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僕について

人生も半ば? 誰かの役に立つかもしれないから、自分自身について語っておこうと思って。超私的blog。他2つもよろしく。

改革ママ復活

2006-01-20 12:59:28 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
先週の土曜日当たりから風邪を引いて、今週のおととい当たりがピークでした。それほどはひどくならなかったですが、今も咳と痰がでます。(昼時にすみません。

それでも今日は新年会と称した飲み会を予定してたので、飲みに行ってきます。

さて、このところ娘の妊娠・出産、息子の小学校入学などで、育児以外は大人しくしていたかみさんですが、少し余裕が出てきたようです。

いろいろと改革が始まりました。もともと掃除は一日も欠かさない、ゴミ(古いもの)は残さないと徹底したかみさんですので、部屋のイメージも常に同じなのは耐えられないようです。

今までは部屋の模様替えを1年に2回以上行っていたのが、すでに2年間そのままの状態が続いてました。また、車好きメカ好きのかみさんですが、車が5年目を迎えた今年に、新しいエスティマが発表されました。

今年は大改革の予感です。

既に、食器棚を中古ですが買いました。

そして、明日は新エスティマが近くのディーラに展示される。

もう決まりかな・・・。

フィリピンのもつ煮込み?

2006-01-13 09:26:14 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
kulit mo talaga! Bahala ka.(コリット モ タラガ! バハラ カ。)
→しつこいなホントに 勝手にしなさい。

かみさんが見ていたら、こう言いかねません。

でも、しつこいついでに。とことんもつ攻撃。

フィリピンにももつ煮込み風のものがあったのを思い出したので、書いておきます。

カレカレ。

これはピーナツペーストの入ったスープでもつと野菜を煮込んだものなんですけどね。器をそれ風のにすれば、見た目は味噌で煮込んだもつ煮込みと変わらないですよ。たぶん。

ものはこれなんですけどね。


なすを取り除けばもつ煮込みに見えないこともないでしょ?

そうだこれからは、「カレカレ」を「フィリピンのもつ煮込み」と呼ぼう!?


P.S.
 もつネタはしばらく封印します!?

観月ありさ→鬼嫁→かみさん?

2005-12-21 22:21:57 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
連想ゲームのようなタイトルですが。

観月ありささん一応ですね。ファンなんですよ。

CDも二枚ほど持ってるし、
「SHAKE YOUR BODY FOR ME」
「ARISA III LOOK」

あの足のまっすぐさに惚れました。(^^)V

昨日ですね。初めて「鬼嫁日記」なるドラマを見たんですが、どこが鬼嫁なのかよくわかりませんでした。

ただ、ドラマの中で嫁のブログの下りが出て、ちょっと笑えたのと、親近感を覚えました。要はダンナのブログのタイトルが「鬼嫁日記」なのですね。

僕も「鬼嫁日記」ではないですが、かみさんのことをしばしば書いてるんでね。(^_^;)

ここに書いてるのはかみさんが読まないことが前提なんで、比較的自由にやってるんです。ところが僕が誰かを知っている人も見ていて、かみさんに話が伝わってしまうことがあり、余計なこと書かないでよとたまに言われるんですよね。(^_^;)

だからあまりリアルに書くのも問題。別に気がつかれないように、作ってみようかな。

我が家のかみさんはフィリピーナなんですが、一般的なフィリピーナ像の常識が一切当てはまらなくて...。フィリピンの家族や親戚たちも、かみさんが帰えると緊張してますから。

まず、時間に厳しく無駄な時間を許さない。毎日決まったリズムで行動します。休日などボーッとしていようもんなら、「ちゃんと考えて!やることがあるでしょう!タマッド・タラガ!(怠け者なんだから)」と言われます。怠けるという言葉は彼女の辞書にはないのです。この時点でフィリピン人ではない。掃除洗濯は朝の家に終わらせて、もちろん上の息子の送り迎え、下の子供の世話、ダンナの世話、買い物、料理をこなします。一日中何かやっています。次の日に今日の仕事を残さない。髪の毛一本でも部屋に落ちていることを嫌いますから...。

彼女の実家は典型的なフィリピン家族ですが、そのおじいさんが相当に厳しい人であったようで、働かざる者は喰うべからずを地でいっていたようです。子供たちにも勉強、掃除、洗濯家の手伝いなど厳しくしつけたそうです。従って、そのおじいさんが亡くなた時はみんなで万歳をしたぐらいだそうですから。その厳しさを引き継いだのが兄弟でも2番目の兄とかみさんで、特にかみさんはその気の強さから親戚からも恐れられている。逆にかみさんと仲良くなった人には非常に良く尽くすタイプなので、ギャップが激しい。

そんなかみさんだけに、日本にいるフィリピン人の友人は非常に少ない。

いわゆるフィリピン人に少し関わりがあったかみさんの日本人の友人に言わせると、あんたはフィリピン人じゃない日本人だと、それも旧タイプの厳しい日本人だそうです。

それで、かみさんの話をするのは非常に難しいわけです。つまり、かみさんは「フィリピン人です」と言った時点で、僕のかみさんのイメージは相手には浮かばないですからね。(^_^;)

僕がいわゆるフィリピーナとは180度違うと説明したところで、誰もぴんと来ないでしょう。まあ、どうしても気になる人は会って見れば直ぐにわかります。日本にいるフィリピン人でうちのかみさんようなタイプにはまだ会ったことはないですから。

さて、明日も早く起きていつものノルマをこなさなきゃいけないので、遅くまで起きてるわけにはいきません。本日の「鬼嫁日記」はこれで終わりです。

あわわわわわっ、ごめんなさい。「鬼嫁日記」じゃないです。「良妻賢母日記」でした。

このことは誰もかみさんに話さないでね。

ココナッツといえば

2005-12-15 21:21:09 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
goo注目ワード ピックアップ・・・カヤトースト (goo注目ワード) - goo ニュース

こんなのが流行ってるのか。

だってねぇ。ココナッツといえばかみさんの母国であるフィリピンでしょう。何って言ったって、少し前に流行ったナタデココの産地ですからね。

ココナッツジャムですか、当然フィリピンにもあります。ええと、これです。



右の方ですよ。


それにココナッツといえばこんな食べ方もあるんですよ。ええとこれですね。

パリタオ(ココナッツ餅)←クリックしてね。

今年もアメ横へココナッツを買い出しに行かないと。

写真は正月早々に撮りますね。

これが忘れられない朝ご飯よ。

2005-12-12 09:50:43 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
日曜日の朝に朝食を食べ始めたかみさんが最初に発した言葉でした。

かみさんはフィリピンはマニラ出身なんですが、食に関してはフィリピン人離れしている所があります。

「これが忘れられない朝ご飯よ」だなんてどんなに凄いものかと思うでしょうけど。普通の日本食です。しかも、格安の。

土曜日に散歩がてら買い物に出たかみさんは大量の荷物を抱えて腕が痛いと帰ってきました。身一つで出かけたときに限って、何か安かったりしてついつい買ってきてしまうようです。その日も袋2つ分しかも一つには何か大きなものがはみ出ています。

「あ~疲れた。腕が痛い」
「何買ってきたの」
「だいこん」

でっかい大根が一本袋からはみ出ています。新しいものは99円で少し古いものが66円で売っていたそうです。66円と言えどもまるまるとした、見るからにうまそうな大根でした。

土曜日の夜にとりあえず大根の葉っぱをごま油で炒め、鰹節、と醤油を入れて炒めにしたものを作りました。酒のつまみに食べ始めたら、冬の大根は甘みがあるので、葉っぱの方もほんのり甘みがありうまい。かみさんはこれが好きなので、明日の朝のごはんにとっておくことになりました。

まずこれが一品目。

次にかみさんはおでんの大根見たいなのが食べたいというので、お湯で炊いた大根につゆを入れて昆布を足せば結構おいしいんじゃないかとアドバイスしました。さっそく2cm厚保にに大根を切って煮込み始めました。良い香りが漂ってきます。適度に煮えた所で火を止めて明日のお楽しみ。

これが二品目。

翌朝(日曜日の朝)です。

昨日の大根を再び煮込み。大根の葉はレンジで温めました。

キハダマグロの刺身用の切り身があったので、寒いので刺身よりも、ステーキにした方がよいと、マグロステーキを作りました。塩、胡椒をして、油で焼き、少量のマーガリンと醤油で味付けしました。(これも安く売っていたものを冷凍にしていたもの)

これが三品目。

そして、豆腐とあぶらげとちくわ(残り物)とワカメを入れたみそ汁を作りました。

日曜日の朝のメニューです。

・大根の煮付け
・大根の葉のごま油炒め
・マグロのステーキ
・みそ汁
・炊きたてのごはん

朝から洗濯掃除を終えたかみさんの呼び、ごはんを食べ始めました。

炊きたてのごはんに、大根の煮付けと大根の葉の油炒めを食べたかみさん。

「これが忘れられない朝ご飯よ!」と。

朝ご飯をお代わりしないかみさんですが、2杯食べてました。安くてしかもおいしい。純日本的な食事でした。

つくづくかみさんのことをフィリピン人離れしてるなと思った朝でした。

日本進出

2005-11-28 10:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
昨日、ディスカウントストア・オリンピックに買い物に出かけました。

そしたら、こんなものに出会いました。

「MAGIC FLAKES」

フィリピンのクラッカーです。サリサリストアー(フィリピンの雑貨屋さん)ではさらに小分けにして売ってますがね。

これ以前は100円ショップとか、ドンキで輸入品として売っていたことがあったんですが、パッケージがちゃんと日本向けになってますね。

結構うまいんですよ。このクラッカー。プレーンもあるんですが、ピーナツバターが挟んである方が好きです。フィリピンのピーナツバターは甘いのですが、日本のピーナツクリームより遙かにおいしいです。

105円で売ってたので、5パック買ってきました。おすすめです!!

こうやって日本の代理店ができて売っているって事は結構人気があるってことでしょうか?

ちなみに隣のはリッツではありません。パッケージが同じですね。
そこではリッツと両方並べて売ってました。FITAの名前以外は全く同じです。197円でした。まだ食べてませんが、多分あまり変わらなさそうです。

フィリピン製品もバナナ、マンゴー、パイナップルの果物だけではなく、進出してきたのかな。

フィリピンのお菓子を滅多にほめない僕が進めるのですから、本当にこのクラッカーはおいしいです。

ABARANGER AKO!真相

2005-11-16 17:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
ABARAGER AKO!の真相は?

電話口での短い会話だったため、少し違っていたようです。その晩にかみさんから詳しく聞いた結果、大使館内で危うくパスポートを盗まれるところだったようです。

娘をダッコしてのパスポートコピー。最近目新しいものには素早く手を出す娘が、コピー機にも手を出すので、てんてこ舞いでコピーをして、窓口へもっていった。原本も見せてと言われた。

そこで初めて、コピー機の上にパスポートを忘れたことに気がつき取りに行った。その間5分ぐらい。コピー機には人が並んでいて次から次へとコピーをしている。急いでコピー機へ戻り、ここパスポートがなかったかと聞いたが、誰もしらないと言う。隣のコピー機にもないと言われた。大使館内に向かって、大声で誰かしらないかと聞いたが誰からも返事はない。そこでかみさんは子供を抱いたまま大声で喋りながら探し始めたそうです。まあフィリピン人ですから結構プラスティックで(冷たく)はないので、いろいろ世話をしてくれる人たちもいて、アテ鞄の中見て、ズボンのポケットは、洋服の何処かに入ってるんじゃないとか言ってくる。大げさに鞄の中身をイサイサ(1つ1つ)取り出して見せて、洋服も脱ぐぐらいの勢いではたいて見せて、後はパンティしかないわよという感じ。コピー機に並んでるときに話をしたフィリピン人には貴方が間違って持っていったんじゃないと、相手はかなりガリット(怒っている)だったので、まともに見せようとしない。そこで、かみさんはフィリピーナは怒らせると頑固になるからマガンダじゃない(良くない)と踏んで奇抜な行動に出た。

一人でコメディーのようにみんなにいろいろ問いかけたり探し回ったりし始めた。恥ずかしいし、ロカロカ(頭がおかしい)に見えるけどもしょうがない。

アノ バ カヨ!(どうしたのよ!)
フィリピーナス タヨ デバ! (私たちフィリピン人でしょ!)
・・・・・
・・・・・

みんなが口々に言うにはアテ(姉御)、ロスパスポートにしなよ。窓口はもう少し待ってみてと。ロスパスポートにして再発行すると、フィリピン経由のため非常に時間がかかる。帰化の書類は今年中と言われているので、間に合わなくなる。かみさんはなんとしても出てくるまでと、さらにいろいろ大声でしゃべり始めた。

そして、まず入り口に2人のフィリピン人のガードマンがいるので、でる人は一人一人チェックしてと犯人の退路を奪った。

娘は親切なフィリピーナに預けて、泣き叫んでいる。40分大声で話し歩き回り、もうお昼も過ぎてあきらめかけたとき、一人のフィリピーナがかみさんがコピーした方とは別のコピー機でコピーをしようとしたら、パスポートが置かれたままになっているのを見つけた。アテ(姉御)もしかしてこれではと。まさにそうだった。

今まで長蛇の列でコピーしていたコピー機であれだけかみさんが騒いでいるのに誰も気がつかないわけがない。かみさんの行動で外に出ることを封じられた犯人が人影が少なくなったコピー機にしかも反対側の機械にこっそり置いたようだ。

それを見つけたフィリピーナが前の人はコピーしている様子もなく、出っていったと言っていたとのことなので、間違いなさそうだ。

パスポートが見つかったとき、そうこれこれ、私のパスポートよと大使館の真ん中でおどけて見せたそうです。大使館をでるときも、あくまでもコメディーぽく、「ありがとうフィリピンの同胞たち」と大げさに声をかけてでていったようです。

かみさんは普段から映画を相当数見ているので、その中からヒントを得たんでしょうね。ABARANGERではなくて、ACTRSSだったようです。ただのロカロカに見えたのかな?

しかし、日本にあってもフィリピン大使館内はやはり「フィリピン」だということを思い知らされました。

ABARANGER AKO!

2005-11-14 13:00:38 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
昼前にかみさんから携帯にメールが届きました。

==========================
PASSPORT NAKUNATTA! 30MINS

ABARANGER AKO!
==========================

何だ?
一応、一般的な日本語にすると

==============================
パスポートがなくなった! 30分

私、アバレンジャーよ!
==============================

パスポートがなくなって、暴れてるらしいことは分かる。しかし、いまいち状況が分からない。こういう意味不明なメールが来るときはかなりキレてるときだ。そういえば、今日は帰化申請に必要な「国籍証明書」をフィリピン大使館に申請しに行くことにいなっていたんだ。

すると、フィリピン大使館のことだから処理中になくしたとかそういうことで、既に30分も暴れまくってるってことかな?

メールをすぐ返したが返事がこない。アバレンジャーってあんまり暴れて警察沙汰になっても困るなあな。でも、娘も一緒だからあまり暴れられないはずだし、等と考えてやきもきしていると。基本的にかみさんはキレると口の攻撃がものすごい、そんじょそこらのフィリピン人は太刀打ちできない。相手が日本人でも同じだが...。

しばらくして、電話が掛かってきた。

僕:どうしたの?
妻:パスポートがなくなったのよ。
僕:えっ?<思ったほど怒った声ではないな>
妻:もう車運転してる。
僕:見つかったの。
妻:大丈夫。アバレンジャー アコ!
僕:バケッ?(どうして)
妻:コピーマシンに入れたらなくなったカシー。
僕:エンバシーの人?
妻:ヒンデ。(いいえ)だからアバレンジャーアコ!大声で叫んだのよ。「誰かあたしのパスポート盗んだ?鞄とか、洋服の中とか全部見せてよ!同じフィリピン人でしょ!そんなひどいことしないでよ。私は赤ちゃんもいて大変でしょ。」って。娘も泣いている状態だったから、みんなビックリして見てた。有名人なアコ。みんなで探してくれて、30分以上かかって見つかった。
僕:よかった。誰かもってたの?
妻:別のコピーマシンに置いてあった。誰か意地悪したみたい。
僕:そうか。よかった。車運転でしょ。また、話は後で。
妻:オォ、じゃ、あとで。ラブ・ユー
僕:ラブ・ユー

そうやって電話は切れました。よかった。一応解決はしていたんだ。

キレたのには日頃のフィリピン大使館に対するうっぷんもあったと思います。毎回行くとあれのコピーが必要だと、このコピーが必要だと事前にインフォメーションがなく。電話で事前に聞いても明快な回答がない。昨日は電話で事前確認したら、まだスタッフがいないので後でかけてくれと言われたようです。早くかけないといつもビジー状態だからと思って、早めにかけたらその対応で、既にキレかかっていた。もしかしたらHPがあるかもと思い調べたら、ありました。日本語はまだ工事中でしたが、英語でのページがあり、今回必要としている「国籍証明書」の事も書かれていたので、事前にパスポート用サイズの写真2枚とパスポートなどのコピーをして準備しておきました。でもそこに書かれた手数料を見てまたもやキレかかってました。

Affidavit of Identity / Nationality(国籍証明書)
1.Duly Accomplished Affidavit of Identity/Nationality Form
 - available at the Consular Information Counter
2.Two (2) 2 Passport size pictures
3.Two (2) Copies of any Philippine document showing
 Applicant's identity (i.e. Passport, Birth Certificate,
 BaptismalCertificate, School Records, etc.)

FEE : ¥5,250.

そう、5250円もかかるんです。

そして、今日は上記に従って資料揃えたにもかかわらず、大使館にいったら、パスポートのコピーをさせられて、しかもなくなった。キレますよね。

きっと今夜は話が尽きないでしょう。今日は早く帰って話を聞いてあげないと。家でアバレンジャーになられても困るので...。

注)アバレンジャーとは日曜日の朝にテレビ朝日で放送している戦隊シリーズ(古くはゴレンジャー)の数年前にやっていたものです。暴れる+レンジャーですね。

帰化申請第3弾

2005-11-11 12:24:12 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
帰化申請やっと次にステップ乗り出しました。面接をするというので、連絡が来ていたんですが、このところ出張だ何だと、時間が取りにくくて延ばし延ばしになっていたら、面接官の方で来るという話になりました。

本日お越しいただいて、終わりました。夫婦別々に面接することになっているので、先ずはかみさん本院からの事情聴取が長いです。30分ぐらいですか。その後僕。

要するに話のつじつまが合わないとあやしいという判断なんですね。

現在、僕の地域の管轄では30組の申請があるようで結構忙しいそうで、問題のなさそうなところから手を付け始めたそうです。我が家が最も問題なかったそうです。結局、日がなかなか決まらなかったので、2番目に問題がない所を済ませたようです。

今回の面接官は10件受け持っているようで、まだ二組。他は結構問題有りのようです。今後は彼が調査書を作成し、上へ提出して、待ち状態に入ります。必要な書類として、前回にプラスして、国籍証明書をフィリピンの大使館から取得して、送っておしまいです。後は調書を書くときに聞き足りなかった事を電話でやりとりするぐらいだそうです。

約半年で許可が下りるようです。(問題なければですが)

そう、来年の5月頃にはかみさんは日本人なるかも知れません。

すると、このカテゴリーはasawa ko(奥さん)ではなくて、かみさんと日本名にしなければなりませんね。

そして、我が家はただの日本人ファミリーとなります!?

国際電話も新たな時代へ

2005-10-28 11:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
最近、わりと頻繁にフィリピンの義理の姉から、かみさんへ電話がかかってくるようになった。昔なら何か緊急の事がない限り、フィリピンから高いお金をかけて電話してくるなんて考えられませんでした。

最初に何度もかけてきたときは、たまたまかみさんが居なかったため、僕がでましたが何かエマージェンシー(緊急)なのかと心配になりました。しかし、声はうれしそうだし、別に緊急じゃないからと言う。その割には頻繁にかけてはかみさんは居ないかと言う。

買い物に行っていたかみさんが帰ると、すぐにその話をした。かみさんも変に勘ぐってしまい少し怒り気味でした。

しばらくして、またすぐ電話が、かみさんは取るなり。

怒り爆発!

「何で何度も電話するの、電話代高いでしょ。そんなに緊急な事って何よ!!」

ここはもちろんタガログ語で喋ってます。

すると、しばらくしてかみさんの語調が変わって、ビックリしている様子。

「一分、5ペソだけ?」

ここも本来タガログ語です。

どうやらフィリピンでも新手のカードか何かでたようです。一分間5ペソでかけられるらしい、キャンペーンでそのカードをもらったので、うれしくてかけてきたようです。

一分間5ペソというフィリピン国内の電話並みだそうです。

50ペソが100円ぐらいなので、円に換算すると10円ぐらいです。

(以前がいくらぐらいなのかよくわかってませんが...。)

いくら給料が違うと言っても、1分10円なら短い時間であれば、気軽にかけられる値段であることは確かです。

今までは日本からかけるのが当たり前だった、いや昔はコレクトコールなどされると、数分で3000円ぐらいすぐ取られましたから...。

フィリピンでも携帯電話の普及が影響しているようですね。良いことだけど、商売してる人にはいろいろ影響もありそうですね。

帰化申請 第2弾

2005-10-01 01:30:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
本日、帰化申請の書類を提出に法務局へ行きました。(あっもう昨日になっちゃった)

と、本日2回目の書き直しです。って悲しい。今(PM11:50)書き終わったのに、全部消してくれました。相変わらずgooのRSSリーダは書き込みには優しくないですね。いっぱい書いたときに限って消えます。

エラーになったときに編集画面の内容をバッファリングするようにしてくれませんかね。またはエラーは別のエリアか、画面に出すようにする。そのぐらいはして欲しいですね。ユーザインタフェースがよろしくない。gooスタッフの方々、よく考えてください。

結構うまくまとめたのに、もう一度同じことを書くことはできません。やっぱり書きたい勢いがあるときに書くのが一番なので、下書きとかしてませんからね。文句ばかり言ってないで、思い出しますか...。

えっと。

帰化とは現国籍を放棄して、日本国籍を取得することです。つまり、フィリピン人国籍であるかみさんが、日本人になるのです。国籍上は。
従って、申請が通れば
戸籍謄本の横に妻の蘭ができるのです。
一見、父子家庭のように見える戸籍謄本と住民票にかみさんの名前が入るのです。
名前は日本語で。
家の場合はまんま日本語の音に合わせて、カタカナ変換にしました。要は今まで使っていたまんまです。

あれ、さっきはこんなこと書かなかったなまあいいか。覚えてないし。

さて、申請ですが書類をたくさん提出しました。コピーを合わせると2センチぐらいでしょうかね。(大げさかな)

結構大変でしたが書くことはたいしたことはないです。帰化申請の動機書はかみさんが文を考えて、日本語で書くのでここが肝ですね。それなりに書けたんで大丈夫だと思います。

問題はフィリピンのかみさんの兄弟の出生証明書に翻訳を付ける所でした。書いてあることはほとんど英語なので辞書さえあれば誰でも訳せるのですが、問題は。

見えない。

印刷が悪いのと書き込みがいい加減なのです。だから、医者の名前など人の名前が結構書かれているのですが、これがわからない。見慣れた日本人の名前ならある程度推測もできるのですが、見慣れないため、一つ一つの文字が読み取りにくいので、書き出すこともできない。最後はかみさんに聞きましたが、さすがにかみさんは推測できるのでなんとかなりました。

しかし、驚きました。

出生証明書ですが、本人の名前が書かれていないものがありました。良くこれで誰の出生証明書かわかるなという感じですが、番号が振ってあるので、フィリピンの市役所ではこの番号に対するリストがあるのでしょう。そこには名前が書かれている。

でもね。でもですよ。出生証明書の本体に名前が書かれてなかったら、証明書にならないじゃないですか!!

さすがフィリピンって感じですか...。

結局かみさんはそれを発行したときのレシートを添付することにしました。

まあそんな感じで、書類は一通り提出しました。一部不備もありましたが、それはこれから呼び出されるときに訂正していけばよいようで...。

ってこれで終わりじゃないんですね。これから約2ヶ月後に担当の事務官に呼び出されるのだそうです。夫婦で。

そしてその後も何度か呼び出されて審査を受け、晴れて申請が通るのは8ヶ月後から1年後だそうです。先が長い話ですね。

というわけで、帰化申請シリーズはまだ続きます。第何弾まで行くでしょうかね。とほほ...。


久しぶりのフィリピン滞在記 総集編

2005-09-06 14:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
秋雨前線と台風14号の影響で、この2日間はすっかり夏らしさがなくなりました。不思議なもので夏の暑い時期はやはり何か騒々しいと言うか、賑やかな感じがします。秋めいてくると、急に静かになったような気がして、何となく気分が落ち込んできます。季節の変わり目ですね。僕はアレルギー喘息持ちだったので、どうもこの時期は嫌いです。夏の疲れと共に必ず激しい発作に見舞われたからです。今でも、やたらと気管支に痰が絡んで、息苦しくなりますが、発作までには至らないようです。でもその影響で肩こりが酷くなります。

さて、フィリピン滞在記いかがだったでしょうか。あれからもう1ヶ月も経ってしまいました。ほんとうはもっといろいろ写真を撮りたかったんですけどね。食事なんか毎日写真を撮れば良かったのですが、腹減ってると忘れちゃうんです。フィリピン(マニラ)の一般的な生活のイメージをできるだけ、伝えたいと思ったんですけど、どうだったでしょうか。ただし、場所や暮らしぶりによっても、違ってくるので、あくまでも一例ですからね。

今まで見ていない人や、もう一度見たいという貴方のために、10日間の滞在記を再度ここにまとめておきます。自分でもこの方が分かりやすいんで。

1日目 久しぶりのフィリピン滞在記(1)
飛行機に乗る前からトラブルの連続、機中での謎の男、そしてフィリピン一般家庭の実態が...?
2日目 久しぶりのフィリピン滞在記(2)
娘の丸秘写真、インターネットカフェの実態、そしてサンミーゲルビールの隠された事実とは...。

3日目 久しぶりのフィリピン滞在記(3)
激しい雨に見舞われながらも、89歳の祖母と再会を果たした。そしてフィリピンの自転車に驚愕...。

4日目 久しぶりのフィリピン滞在記(4)
朝からカレカレという料理の正体を暴き、午後にはマカティ市で有名な赤い人物と遭遇...。

5日目 久しぶりのフィリピン滞在記(5)
ある女性との出会いが元でSMモールへ、息子はモールで大暴れ...。

6日目 久しぶりのフィリピン滞在記(6)
掃除魔王の覚醒が、影に潜む住人を呼び出した。しかし、その結果は幸福をもたらした。

7日目 久しぶりのフィリピン滞在記(7)
毎日の雨で我慢の限界に! 無謀にも荒れるマニラベイに繰り出した面々..。そこで遭遇したものは...。

8日目 久しぶりのフィリピン滞在記(8)
数年ぶりに再開を果たした医師とかみさんの感動の秘話。得体の知れない木の実に翻弄されるjoyuki 果たして...。

9日目 久しぶりのフィリピン滞在記(9)
かみさん以外の女性からキスを受け、そしてjoyukiの正体が明らかに...?!

10日目 久しぶりのフィリピン滞在記(10)
ついにクライマックス。joyuki家の運命は...!?

スリルとサスペンスあふれる滞在記ではないので、こんな誤解を招くような概説を書いてはいけませんね。

淡々としたフィリピン滞在日記ですので、期待してみた人はごめんなさい。

次回行くときはいろいろ旅行したいですね。そのためには長期休みを取らないとだめだよな。長期休みなんてなかなか取れるわけもないし、そうなるとマニラよりもどこか直接リゾートに行った方がいいでね。そしたら、フィリピンにこだわる必要もないのかも。そろそろ別の国の文化にも触れたい気分でもあるし。

いずれにしても、娘が3歳ぐらいになった頃かな。それまではグーグルアースで旅行気分を楽しみましょうかね。

よく考えてみたら、結婚してからは国内旅行もろくにしたことがなかたから、そっちが先かな。


P.S.
 「こぼれ話編」と称して、何か書こうと思いましたが、ちょっと飽きて来てしまったので、このシリーズはとりあえず完結します。何かのおりに触れて取り混ぜていきますのでよろしくお願いします。ふーっ、僕にしては力作でした。

久しぶりのフィリピン滞在記(10) 10日目 帰国

2005-09-04 15:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月12日
いよいよクライマックスです。本日は日本へ帰ります。
と言っても、映画でもドラマでもないため、エンディングに何か特別なことがあるわけではありません。

さて、雨が降ってばかりだったので、長い10日間に感じられた今回の滞在ですが、その日になると早いような気がします。飛行機は朝8:15の出発なので、実家を4時に出発です。混雑も予想しての時間でした。来るときも相当時間を取られたのでね。準備も考えて3時起きだったので、あまり眠らないうちに、3時になってしまいました。外は豪雨ではありませんが、相変わらず雨です。

空港へは義兄の3人と義理の姉が着いてきました。まだ夜明け前で真っ暗な中、空港の途中の道に、カジノのネオンがキラキラと光ってました。ギャンブルに縁遠い僕には関係ないんだけど、見ていると一度は入ってみたいという気もしました。まだまだ長い人生です。いずれは...?

飛行場には4時半頃到着しましたが、義兄達とのお別れも早々に並んだんですが、もうたくさんの人がいました。フィリピンの空港も検査が厳しくなっており、ランダムに荷物検査を行っているようでした。たまたま、僕らが当たってしまいました。別の場所に連れて行かれて、バックを開けて検査となりました。何も障害児と0才の赤ん坊を連れた家族を調べなくてもねぇ。どう見ても怪しいものは持っていないと思うんだけど..
しかも、空港のスタッフが開けたのは良いが閉じられなくなって、無理やり閉めてましたが、そのせいで僕のお気に入りのウッドペッカーのティシャツに穴が空いてました。(LAのユニバーサルスタジオで買ったのに。その旅行は3泊4日で乳母車の息子を連れた無茶な旅行でした。)

まあその後は空いていたのですんなり行きましたが、空港の待合室にはいるのにも手荷物検査、ボディーチェックがありましたね。ベルトをはずして、靴まで脱がされました。ズボンがゆるい人は悲惨ですね。

朝ご飯はセブンイレブン(フィリピンのですよ)で買ってきてもらったサンドイッチでしたが、まずかった。(T.T)

飛行機は予定通り出発で、乳母車優先なので、早めに入れました。
座席は今度は右の窓際だったので、僕らファミリーだけでした。このときは結構晴れてきていたので、離陸時に久しぶりに飛行機からフィリピンの様子を見ました。まさにgoogle earthで見たような風景が見え始め、海の上空では無数の船が浮かんでるのが見えました。少し上昇すると雲の中に入ってしまい見えなくなってしまいました。

飛行機の中ではごはん食べてあっという間に付いたような気がします。機内では特に何もなかったです。(機内食の果物にカビが生えてたっけ。)そして、成田空港へ。着陸はいつ経験してもいやですね。でもマニラの空港に降り立ったときよりもなめらかでした。

しかし、空港を降りてからがちょっと難航しました。まず預けた荷物がなかなか出てこなくて、荷物待ちで30分が経ってしまいました。税関はするっと抜けて、車を預けてあるパーキングに連絡しましたが、この時間帯人が多いようで、一回目は重い荷物を引きずっていったにもかかわらず、満員でバスに乗れなくて、次にしてくれと。
この間はマニラよりも遙かに暑い日本の蒸し暑さに耐えながら待っていました。でも、マニラのようなガソリンのにおいはないですね。

そして愛しの赤いエスティマに乗り込むと、息子は大喜びでした。帰りの高速では既に15時近かったため、空腹でパーキングによって、ハンバーガを食べましたが、モスしかなくてマハル(高い)!!かみさんには初めて食べさせたのですが、こんなに高くて食べにくいものは二度と食べないと言ってました。(味は悪くないけど)

しかし、高速はやっぱり道が違います。なめらか。子供たちも安心。爆睡です。

道は最初のうちはわりと空いていたのですが、時間が時間だけに、混む場所ではそれなりに混雑もあり、予定よりかなり遅れて、家に着いた。最初のイメージでは16時30分ぐらいには家にいるつもりが、18時になっていました。しかし、爆睡モードだった息子も、家に近づくとうれしそうでしたね。

かみさんも感激してましたね。やっぱり自分の家が違うと、一番はトイレだそうです。温水のシャワーも久しぶり。
ただし、暑い。何でマニラより東京が暑いのかね。風がないんだね。(この日のマニラは最高気温28℃、東京は33℃)

とにかく、無事に家に着いた。かみさんの心配は家に残していった観葉植物。大事に育ててますからね。ほぼ無事だったようです。事前にペットボトルで水を供給するように工夫していきましたから。

やれやれ、結局一日がかりでしたね。疲れました。


フィリピンのイメージを写真で紹介

さすがにこの日は写真は撮ってませんね。今回はブログに紹介する写真を、外でたくさん撮りたかったのですが、本当に毎日強い雨で、なんかどんよりとした写真しか撮れなかったですね。デジカメになって写真の扱いが簡単になったのでと思ってたんですが。昔の写真をスキャナで取り込むってのもあるんですが、ちょっとそれは面倒なので、バギオ写真とかあるんですがね。まあ、ワランマガガワ(仕方ない)なのでおみやげのつづきを紹介します。



左上はかみさんが昔から好きなスナックだそうです。コーンスナックで、甘辛い味付けです。コーンチップの食感で日本で食べたことある味なので、同じようなスナックが出ているはず。

右上はひまわりの種です。僕のつまみですね。調理した油が良くないようで、いまいちでした。

左下は僕用のおみやげです。サンミーゲルビルです。

右下はジュースの元です。カラマンシーのジュースに蜂蜜が入ったもの、水で薄めて飲みます。おいしいですが、僕は隣のジュースが専門です。

久しぶりのフィリピン滞在記(9)

2005-09-01 10:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月11日
10日はつかの間の日差しでした。本日はまた大雨です。結局、雨のフィリピンでした。おかげで今年の夏は涼しく過ごせましたけどね。

さて、実質最後の日です。明日の朝は3時起きのため、空港でほとんど過ごします。今日は日本へのおみやげ&かみさんの好きな魚の購入です。
(以前、かみさんがカラマンシー:フィリピンの柑橘類を持って帰ってきたら、日本では検疫の対象だから、検査させて欲しいといわれて、その場でいらないからと捨ててきた経験がある。その時は植物が検疫の対象とは知らなかったためである。今回はフィリピンに来る前に、海外からの冷凍した魚の持ち込みは可能なのか日本の検疫や成田空港などの関連機関に聞きまくって、自分で食用にする場合で、10kg以下ならば税金もかからず持ち込めることを確認していました。)

朝から出かけましたが、強烈な雨と混雑でした。今日も反対車線もなんのそので、2車線しかないはずが3車線になってました。


買い物は例のごとくSMサウスモールで、すっかりおなじみの場所。かみさんと義理の姉がスーパーマーケットで買い物、男3人と息子はひたすら待つだけでした。息子はしばらく大人3人を相手に遊んでいましたが、疲れてしまい座り込んだので、スーパーマッケトの入り口前にあるベンチ座らせて待っていました。しかし、女性の買い物は長い。
そのとき、義兄が「ムジャカ※1」がいると、向かいのドラッグストアを指さすので、見てみると、陳列棚を大きなネズミが歩き回っているのが見えました。数十メータ離れていたのよく見えたので、かなり大きかったみたいですね。陳列棚は化粧品のようで、バックライトがあったのも効果的(?)だったようです。SMはかなり近代的できれいな店ばかりなのですが、昼間からネズミがいるとは...。
ネズミ自体は僕の住んでる三鷹市でも、夜道を走り回ってるのを見かけますから、別にめずらしくもないんですけどね。

※1 ムジャカとはフィリピンで最近流行った日本のアニメです。毛むくじゃらのキャラ クタが出てきます。だから、ネズミのことをムジャカといったのでしょう。


買い物を終えたかみさんたちのカートはおみやげ類でいっぱいでした。

サウスモールからの帰りは今までになく混雑がひどい、10分に数メータしか進まない。数キロの道が2時間以上かかりました。息子も車の中で退屈。結局、大型トラック同士の事故でした。巨大なクレーン車でトラックを移動中だったので、大混雑になっていたのです。写真は撮り損ねなので、なんだかわからないですね。


夕方、バギオの2番目の義兄の娘(2才)は昨日の残った「おいしい」(かっぱえびせん)の辛い方をアンハン(からい)といいながら平気で食べてました。いっぱい食べると大人でも結構辛いのによく食べるなと思ってみてましたけど。この子は僕と息子の事がお気に入りになったみたいで、すっかり仲良しになりました。夜にフィリピン最後の写真を一緒に撮りました。今度会うときは5才頃かな。彼女からお別れのキスを受ける瞬間です。

おっそういえば初登場ですね。joyukiさん。知り合いも結構見ているようなので、顔隠してますが、知ってる人にはバレバレです。


フィリピン最後の夜のつまみは昼間購入したバゴス(魚)を義理の姉が調理してくれました。日本から持ってきた醤油とカラマンシーで下味を付けて、フライパンでタマネギと共に焼いてくれました。これは僕だけにということでした。淡泊な魚なので、非常においしかったです。淡水魚だそうです。いけすで育てたものを開いて、真空パックにしてあるので、焼くだけ。味は川魚系ですね。
カラマンシーとはフィリピンレモンとも呼ばれるもので、見た目は小振りのすだちです。味もすだちとにてるかな。フィリピンの食材も日本の味付けにすれば、おいしいことを立証できました。長期滞在の折には日本の調味料及び出汁を持参することにします。
このバゴスを大量に買ってきました。下味が付いてるものです。胡椒とビネガーとか、唐辛子のものとかあります。おいしいです。けど、やっぱり醤油が良い。




フィリピンのイメージを写真で紹介

今日は写真があまりないので、このとき買ったおみやげを紹介します。といっても、写真撮る前にあげてしまったものが多くて、失敗しました。せっかく色々あったのに...。とりあえず残ったものだけ写真撮りましたので。



左はバゴスですが、これを10袋以上買ってきました。三日毎ぐらいに食卓に上ります。
右はフィリピンのピーナツバターとココナッツジャム。ピーナツバターは本格的なものに、ピーナツクリームを混ぜたような味と柔らかさで結構おいしいです。ココナツジャムは甘いだけで、あまり僕は好きではないです。一時期100円ショップでフィリピンのクラッカーが売っていましたが、ピーナツバターが挟んであるものがあって、うまかったですよ。MAGIC FLACKSという名前でした。皆さんも見つけたら是非食べてみてください。これはおすすめ。

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左の日本語でベストと書かれたもの、これチッチャロンになります。チッチャロンはぶたの皮が有名ですが、要は揚げたせんべいや、あられ風のものをチッチャロンというようです。うすべったいマカロニのようなものなんですが、油で揚げると、日本にもあるチーズビット状の、えびせんになります。おつまみに最適です。

右は(8)で紹介したブラックグラマンの缶詰です。





左はフィリピンのノール(クノール)のニドスープの元です。ツバメの巣のスープを模した中華風スープです。水に入れて煮立てて、卵を溶き入れるます。このスープを以前かみさんの日本人の友人にあげたところ評判が良く、今回大量におみやげで買ってきました。ウミツバメの巣のスープは高級食材なので、本物は知りませんが、普通においしいです。これもおすすめです。東京なら上野のアメヨコで手にはいるかも。もちろん日本で買えば高いですけどね。

右はコーニックだったかな。つまみにジャイアントコーンってありますよね。大きなトウモロコシの粒が、あられ風になってるやつ。それの普通のコーン版です。ニンニクが効いていて、つまみに最適です。

まだ、何かいろいろものがあったんですが、1ページのデータ量が多くなるので、次回にしましょう。


P.S.
 本日はみんなの写真をランダムに撮りましたが、義娘はカメラの方を向かないでニコリともせずTVを見てましたね。複雑な心境なのでしょう。今までは帰るときには涙してたんですけど。今度は怒ってるのかな。まあ、ここにいる方が地を出せるようだし、緊張して日本に住んでるよりは良いでしょ。ただ、みんなから生意気だと煙たがられてましたが。その後は特に問題なく学校に通っているようですから。最近、何度かかみさんが実家へ電話をしたときに、電話に出た義娘と話をしたそうですが、今まで一緒に住んでいたことがなかったかのごとく、話をしていたようです。2年間はなんだったのかな。まっいいか。

久しぶりのフィリピン滞在記(8)

2005-08-30 09:00:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
8月10日
本日は寝不足でした。夜中に酔っぱらって怒声をあげてる人がいたのでね。その辺は触れないでおきます。

さて今日は朝は雨がありませんでした。で、夜遅い時間に再度ベイウォークに行こうという話がありましたが、昨日のニオイでちょっともう良いかなという気持ちだったので、行くのはやめにしました。そして、かみさんの虫歯及び歯石を掃除するため、シャ(彼女)の旧知の仲の歯医者さんへ行きました。歯医者は日本で行けばいいのですが、どうもどこがよいかが分からないため、日本ではなかなか行くことができないようです。

この歯医者は以前も行ったことがありますが、6年ぶりです。その間は実家の近くの歯医者で済ませていたのですが、いまいちだったそうです。何故ここなのかというとかみさんが大学の時から通っていたので、より丁寧に治療してくれるし、腕が良いとのことです。確かに、見たところ設備もしっかりしていたので、ちょっとフィリピンにしてはマハル(高い)のほうです。

実家から遠いのはかみさんが大学に通っていたときに、下宿していた友人の家の近くにあるためでした。例によって道は混んでます。そこで、今日は裏道コース。商店街とおぼしき細い道を通っていきます。結構おもしろかったので、写真を一杯撮りたかったんだけど、この日は携帯しか持っていなかったので、走りながらの写真は全てぶれてしまいきれいには撮れませんでした。唯一この1枚だけ。くだもの屋さんですね。魚とか肉もこのフルーツのように並べて売られてました。アメヨコを小振りにしたイメージでしょうかね。


この狭い通りを抜けて、少し広い通りに出て、また細い道に入って歯医者がありました。女医さんです。元はここに住んでいたそうですが、今は家を別に買って、住んでいるので、毎朝かよってくるそうです。そして、もとの住居部はアパートにしています。入り口が歯医者の正面しかないようで、住人が待合室を通って出て行きます。

10時前だったので、まだ先生はいませんでした。助手のお姉さんだけいました。このお姉さんがちょっととんでもない人で、待合室で待っているときの行動がなかなかでした。ちょっとどこかでかけたと思ったら、チョコレートを手に持って帰ってきて診察室で食べてました。その後、手を洗いに行ったのですが、彼女のスーツのスカートとのおしりに手の跡が無数に付いていました。手をそこで拭いたようです。しかも、パンティラインがくっきりと出てました。きれいなお姉さんではなかったので、何とも思いませんが、ずいぶんと場違いな人だと言う感じでしたね。

マニラの朝の道は非常に混むため、普段30分で付く所も2時間かかったりします。先生は30分遅れで到着しました。僕は6年ぶりに会うので、覚えてませんでしたが、きちんと服を着こなしたいかにもドクターという方でした。年は僕より上だそうですが、まだきれいで、若いときは結構美人だったんだろうなという印象でした。

入って来るなりうれしそうにかみさんと話をしていました。

他に客が待っていたのですが1時間以上かけてきれいにしていました。昔から仲が良く一番の患者のようです。おしゃべりも楽しそうでした。最後に少し僕も会話をして握手で別れました。先生の写真はさすがに撮れなかったので、看板だけです。わかった方はどうぞ。

しかし、先の助手の女性は仕事中も、手が空いてるときは待合室でテレビを見ていて、必要なときに診察室におらず、いちいち呼んでは指示している状況で、先生もちょっとイライラしてました。優秀な先生なのに何故、彼女を使ってるのかなって感じでした。


歯医者からは、またさっきの裏道を通って帰りました。昼は実家で食べて、その後昨日の寝不足が一気に出て、ソファーでうとうとしてました。すると義兄が外からなにやら見慣れない果物を持ってきました。


これグアバだそうです。グアバといってもいろいろな種類があるようです。フィリピンでは日本でいうと柿の木のように、グアバとかスターフルーツとかが、彼方此方の家にります。しかし、このグアバは見た目は青梅のようでしょ。熟すともっと柔らかいらしいんだけど、かんだら青梅よりも固く、小さいけど固い複数の種が、かんだ瞬間は皮がちょっと渋くて、柑橘系のような味が、そして口いっぱいに酸味が...。まだ熟れてないのかうまくはなかった。

グアバで目が覚めたので、義兄と床屋に行って、ビナタ(大人)カットをしてきました。一人40ペソです。日本円で100円は行かない。フィリピンの床屋はバクラ(おかま)が多いのですが、めずらしくちゃんと男でした。

床屋から帰ってから、近くのマーケットにDVDを見に行きました。全くコピー天国ですね。最近はその場で試し見ができるように進化しました。VCDで売っているときは帰ってからのお楽しみだったんですけどね。一枚安いので60ペソ(110円)ぐらいでした。

そこのマーケットでピザとつまみようにお菓子類、自宅用にパティス(魚の醤油)、紙おむつを買って帰りました。紙おむつは息子の時代ぐらいの質でしたね。7年遅れって感じです。お菓子は「おいしい」のノーマル味と辛いのと買いました。これ実はかっぱえびせんなんですよ。作っているのはフィリピンで、味はほとんど同じでしたが、見た目はちょっと焼きすぎかなという感じで、茶色が濃かったです。見た目はお酒っぽいですが、パティスは魚出汁が利いた醤油と思って下さい。タイのナンプラーと近いのかな。コンソメの代わりに、スープとかに入れると美味です。

色で分かるように左がノーマル、右がスパイシー



夕方は義理の姉とかみさんと話しをしながら過ごしましたが、そのときに実家に置いてあった雑誌と広告を写真に撮りました。この雑誌はフィリピンで毎週発行される歌本だそうです。フィリピンの女性歌手レジーン・ベラスケスとアイサ・セゲラの歌のページです。表紙にはフィリピンのドラマのスーパーヒーローならぬ、スーパヒーロインの写真があります。ABS-CBNというフィリピンのテレビ局でクリスターラというスーパヒロインが流行っていて、これは別のテレビ局が作った対抗馬だそうです。セクシー路線ですね。


夜はいつものようにサンミーゲルビールを飲んで、すぐに眠ってしまいました。フィリピンに来てから夜は9時前に眠っていました。
他の皆さんはこれを飲んでました。これはちょっと表現が難しいです。缶詰なんですが、まあ黒い寒天です。これに味が付いてます。気の抜けたサイダーっぽい味ですが、この缶詰を水で薄めて氷をぶち込んだのがこれです。カップに入ってるのはもうほとんど最後だったので、黒寒天が一個しか入ってません。ブラックグラマンというそうです。中国から入ったものらしいです。



フィリピンのイメージを写真で紹介

今日は本文でずいぶん写真紹介してしまったので、ネタ切れです。と思ったけど、写真がもうちょっとあったので、載せておきます。バナナとダランダンという果物です。バナナはこれでも質の良い方だそうです。日本に入ってくるきれいなバナナは一般のフィリピン人の口には入らないようです。要は高級品が日本に送られてきているということです。そして、ダランダンは息子が食べてましたが、形やにおいからしてミカンの種類ですね。僕は何故か大人になってから果物があまり好きではないので、食べませんでした。子供の頃は息子と同じようにバナナ大好きだったんですけどね。