山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

カデ世界選手権開催に思う

2009-08-17 10:42:09 | Weblog
 先日、ハンガリーにおいてカデの世界選手権が初めて開催された。こうやって世界的な試合が低年齢化していくということは益々子供達への柔道の指導が「試合」を意識したものになっていく可能性がある。

 私自身、6歳から柔道を始めて大会にも参加していた。試合は子供にとっても上達の目安であり、励みになるので否定はしない。ただし、大会が大規模化し注目度が上がれば指導者や親、本人も長い目で見た成長のための稽古を考えることが難しくなり、「どうすれば’今’勝てるか」という短絡的な思考に陥る危険性が高い。

 私が指導を受けた道場では「巻き込みは禁止」だった。小学生でも体の大きさに差があり、大きい子供が小さな子供を巻き込んで投げたら小さい方が怪我をしてしまう可能性がある。また、大きい子供であっても、体を使って投げるということは技術の向上は見込めない。技術を身につけなければ将来自分よりも大きな相手と対戦した時には勝つ術がない。さらに巻き込んで体を捨ててしまえば、次への展開はなくなる。一本をとれればいいが、投げることができなかった場合でも流れはそこで終わってしまう。レベルが上がれば単発の技で勝負を決することは難しく、連続して技をかけることが要求される。などなどの理由から「巻き込みは禁止」であったのだと考えている。

 ブラジルの世界選手権の時に鈴木桂治選手が投げた後に技を返されたような形になって逆転負けをしたシーンがあった。勝敗の判定に対しては意見は様々だろうが私はあれこそが日本柔道なのだと思う。鈴木選手は相手が大きく崩れ、自分が相手を投げることを確信した瞬間に無意識のうちに力を抜いたのではないだろうか。柔道が柔術と違う点はそこで、投げるということが完成されれば止めを刺すことまではしない。投げた後は相手が受け身を取りやすいように引手を引き上げてあげることなどの指導もある。つまり、日本柔道は指導の中で「いかに相手を崩してきれいに投げるか」ということ、「投げた相手を思いやる」ということも教える。しかし、鈴木選手の試合をみれば「相手のことなど考えずに止めをさす、投げきる」ということの重要性も感じる。

 ここで重要な点は、成長の過程においてどんな指導をしていくかということだと思う。小学生やジュニアの時代には、巻き込んだりして安易に投げることや組み手にこだわりすぎるなどといった指導は好ましくない。そうしなければ将来、世界で闘えるような技を身につけることができない。しかしながら、シニアのトップになって世界で闘う場面においては勝負に徹して隙のない柔道を指導しなければならないだろう。未完成の選手と完成された選手をどう勝たせるかでは、当然のことながら指導方法は変わる。

 おそらく多くの指導者が同じような考えのもとで現場での指導をしているのだと思う。しかしながら、15歳ぐらいから世界選手権が始まればその指導方針が危うくなっていく。選手にとってはシニアの世界選手権であってもカデの世界選手権であっても世界選手権ということになり、何が何でも勝たなければならないと思うのは当然である。指導者もそうだし、全日本の強化もそうなっていく。となれば、小さな頃から「止めをさす」ような試合の勝ち方を指導せざるを得なくなる。その結果、井上選手や鈴木選手のような切れる技を持った選手が生まれる可能性が少なくなるような気がする。そして柔道はますます面白くなくなっていく。フランス人に言われたことがある。「私たちは日本の柔道は素晴らしいと思う。私たちは日本人の技術には及ばない。しかし、私たちは試合に勝つことを楽しんでいるんだ。」まあ、これは一つの意見だが、日本人も近い将来こういったことになってしまう可能性がある。金メダリストではあっても柔道の技術にあまり魅力の感じられない選手が増えていく。百歩譲って技術に魅力がなくても金メダルが取れればまだいいが、「勝てない」「技術にも魅力がない」となってしまう可能性もある。そうなったら柔道を見る人はさらに減って最悪の結果となる。

 ジュニアの試合が低年齢化していくなかで日本柔道は大きな選択を迫られる。試合で勝つ可能性を低くしても技術を重要視した指導を行うか、それとも技術とメダルの両方を追求していくのか。建前としては後者の両方を狙うという指導となるだろうが、そんなにうまくはいかないだろう。

 私としては日本は諸外国と違った道を貫くべきだと思っている。鈴木選手が負けた試合も「柔道では勝って勝負に負けた」といえる。怖いのは「柔道でも負けて勝負にも負ける」ことだ。現在、全日本柔道連盟では指導者養成のプロジェクトを進めている。それぞれの段階の指導者に向けたセミナーも開催されている。こういった試みは非常に大事であり意義もある。しかし、結局のところ全柔連が大きな方向性を示すことが先決だろう。例えば、「小学生の大会は決勝戦はどちらかが技あり以上のポイントを取るまで行う」といったように、ルールによって目指すものを明確に示すことも可能だ。

 試合へ依存し、勝利を求めるのは自然の流れである。この流れに逆らって技術を重視した指導を進めていくには思い切ったやり方が求められる。そしてできるだけ早急に動き出さなければ、知らず知らずのうちに柔道本来の面白さや醍醐味が少しずつ失われていってしまうだろう。