正法眼蔵 3 梅花 ばいか
中国
天童山 景徳寺
第30世
如浄禅師さまは
いわれました
瞿睛眼睛を打失する時 くどん(釈迦)がんぜい(差別の眼)をだしつするとき
雪裏の梅花ただ一枝 せつりのばいかただいっし
いまいたるところ荊棘となる けいきょく(いばら)
却って笑う春風の繚乱として吹くことを かえってわらうしゅんぷうのりょうらん
お釈迦さまが
おさとりの目で世界を見ると
すべてはすばらしい春の世界であった
世の中いたるところ安心がないが
ここ天童山には春の風が繚乱として吹いている
道元さまは
お師匠さま
如浄禅師さまの
この
雪裏の梅花ただ一枝 (雪の中の一枝の梅花-差別のない真実の世界)
は
ただ
如浄禅師さまだけが
言い得た
ことばであり
お師匠さまだけが
お坊さまの中のお坊さま
であると
絶賛されます
道元さまは
如浄禅師さまにより
万物が
リフレッシュする
生命力に
充ち満ちる
春を
感じておられたのでしょう
当山の
梅は
もう少し
先のようです
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春になったから、梅が華を開いた、
という事なのでしょうか
春という実態のないものを表現するのは難しいです
道元さまは、みなぎる活力を春と感じとったのでしょうか。
食いしん坊な私は、タラの芽、ふきのとう、行者にんにく、あずき菜などの春の山菜の持つパワーを口にすると、
凝縮された命のエネルギーを感じ、春だと思います
そして、春になったから、山菜を頂けると感じます
もちろん、さまざまな花や緑が芽吹いても、春と感じますが
おこがましいですが、私自身も、雪が解け始めて、緩んできた環境の中で、
少しづつ仏さまのお話を聞き、小さな芽を出せようとしている、
そんな春を感じています。
住職をはじめ、周りの皆様のおかげです。
ありがとうございます