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正法眼蔵 3 梅花 ばいか

中国

天童山 景徳寺

第30世

如浄禅師さまは

いわれました

 

瞿睛眼睛を打失する時  くどん(釈迦)がんぜい(差別の眼)をだしつするとき

雪裏の梅花ただ一枝   せつりのばいかただいっし

いまいたるところ荊棘となる  けいきょく(いばら)

却って笑う春風の繚乱として吹くことを  かえってわらうしゅんぷうのりょうらん

 

お釈迦さまが

おさとりの目で世界を見ると

すべてはすばらしい春の世界であった

世の中いたるところ安心がないが

ここ天童山には春の風が繚乱として吹いている

 

道元さまは

お師匠さま

如浄禅師さまの

この

雪裏の梅花ただ一枝 (雪の中の一枝の梅花-差別のない真実の世界)

ただ

如浄禅師さまだけが

言い得た

ことばであり

お師匠さまだけが

お坊さまの中のお坊さま

であると

絶賛されます

 

道元さまは

如浄禅師さまにより

万物が

リフレッシュする

生命力に

充ち満ちる

春を

感じておられたのでしょう

 

当山の

梅は

もう少し

先のようです

 

 

 

 

 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
«  坐禅会 »
 
コメント
 
 
 
 (T)
2014-03-28 19:50:19
雪の中に梅の華が開いているのを見て、春だと思われ、
春になったから、梅が華を開いた、
という事なのでしょうか

春という実態のないものを表現するのは難しいです

道元さまは、みなぎる活力を春と感じとったのでしょうか。

食いしん坊な私は、タラの芽、ふきのとう、行者にんにく、あずき菜などの春の山菜の持つパワーを口にすると、
凝縮された命のエネルギーを感じ、春だと思います
そして、春になったから、山菜を頂けると感じます

もちろん、さまざまな花や緑が芽吹いても、春と感じますが

おこがましいですが、私自身も、雪が解け始めて、緩んできた環境の中で、
少しづつ仏さまのお話を聞き、小さな芽を出せようとしている、
そんな春を感じています。
住職をはじめ、周りの皆様のおかげです。
ありがとうございます
 
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