世界選手権開催まで1ヶ月を切った。選手達はスペインでの遠征を終え、最後の追い込みに入っている
オリンピックの翌年の世界選手権は往々にして盛り上がりに欠ける場合が多いが、今年は特にニュース等での取り上げられ方や話題性に乏しい感じがする
スターや話題性がないわけではない。男子で言えば北京五輪金メダリストの内柴選手(66kg)、全日本チャンピオンとなった穴井選手(100kg)、女子は北京五輪銀メダリスト塚田選手(+78kg)、銅メダリスト中村美里選手(52kg)など錚々たるメンバーである
確かに石井慧選手がプロ格闘技に転向したり、谷亮子選手が出場しないなど、見劣りすると言われればそうかもしれない。しかしながら、スターや話題は作られるものであるとも言える。そして、次々に新しいスターが生まれてくるような競技でなければ結局は競技人口も減っていき、将来の発展性は低い
そういった意味で広報という仕事は競技の運命を左右するぐらいの重要性があるといっても良い。全日本柔道連盟内に広報委員会があり、ホームページなどの更新も以前に比べたら飛躍的に早くなった。しかしながら、この委員会が主体的に全柔連の広報を動かしているというほどの印象はない。例えば、大会を中継するテレビ局との連携であったり、柔道や選手達をどうやって売り込んでいくかといったイメージ戦略などにはタッチしていないようである
もちろん、メディアに媚びる必要はない。まずは、純粋に柔道の魅力や選手自身の強さ、活躍で見てもらうことが重要である。必要なのは、ほんの少しのエッセンスを選手に足したり、メディアを通じてファンに伝える工夫である。その橋渡しを広報が行うことが大切である
テレビや活字の記者の人たちも私たちが驚くほど勉強している人もいる。ただ、私たちが人々に伝えたい柔道の魅力とは若干ズレがある場合もある。そのズレが意外な結果を生む場合もあるが、広報は彼らと積極的にコミュニケーションをとり、自分たちの良さを引き出してもらえるような努力をするべきであろう。情報交換、勉強会の開催、定期的な話題の提供などなど
何かをやろうとすればお金がかかる。広報に全柔連がどれほどの予算をかけているのかはわからない。おそらく広報委員会に所属している委員の一人として全柔連の費用で世界選手権に派遣されるものはいない。ということは、この委員会に広報に対しての指揮権がないということである。権限を与えられないでよい仕事をしろというのも無理がある
広報だけではない。全柔連にあるいくつかの委員会どれもが同じような立場にある。会議を行い、議論はしても決定権や指揮権は持たされていない。機能する組織は、それぞれの部署に責任、権限が委譲されており、それらをトップが統括するとう体制をとっている。そうでなければ、各部署の人間たちは「どうせやっても最後に決めるのは自分たちではないから」といったような閉塞感や責任回避に陥る
柔道界はそういった意味で「お代官様」には逆らえない、上の人には物を言えないといった感がある。こういった環境、考え方を変えなければ他の競技に、世界に置いていかれてしまう。
連盟の仕事は強化だけではない。強化を取り巻く広報、国際、教育普及などそれぞれが戦略的なビジョンを持って機能してこそ競技、連盟の真の繁栄がある、と私は思う
オリンピックの翌年の世界選手権は往々にして盛り上がりに欠ける場合が多いが、今年は特にニュース等での取り上げられ方や話題性に乏しい感じがする
スターや話題性がないわけではない。男子で言えば北京五輪金メダリストの内柴選手(66kg)、全日本チャンピオンとなった穴井選手(100kg)、女子は北京五輪銀メダリスト塚田選手(+78kg)、銅メダリスト中村美里選手(52kg)など錚々たるメンバーである
確かに石井慧選手がプロ格闘技に転向したり、谷亮子選手が出場しないなど、見劣りすると言われればそうかもしれない。しかしながら、スターや話題は作られるものであるとも言える。そして、次々に新しいスターが生まれてくるような競技でなければ結局は競技人口も減っていき、将来の発展性は低い
そういった意味で広報という仕事は競技の運命を左右するぐらいの重要性があるといっても良い。全日本柔道連盟内に広報委員会があり、ホームページなどの更新も以前に比べたら飛躍的に早くなった。しかしながら、この委員会が主体的に全柔連の広報を動かしているというほどの印象はない。例えば、大会を中継するテレビ局との連携であったり、柔道や選手達をどうやって売り込んでいくかといったイメージ戦略などにはタッチしていないようである
もちろん、メディアに媚びる必要はない。まずは、純粋に柔道の魅力や選手自身の強さ、活躍で見てもらうことが重要である。必要なのは、ほんの少しのエッセンスを選手に足したり、メディアを通じてファンに伝える工夫である。その橋渡しを広報が行うことが大切である
テレビや活字の記者の人たちも私たちが驚くほど勉強している人もいる。ただ、私たちが人々に伝えたい柔道の魅力とは若干ズレがある場合もある。そのズレが意外な結果を生む場合もあるが、広報は彼らと積極的にコミュニケーションをとり、自分たちの良さを引き出してもらえるような努力をするべきであろう。情報交換、勉強会の開催、定期的な話題の提供などなど
何かをやろうとすればお金がかかる。広報に全柔連がどれほどの予算をかけているのかはわからない。おそらく広報委員会に所属している委員の一人として全柔連の費用で世界選手権に派遣されるものはいない。ということは、この委員会に広報に対しての指揮権がないということである。権限を与えられないでよい仕事をしろというのも無理がある
広報だけではない。全柔連にあるいくつかの委員会どれもが同じような立場にある。会議を行い、議論はしても決定権や指揮権は持たされていない。機能する組織は、それぞれの部署に責任、権限が委譲されており、それらをトップが統括するとう体制をとっている。そうでなければ、各部署の人間たちは「どうせやっても最後に決めるのは自分たちではないから」といったような閉塞感や責任回避に陥る
柔道界はそういった意味で「お代官様」には逆らえない、上の人には物を言えないといった感がある。こういった環境、考え方を変えなければ他の競技に、世界に置いていかれてしまう。
連盟の仕事は強化だけではない。強化を取り巻く広報、国際、教育普及などそれぞれが戦略的なビジョンを持って機能してこそ競技、連盟の真の繁栄がある、と私は思う