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競争というメリーゴーランドに乗って、踊らされている日本人とは

2018-11-19 14:16:22 | エセー

最近、アウトプットが大事だ、という本がやたらと多い。

 本を読んだだけでは、忘れてしまう。本を読んだ感想は?と聞かれると、面白かった、が大半ではないか。どこが面白いのか、何が大まかに書かれてあったか、その場で言える人は極めて少ない。

思い出させない本をいくら読んでも、時間を無駄にしているのではないか。

読書しながら、この一文はブログに使えると思うだけで、脳を刺激している。

 

 

エンデ・エプラー・テヒル  『オリーブの森で語り合う』

 

 

1「人間は時間をずっと泥棒され続けているのをなぜ放置しているのか。」

 

普段の生活を考えると、一日24時間、計画通りに進んでいる人はほんのわずかだろう。

お金を泥棒されると、警察に訴えて躍起となるが、お金を無駄にしても何とも思わない。

この時間、無駄だなと、思うだけでも進歩しているのではないか。その積み重ねで明日はこれをしないと、決めるだけでも。

 

ただ、僕も人間だから、時間通りに行うのは嫌だ。なぜなら、ロボットになるから。

一日の始まる、朝に計画を立てるのは良いが、そのスケジュール通り果たして、意味があるのか。堅苦しい。だから、おおよその計画を立て、自分の心にあったものを選択する。だから、選択するものを多く、頭にインプットしてみればよいと思う。

 

2 人間とはできる事にベストをつくして、死ぬのが最善か?

 

 

「フランチェスカがニンジンの種をまいていた。そこへ旅人が通りかかって、「かりに来週にも世界が滅び、そのニンジンを食べることができないとします。その時、何をなさいますか」

 

すると、聖フランチェスカはしばらく考えて、こう言った。「このまま種をまき続けるさ」と。

 

 人間は自分のできることしか、できないんだ。僕たちの前には黒い城塞が立ちはだかっている。それは越えられそうにない。

 

 マルテン・ルターが、これから植えようとするリンゴの木のことを話す時、おそらく聖フランチェスコから学んだのだろう。

 

 「持ち時間はあるのか」と聞かれると、「わからない」と答える。わかっているのは、いま自分が何をしなければならないか、ということだけだ」と。

 

3 量に重きを置かないで、質に重きを置く時代はいつ来るのか。

 

「メリーゴーランドに乗っている人達は、いずれそのうち、乗り物ももろともに粉々になって四方八方に飛び散るしかない。少なくとも、そう予感している。ところが、自分になにができるかわからない。いや、もうなにも出来ないんだ。みんなは目を閉じている。

 

  経済的自由主義から生まれてくるものは、いとも経済のダーウィニズムでしかなく、結局、つまらない勝負をさせられるだろう。こういう形の経済が有効に機能したのは、資源が無尽蔵にあると考えられ、また、利用し搾取するとのできる植民地や労働力や土地があったあいだだけの話だ」と。

 

 

「十六世紀になって、すべてを量で捕らえる思考が登場する。数えられるもの、計測、計量できるものだけが、正しいとされ、最後には質に関する現実までもがすっかり比定される。美というものは、測ることはできないが、存在する」と。

 

 

今までは、発展途上国の資源があり余っていたが、早かれ遅かれいずれ枯渇する。

毎年、襲う自然災害もそれを暗示してのことだろう。

今、世界は方向転換すべきではないか。

あまりにも、量を大事にし、その時に感じる質をおざなりにしていないか。

贅沢を避け、質素な生活をしてみてはいかがなものか。

断食をすれば、断食後の何でもない食べ物が何と美味しく感じられることか。それを忘れてしまった日本人。

苦あり後、楽あり。

 

 客観的という言葉が正しいと同義語にされている。新聞などで、「それは客観的に正しい」という。逆に、主観的というレッテルは、錯覚の同義語になった。

 

マスメディアも客観的を過大視しており、各個人の主観はどうでもいい、と思ってはいないか。

 

 

4 新しいものと伝統的なものの融合がベストでは?

 

 「ルネサンスは「古典古代に帰れ」という合言葉で始まった。宗教改革の合言葉は「聖書に帰れ」、プラハの春の合言葉は「マルクスに帰れ」だった。成熟した文化では、いつでも、新しいものは、古いものの復活と関係があるだろう」と。

 

 現代は、新しい事だけが良いという風潮がある感じだ。

新製品は良いもので、古い製品は捨てる物というイメージがある。少しでも故障をして、部品を取り換えるとなると、下手をすると、新製品より高くなる。これはどうしてもおかしい現象だ。

スマホなど、二、三年もすれば、まだ、そんな物を持っているんですか、という感じで世間で見られているように思う。

 

 

5 何事もバランス感覚を大事にすべきでは?

 

「バランスは所有できないし、保存できない。絶えず新しく獲得していくしかない。創造のプロセスがずっと続く。ダンスのようだ。ダンスは、いつもバランスを崩しては、またつねに新しくバランスを手に入れるわけだからね」と。

 

一つの事に偏るのは出来るだけ避けたい。読書でも同じ系統の本ばかり読んでも、専門家になれるかしれないが、専門バカと言われる奴で、広大な世界のほんの一端を垣間見たに過ぎない。

どうも、広く浅く知る方が脳を活性化させると思う。

食事も、いろいろな健康食が紹介される。或る時は、糖質制限がよい、或る時は玄米菜食がよい、ある時は断食が良いなど。

しかし、どれもこれも間違っているのではないか。

 反対に、これらの健康法をできるだけ取り入れ、日々、体調に合わせて、変えていくのが良い、と思っている。

 

6 雑念をはらって、待つと、達人に?

 

「ヘリンゲル師が『弓道の禅』で「木の葉に積もった雪が落ちるように、ひとりでに矢がはなたれるまで、力一杯引っぱったまま、雑念をはらって待つのだ」と。

 

この一文を読んで感じたのは、雑念をはらう一番よい方法は座禅だろう。

成功者の伝記を読むと、マインドフルネスをしている人がやたらと多い。

一日、五分でも腹に心をこめて、座禅をしてみては。


他人を気にしないで自由に生きた熊谷守一とは

2018-11-07 14:56:29 | エセー

大川公一  『無欲越え 熊谷守一評伝』

 

この前、画家の中川一政の本を読んで、ブログに書いたが、今回は、同じ画家の熊谷守一を読んでみた。

 

熊谷のあくまで、自分を大事にして、他人のいう事に素直でなかった。しかし、面白い人生を送るヒントを与えられた。

 

 

1  熊谷守一とはどんな人?

藤森武によると、「熊谷先生の目は素晴らしい。亡くなるまで童児のように優しく澄んだ目をしていた」と。

 

私は子供のころから、こわいものはほとんどありませんでした。人にこびたり、逆に人を押しのけて前に出ることはしなかったから、こわいと思う人はいないのです。

 

 

 私は名誉や金はおろか、是非すばらしい芸術を描こう、などという気持ちもないのだから、本当に不心得なのです。

 

 

 先生が一生懸命しゃべっていても、私は窓の外をながめている。雲が流れて微妙に変化する様子だとか、木の葉がヒラヒラ落ちるのだとかを、あきもせずじっとながめているのです。

 先生は、しょっちゅう偉くなれ、偉くなれといっていました。しかし私はそのころから、人を押しのけて前に出るのが大嫌いでした。みんなが偉くなってしったらどうするんだ、と子供心に思ったものです。

 

 

  小学生の守一は、「裸の王様」を指摘した子供の眼をもっていた。楠木正成の忠臣ぶりに心動かされのではなく、忠臣・楠木正成が称揚されるのはなぜかと考え、為政者の見えない手を直観的に感じ取るのである。恐るべき子供である」と。

 

大人でも、こういう気持ちになかなかなれない。素直が大事と教える、二宮金次郎像が小学校の校庭にあった、ことを、僕は覚えている。

学校の先生の勧めるコースは真面目に勉強して、通知簿をすべて、優にし、いい大学、大会社を勧める。親も同じ。この裏には何があるのか。

政府が勧める事は、なぜか、と問いたくなってきた。

 

 

「自分だけは、滑稽でもなく悲惨でもない生き方を選び取ろうとした、少年守一の決意だったのである。「俺は俺だ」と考え、自分の人生を自分自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的な思索にふけり出したのであります。

 

 守一には、自分を励まし、成長していく力、即ち自己教育の力があった。自己教育とは、かわいそうな自分を、かわいそうでないように自分を育てていったが、それを可能にしたのは、自己に対する深い愛情であった。その真実の自己愛によって、彼は、日本近代の知識人のほとんどが持たざるを得なかった不安や焦りや劣等感とは、無縁でいることができた。日本を西欧列強の手から守り、一刻も早く富国強兵を実現しなければならないという切迫した思いに、圧倒されることはなかった。

 

 

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞ、と気概が出ました。ここに立って、この道から行かなければならないと指示してくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります」と。

また、「画家にとって最高の栄誉である文化勲章を断った熊谷守一のことは、昭和四十二年当時、日本中で話題になっていたらしい。それまで、文化勲章を辞退したのは、陶芸家の河井寛治郎だけである。

熊谷のあとには、杉村春子や大江健三郎がいるだけだ。

 

熊谷さんのものの考え方も、こと芸術に関しては、人間の上に権威者としての人間を認めないのである。神や仏から「お前は偉いから褒美をやろうと」いわれたならば、熊谷さんも有難くもらうであろうが、同じ人間から「お前は偉いから褒美をやろう」といわれても少しも有難いという気になれないのである。

 巷間「美術家名鑑」なるものがあって、文化勲章受章者はトップに格付けされるが、今後は「文化勲章辞退者」という欄を設けて「文化勲章受章者」よりも上位に置くべきである。蓋し何々を欲しいという人よりも、何々はいらぬという人の方が精神的境地が高いからである」と。

 

 原勝四郎は「絵は感動から出発しなければ成立しない」と口癖だった。金を目的にした政策を極端に嫌った。絵の注文を受けると、それが彼の心を苦しめた。注文主の顔が見えてくると、その人に合わせて仕事をしなければならないような気持になるからである。

 

 

 

 今の世の中、もらうことばかり尊がる。僕もその一員だ。しかし、こういう文章を読むと、賞を拒否したり、もらうものをとらなかったりするのも、精神的に高貴になれると。

会社も競争させるために、社内でイベントと称して、賞を設ける。そして、賞をとると、朝礼等で拍手で迎えられる。考えると、アホな事をさせているものだ。

 

 

僕も、最近は、自分との勝負だと、思うようになった。世間で認める事と自分で認める事の食い違いがある。

例えば、ジョギングする際にも、今日は何キロ走ると、自分で決める。その際、ゆっくり走るのか、速く走るのか、自分の脳で決める。決めた通り、走れば、ご褒美に、ケーキを食べれるぞ、と脳に話しかける。意外と効果があると、わかってきた。

 

 

 

2 熊谷守一の絵の描き方とは?

 

「二科の研究所の書生さんに「どうしたらいい絵がかけるか」と聞かれると、私は「自分を生かす自然な絵を描けばいい」と答えている。下品な人は下品な絵をかきなさい、バカな人はバカな絵をかきなさい、下手なひとは下手な絵をかきなさい、と、そういっていました」と。

 

 「人間が死んだ直後の顔は、皆一様に美しい。どのような最期であっても、人の死に顔は美しいものなのだ。永遠の眠りについたばかりなのだから、「顔のみやつる」と守一は書き留めたていたが、それでも月光に照らされたその女の顔は美しいのである」

 

  「美しすぎて、憐れとも、すさまじいとも思えなかった」若い兵士の死体。「死そのものをそこに置いているように見えた」死体。それと同じようなものとして、守一の眼前に若い妊婦の轢死体は置かれた。「死そのもの」が、月光に照らされ、美そのものとして、一瞬輝いたのである。守一の眼に、それは「美しすぎて、憐れとも、すさまじいとも思えな」いものとして映ったに違いない。

 

 「守一は、絵を描いているときはそれなりに面白いが、出来上がってしまったものは大概アホらしく、どんな価値があるのかと思います、といい、「仕事したもはカスですから」という独特の絵画観を持っていたが、その無欲、無執着は、人間の規格を大きくはずれてしまっているとしか言いようがない。破格の芸術家である」と。

 

絵画もその一瞬一瞬が勝負という事か。終ったら忘れて、次の行動に勝負をかけてみたくなる一文だった。

 

 

 「守一は、有島生馬に、深夜独り鏡に向かって自分の顔を映していると、その美しさに撃たれ、キリストの顔に匹敵するようだと語ったという。が、これは自惚れではあるまい。守一の眼は、画家らしく、美しいものに素早く反応するが、その対象が自分であっても、美は美として素直に受け止めているのだ。絶妙な自己との距離。思い上がりも謙遜もない自分とのかかわりである」と。

 

「自分が絵を描くときは、「或る物の明るさがここにどれだけあるとか、或いは色でもみんな寄せ集めた色がこれだけとか」というふうに見ている」と。

 

 

「守一は、絵を描くことに何の意味もないといっているのではない。絵に特別な価値はないといっているだけなのである。彼は、芸術や絵画を過剰に価値づけ意味づけることを避けた。九十七歳という長寿を全うした守一は、絵筆を捨て去ることは一度もなかった」と。

 

仕事に対する心構えとして参考になる。今の仕事を使命として淡々とこなす。そして、終わったら、次の仕事に情熱を入れ、終わった仕事に汲々としいということか。

 

「可愛がっていた陽が死んだとき、この子には「この世に残す何もない」と思って、親心から、供養のつもりで死に顔を描いていた守一。彼はその時、愛児の亡骸を前にして絵筆を握っている自分に気づいてしまう。子供への愛情と絵を描くことの意味がぶつかり合い、はからずも「陽の死んだ日」を傑作にした。

 エッセイストの岡部伊都子は、この絵について、「大原美術館新館の、一枚の油絵の前で私は身をかたくした。荒々しい太い筆のはこび。何ものかをなぐりかけたいような、無我夢中の衝動が、この絵を描かせたのだろう。赤や茶や緑などの強い色彩に、やり切れぬ苦しさ、怒りがこめられている。昭和三年二月二十八日朝」と。

 

「守一の信条は、自分を大切に慈しみ、自分自身を生きることにあった。高村光太郎のように、自分より優れた芸術家を理想とし、そこに一歩でも近づこうとする努力することは出来なかった。

 守一は、理想を生きようとしたのではなく、自分自身を生きたのだ。「いくら時代が進んだっていっても、結局、自分自身を失っては何にもなりません」という生き方だった」と。

 

「絵というものの私の考えはものの見方です。どう思えるかという事です」と。

 

3 熊谷守一の生活は?

 

 「当時の守一は、掃除は年に一度か二度だった。畳の上に新聞紙を敷き詰め、ホコリがたまるとその上にまた新しい新聞紙をのせ、新聞が五、六枚になったところで、やっと掃除に腰を上げる。着物もほとんど着たきりスズメ。まさしく、ほこりだらけの芸術家だった」と。

 

また、「エサの粒餌だけで月に四円五十銭もかかった。今の金で二万円程度になる。家族の食事代も充分ではないのに、守一は鳥の餌代の金は出した。猫いた。それを見て、友人の石川確治は、「子供も養えないくせに、鳥や猫を飼うなんて、もってのほかだ」と忠告した」と。

 

「熊谷は、四十歳くらいで自分の歯は一本もなくなった。入れ歯をしたが、これは野蛮人のするものだ、と言ってとってしまい、ずっと歯なしで通した。だから、食べるというのではなく、飲み込んでいる状態だった。それで、九十七歳まで元気に生きたとは、驚くべきことだ」と。

 

今、健康ブームでよく咬めと、言われているが、人それぞれの天からもらった寿命があるようだ。

飲み込んで、よく長生きできたものだ。

 

4 熊谷守一の嫌いな物は?

 

「守一は役人や軍人が嫌いで国旗など家に立てたことがなく、戦争に批判的だった」と。

 

 「この世には気に入らないことがたくさんあって、私はそういうものをよけて生きて来たわけです。NHKのテレビニュースの前に短い音楽をやるでしょう。あれがイヤなんですよ。あのフシときたら音痴みたいなものだね。煤煙で空気が汚れているということが問題になっているけれど、あれも空気をよごすようなもんだ。

 

 

ラジオで音楽やるでしょう。聞いていると、やる気がしなくなる。レコードで踊る時、テンポが定まっているから、その通り踊らなくてはならない。踊る人は自分の雰囲気で踊るんだから、そこをもっと早くとか遅くとか言われ、自分の調子が出なくなる。個性のないものになって、大きな発達が阻害される」と。

 

 便利なものに取り囲まれている私たちが、自分本来の自発的なものを失い、いかに受け身で画一的なものにされているか、熊谷の発言によって気づかされる。

 

普段から、考えることをしないと、機械になってしまう。決まった時間に起きて、食事をし、電車に乗って、ルーチンの仕事なり、勉強をし、帰ってテレビかユーチューブを見て寝る。これでは、まさに、機械や見えぬ物の奴隷と同じではないか。

 

せめて、夕食時はテレビやユーチューブを見ないで、この世のおかしい事を批判する生活をしてみたくなる。

 

5 熊谷守一は97歳まで生きたが、長寿の秘訣は?

 

「音楽家の信時潔が亡くなる数年前、何人かが集まり話していた時、「人生をもう一回繰り返すことができたら、どうするか」という話題になった。信時は「もうこりごりだ」と言うと、熊谷は「いや、オレは何度でも生きるよ」と。

 

「晩年の熊谷は、鳥や虫や草花などの小さないのちと直に心を通わせた。九十歳から亡くなるまでの七年間、百十数点の油彩画の小品を描いたが、ほとんどは、身の回りの花や虫ばかりだった」と。

 

やはり、老人になっても、仕事をして、生きる意欲を持つことだろう。

 

 

6 この本を読んで、他、感動した言葉は?

 

「志賀直哉は、文章を書くということは、仕事の片手間にできるような生易しいことではない。書くことが嫌でたまらないという一戦を越えることはできないという時が必ずやってくるのだが、そのとき、学校の先生をしていたら、職場に行くことで、書くことの抑圧から逃げることができる。それでは、書くことが嫌でたまらないという一戦を越える事はできない。だから、本気で文学をやろうというなら、筆一本で生きて行く覚悟をもつべきだ」と。

 

 マルセル・デユシャンは、「芸術によってのみ、人間は動物的段階をこえ、時間も空間も支配しない領域に生きることができるのだ」と言う。

 

 原勝四郎は、「感動からできた絵は、本当に好きな人にただで上げるべきでもので、売るべき性質のものではない」と。

 

 

木村定三は「熊谷ファンになっても熊谷信者になるな。熊谷さんは噴火山のように

熱いかと思えば、氷山のように冷たく、武芸者かと思えば、マラソン走者であり、俳優である。老人かと思えば童児である。凡人には何が何だか解らない。熊谷さんは全く人間離れしている」と。


宮本武蔵の眼力は画家の眼に参考になる

2018-11-01 19:51:26 | エセー

画家の中川一政は物書きの素質もある。一語一語に重みがあり、様々な事に応用がきく名言が目白押しだった。中国の書の本もかなり読んでいる様で、今後、もっと読んでみたい一人になった。

特に、宮本武蔵を引用している処は奥深いものを感じさせてくれた。

 

 中川一政著 『我思古人』

 

1 何を書いたらいいのかわからない時は?

 

「何を書くのかわからない。昔、「白樺」で六号雑誌を同人が書くに、お前も書けというと、何も書くことが無いという。そうしたら筆をとにかくもて、書くことは出てくるからと誰か云っていた。これはどうも秘訣のようだ」と。

 

また、「武者小路実篤さんは、たまに小説をかくと八十枚位の無駄をするそうである。それ位の労力をして、はじめて調子が出るという。これを億劫がっては小説は書けないと自分に話した。

 

 私は先ず、しくじることを予め覚悟するようになった。全身全力で一枚書いてしくじると、それから調子が出ることを覚えた。これが私の仕事のコツと云えば云える」と。

 

 今は、パソコンがある。どれだけしくじっても、直ぐに立ち直れる。すぐに何かを書く意識さえあれば。

 

 

 

2 普段から観る眼を養う参考に

 

「戦争に行った絵描きは兵士になってしまった。今日、山をみても絵描きとして見ることが出来ない。美しい山をみてもすぐ何メートルという風にしか見られないそうでる」と。

 

機能や目的を追うと、美は発見できない喩のようだ。

 

美術家が何の為、かんの為という時は身を落とす時のようだ。

 

 

3 落ちつくには自分の顔をじっくり鏡で見る事かもしない?

「能の楽屋裏へ行ったら、次の番組に出るシテが、衣裳をつけて大きな鏡の前に端然腰かけていた。

役者が登場人物になりきる準備には、これはもっともよい方法であって、而も心を落ち着ける点で座禅に似ている」と。

 

 

4 肉を食べると、蚊によくかまれる?

「渋い好みと云うが、渋さということは甘さの裏なのである。甘さを知り尽くし、甘さに飽いた人でなければ渋さはわからない。  

 

 私の友人の食道楽な男に、結局一番うまいものは何かと聞いたら、暖かい飯に生玉子をかけて食う事と答えた。表から裏へまわってくるのである。

 沢山品物を飾り立て、賑やかなにしている店は大した店ではない。大商人というものは飾り立てず、一見何もないように見えるというのだ」と。

 石井鶴三曰く、「私には少しも蚊が来ません。貴方は肉食をするでしょう。肉食をする人には蚊が来ます。私には来ません」と云って裸の腹を撫でた」と。

 

5 絵画も自分の感じで描くもの?

「ムーヴァマンは見えるものではなく見るものであり、外にあるものではなく、内に深くあるものです。動いているものにはだんだん勢いがあり、座っているもの、眠っているものには各々眠っているものの勢い、座っているものの勢いがあります。これらのもののうちにある勢いをムーヴァマンと言います。

 

 絵画の中でこのムーヴァマンを感得し、それを表現しなければならない。肉眼で見るものではなく、感じるものと言えばもっとわかると思う。内面にあるものです。

 ムーヴァマンは結局は詩なのだろう。それでそういう風に目に見えないこういうものをどういう風に表すかというところに画かきの力量が出てくるだろう。

 

 書経に「詩は人心の物に感じて言にあらわるの余なり」と。

 

 この志というのは昔の志の字は士の心ではなくて心の上に之の字がついたものです。心の行くところ、赴くところというのが本義です。

 心がここにあって、それが何かに感動した時におこる。心というものは静かなのが天の性で、何もなければ平静だが、それが何かに感動して動けばいろんな風な形をとる、我々画かきでいえば、ものを見て、木なら木、山なら山、そういうものを見てふっと心が動く、それがムーヴァマンなのです。言葉に表せば詩になり、形にあらわれば画になる」と。

 

6 目を見にするか観にするかで絵の描きようが違う?

 

  宮本武蔵の「兵法三十五箇条」の「目付の事」の中に

 「目のおさめ様は常の目よりも少し細きようにして、うらやかに見る也、目の玉を動かさず、敵合近く共、いか程も遠く見る目也。

 其目にて見れば、敵のわざは不及申、左右両脇迄も見ゆる也。観見二つの見様、観の目強く、見の目弱く見るべし」と。

 

 

 目の玉をぎょろぎょろ動かさない。敵と敵との間隔、敵と味方の間隔がいか程に近い間でも、それを遠くみることをしなければいけない。

 

 画をかく場合もそうなので、目を強く見張ってみる時には全体をみてないで、そのものを細くみている、観の目です。目を細ようにしてうらやかにみている時に、自分の画の大体をみることが出来る、また、景色の大体をみることが出来る。

 

 目を細くしてみると明暗がわかる、目をみはってみる時には色彩がみえる。

 

 石井鶴三がいうには、画かきの目付は、どうも左右に開いて出るようになっている。というのはやっぱり見の目を繰り返しているうちにそういう風になると。

 

 安井曾太郎の目を見ても梅原龍三郎の目を見てもそういう風になっている。

 宮本武蔵は画も書いているし、彫刻もやっている。あれだけの画をかく宮本武蔵が剣に弱いということはない。そういう風に逆に考えていって、宮本武蔵は偉いということがわかる」と。

 

普段、散歩する時も目を細めたり、目をみはったりして景色を見るのも一興だと思う。

 

7 日本人はみるは「見る」がほとんどだが、中国では多数の「みる」がある?

 

「目という字は誰が見ても象形文字です。

「みる」という字はこれに人という字を付けたもので、即ち人のところに目がついている。

 それから「みる」という字を辞書をめくると、「みる」とう字が三十五ある。如何に中国人が「みる」ということについて複雑な生活があったかということがわかる。

 

 日本では「みる」と言えば、ただこれ(見)だけでも間に合うが、中国ではいろいろなみかたがある。上からみたり、下からみたり、横からみたり、斜めにみたり、大体にみたり、細かくみたり、いろいろなみかたがある」と。

 

 一方で、「李白の詩に牀前(しょうぜん)月光を看る、疑うらくはこれ地上の霜。

 

  それから、

  孤雲ひとり去って閒(かん)なり、

  相看て両(ふた)つながら厭はざるはただ敬亭山あるが為なり。

 

 この「看る」という字は象形文字です。手と目とくっついた字で、手を目の上にかざしてみる形なのです」と。

 

 

8 油絵は頭で、日本画は腕で?

 

「一般に油絵の人の方が日本画の人より考えている。頭も目も訓練している。

 材料を油絵の人は頭で使う。日本画の人は腕で使う。油絵の方は腕を磨くとは言わないが、日本画の方では腕を磨くとうことが今日言われていそうな気がする」と。

 

 

9 スポーツを技を見せるために限界を作った?

 

「昔の水泳は川や海で為され限界というものがない。

 今の水泳は五十メートルとか、二十五メートルとかいうプールの制限の中で行われる。

 相撲でも昔は土俵がなかったし、拳闘でもはじめは勝負がつかず二日もたたかったという記録がある。制限を設けて技をきびしくして来たのである」と。

 

10 石井鶴三という画家は時間をじっくりかけて絵を描く?

 

「石井鶴三という人間は時々、水面へ浮かんで来て泡をはく金魚のような按配式に、山気に飢えるのである。

 

 

 梅の花を描こうと思って随分長くかかりました。こうやって梅の香がしてくるまでは筆がとれません。気持ちがそれまでになるのが大変だと云った事があるのです。

 そこまで来ればよい。梅の花の形がかけたって何になる。それだけの事なら何のことはない。

 こうやっていて、山の風が窓から吹いてくるようにならなければ山の景色はかけません」と。

 

また、「画家の石井鶴三の如きは挿画を一枚かくに朝から座ってようやく夕方になって筆をとる気持ちになってくるという。その間は、家の者がポンプで水くむ音さえ気になって困るという。相撲の立ち合い同様、自分もなかなか立ち上がれないという。制限時間を一杯に使っているのである。

 

 相撲の妙味は立ち合いまでにあるという。鶴三も立ち合いまでを見せたら、画を見せるよりおもしくはないだろうか」と。

 

11 暇なときは絵描きの気持で自然のあれこれを想像できたら楽しい?

 

「画かきである幸せは、リンゴ一つ持っても、梅の一枝をもっても、一日一人いても退屈をしない。山を見ても田圃の切株をみても飽くことを知らない。

 必ずしも筆をとらなくても心に描き、空に描いて愉しんでいる。

 

 


小林秀雄著 『直観を磨くもの』

2018-09-29 15:13:01 | エセー

小林秀雄著 『直観を磨くもの』

 

小林秀雄の文章は、あとでじっくりと効いてくる薬みたいだ。

以前、「美しい花がある、花の美しさという様なものはない」という文章を読んで、気になって仕方なかった。

 氏の生活はただの人のところがある。酔っ払って、電車の線路から落ちて危うく死にかかった話や、小林のお母さんが新興宗教にのめりだし、自分も親孝行のため、母が生きている間だけ、同じ宗教に入信した話。戦後、家に泥棒に入られたり、強盗までが入って来て、強盗と人情噺をしたなど。

 

 昔、読んでわからなかった事が今になって、ああそうか、と思える文章もあった。

この本は、福田恒存や三木清、湯川秀樹、大岡昇平など、大人物との対話篇になっている。

 そんな中で面白い場面は

 

1「会議は井戸端会議の延長だね。寺田寅彦さんは教授会が多いのに困窮して、教授会の席上で研究をすることにした。タバコを喫って、灰皿を置いて、ブッとやる、その煙の渦巻の観察を教授会ではすることに決めて、黙って煙ばかり吹いていた」と。

 

 

 2 「福田恒存君がどこかで言っていたが、大工さんが仕事場へ行って、先輩の年よりの大工さんと一緒に仕事をしていて、小がんなを忘れて来たんだな。じいさんに、ちょっと小がんなを貸してくれ、と言ったら、あいよ、と言って、貸してくれた。すると、その時に妙な表情をしたっていう。そのじいさんの大工がね、ニヤッと笑って妙な顔をして見たという。それから後でね、その時にじいさん、まるで女房を貸せって言われたような気がしたんじゃないか、ということに思いあたるんだなと。

 

 すると、借りた大工はあまりにも恥ずかしくてたまなかったので、地面を這って歩いた」と。

 

 この文章を読んで、感じたのは、人と対面した時の表情をよく観察すると、以前、こう表情にどこかで出会ったな、と思うことがある。この表情は、あの絵の表情だとか、この人形の表情だとか、上司の怒った感じだとかを思いうかべてみてはどうだろう。ほんの少しでもユーモラスな人生が送れるのではないか。

 

3 「僕の家に泥棒が入った。原形嘆願運動ということで、減刑嘆願書を出してくれということで、お礼に泥棒がまたもや僕の家に来た。家内が出て、どなた様ですかと言うと、「こないだお宅に這入った泥棒でございます」と。

 

 次に、また、別の強盗が小林秀雄の家に這入った。あの頃の強盗はすれていなかった。人がよかった。短刀でほっぺたを叩かれたが、その短刀がぶるぶる震えている。こりゃ新米だ、あわてたら大変なことになると。

 金を出してだんだん話していくと、帰る時分には、こっちが煙草を咥えるとライターで火をつけてくれたね」と。

 

 

4 二度読める本と一度しか読めない本の違いは?

 

 「深刻な経験をした人は、経験というものを買い被るね。買い被って馬鹿になる人の方が多いのではないか。従って文学を甘く見るんだな。経験の方が激しいから、それに頼り過ぎるんだね。そう言う人の書いた著書は面白いが、二度は読めんという処が特徴だよ。

 

 

 何度も読めるというのは何だろね。

 小説なら何度でも繰り返して読めるがね。ドストエフスキーがこんなことを言っていた。「自分は人生は簡単だと思ったが、経験を重ねるに従って、人生は複雑なものだ」と。

  複雑で大事なのは思想の方だ。人生は二度読めない。二度読めるのは思想です。二度も三度も読めるのは、人生はもう沢山だ、というものがあるんじゃないか。

 

 面白いものは一応面白いと思うけれど、二度はもう厭だろう。

 

 結局、詩がないと、二度読まんということになる」と。

 

 僕の経験から言うと、ハウツウ本や現代国際情勢などの本を読み返したくはない。その時は面白いが。

反対に、その時、何が書いてあるかわからない、だから、もう一度読みたい本は、今読んだ小林秀雄や福田恒存、三島由紀夫、山崎正和など、少し難しいなあ、と思える本になる。

 

 

5  眼力を養うには?

 

 「文学は西洋ものを尊敬している。自分の為になるもの、読んで栄養がつくものは西洋人のものです。何と言っても近代文学は西洋の方が偉いです。

 

 しかし、物を見る眼、頭ではない、視力です。これを養うのは西洋のものじゃダメです。

 日本人は日本で作られたものを見る修練をしないと眼の力がなくなる。頭ばかり発達して。

 例えば短歌をやっている方は、日本の自然というものを実によく見ている。眼の働かせ方の修練が出来ている。西洋風な詩を作る詩人のものを読むと、みな眼が駄目です。頭だけがいい」と。

 

西洋の詩や小説を読んでも、どれだけわかったか、疑問に思う。

観る眼を養うには、俳句や短歌が最適のようだ。

 

 

6 現代に関心を持ちすぎると、いい仕事は出来ない?

 

 「セザンヌは、死ぬまでまっとな職人で押し通した。まわりを見まわす事はない。考えているのは、かんなのことだけだよ。死ぬまでそれだけですよ。そんなもんでは、現代ではもうだめだ、とピカソは考えた。

 

 回りを見ているということは、現代を意識しているということなんですね。

 

 セザンヌは特にいい絵を描き出してから、世間なんかと何の関係もないんです。弟子もなし、友人もなし。世界の情勢も、フランスの情勢も何にも知りはしなかった。全然引っ込んでいて、画は出来上がった。そういものがどうして全世界に訴えるのかね。実に不思議なことだ。

 

 現代に関心を持てということがよく言われるが、現代の日本に暮らしていて、この言葉の意味合いと言えば、新聞雑誌をよく読めという意味ではないか。それに気が付かずに、そんな言葉を使っている奴も、ぼくは馬鹿だと思っている。

 

 近代人の弱さは、新聞に出ていることは嘘が書かれてある。しかし、誰でもそれを信ずる。近代人はものにぶつかって究めることが少ないわけだ」と。

 

小学生の頃から、学校で新聞を読め、と教わった。特に朝日新聞の天声人語を。

教師は大変な罪を犯しているのではないか。

現在、新聞やテレビで情報を取る時間を別の詩や小説、古典などにあててみてはどうか。

 

7 教育とは?

 

「教育というものは、厳格な訓練だと思う。教育の方法なり、目的なりが教師の側に確立されていて、それを弟子に仕込むというのが教育の原理でしょう。

 個人の尊重ということは、一般的な道徳原理でしょう。教育原理ではない。教育の結果、生徒の個性を伸ばすことができたら、それは結構なことだが、先ず個性を伸ばそうとする動機が教育者の側にあったら大変なことになりはしないか。

 封建主義の教育は個性を無視したと言われる。厳しさのない個性尊重教育なんて不良少年を製造するだけです。教育者は教育の眼目は統制と訓練だということを悟るべきでしょう」と。

 

現代は、体罰を嫌う時代になった。個性を伸ばそうと、やたらと言い出した。暗記は駄目だと言い出した。しかし、実際は、日本の生徒の知的レベルはどうだろう。

本屋に並んでいる本を見ると、ハウツウ本や誰にでもわかるような小説の類が多いのではないか。

反対に、岩波文庫、古典は低迷を続ける。現代の著者が振るわないから、十年前や二十年前の著者の本が再度、出版されることが多くなった。

これも、現代の教育に問題があるのではないか。

 

8 今読んでいる作者に会いたいなら大した本ではない?

 

「大体、作家に会ってみると、その作品よりも人間の方が面白い。たくさんのものを表現している。これは、普通のことですが、作品を見れば人間なんかも会いたくないところまで来ている作家は大作家ですね」と。

 

自分にとって、嫌な考えを述べたり、わからないことを言う人に会いたくない。しかし、自分の薬になると思う。

 

 

9 いい作品は向こうから見てくれと誘ってくる?

 「壺の姿は、大事なものは大事に取っておいてあげるから安心し給えという、そう言っているような姿に見えるんだ。向こうから語りかけてくるんですよ。こっちから、私が意味を付けるわけではない。向こうから何か教えてくれるんだよ。

 

 これは博物館では経験できない。妙な言い方をするがね、壺を見るのではなくて、壺から眺められるという経験が、壺の姿を納得するコツみたいなんだな。

 

 近頃、小金をためた金持ちが、私立美術館をこしらえる。税金逃れて文化事業できるから、流行する。

しかし、博物館に入ってしまえば、みんな死んでしまう。ガラス越しに、名札をはられて、曝し首のように並んでいるだけだ。

 

 文学もそうじゃないか。古典を読まなければならないというが、ちっともそうはならないじゃないか。

結局、自分の方が古典よりえらいと思っているからではないか。

 

 万葉集をよく読んでいれば、万葉集というものは壺みたいになるでしょう。そうすれば、いろいろなことを教えてくれますよ」と。

 

本屋に立ち寄って、この本を読んでくれ、と思う瞬間がないだろうか。

ぺらぺらと立ち読みして買ってしまったという経験がある。それに近いのだろうか。

 

 

10 作者にとって聴くとは?

 

「エリオット曰く、「詩劇におけるセリフは、観客が芝居を見に来て詩に感心するんじゃない、詩なんてものは一行もがまんして読んでいられないような人が芝居へ来て、そのセリフを聴いて、そのセリフが芝居の後でも日常生活でも生きているものでなければいけない。

 落語だって、話術の生命は物語を追ってるんだけども、同じ物語を何度聴いてもいいでしょう。何度聴いてもいいというのは、つまり音なんだよ。そいつの声の音楽なんだよ。そいつを聴いて楽しんでいるわけだな。

 

  演奏会というものは、あれは一種の劇場ですからね。観客がいる。雰囲気がある。演奏家が見える。拍手がある。いろいろなことがある。そんなものがみんなに心理的に影響されている。あそこで聴こえてくる音は、いい蓄音機で聴く音よりは、もっと悪いかもしれない。だけどよく聴こえる。それはみんなその時の身体のコンデイションだね。だから、美学というものは社会心理学になるんだな。

 音は悪いが、僕が初めて音楽を知ったのはよその家の音なんです。今だって、どんなつまらない蓄音機だろうが、よその家で鳴っている音楽はわかる。

自分の家で聴くと駄目です。邪念が入る。音楽以外の事を考えてしまう。

 

 楽音だけを上手に出すようになれば、音楽として聴く判断力がお留守になるんだ。ハイドンを聴こうと思うからハイドンなんで、雑音をとったらハイドンになると思って、雑音をとってもハイドンにならないね」と。

 

或る程度の雑音がある方が読書も捗る。図書館で読んでも、すぐに眠くならないだろうか。マクドでコーヒーを飲みながら、横の人の雑談が聞こえるぐらいがちょうどいいように思うが。

 

 

 

11  現在は空虚の時代?

 

 「文士が流行らなくなると、寂しくなって、憂鬱病にかかる。

 それは、手前がないからさ。結局、自己の紛失だ。自己を紛失するから、空虚なお喋りしかできないエゴイストが増えるんだ。自分が充実していれば、なにも特に自分の事を考えることはない。自分が充実していれば、無私になるでしょう。

  外国には、好きなものを夜もろくろく寝ないで、自分の追究するものを見失わないで持っている、そういう学者がいる。日本にはそういう人はいない。こう大学がたくさんできると、学者ばかりでね、勉強すら大して出来ないだろう。だから、出来ない学生を教える程度の事しか知らないんだ。そういう連中のものを読んでみるとそれは単なる手段なんだな。

 未来とは「いまだ来たらず」という意味でしょう。来るものが何であるか、今分かっていたら、そんなもの未来じゃない、それは現在の一側面に過ぎない。そして、それが今の未来学の正体なんですよ。

 未来学なんという大げさな言葉の発明は、その人の現在の空白を証ているようなものだ。未来を考えるより外に、何にも自分の心を充たすものがないというのが真相だ。計画するのはいい。だが、これを学と言うのはおかしい。

 現在は空虚だから、未来学なんかに駆られると言っているだよ」と。

 

 

毎年、今年で中国崩壊するとか、30年後、日本はこうなるとか、そういう類の本が売れる。しかし、実際、どれだけ当たっただろうか。

また、大学の先生が新書版をたくさん書いているが、小学生にもわかるような書き方で、文章に品位が全く感じられない。

 

作家の五木寛之氏も鬱病になった、と書いてあったが、やはり、この空虚感には立ち向かえないのだろうか。

 

 

12  第一次世界大戦の方が第二次世界大戦より恐ろしい?

 

「第一次大戦は比較にならぬくらい第二次大戦より悲惨だ。戦争の死者の絶対数の比較などとは、全く異なるカテゴリーに基く。思想なんだ。第一次大戦では、機関銃や毒ガスの未知の火器は、これらを使ってみないと分からない凶器だった。第二次大戦の原爆を結びとする今度の大戦のように、いくら残虐でも予想された戦禍より恐ろしい」と。

 

あらかじめ、予想された死は怖くないのかもしれない。

現に、特攻隊は死が確実視され、腹が座っていた。

 しかし、予想されない死があると、人間はいたたまれなくなるという事か。

 

13 歴史とは?

 

 「歴史を読むとは、鏡を見る事だ。鏡に映る自分自身の顔を見る事だ。誰もがそれを感じているのだ。感じていないで、どうして歴史に現れた他人事に、他人事とは思えぬ親しみを、面白さを感ずる事が出来るのだ。歴史の語る他人事を吾が身の事と思う事が、即ち歴史を読むという事でしょう。

 

 本居宣長は歴史研究の方法を、昔を今になぞらえ、今を昔になぞらえ知る、そのような認識、あるいは知識であると言っている。厳密な理解の道ではない、慎重な模倣の道だというのだな」と。

 

自分が歴史の登場人物になったら、今の自分の危機をどうするかと思いながら、比較するのも面白い。

 

 

 

 

 


なぜ、日本人はうんち座りをするのか

2018-09-22 15:05:00 | エセー

五木寛之 福永光司著 『混沌からの出発』

1 なぜ、日本人はウンチ座りをするのか?

 

コンビニの前でうんち座りをしてスマホをいじったり、話したり、食べたりする人をよく見かける。そんな時、この本に出合った。

 

 「今でも、ゴールデンウイークで人波でごった返すデイズニーランド・長蛇の列ができる。その中にしゃがむ姿勢をとる人が何人もいる。

 

 このしゃがむ姿勢は欧米人には奇妙に映るようだ。

 中国では北部ではあまりしゃがまない。しゃがむよりも腰をベタと床や地面につける。

 しかししゃがむのは、中国南部では好んでこの姿勢をとる。ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイといった東南アジアでもしゃがむ。

 

 これらは船の文化が広がる地域だった。同時に道教の色彩が濃い地域です。

 

 どうやら、しゃがむ姿勢は船の文化であり、道教に結びついているようだ」と。

 

一方で、日本人は背をかがめて、猫背の姿で歩く姿もよくめだつ。

 

「中国の北京で、街角に立って、行き交う人を眺めると、若い女性は颯爽としていて、背筋がピンと伸びて、臍を突き出すように歩いている。前かがみを特徴とする倭人とは違う。馬に騎乗する馬の文化から来たのでしょう」と。

 

そして、日本人は掃除が好きだ。家の前など、誰と無く掃除をしてくれる。一方で、「中国人は汚れていることを気にしない。

 しかし、中国も南へ行くと、水浴の習慣があり、こまめに洗濯して、身ぎれいにして、日本人と似ている」

 

 

 2 日本人は「道」が好き?

 

毎年、高校野球が日本人の関心の的になる。勝った、負けたよりも、あの一生懸命なけなげな姿に感動するから人気があるのではないか。どうやら、日本人には「道」が好きなようだ。

 

 

3「道がつくものは、成果を求めない。

華道では、 活けたお花のできばえ、茶道では、たてたお茶のおいしさまずさなどは、二の次でしょう。

 柔道も勝った、負けた、金メダルは、どうでもいい。

しかし、柔道は金メダルが最大の関心事となっている。それは柔道ではなくて、柔道競技になっている。

 では、華道、茶道、柔道など何が一番大事かというと、それをやるという行為です。行為そのものが大事なのです。

 

 一つの行為にすべてを集中する。集中すると、夾雑物が消え、気に合一していく。その先に無為自然、絶対無に向かって、目の前にある行為をひたすら行為する。それが道なのでしょう」と。

これらは、道教につながるようだ。

 

道教では、人間の肉体には上丹田、中丹田、下丹田の三つが生命中枢であると考える。

 この中枢に虫が住みつくと、老衰、疾病、精神障害となる。この虫を三し虫という。この虫を取り除かないと病気になるという。

 そのために、辟穀(へきこく)をする。米、黍、麦、粟、豆の五穀を絶つらしい。

 

 しかし、現代では、米離れで辟穀しようにも日常、穀物をあまり食べない。

 穀物を中心とした食事を再構成する必要があるのではないか。おおらかに伸びやかに不老長生を実現するには、いまから始めなければならないと思う。

 

4 現代は正体不明のもやもや感が漂っている?

 

 五木寛之さんは、「生きることの核になるもとして何か正体の定かならないもやもやしたものを求める現代人を、あてどなさ、と表現」。言い得て妙です。あてどなさは現実感の乏しさ希薄さにつながるでしょう」と。

 

最近、将棋界で藤井聡太(そうた)君が若くして有名になった。彼の言動を聞いていると、高校生とはととても思えない落ち着きを感じさせる。

 

一方で、「ハイテク機器がもたらす疑似体験的情報に大量に取り囲まれた子供たち。過熟という言葉が浮かぶ。今の子どもたちは早々と過熟し、早々と老いているのではないか。その現れが成人病を病む子供たちの増加である」と。

 子供なのに大人みたいにでっぷり肥え、糖尿病患者が多数出てきている。中学生になると、大人か学生か判断がつきかねる事が多い。

 しかし、「若い層に特徴的な母音を引っ張ったり、センテンスの中に疑問形を挟んであいまいにしたりする物言いは、その延長線上にあるのではないか。大人になることを先送りしたい」と。

 心の中は空虚で満たされず、自殺する若い人が目立っている。

 

 

 「日本は平和に包まれている。どうにもならない、逃れることの出来ない悲惨や不幸はない。

 しかし、自殺者の多さは何なのか。

生きる事の核を見失って漂い流れる感覚の中で、生きる事をままならぬもの、と強く感じている。その現れであるように思えます」と。

 

5 道教はあくまで、現在を大事にして、不老長生を目的にする?

 

 「道教の究極目標は不老長生です。そのためには、道を深く究め、それによって、気をより深く感得し、宇宙の自然と一体化する。

 

 人間賛歌、現世肯定の考え方が道教の本質です。命をもって生きているうちがすべてで、不老長生を願い、目標にする。仏教のように、死後のこと、あの世のことをうるさく言わない」と。

 

 やはり生きている限り、一日でも長く生きたのが本音でしょう。そのためにも、深く呼吸をしたり、五穀を食べて、時には断食も必要ではないかと思う。

 

6 お中元も元は道教から?

「一年の半分が過ぎ、陽性原理が陰性原理に変る最初の月が陰暦七月の真ん中、七月十五日が中元です。

 

 中元に品物が贈答される習慣は、江戸時代からはやりだした。お中元も元を正すと、道教思想に行きつく」と。

 

 

7 右が上位か、左が上位かで馬の文化と船の文化で違う?

 「馬の文化、儒教では右が上位で、左が下位。これが日本にも入り、天皇皇后両陛下が並ぶときは天皇が右、皇后は左。雛祭りでもお内裏様は右、お姫様は左。

 

 言葉では、最右翼というと、トップに立つことで、左遷とか左前というと、下に落ちること。

 

 

 

  船の文化、道教では序列は馬の文化とは逆。右より左が優位。

 古代の日本では、左が上位で、右が下位だった。左大臣が右大臣より上位だった。

 

 それが逆転する。右が上位で左が下位になって、以後はその序列が続く。境目が七世紀だった。

 飛鳥の高松塚古墳に優雅な女性の姿がある。女性の着物の右の襟が外側、左の襟が内側になっている。すべての女性がそういう着方になっている。

 私たち日本人の襟の合わせ方とは逆になっている。

 

 高松塚古墳の女性像は明らかに馬の文化を具現している」と。