物書きは知能が堕ちて来たのだろう。

 

そんな時、やはり、読みたくなるのは、評論家が引用する原典であり、全集が大いに役立つ。

 

知能指数を上げたければ、自分に少し、難しいなと思う本をストップウォッチを片手にして、読む事である。

達成したら、また、それより難し目の本に挑戦する。その繰り返しでその分野の専門家になれる。

そんな事を思いながら、古本屋で、見つけた本があった。

 

 

内村鑑三著 『内村鑑三著作全集 23』

 

 

1 内村にとって、友人とは?

 

 「世には友人の多いのをもって誇る人がある。しかし余輩はそういう人を信じない。

 

 友人の多い人は主義の無い人である。誰でもよい主義の人である。広量のようで、実は情ごく薄い人である」と。

 

 「たぶん、世に最も多くの友人を持つ者は娼婦と幇間とであろう。しかしながら誰も彼らの友情なるものを信ずる者はない。彼らは誰にでも愛せられんとして、実は誰にも愛せられない。世の才子にして多くの友人を持つ者は、実は彼らの如き者である」と。

 

「年中かつて一回も訪問しないで、はなはだしきに至っては、しばしば門前を過ぐるも、かつて一回も立ち寄りもしないで、年の始めにあたって活字刷りのハガキで「謹賀新年」を言い贈れば、それでなお将来の友誼を獲得することができると思うのは、友誼をあまりに安価に見積もった考えではあるまいか。

 

 友誼の持続は、努力と忍耐と犠牲とを要する。日本今日の年賀の習慣は、かえって友誼の神聖を汚すに至るものではあるまいか」と。

 

 

 「ジョンソン博士は、「よく憎まない者」を彼の友人の中に加えなかったそうだ。よく憎まない者はよく愛さない者である。誰をも愛する者は誰をも愛さない者である。憎愛の判然せざる者は、友人としてはいたって価値の少ない者である」と。

 

この箇所を読んで、僕のフェイスブックの友や、他、世間での友は偽物だとわかる。しかし、わかっていてもやめられず。

 

本当の友とは、二人ぐらいじゃないだろうか。生涯、大変な努力を必要とする。見せかけの友を何百人もっても、空しい。

手持無沙汰で、することないから、インターネットで友を探したりするのを、内村鑑三が見たら、どう思うだろうか。

断乎として、本を出版して、その害を訴えるのではないだろうか。

今、その害を訴える人は殆ど見当たらない。みな、迎合して、インターネットやsnsを称賛しているように思うが。私もその一人だが。

 

 

2 内村の見る近代人とは?

 

「近代人とは、シルクハットをいただき、フロックコートを着け、哲学と芸術と社会進歩とを説く原始的野蛮人と見て、多くまちがいないのである。

 

 近代人は自己中心の人である。自己の発達、自己の修養、自己の実現と、自己、自己、自己、何事も自己である。ゆえに近代人は実は初代人である。原始の人である」と。

 

 

 「余輩の見るところ、近代人が神を信ずると称するのは、たいていの場合は、神を信ずるのではなくして自己を信ずるのである。彼らは神の名を借りて自己意見を押し通さんとするのである。

 

  今や多くの求道者または信者と称する者が、神の命令者であって、服従者でないことは慨すべき事である。彼らはただ神は彼らの玩具にあらざることを知るべきである。

 

  近代人の悪習として、彼は師を求めるにあたって、これに教えられんとせずして、これに、おのが理想の実現を迫るのである。その実現を見れば喜び、見ざれば憤るのである。その精神たるや、北海道の漁夫が石地蔵に向かって大漁を要求し、漁獲多ければ供養を盛んにしてこれを崇め、少なければ石を投げてののしるのと、少しも異ならないのである」と。

 

現在の出版状況を見ると、まさにこの通りである。

自己啓発本の何と多いことか、車中の広告、インターネットの宣伝文句、ほとんど、自分に投資することを説いている。

 

外見は見事に飾り立て、スーツで身を固めても、内心はいかに自己のことだけに汚染されているか、明治、大正も今も同じだと、よくわかった。

 

3 無私の人になれば、充実する?

 

 「国のため、人のため、社会のためとなれば、時々自己を忘れる人、何ゆえか、その理由を知らざれども、ある動機に触れて、知らず知らずの間に、ある無私の行為に出ずる人、これがノーブルな人であって、余の好む人物である。

 

 ノーブルなる人の反対は冷静なる人である。自覚の観念のあまりに強きにより、自己を忘するることの出来ない人である。詩人といい、預言者といいい、みなノーブルな人である。彼らは自己を高き、ある他の勢力にゆだねし人である」と。

 

 

 

読書も同じではないか。時間を決めて、この本のここまでは、一時間で読み切る、と自分に勝負をかける。その結果、思い通りなら、自分に勝ったと。褒美に甘い物を食べるとか、自分で考える。これを何度も何度も繰り返してみると、脳は喜ぶと、いう。その結果、知性向上が一段とつく。

 

 

4 利にくらむと、正直になれない?

 

「今の日本人全体の求めるところのものは利である。その貴族なると平民なると、信者なると不信者なると、商人なると文士なるとを問わず、彼らの求むるものはこれである。彼らは利のためには、友を売る。宗教を捨てる。主義を変える。何でもする。

預言者エレミヤ見たる社会は実に日本今日の社会である。

 汝ら各自をその隣に心せよ。いずれの兄弟たちも信ずるなかれ。兄弟はみな欺きをなし、隣はみな、そしりまわればなり。汝らは各自その隣を欺き、かつ真実を言わず。その下に偽りを語ることを教え、悪をなすに疲る。汝の住居は偽りの中にあり。(エレミヤ書9・4)」と。

 「世に幸福の類はたくさんある。しかし今の世にあたって利を顧みざる人と交わるにまさる幸福はあるまい。正直なる人の集団に入りて、その一員たるにまさるの幸福はあるまい。

 

 ヤソでもよい。異端でもよい。国賊でも不信者でも何でもよい。今の世にありて、聖き、義しき、へりくだりたる人たちと兄弟的関係に入るの特権を与えられて、余輩はこの世にありて他に何をも要求しないのである。

 

 

  余輩は、正直なる人、誠実なる人とあれば、誰にでも同情を寄せ、誰とでも交際を結ぶ。余輩の忌み嫌う者は、ずるい人、暗い人、ノーブルならざる人である。

人は、日本人であろうが、キリスト信者であろうが、余輩は大嫌いである」と

 

 「不信者は善の背後に必ず、欲が隠れていると信ずる。彼らは報いを要求せざる愛のあることを聞くも、決して信じない。

 

 彼らは疑いの眼をもってすべての人と物とを見る。彼らは人はすべて偽善者であると思う。ゆえに人の言葉のありのまま信ぜずして、必ずその裏を信ずる。彼らの生涯は疑いの生涯である。友を疑い、妻を疑い、夫を疑い、隣人を疑い、自分を疑い、もって一生を終わるのである。神を信ぜざるの結果が、彼らをしてここに至らしめるのである。

 

 人は神を信じてのみ、人と自己を信じ得るに至るのである。信任の無い所は地獄である。そして不信者はすべての人と物とを疑って、この楽しかるべき生涯を地獄の生涯となしつつあるのである。

 

これらの箇所から、今の新聞は、この利、利・・・で汚染されている。この利のために目がくらんで、正直になれない。

 

一歩、世間に出ると、正直であることが、まるで、悪いことのように、見られていないか。営業職など、その最たるものだろう。

 

横の人は、正直に喩え発言しても、裏で何かある、とかすぐ考えてしまうのではないか。全く、困った社会になりつつあるように思うが。

 

そんな時、思い浮かべたいのは、内村のこの言葉だった。

 

「人は、裸にて母の胎を出でて、裸にて逝くのであります。貧も一時であり、富も一時であります。位階、勲章もこの世限りの名誉であります。死して死なざるものは、正義によって生きた生涯であります」と。

 

また、

「貴族の生涯をうらやむ者は、実はみな貴族の奴隷であって、高貴なる平民の籍に連なる者ではない。真の平民とは、平民の位置をもって、満足するのみならず、平民たるをもって無上の栄とする者である。

 

 

 

 「平民とは実に神に自力とのほかには何ものにもたよらざる者の称号である。強者の保護によりて身を立てんとはなさず、政府の威力を利用して富を作らんとはなさず、位階、勲章をもってその身の卑しきをおおわんとはなさず、ただ公平なら競争と自己の力量の有りたけをもってこの世に処せんとする者の称号である」と。

 

5 内村は日清戦争には賛成したが、日露戦争を拒否したが?

 

「内村さん、あなたは大層変わりましたと、ハリス夫人は言った。

 そうです。実に変わりました。

 と、余は答えた。

 

 しかし、あなたは日清戦争の時には、自らペンを取って、日本の義を世界に訴えられたではありませんか。

 

 と、彼女は切り込んだ。

 

 そうです。しかし私は今はその事を悔います。私は、トルストイ主義に化せらた故に、今は悔い改めました。今すでに、かの論文を取り消しました」と。

 

 教科書では、この取り消した事を教えられた覚えはない。やはり、実物の全集にあたって、初めて教えられた。

 

6 内村は小説嫌いで歴史好き?

 

「秋が来た。何をなそうか。

 

 それでは書を読む事である。今から、ランプはわれらの最も良い友人である。

 

 しかし、小説は読むまいぞ。秋は一年に一度しか来ない。これを小説を濫読に消費して、われらは天と人類に対して済まない。また、社会改良家の時論は読むまいぞ。秋は静かなる時であるから、頭脳が沸騰するような不平家の論文には眼をさらすまいぞ。

 

 さらば、何を読もうか。アア、歴史を読もう。大歴史家の書いた歴史を読もう。人類進歩の原則を究めるよう。世界の進歩に現れたる天の聖意を探ろう。すなわち、哲学的に歴史を研究しよう。そうして今の政治家輩の経綸策なるもになどにだまされないようになろう。東洋流の忠君愛国主義なるものは国家を滅ぼすものであることを、なお一層究めよう。われらは秋だけなりとも、深き静かなる歴史家となろう」と。

 

今の時代もそうだが、小説など読むのはバカだと、思う人が多い。いかがなものか。

 

学生の頃、小説を読む時間あれば、家の手伝いをしろ、と、父から言われたことを覚えている。

内村だけでなく、思想家の安岡正篤など最たる者だ。

どうしても、軽いというイメージがあるからだろうか。

 

 

7 なぜ、内村は無教会主義を唱えたのか? 

 

「キリストは明白に

 なんじらはラビの称を受くるなかれ・・・地にある者を父と唱うるなかれ・・・尊師の称を受くるなかれ

 を教えたまいしにかかわらず、教会は、人に神学博士の位を授け、人を法王と呼び、その他、監督、長老、牧師等を設けたのである。キリストの御精神にそむき、教訓にたがうことであって、その結果が常に信仰の腐敗、堕落に終わるはやむを得ざる次第である。 

 

 

余輩がいたく外国宣教師を嫌うのは、彼らが外国人からであるからではない。また、その奉ずる信仰を嫌うからではない。彼らが他人の信仰に立ち入るからである」と。

 

8 この世は奮戦する所か?

 

 「余輩をして言わしむれば、善人大多数を占むる世界は試練の世の中ではない。聖人、君子が大多数であれば、それは決して吾人の心身を鍛錬する所にはならない。そんな結構な所は、未来の王国、神の玉座に限ったことであって、この世にありて吾人の望むべきものではない。現世とは、義しき人や清き人の、ののしられ、踏みつけらるる修羅場である。しかし、これが現世の面白いところである。これだからこそ、我々に奮戦、勇闘の気概が生じて来るのである」と。

 

 確かに、日々、何もなく平々凡々と暮らすと、呆けも早く訪れると、思う。

人に罵られて、いかに、奮発できるかを、面白いと見るか、つらいと見るかで、人生百八十度変わる。


神道とキリスト教の違いとは

2019-01-19 14:59:32 | エセー

橋爪大三郎 大澤真幸 『不思議なキリスト教』

 

1 日本の神道と一神教の違いとは?

「 日本人の考える無神論、神に支配されたくないという感情です。はまると怖い、とかも、だいたいそう。

 

 日本人が神に支配されたくないのは、自分の主体性を奪われるから。日本人は主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。その努力をしない者が大嫌い。と考える人々なのです。だから、カミが大勢いる。カミが大勢いれば、カミ一人の勢力はそのぶん殺がれる。人間の主体性が発揮しやすい。

 

 神道がカミの像を作らなかったのは、キリスト教から見れば面白い。なんでカミの像を作らなかったのか。像を作ると拝まなければならないから。それは支配されることで、なんか嫌な感じ。

 

一神教では、真に従うために、ほんものの神にだけ従うために、像を禁じた。しかし、神道は、拝んで従うのが嫌だから像を作らない。一方では、真に従うために像を作らなかった人たちがいて、他方では、できるだけ従わせないために像を作らなかった人たちがいる」と。

 

 

しかし、キリスト教国でいくら努力しても天国へ行けない人がいる。あらかじめ、生まれた時に決まっている。反対に、バカな事をしても天国へ行ける人がいる。この点、僕は、どうしても納得いかないが。

 

 

2 神はもっと、人間になぜ絶対なのか、あるいはどういう基準で預言者を選んだり、天国へ行ける人と地獄へ落ちる人を選別するのか教えて欲しかった?

 

「神様も、唯一の基準を定めたという点では、メートル法と似ている。一神教の神は、自分が正しさの基準なので、「あなたがなぜ、正しいのですか」と聞いても、理由を教えてくれない」と。

 

「預言者の中には、神に文句を言って、「預言者になるのは嫌だ」という者もいる。神は許してくれない。「お前が胎の中にいるときから預言者に決めていた」とか言いますが、それは言葉の綾で、実際には、青年だったり、中年だったり、とにかく人生の途中で預言者に選ばれる。ある時、神の言葉が聞こえてくる。これが預言者です」と。

 

 

「神の国があって、そこで一部救われる。他方では救われない人がいて、火で焼かれる。なんで全員救わないのか。救われない人は、死なずにずっと焼かれる。しかも救いの基準をはっきり神は言いません。状況証拠では、あんまりお金を持っていると、合格は難しいかなあ、と暗示されているが、はっきりした基準がない。一部だけ救うのは、変な感じがします。透明性がない。人間は自分の力では救われたりしない」と。

 

 

3 聖書のエデンの園の話や、ブドウ園の話から判断すると、神は意地悪だった?

 

「神は、エデンに、知恵の樹と生命の樹という、食べてはいけない生命の樹を作った。しかし、「食べてはならぬ」というなら、神は、どうしてそんな樹をつくったのか。だいたい、理由も言わずにただ「食べてはいけない」なんて言われたら、食べたくなる。神はわざわざ、人間が罪を犯したくなるような状況を作っておいて、人間に厳罰を科している」と。

 

「ブドウ園の労働者の話は、幼児洗礼を受けて子供の頃からキリスト教である人と大人になって信徒になった人、晩年、病床で駆け込み洗礼を受けた人の、誰が神の国に行くでしょう、という例えだと考える。イエス・キリストは、どの人にも同じように、神の国に招きたいのだと言っている、と解釈する」と。

 

キリスト教をいつから信じようと、信じさえすれば神の国へ行けるということになる。死ぬ寸前に信じてもいいということか。

 

 

4 煉獄とは利子をとる恰好の動機になった?

 

ル=ゴフは『煉獄の誕生」という書物に、「煉獄は天国と地獄へ行く前の待合所のようなものという。天国と地獄だけのシステムでは、無罪と死刑しかない。例えば、万引き犯がいたとする。彼が有罪なのは間違いないが、だからといって、いきなり死刑では気の毒だ。そういう場合、煉獄である程度、苦しい試練に耐えて、いわば禊をすれば、いきなり地獄に行かずにすむ」と、

ル=ゴフは、この煉獄の成立が、利子の正当化や定着にとって、都合が良かったと説明する。言い換えれば、利子を取る商売をしている者が、それでも救われる可能性が出てくる」と。

 

ぼくは、キリスト教ではないが、判らない部分がありすぎて、理性で納得できない。日本人でキリスト教徒は人口の1パーセントだとう。

 

これは、お隣の韓国と全く違う状況だ。

やはり、日本人は今までの伝統をなかなか、変えられない民族なのだろうか。


ジョブズの最期の名言

2019-01-05 12:36:04 | エセー

【お金さえあれば幸せですか⁉️56歳で死‼️

===============
STEVE JOBS Last Words - 
スティーブ・ジョブス最後の言葉
===============

私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
   
他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
    
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。
  
病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
  
私がずっとプライドを持っていたこと、認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
   
この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。
   
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。
   
今やっと理解したことがある。
   
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
   
もっと大切な何か他のこと。  
   
それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。
   
終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
   
神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。

私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。
   
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
    

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるものあなたの道を照らしてくれるものだ。
    
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。人生には限界はない。
  
行きたいところに行きなさい。
   
望むところまで高峰を登りなさい。
  
全てはあなたの心の中にある、
   
全てはあなたの手の中にあるのだから
    
世の中で、一番犠牲を払うことになる「ベッド」は、何か知っているかい? シックベッド(病床)だよ。
   
あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。

お金を作ってもらうことも出来る。だけれど、あなたの代わりに
病気になってくれる人は見つけることは出来ない。
   

物質的な物はなくなっても、また見つけられる。
   
しかし、一つだけ、なくなってしまっては、再度見つけられない物がある。
   
人生だよ。命だよ。
  
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない本が1冊あったことに気付くんだ。
   
「健康な生活を送る本」
  
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。
     
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、あなたの友人のために。
  
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。他の人を大切にしてください。

■上記の言葉は56歳で亡くなったジョブスの最後の言葉ですが、深い深い言葉ですね!あなたは死んで何を残したいですか?


自民党の黒幕

2018-11-29 17:53:28 | エセー

昼食後は、眠くなる。そんな時、どうすれば、脳が活性化するか。僕の方法は、以前に読んだ本を見返して、ブログに書くことだ。

 

ただ、書くだけでなく、手指をできるだけ素早くパソコンにタッチして書くこと。これが秘訣だ。5分もすると、眠気も吹っ飛んでしまう。一度、試して見られたい。

 

さて、今回は、自民党の主流派という言葉を新聞やテレビでよく聞く。その中で宏池会というのがある。このメンバーは主に、官僚出身者で、他の派閥より偉いんだ、という三区jだしがある。

その考え方のバックボーンに、普段、名前を聞いたことが恐らく少ないだろう。安岡正篤という存在がいた。

 

 この人は大阪の四条畷出身で、小学生の頃から、中国の古典を読み、中学生になると、学校の先生より、近くの人の話がおもしろく、学校を休んで、その人の話を一緒に酒を飲みながら聞いたという。

 

そして、東大へ。卒業後、一度、文部省に入ったが、実践に向かず、半年で退職。その後、腸術活動をして暮らした。以来、どこにも所属せず、諸環58年に亡くなるまで、フリーだった。

 

そして、死ぬ数か月前に、占術家の『大殺界』で有名な細木数子と結婚する。そういう人のお話だった。

 

 

 

塩田潮著 『昭和の教祖 安岡正篤』

1 安岡の学生時代とは?

 

「安岡は大阪の四条畷中学に入ると、剣道部に入った。小学校の頃から、四書五経を始め、太平記、日本外史、十八史略、三国志など、古典や史書を読みふけった。自分も昔の若武者のように振る舞いたいと憧れた。それで、剣道を始めた。

 

 学校の周りには、楠木正行を祭る四条畷神社や、正行の墓がある小楠公御墓所など、楠木正行と堀田正奉の所縁の場所が点在している。剣道の稽古が終わると、そのあたりを逍遥し、若き血をみなぎらせた。

 

  学校よりも浅見の話の方が面白かった。浅見は万年床の部屋へ連れて行くと、一升瓶を片手に湯呑みを差し出した。十五、六歳の少年に朝から酒の相手をさせた。正篤も嫌いな方ではなかった。注がれるままに酒を口に運んだ。

 正篤は、浅見と話し込んで学校を休んだ。

 

2 安岡の祖父は土佐人で、フランス人を斬ったということで、あやうく死にかけた?

 

「正篤の祖父は安岡良亮といって、土佐の出身で、土佐の四傑と言われ、残りの三人は後藤象二郎、板垣退助、明治の司法制度確立に尽力した島本仲道だった。

 

 1868年、2月、譲位運動で、大阪の堺に上陸したフランスの士官と水兵藩兵が多数、殺傷した。大阪にいた安岡良亮もこの騒動に加わった。

 

 明治政府は土佐藩士に切腹を命じた。十一人が堺の妙国寺で自決した。安岡は年長者のため、切腹を免れた。維新後まで生き延びた」と。

 

これを読んで、堺の妙国寺と四条畷神社に実際に行ってみたくなった。

 

3 安岡は終戦時の勅語のチェックや総理の演説内容を書いた?

 

「安岡は終戦の詔勅の原案に朱を入れたり、宏池会という名付け親だった。

 佐藤内閣発足以来、所信表明演説などの重要なスピーチや首相談話の原稿はすべて事前に安岡がチェックした」

 

 

「安岡は佐藤総理にニクソンに逢ったら、老子の「戦いに勝ちては、喪礼を以て之に処(お)る」の譬えを使えとアドバイス。

この意味は戦争に勝ったならば、これを喜ぶよりは、むしろ、葬儀に臨んだように悲しみをもって身を処すべきだ」と。

 

 「大平は安岡邸を訪れた。安岡は一枚の大きな紙と墨書した名前を大平に示し、令名の由来を言い添えた。「会の名前は『宏池会』とするのがいいでしょう。之は中国の後漢の馬融の故事から引いたものです」と。

 

後漢の安帝の時代に馬融という高官がいた。学徳極めて高く、数千人の門下生を擁して人材養成に努めた。

 

 その馬融を顕彰した広成頌に、「髙崗にうてなを臥し、以て宏池に臨む」という一文がある。

 

安岡は、池田勇人の池の字と、この馬融の故事を結び付けて、「宏池会」と令名した」と

 

現在も自民党内に宏池会はある。その由来を知って勉強になった。

 

4 安岡は日中友好で大平正芳や田名角栄を叱った?

 

「田中角栄は大平を連れて北京を訪問する。日中国交回復をした。そのとき、中国の周恩来首相が大平に一枚の色紙を贈った。そこには「言必信、行必果」という文字が並んでいた。後から、安岡は人伝にその話を耳にして怒った。

「大平さんともあろうものが、こんな色紙を黙って受け取るとは」と。

 

 なぜなら、周恩来が贈った言葉は、論語から引用したものである。「言必ず信あり。行い必ず果たす」と読む。

孔子に弟子が、「士たるものはどういう人物か」と聞くと、孔子は「まず、わが身の振る舞いに恥を知り、四方に使いをして主君の命を損なわない物、次に、一族から孝行といわれ、郷里の人から俤順といわれる者である。言うことに嘘がなく、行いが潔い者は、路傍の小石のような小人でも士のなかに含めてかまわない」と答えた。

 

 周恩来は、このなかの、「言うことに嘘がなく、行いが潔い」という部分を取り出して色紙に書いた。つまり、裏に「路傍の小石のような小人」という意味が含まれていた」と。

 

また、「田中角栄首相は毛沢東主席から、『楚辞集註』という中国の珍しい本をもらった。田中も大平同様に大喜びした。田中は、この本こそ日中友好の絆だと言って、訪れる人に自慢した。

 

 しかし、安岡は「田中総理は自慢しているが、毛沢東がどういうつもりであの本を贈ったのか、君たちにはわからないのか」と。

 

 

 『楚辞集註』の「楚辞」とは、中国戦国末期の楚地方の歌謡の事だ。「集註」はそれに対する注釈を集めたものだ。

 

 「楚辞集註は屈原の話が中心です。楚の政治家の屈原は戦国時代、秦に滅ぼされそうになった祖国を見るに忍びず、汨羅(べきら)の淵から身を投げて自殺している。そのような内容の本を中国にたくさんある本の中から毛沢東はなぜ、選んだのかを考えなければならない。一国の指導者が簡単にもらう本ではない」と。

 

 

5 安岡は大学卒業後、ほとんど、著述と政界の黒幕として活動した?

 

 

「安岡は、東大を卒業すると、いったん、文部省に入ったが、半年で退職。実践活動には不向きと

わかり、著述生活を始める。どこにも所属しないで、著作の傍ら、猶存社など活動をする。浪人のような毎日だった。

 このときから、昭和58年に八十五歳で他界するまで、安岡正篤は結局、一度も他人の指揮、監督下で仕事をすることはなかった。生涯、床の間を背にして座る日々を送った」と。

 

「安岡は照心講座で東洋思想と時局について講義した後、出席者から質問があった。

「先生はなぜ政治家を目指さないのか」と。

すると、安岡は、

 「中国の古典の『荘子』の中に、『無用の大用』という言葉があります。無用を知って初めて有用の意味がわかりる。それを肝に銘じて、昔から人を動かすと側に立つことにしている」と。

 

 

 『荘子』には、「用なきを知って、而して始めて与に用を言うべし」とある。大地に立っている人間にとって、用があるのは足が立っている部分だけだが、それ以外の地面を無用だとして全部掘ってしまったら立っていられなくなる、そのとき初めて、「無用の大用」を知ることになると。

 

安岡は号を「瓢堂」といった。この瓢は「ひさご」と訓読みし、壊れた瓶と言う意味。これは無用の長物を意味している。

 

 安岡は、生涯、大用を自らの生き方とした。表舞台で主役を演じないで、裏で人を動かす「シナリオライター」「黒幕」という道こそ我が人生と考えた」と。

 

6 自民党の政治家にとって、安岡との付き合えることはステータスシンボルとなった?

「 吉田茂以後、大平までの歴代首相の中で、安岡が個人的なつながりを持つことができたのは、吉田、岸、佐藤、福田、大平といった人たちである。いずれも官僚出身で、保守本流と呼ばれる政治家ばかりだ。

 

 反対にあまり行き来がかったり、形ばかりの交流に終わったのが、鳩山一郎、石橋湛山、池田、田中、三木武夫といった面々であった。池田を除いて、全員が党人派だった。

 

 

「戦後の政治家にとって、安岡とのつながりが日本の保守勢力の中で一つのステータス・シンボルになった。戦後、日本の保守は自民党、官僚、財界、そして右翼陣営という四つの脚に支えられている。安岡はこの四つの脚のいずれの世界にも師として尊敬された。

 

そして、安岡という「守り札」を手にすれば、保守勢力の中でいい顔ができるようになった」と。

 

 

7 安岡と細木数子の意外な結婚?

 

「細木数子は、占術家として、『大殺界』など多数の著書を書いた。

 以前、島倉千代子が十数億円の手形乱発事件を起こして立ち往生した。そのとき、細木は身元引受人として、島倉をして、「命の恩人」と言わしめた。それから、テレビや週刊誌で細木数子は有名になった。

 

 安岡は、九段の料亭で細木と出会い、四十五歳の細木と安岡とは四十の年の開きがある。しかし、二人は急に親密になった。

 

 細木は赤坂に「マンハッタン」というフランス料理店を経営していた。安岡は三か月半ほとんど、毎日この店に顔をだした。

 

 細木のマンションは赤坂にあったが、安岡はそこに泊まることも多かった。

 

 安岡は妻を亡くして八年、独り身で淋しさを味わった。そこへ四十歳若い妖艶な女性が現れたのだ。耳もとで愛をささやき、痒いところまで手が届く接触を繰り返した。

 

 ついに、安岡と細木は結婚契約書に署名して、婚姻届を出す。

 しかし、結婚二か月後に、昭和58年、12月に安岡は胃潰瘍から心不全を併発して、八十五歳で亡くなる」と。

 

8 僕にとっての安岡の名言とは?

 

「ものごとには、機というものがある。禅家に啐啄同機という言葉がある。卵が孵化してヒナがかえるとき、中からコツコツと殻をつついて、もう十分育ったということを、外の親鳥に知らせるのが「啐」。すると、母鳥は間髪を入れずに、外からつついて殻を割ってやる。これが「啄」です。外からつつくのが、中からつつくのに先じてもいけない。機を同じくして初めてうまく孵化できる。これが啐啄同機です。時代も同じで、新時代を作って行くのにも、微妙な機というものがある。先覚者が少し機を先じると、多くの尊い犠牲になるし、遅れると、民族の悲劇になりかねない」と。

 

9 最後に

安岡正篤は現在ではほとんど使わない漢文を自由に使える人だ。

 

安岡の本は、格調高い文章、品のある文体で僕を圧倒させる。これは自伝だが、本体は彼の書いた本だ。何と多くあることか。目を覚まさせるものばかりだった。


美は身近なものにある?

2018-11-24 14:30:14 | エセー

最近、常識で考えて、おかしなことがある。数年前までは、気にならなかったが、今、中国人が周りに多くいる。

百円ショップのバイトやマクドの定員、JRの車掌までいる。近所の公園は中国人が占領してしまっている。

だれも、あまり不思議におもっていないのではないか。

これは、おかしい現象だと思う。

さらに、外国人移民法が通ろうとしている。世界が移民受け入れに反対しているのに、反して、自民党の一部の議員は通そうとしている。

この移民法を通して、得をする人は誰か考えると、裏のカラクリがわかるようだ。

今、この法案を押す議員の裏に中国人の影が。自分の懐が膨らめばいいのだろうか。日本国の将来をもっと考えてほしい。

 

さて、話は変わって、皆さんにとって、美とは何でしょうか。

僕は、スポーツ試合の前の挨拶や、終わった後の、「ありがとうございました」の一声に感じる。あるいは、これから、勇ましく戦う前の人の顔に。特攻隊で死ぬ前の酒を飲んでいる姿を写真で見ると、感動する。

 

 さて、森茉莉氏は森鴎外の娘で、フランス痛だ。普段の何気ない事に美を感じる名人じゃないか、と思った。

 

 

森茉莉  『私の美の世界』

 

1 雑誌や新聞を見て、これは美しいと思えば、切り抜いて、空想の世界にふけろう。

 

 「私は、新聞、雑誌の中から気に入った写真を切り抜くのが、生活の中の大きな楽しみになっている。西欧の男の顔。すてきな髪型のパリ美人。泣きたくなるほどかわいい姿や顔の犬、猫。まじめな人間、悪魔人間、等々、種々雑多である。なぜ切り抜くかというと、自分の住んでいるこの世界にきれいなもの、魅力あるものがあまりにも皆無で、みるのもいやな、醜いものばかり、といってもいい位なので、それらの切り抜きを見ていると一刻ほっとするからだ。

 

 

 またそれとは別の目的での切り抜きもある。自分の書く小説のイメージにするためのもので、こっちの方は林の向こうに見える朦朧とした家とか、いかにも悲劇の起る家の食卓といった感じ出ている食卓、寂しさのあるちょっと依怙地な男の顔、恐ろしい顔、狡猾な顔、哀れな病児、凄みのある場面がその中で現出しそうな温室、等々である。

 

 海でも、波打ち際でも、ほんものをながめるよりも、版の悪い新聞雑誌の方が、ぼやけて見えるために、暗い情緒が出ていたりして、例えば恋を失った青年の眼に映る海に適した海辺の写真を感じとることができて、素晴らしいイメージを得ることができるというわけである。

 

 小説を書くのは苦しいが、空想を浮かべていろいろな絵を切り抜いている間は楽しいので、はさみを持っている時の私はきげんがいい」と。

 

今は、インターネトで様々な写真がとれる。いいなあ、と思えばすぐに、保存して、後で、空想に耽れればおもしろい。

 

 

 

 

2 日本ではアメリカの真似をしているのか、人と会話しても、じっと最後まで聞けずに、途中でさえぎる。森氏はこれをとても嫌がった?

 

 「人と話をする時、または人の話をきいている時、素直にしている時、素直にしていられなくて、うるさく神経を使うのは日本人の嫌な癖である。自分と話をしている人間を、なんということなく自分より優れていると思い、相手のいう事に対して、いつもお世話になっております。いちいち、自分もそれを知っているという思い入れをしたり(そうですよ。もちろん知っていますよ)とでもいうように

「ええ、ええ」と重ね返事を、うるさく挿入する。

 

 ラジオで話をしているかなりの偉い人たちにもこのおかしな癖があって、自分が話す番がくるまで素直に相手の人物の話すことをきいていることが出来ないらしくて、大ていの人は(それは私も知っています)といわぬばかりに大きな声で重ね返事をするのである。

 医者とか、または何かの学者に、話を引き出す役になった人が「これこれですね」と意見をはさむ時、素直に「そうです」という人物は少ない。大てい、その相手の言ったことを、同じことでも表現を変えて、ちょっと難しい言い方をする。私はそういう会話をきくと、子供のようだなあと思う。

 

 しかるべき人物がある説をのべると、最後にへんにずれた、まとめを付け足して(これこれだということでございますね)とやる。これがまた、私は嫌いである。

 

 

3 硝子が無性に好きだった?

 

 「私は生来、硝子というものの持つ不思議に憧れている。硝子というものの持っている、曖昧なもの、底のしれないもの、に憧れている。ヴェルモットの空瓶でもいい。コカ・コーラの壜でもいい。フランス製のアニゼットの壜なら一層いい。

 

 何か手近にある綺麗な壜を窓際に置いて、じっと見ていてごらんなさい。ペナンやシンガポール付近の海を見ているような、半透明に薄緑の中に、あなたは何かをみるでしょう。

 

 解らないところにある性格のような不透明、そういう魔のようなものが、私は好きである。

 

 私は甲州葡萄の色が好きで、その色の似合う女も好きである。葡萄紫の甘い、柔らかい色の似合う女というのは、空想の中のグレートフュンである。欲の深い私は、匂菫のような、柔らかな薄紫の硝子がどこかにないだろうかと考える」と。

 

空瓶の硝子から美を感じるとは、思いもよらなかった。落ち着いて、壜をじっと見たくなった。さまざまな空想に浸れるだろうか。

 

 

4 整形美容はしてはいけない?

 

 

「整形美容をする人で、エリザベス・テーラーの目に、モナコ王妃の鼻、というように、注文を出すらしい。

 

 そういう人たちは、だいたい、人間の顔というものがわかっていない人々であって、自分の顔の感じのよさはどこにあるのか、かわいらしさはどこにあるのか、それが毎日鏡を見ていながらわかっていない。不美人は不美人なりに、その人の顔の中にはその人らしさがあるのであって、にわかに顔のひとところだけ変わると、その自然な、その人らしいものは失われて、調和の破れた、どこかおかしな顔が出現する。

 

 かわいらしくて太っていたほおが、変にこけてしまったり、とにかくその人の持っていたその人らしさがどこかへ行ってしまうのが、整形美容である。

 

 

 ちゃんとした、頭のある、魅力ある男は、鋭敏な虫の触覚のようなものを持っていて、女の子の顔の中から、姿の中から、女の子自身の知らないかわいらしさ、その人らしさを発見する。ただ自然にしていて、どこかで自分を見ている男の子にまかせておくのがいい」と。

 

 整形外科で顔を買えても、内面は買えないと思う。日々、修練していい顔になりたい。僕の好きな顔はマザーテレサや神谷美恵子の顔はすばらしい、と思っている。

 

5 何気なく見ているテレビの光景にだまされてはいけない?

 

「事故死をした人間の遺族は、すべてジャーナリズムの演出通りに動いているので、水で死んだ人々の遺族が最後の船の上から花束を投げて、悲し気な表情で、水面をみつめる、という、どこか拵えたもののような光景がその度に展開する」と。

 

これを読んで、毎年行われるプロ野球や高校野球の勝利者インタビューを思い出す。みんな、同じこと言っていないかなあと思う。

 

6 競馬の見方が変わる?

 

「競馬を見ると、彼らのほそい脚が疾走をする時の律動的な美は、典雅な宮廷の舞踏のようである。競技を終わって疾走からながし、並足にと、移り、やがて止る。その脚の微妙な動きは、優雅な古典舞踏の終りに似ている。「まあ・・・・・可愛らし・・・・」」

と。

 

僕は、競馬と聞くと、ギャンブルのイメージしかなく、ここに美があるなんて想像できなかった。やはり、一度は競馬場に足を運ぶのも面白いようだ。