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僕について

人生も半ば? 誰かの役に立つかもしれないから、自分自身について語っておこうと思って。超私的blog。他2つもよろしく。

日本はいい国だなぁ~

2006-10-12 13:08:31 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
20年以上会っていなかった弟に会うためにかみさんはカナダに行って来ました。

昨日は新宿駅構内で待ち合わせて変えることにしたのですが、新宿駅構内で待ち合わせって、結構難しいですね。目印がないんで、結局ホームの番号を決めて、あちこちの階段を下りて探す羽目になりましたが・・・。

やっと見つけたかみさんは日焼けして少し黒くなっていました。手にはオラウータンの大きなぬいぐるみと紙の手提げ袋。。もともと荷物はDバッグ一つだったので、荷物はさほど無いんですけど、一応お手伝いと言うことで。

温度はかなり低かったようで昼間は13度ぐらいで、夜はマイナスになったようです。太陽が近いせいか日にも焼けやすかったそうです。

そして向こうは家と家の間隔が広くて大きく、とにかく家は安いそうです。

その他に良かったことはあまりなかったようで、飯はまずい。そして、やはりカナダといっても、全てがアメリカンなので、食べ物も大量に出てくるそうです。そして、治安が悪く、車はすぐに盗まれるそうです。しかもその犯人連中は中学生ぐらいだということで、手並みの良さはピカ一で、3分もあれば車は消えているそうです。(鍵がかかっていても)

さらには、どこへ行っても店員は店員同士で、世間話ばかりしていて、ろくな対応もしない。空港でもおなじ、人のパスポートは放り投げるし、態度が非常に悪いとのことでした。

飛行機の中ではかみさんの隣に座っていた見知らぬアメリカの男女、50歳を過ぎたバツいくつか同士の男女が、世間話からあっという間にラブラブになってしまったようで、アメリカのドラマや映画さながらだそうです。(かみさんは会話から全ての成り行きがわかったようです)

そんなこんなで、前にLAに行った経験からも、もちろん実家のフィリピンも合わせて、日本が(東京が)一番に良いそうです。食べ物に関しても、日本の一番まずい米でもアメリカの飯よりは良いそうです。
(今朝は昨日の残った冷飯と僕が作ったワカメと豆腐のみそ汁、八宝菜に舌鼓を打っていました。

マナーは桁違いに日本が良いようです。

僕はマナーについては昔に比べるとい日本は相当レベルが下がったと思っていたのですが、今でもまだ良い国のようです。

よりよく、そして悪い方向に行かないように我々も頑張っていかないとなぁ。と思ったのでした。


P.S.
 帰りの電車、バスの中は土産話をずっと聞かされてました。今回は日本国籍を取っての初めての海外旅行だったので、機内ではすっかり日本人スタッフに丁寧な日本語で対応されて、複雑な気持ちだったようです。(かみさんは英語の方が得意)
 帰りには空港でパスポートを見せると、あなた日本人ではないでしょうと言われたようで、一瞬ビックリしたようです。結局そのスタッフは奥さんが日本人だったので、すぐにピンときたそうです。日本人に帰化したんだという説明をしてから、すっかり話こんだようです。

そうそう、娘ですが、朝かみさんの顔をみて、いったんはビックリして僕によってきたのですが、かみさんだと認識すると、すっかり元通りでした。

でも、会社に行きがけに手を広げて胸に飛び込んでおいでという仕草を見せると、ニッコリ笑って、飛び込んできてくれました。一番はかみさんだけど、僕のことも多少は認めてくれたようです。

今頃君は・・・。

2006-10-06 20:57:15 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
今朝はかみさんと一緒に家を出て、東京駅まで送って行きました。いつも成田空港までは車で行っていたので、電車は初めてだからです。僕はかみさんと結婚する前は成田エクスプレスでしたので。

最悪の風雨の中、飛び立って行きました。

14時過ぎにフライトして今はまだ飛行機の中・・・


今頃君は何をしているのかな。

久しぶりに朝から胃薬

2006-09-20 10:31:02 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
月曜日からフィリピンより助っ人(義理の姉)が来ましたが、いきなりフィリピンフーズのオンパレードです。昨夜はビーフ・メチャッドというものと、ピーナッツをニンニクで味付けしたものを作ってありました。ビーフ・メチャッドというのはフィリピンから冷凍して持ってきてくれたようです。

これが脂身たっぷりのビーフをトマト、ピーマン、醤油そのたで味付けして煮込んだもので、味が濃くて、脂っこくて...。酒のつまみに少々食べるのはおいしいかもしれませんが、大きな固まりなもので、胃がもたれました。そこへ、ニンニクで味付けして、炒ったピーナツですから、今朝起きたときには・・。

胃が痛たたたたたっ。

朝もその残りに、プラスして里芋の葉っぱを唐辛子、ショウガ、ココナッツミルクで煮込んだものが出てきました。これはちょうど、葉唐辛子の佃煮のココナッツ風味というものといえば想像が付くでしょうか。

かみさんもすっかり日本食に慣れたので、ビーフには胸焼けしたようです。明日はみそ汁というリクエストでした。僕も有無を言わさず明日はみそ汁とさっぱりしたおかずにしたいと思います。

ずっと胃の調子が良くて、胃薬はしばらく手にしていなかったのですが、久々に今朝は胃薬を飲んだのでした。

助っ人来日

2006-09-16 08:51:38 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
月曜日に助っ人の来日が決まりました。

かみさんの負荷を下げて、娘の発育促進に力を入れるための助っ人です。先にかみさんの兄を呼ぼうとしたのですが、あっさりだめになりました。在フィリピン日本大使館からビザの許可が下りなかったんですね。

そこで、再度来日実績のあるかみさんの義理の姉を呼ぶことにしまして、ビザ発行が許可されたのです。

何が違ったのか?

先の兄は観光及び家族訪問という理由で呼ぼうとしました。これがまずかったようです。今はフィリピンから日本への入国が非常に厳しくなっているようです。前後に並んでいた人たちもことごとくだめだってようですから。もう一度兄を申請するには半年間待たなければなりません。

それではと義理の姉に再びお願いしました。そして、今度は理由を前と同じにしてはだめです。考えなければいけません。前に義理の姉を呼んだときは娘が生まれたばかりだったので、それを理由に、息子の面倒を見るためとしたのでした。そのときはさらに「愛の手帳」(知的障害者の手帳)のコピーを付けたのを思い出しました。人道的な理由に関するものは優遇されるようなのはわかっているので、ここは思い切り書いてみたわけです。



兄の時は2行ぐらいでしたから、相当長く書いたのですよ。これに、息子の愛の手帳のコピーを付けたら、問題なく通りました。

義理の姉も「この子の面倒を見るのね。」と聞かれただけだっようです。

いかがでしょうか。このぐらい書けば通りやすいようですよ。といっても、他の方は同じようには行かないですね。これは特別の理由がある僕らの強みでもあるわけですけど・・・。

まあ、また月曜日からタガログ語(フィリピン語)な日々が始まることになりました。

かみさん爆発寸前!!

2006-08-28 13:00:07 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
牙城を守ってきたかみさんも、金曜日の夜からとうとう風邪を引いてしまいました。また、風邪のキャッチボールが始まらなければよいですが・・・。

土曜日の朝も調子が悪そうでしたが、外に出たほうが元気になるというので、買い物へ出かけました。世田谷にあるオリンピックというディスカウントストアに行きました。ここは衣料品、スポーツ用品、電化製品、食料品とオールラウンドにあるため、よく利用しています。

この店は人見街道というという通りを通って、環状8号線にぶつかったら、100メートルぐらい先に行ったところにあります。近所の方しかわかりませんが、この人見街道に出るのに、久我山病院の近くの道から、商店街を通って京王線の久我山駅にでます。この道は昔ながらの商店街であるため、狭くて坂はあるし、適度にくねっていたりします。そして、当然のことながら人がぞろぞろと歩いています。

行きはここをスムーズに通過することができました。そして、帰りのことでした。

帰りは昼近かったのですが、商店街の通りは、車が結構通っていました。商店街の最初は曲がった坂になっているので、左折ではいるのですが、人と電柱をよけながら、スムーズに入り込まないとなりません。

最初の入りはOKでしたが、坂を上りカーブを曲がったところで、大型車に出くわしました。横に左折する道があったので、うまく利用して相手を通しました。そのとき「プッ」というクラクションの音がしました。その音がどこから鳴ったのかは気にしませんでした。登り切ると人と対向車がぞろぞろです。うまくよけながら、譲りながら進んで行きます。「プッ」又クラクションの音が聞こえました。どうやら、僕が止まるたびに後ろの車がならしていたようです。

実は運転の方に集中していたので、僕自身はあまり気にしていなかったんですが、かみさんはかちんときたようです。状況として、人と対向車がうじゃうじゃいる状態で、スピードを出してどんどん進んでいける状態ではないんですが、後ろの車はどういう訳か、止まるたびにクラクションを鳴らすのです。

かみさんは後ろの車に向かって、窓越しに怒りの仕草をしています。そんなに急いでいても、こっちは空を飛べるわけじゃないのだから、あんたが飛んでいけばいいじゃないか。とかなり頭に来ています。

しばらく行くとトラックが対向してきました。僕は素早く道のはしによりました。後続車は少し離れています。電柱の近くだったので、ぎりぎりで止まっていると、後ろの車も、入ってきています。状況的には、後ろの車は少し離れて待つべきなのですが、真後ろにくっつきました。そして、「プッ!」。

どうやら後ろの車は状況に関係なく、僕の後ろにぴったりとくっついてきているようです。つまり、自分の車が対向車のじゃまになっているので、もっと前に行ってくれと言っているようです。想像なのでわかりませんが・・。バックミラーで見ると明らかに斜めにつっこんでいる後続車が見えます。こっちは前に行けと言われても、電柱にぶつかってしまいますから、動けません。対向のトラックがうまくよけて通り過ぎたようです。トラックの後ろは軽自動車だったの僕もすかさず電柱をよけて前進みました。

かみさんはといえば...。
既に怒り心頭です。商店街を抜ける手前まで来たときに、車を止めてと僕に言ってきます。なんで?

「頭に来たから、一言言ってやるから、車の前に止めて!!」

僕は後ろの車がへたくそで、自分の逃げ道がないから、クラクションを鳴らしていたのだと想像しましたが、かみさんはこっちの運転を馬鹿にしてならしたのだと解釈しているため、激切れです。

後続車の真意はどうだったのかはわかりませんが、商店街を抜けた後は、僕の車のずいぶん後ろをゆっくりと走って、右に曲がっていったので、急いではいなかったようです。

かみさんをなだめるのに苦労しましたが、運手していたのが僕で良かったです。かみさんが運転していたら、間違いなく道の真ん中に止めて、後続車を強制的に止め、運転席を降りて・・・・。

おおっ、考えただけでもドキドキします。

フィリピンという国はクラクションならしまくりなので、かみさん離れているのかと思いましたが、どうやらフィリピンでもルールはあるらしいです。今回のようにむやみにならすと、ボコボコにされるらしいです。

クラクションのなら仕方もTPOをわきまえないと、とんでもないことになるというお話でした。

よくわからないねぇ

2006-08-05 07:48:06 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
相変わらずよくわからない。

今回、介護の援助をしてもらおうと、かみさんの兄を短期ビサで呼ぶ予定でしたが、フィリピンにある日本大使館からビサの発行を拒否されてしまいました。今まで兄弟や母親を呼んだときと全く同じ書類なのですが、拒否理由は一切コメントされないんですよね。短期ビサは基本的に観光や親族訪問のために発行されるので、理由もそのように書くのです。以前かみさんの姉を呼ぶときに、理由として息子の介護を書いたら、ビサと合わないと拒否されてしまったので、その後の理由は淡々と観光及び親族訪問のためとしていました。

一回拒否されると、同じ人は半年間は申請ができないんですよ。仕方がないので、前科生きてもらった義理の姉にもう一度お願いをして、再び書類を出すのですが、どう理由を書けばいいのか困っています。

次は、長文で挑戦です。どうして呼び寄せるのか、我が家がどういう状況なのか、必要があって呼び寄せようとしているのに、あんたらわかってるんですかってね。

こちらは真剣に介護の補助として来てもらいたいのに、大使館殿、入国管理局殿、日本国殿いったいどうなってんですか?

親兄弟が普通に訪問するのもだめなのですか?

いつも状況が違うのは何故なんですか?

理由ぐらい教えてくれたらどうなの?

言いたいことが山ほどある。

訴えて出たいところだけど、そこまでの余裕はありません。

どうにかならないものか。

アメリカナイズ

2006-08-03 12:00:46 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
今どきの米国女性「ダイヤよりプラズマTV」=調査 (ロイター) - goo ニュース

かみさんは既にアメリカナイズされてます。スイート・テン・ダイヤモンドより液晶テレビを選びましたからね。しかし、液晶で良かった。プラズマだったら、倍ぐらいの値段でしたから・・・。

かみさん、ストレス解消に...。

2006-07-02 21:17:13 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
喉の話題ばかりですが、今日やっとご飯をおいしく食べることができました。丸一週間です。まだ荒れてはいるもののこれで通常の生活が送れそうです。後はいつ酒を再開するかですね。飯が食べられるようになると、既にビールが飲みたくてうずうずしてます。薬が明日の朝で終わるので、明日の晩からかなっ。

さて、一週間も家にいた僕はすっかり白くなって、スリムになりました。明日の朝スーツを着るのが楽しみです。やせ細って、ズボンが緩いことをね?
今日は特に何事もなく過ぎましたが・・・・?

あっ、かみさんがストレス解消にと一人自転車でヤマダ電気に液晶テレビや冷蔵庫などの新製品を見に行ったんですが、ボーナスセールで液晶テレビ(40インチ)がかなり相場より安く売っていたので、どうしようかという電話がかかってきました。確かにかなりやすいので、好きなようにというと。意気揚々と帰ってきたかみさんは、「買っちゃいました」だそうです。

里帰りしようかとパスポートを取りに行っていましたが、旅費はテレビに化けたようです。いよいよ我が家も大型テレビ化を果たしたようです。僕は普段ほとんどテレビを見る時間がないので、恩恵には預かれないけど...。

そういえばもうすぐ結婚10周年なんですが、お祝いは・・・・。

テレビということでよろしいでしょうか・・・。

眠れぬ夜~涙の誕生日

2006-06-20 13:02:39 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
昨日はかみさんの誕生日でした。知り合ってから11回目の誕生日です。もうそんなになるんですか...。結婚してからは大変なことばかりで、誕生日もろくに祝ってあげられなくて...。

最初に日本に来たときの誕生日は泊まりの出張になって、かみさんに泣かれてしまったのを思い出します。今まで、誕生日を一人で過ごしたことはなかった。フィリピンでは考えられないと...。その後もほとんど似たような状況で、ろくに誕生日をやってません。そして...。

金曜日の朝から息子の調子が悪くその後、食べた物を嘔吐、その後熱がぐんぐんと上がり39度前後をいったり来たりでした。この日は運悪く(?)、新しい職場での歓迎会が開かれるということで、僕は帰りが遅くなります。ただの風邪だろうと思っていたのですが、体中に湿疹が出ているらしく嘔吐もする。なんか普通の風邪ではないようです。歓迎会の最中に刻々と入るメールが緊迫感を伝えます。そして、歓迎会を半ばにして帰ったのは、最後のメールを見たときです。

寝室に入った息子はベッドの上に、食べた物を全てぶちまけてしまったのです。そこにはかみさんが既に横になり、娘が転げ回っていたのです。かみさんもベッドも嘔吐ぶつまみれで、そこにはまだよくわかっていない娘が息子の嘔吐物の海を転げ回っていたそうです。朝から息子の看病に疲れ切っていたかみさんはこれには切れそうになったようです。僕の帰りを待つ間に、シーツや枕カバーを全て洗い、娘を洗いともう限界に達していたようです。

急いで帰った僕はその日から日曜日まで、ほぼ徹夜状態となりました。かみさんはまだ夜何度も起きる娘の世話で手一杯なので、息子の看病は僕がしました。熱が39℃ありうなされているのに、更に不定期に気持ち悪くなり、吐き気で嗚咽が始まります。金曜日の夜は息子の嘔吐対応と、氷枕をいやがる息子を無理矢理寝かしつけるのにたまにうとうとする程度で朝を迎えました。飲んだ酒もすっかり抜けていました。

土曜日の朝に小児科へかみさんが連れていきました。インフルエンザではないかと心配していましたが、結果はおなかの風邪ではないかということでした。熱冷ましと、湿疹へのこうヒスタミン剤などをもらって、対処療法となりました。その夜も熱は下がらず、吐き気もあって、やはり朝までうとうとする程度でした。

日曜日も同様でした。昼間も娘と息子の世話を交互にしているため、ほとんど眠れず月曜日の朝を迎えました。

朝起きると、さすがに三晩徹夜に近い状態だったため、疲れと眠気ですぐには起きあがれませんでした。かみさんも同様です。僕は息子の熱を計りました。下がるには下がりましたが、まだ37℃以上あります。咳もあるようで、まだそれほど元気ではありません。僕もこのまま会社に行っても眠気と戦うだけで仕事にならないと、判断し休むことにしました。


さて、今週の日曜日はそう「父の日」でした。かみさんは気を遣って、刺身などを買ってきてくれました。そして、月曜日はかみさんの誕生日でした。しかし、この状況です。予想以上にひどい状態だった息子の看病で、夫婦共々ぼろぼろです。息子はまだ調子が良くありません。誕生日どころではない状況でした。それでも、ケーキぐらい買ってこないとなぁとぼうっとした頭で考えていました。

起きてから飯の準備などをしながら、ぼうっとしている僕に対して、かみさんはいつもの通りてきぱきと行動しています。僕にもあれこれやって欲しいと要求をしてきます。

僕はここで失敗をやらかしてしまいました。

疲れ気味だったせいもあって、体を休めないと会社を休んだ意味がないというようなことをポロッと言ってしまったようです。なんかかみさんの様子がおかしくなりました。そりゃそうです。疲れているのはかみさんも同様なのです。そして、かみさんは主婦業を休めないんです。それに気づいたのは遅かった。怒ったかみさんに少々食ってかかってしまい、その後そのことに気づいて謝ったのです。

そのとたん普段気の強いかみさんは...。

今まで我慢していた物が吹き出したのでしょう。やはり、親戚も僕の実家も全く手を貸してくれない状況で、障害児を一人で介護し、娘の面倒を見て、家事をこなすのはかなり大変なことなのですね。僕が一人で疲れたようなことを言うため、泣き出してしまったのです。完全に僕の過ちです。こうして、眠れぬ夜から涙の誕生日を迎えてしまいました。

HAPPY BIRTHDAY, MAMA!!

まだまだ、厳しい状態は続くけど、がんばろうね。子供たちが大きくなったらきっと祝ってくれるよ。ふがいない旦那でごめんなさい。

ローラ逝く

2006-05-31 09:00:04 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
かみさんの母親の母親つまりおばあちゃん(フィリピンの言葉でローラ)が亡くなったようです。去年の夏に会ったときは元気だったのに...。

その後、体調を崩して入院して、最近は家に戻って流動食で暮らしていたと聞いていましたが...。

イギリスで看護士として働いている一番下の娘(私の叔母に当たる)が夏に帰るため、生きながらえていたようですが、間に合わなかったようです。

笑顔のかわいいおばあちゃんでしたが残念です。かみさんは孫の中でも一番のお気に入りだったのですが・・・。

フィリピンがいくら近いといっても、気軽に飛んで帰れるような距離ではないことをこういうとき実感します。かみさんを帰したいけど、娘も息子も預けて行けるところがないし、どうしたものかな。そもそも、日本国籍になったので、かみさんのパスポートがまだない。だから、今週末に飛んで帰ることもできないのです。

ナナイミリア(おばあちゃんの愛称)、冥福を祈ります。


追記:
 どうやら、一番下の娘(僕のおばさん)はロンドンからおととい帰ってきていたようです。つまり安心して逝ったということです。よかった。

かみさん切れる

2006-05-17 12:40:39 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
行動派のかみさんは最近ストレスがたまっているようです。家事と娘の世話と息子の介護で一日自由はないですからね。本当は自分でマネージメントして商売をやりたい気があるようです。せめてパートでもと思っているようですが、現状では無理です。娘は最近蒸し暑いせいか、顔や頭をかきむしり初めて、夜もぐっすり眠らないようで、それもかみさんのいらいらの原因のようです。

さらに、僕が遅く帰ってだらだらと酒飲みながら、飯を食っているのがカチンときたようです。前々からよく言われて改めようとするんですが、僕は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の典型的なタイプなので、すぐ忘れてしまうんですよね。酒をだらだら飲む時間があったら、話をする時間を作れということなんです。

このところフィリピンサイドを使って商売ができないかなど、かなり真剣に考えていたようですが、僕を含めフィリピンサイドも動きがいまいちだし、そう簡単には進まないなどで、ストレスがピークに達したようです。

ベッドを娘に占領されているので、息子と二人で布団で寝ているのですが、再び夫婦でベッドになれば、ベッドサイドにテーブルおいて飲みながら話も出きるようになるんだけどな。

今日は早く帰ってフォローしておくかな。でも、でもね。酒は今日も飲みますよ。

P.S.
早く帰ろうと思ったのに既に8時を回っています...。(^_^;)

朝帰り

2006-04-17 17:35:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
僕は結婚する前、朝帰りが当たり前だった時期があります。結婚してからはそれに近いことは数回ありましたが、本当に朝までは仕事で徹夜したときだけですね。まじめになったものです。朝帰りに近い状態というのは前後不覚に酔っぱらったときに夜中に帰って、朝までソファーで寝てその日はトイレとお友達というパターンです。

さて、そんな朝帰りとは縁遠くなったjoyuki家に不穏な空気が漂ったのは土曜日の夜のことでした。金曜日は僕自身が送迎会のため飲み会に参加したのですが、久々の大人数に途中でいやになってしまい2次会でも今ひとつ疲れが、出てきて乗れなかったので、最終のバスで帰って朝帰りなどにはならなかったのですが・・・。

土曜日はかみさんが久しぶりにフィリピン人(元フィリピン人の方も含む)の知り合いらと友人の誕生日祝いにカラオケに行くことになったのでした。かみさんが夜の街に繰り出すのは5年ぶりぐらいじゃないでしょうか。息子の病気などが落ち着いて来た頃に、たまには遊んだ方がということで、行ったのが最後でした。その後は息子の保育園、小学校、娘妊娠、出産などで、遊びには行けなかったですからね。娘も1歳3ヶ月で僕でも何とか手に負えるようになったので、土曜日は全面子守OKで行ってもらったのです。もちろん夜の11時には買えてくるということでした。基本的にまじめなかみさんなので、まず間違いはないの安心して送り出したのですが...。

万が一酒を飲み過ぎたとしても、僕より数倍強いと思われかみさん(本気で試したことはない)が酔っぱらったり、酔いつぶれることはない。

そして、その夜7時には子供たちを寝かせて、自分も眠りに落ちていました。9時半に何故か気持ち悪くなり目が覚めたら、娘のうんちの臭いが漂っていました。眠った後にうんちをしたのか眠る直前かはわかりませんが、それを取り替えてほっと一息していたときです。

22時にかみさんからメールが入ったのです。

「朝まで大丈夫?」

??????朝まで!!

珍しいこともあるものだ、かみさんはそんなに楽しむ方ではないんだけど?

結局すぐ電話が入りましたが、相当うるさい場所のようで、かみさんは大声でしゃべっています。どうやら、私以外はみんな酔っぱらってしまった上に、電車がもうないというのだ。だから、残して帰るわけにも行かないので、朝市の電車で帰ると...。

あっ!! 思い出した。そう言えば金曜日に電車の中で「明日は中央線工事のため、本数が少ない」とか言っていたんでした。到着メールが来たときもやけに時間がかかったなと思っていたんですが...。すっかり忘れていました。

普段、強気のかみさんはこう言うときに変に生真面目さと優しさが出てしまうんですね。「他を残して帰れない何かあったら私の責任だから...」と。

やれやれ、困ったものです。普段優しげな僕は逆にそう言うところはクールなんで、みんな大人なんだから自分で何とかしてねとさっさと帰ってきてしまうんですがね。

(放っておいて帰ってくればいいじゃない!!)と心の中で思いながら、渋々OKをしました。朝までうとうとしながら、何となく眠れない時間が朝の4時頃娘がおなかを空かせて目を覚ましたのでミルクをあげて寝かせました。そしてまたうとうととしていると、朝の6時過ぎにかみさんからメールが入りました。電車に乗って向かっていると、一人まだ酔っぱらっているので、車で迎えに来てほしいと。娘と息子が起きたところで一緒に乗せて、近くのバス停まで迎えに行きました。かみさんは酔っぱらった様子はありませんでした。寝てないから頭が痛いと、かみさんともう一人のフィリピン妻を乗せて、彼女の家へ送って行きました。

かみさんは家帰り着くと速攻で横になっていましたが、起きてきたのも速攻でした。さすがに疲れたようで一日調子が悪そうでした。しかし、驚いたのは普段酒を飲まないかみさんがみんなにつき合って一気飲みなども、仕方なく行い相当量飲んだようですが、全く酔っぱらった形跡がないことでした。昔はほとんど飲む姿を見せなかったようで、友人らも驚いていたようですが、かみさんはそこですかさず言ったようです。

「そりゃそうでしょ。私の旦那は会社で一番酒飲みなのよ。」

(この辺の会話は本当はタガログ語(フィリピンの言葉)で行ってるんですが、タガログ語で書いてもみなさんわからないでしょうから、日本語にしています。)

うーん、納得できるような気もしますけど、よく考えると全然関係ないような...。

僕もかみさんも酒を飲めると言うことですね。

そう言えば家にはいつも千鳥足で、酔っぱらいのごとくわめき散らしている若者がいました。

えっ?

娘ですよ。歩けるようになったのはいいけど、あっちこっちふらふらと酔っぱらいのごとく歩き回ってます。将来が期待できるホープです。じゃなかった。二人のDNAを継いでとんでもない酒飲みになったらどうしましょうか...。

そんなことを覚えさせないように、夫婦共々朝帰りなどは程々にしないとね。ろくなことはありませんから。

いや、かみさんは滅多にそんなことがあるわけではないので、僕自身が気をつけないとね。いつも僕がやっていたことをかみさんに反面教師で見せられたような一日でした。

P.S.
 かみさんの名誉のために。結局あまり楽しむことはできなかったようです。他のみなさんは相当に酔っぱらって羽目を外していたようですが、最後まで冷静で、返って疲れ果てたそうです。かみさんは酒で憂さ晴らしするようなストレスはたまってないですからね。お疲れさまでした。

(日本人の客も相当羽目を外している方々がいて、合わせるのが大変だったようです。人のことは言えませんが・・・。

帰化本日完了

2006-03-07 17:30:00 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
昨日かみさんは法務局へ帰化の手続きをしに行きました。帰化の許可が出てから一ヶ月間の内に手続きを済ませないとだめだそうです。

しかも、帰化許可日から14日以内に外人登録証明書を返納しないと20万円以下の罰金又は5万円以下の過料だそうです。

そんなことを言われたら、かみさんの性格ですから当然、じゃあ今日中に終わらせれば良いんでしょと昨日は奔走したようです。

受け取った書類は2つ

1.帰化の許可通知について(ここに罰金うんぬんが書いてありました)
2.帰化者の身分証明書(帰化して日本人なったんだよという紙ですね)


市役所に提出するのですが、現在の戸籍謄本も必要と言うことで、国立市へ取りに行き、現在の住まいの市役所に行きました。

ここでの手続きは

1.外国人登録証経書の返納
2.帰化届けの提出

早々に外人登録証を返納してきたようです。外国人登録証経書の返納書と登録カードを返しました。実質終了ですね。

後は市役所への帰化届の提出。ところがこれは僕も書かなければならないようで、結局その日には完了しませんでした。

帰化届けですがまるで婚姻届のようです。夫婦共々記述する欄があり、最後に日本人の配偶者が記入する欄がありました。すらすらと書き終わりました。

さあ、これをかみさんが明日(本日)提出すれば帰化完了です。

かみさんに上から下まで書き終わった事をつげると、なにやら雲行きが?

やってしまいました。説明書が一緒に付いていたんですが、見ないで書いてしまったのです。帰化届けには夫の欄もあったので、当然書くのだと思っていたら、それは夫婦共々外国籍の場合だったようです。かみさんはそれを見たら激怒寸前でした。ピンクの付箋が貼ってあった所を書けば良かったようで、僕はその付箋をここも忘れないでねの付箋だと思っていたので、全く疑う余地はありませんでした。だって、また用紙をもらいに行って、持っていかなければならないじゃないですか。

それで、二度手間になるのがいやなんで、本日は午前中休みにしてかみさんと市役所へ行ってきました。でも、間違ったけど大丈夫でした。「消しときますからいいですよ」だって。ドキュメントとしては汚いけど、まあ手間がかからなくて良かった。滅多に出す書類じゃないでしょうから、間違う人多いのかも知れませんね。

住民票はこれでOK、確認はしてませんけど。2週間後に戸籍ができあがるようです。

住民票を本日発行しますかときかれて、金がかかるからいらないと思ったので断りました。ところが、後で免許書の変更について警察に問い合わせたら、名前と本籍の変更に住民票が必要だったことがわかりました。結局またかみさんは市役所に行くことになります。僕が休んだ意味は無かったようです。

いずれにしてもこれで完全に日本国籍となりました。でも早々に、パスポートを取りに行かないとなりません。警察に職務質問をうけてどこの国だと聞かれたときに日本国籍だと言ったら、疑われますからね。日本人であることを証明するのはパスポートしかないですから...。

あれ? 以前と何も変わっていない気が...。

P.S.
 娘と半日過ごせたので意味はあったかな。

おめでとうございます。今日から日本人です!?

2006-03-02 12:34:43 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
昨日かみさんに一本の電話がありました。

電話の男:「もしもし、joyukoさん(かみさんの仮名)ですか。」
かみさん:「はい。」
電話の男:「おめでとうございます!! 3月いっぴから、日本人になりました。」
かみさん:「はぁ・・・いっぴ?」
電話の男:「あっ、東京法務局の××ですけれども、3月1日から日本国籍が取れます。それで手続きの・・・・」


突然のおめでとうございますに、かみさんは何か当たったのかと思ったようです。しかし、その後法務局からの電話とわかり、何か自分のことではないような変な気持ちだったようです。うれしいような、さみしいような。

すぐさまフィリピンにいる仲の良い義理の姉に電話して、話をしたようですが、自分が何人だかわからなくなったような気持ちだったそうです。フィリピン人だけど日本国籍、宇宙人にでもなった気分だそうです。

外見、中身は何も変わらず国籍だけが変わるわけですからね。

11月に面接を受けて、早くて半年ぐらいはかかると言われていたので、5月の連休過ぎぐらいと思っていただけに、何の準備もなく4ヶ月後に「おめでとうございます。日本人になりました。」と言われてもピント来ないですよね。それにおめでたいことなんですかね。

かみさんはこれから帰化認定の書類を受け取って、各種手続きを行います。まず、戸籍の変更です。僕の隣に妻として記述されます。それから、外国人登録証から、住民票への切り替えです。後は何だろう。銀行などは通称を使っていたから問題ないけど、リストアップしておこう。

1.戸籍
2.住民票(外国人登録の破棄)
3.免許証

ぐらいかな。基本的には国籍が関係しないものは通称で登録しているから問題ないのかな。


さて、そういうことで、僕の妻は外国人ではなくなったので、見かけ上は国際結婚ではなくなり、子供達はハーフではなくなり、普通の日本人家族となるわけです。しかし、書類上の事以外は何も変わらないでしょうね。とりあえず、このブログ上はかみさんのことを書くときは元フィリピン人の妻とか、元外国人の妻とかになります。

何か複雑ですね。

しかし、おとといの記事ではないですが、見た目や喋った感じは外国人ですから、これから警察には日本人ですと言っても、疑われるんでしょうね。一つ落ち着くと、新たな問題が発生するのが世の中の常なんでしょう。

これからの日本は国民に日本人登録証でも持たせたら良いのではないでしょうかね。


P.S.
 今後、新な人に知り合ったときに、奥様はどこの国の方なんですかときかれたら。日本人ですけど。と答えたときの相手の反応がおもしろいかな。

赤い稲妻~白い疾風へ

2006-03-01 00:21:19 | かみさん(フィリピン出身の日本人)
おととい新エスティマの納車完了しました。

大喜びの記事を書きたかったんですが、仕事が忙しくて車どころではない状況でして、納車された車をちらっと見て、後は延々とかみさんの喜び話で終わりました。

僕がしっかり見て、試運転するのは週末です。

毎朝、息子を送るために、混んでる細い道を稲妻のように逆送する(都心と反対側なので)赤いエスティマは、今度は白い疾風となりました。いつもすれちがう人たちはどう思ったんでしょうかね。今日は出張なので、朝はバス停まで新車で送ってもらえます。楽しみだな。その前に酒飲んでないで寝ないと。