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正法眼蔵 洗浄 せんじょう

 

洗浄とは

洗い清めることです

禅門では

トイレのことを

東司 とうす

といいます

道元さまは

東司での作法を

事細かく説かれています

東司を使用の後は

きれいに洗い清めなければならない

といわれます

 

身心は

もともと

清らかである

これを

不染汚 ふぜんな (相対のない絶対の純粋さ)

という

東司を使うには

浄身

浄心

の作法がある

これは

ただ

身心を清めるのではなく

国土を浄め

樹下 (お釈迦さまが菩提樹下でさとりを開いたところ)

を浄めるのである

道を得ることが

作法である

といわれます

 

道元さまは

一人の僧の

洗浄により

宇宙全体が清らかになり

正しい作法

そのものが

さとりとなる

といわれるのです

 

 

 

 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
« 正法眼蔵 出... いきたひ »
 
コメント
 
 
 
修行 ()
2016-01-31 13:05:36
永平寺にあがったときに、声を発してはいけない三黙道場の一つにトイレがありました。
トイレでの動作一つ一つも修行なのでしたね

トイレの神様という歌が流行ったときに、
毎日キレイにしたらべっぴんさんになれるんやで、トイレの女神さまに会えるんやで
という歌詞に、多くの方々や学校などでトイレ掃除が人気になったのを思い出しました

世界は不垢不浄。
自分の身を浄めることにとどまらず、正しい作法で、さとりで、全宇宙を浄めるということなのですね。
身をととのえ、心をととのえ、全宇宙をととのえる。
環境浄化ですね

道元さまの1分の隙もない仏法仏行で、トイレの洗浄の作法を実践することは難しいですが、
さとりの上になお修行。
汚れていないものを磨くのが修行。
であるならば、汚れている汚れていないに関わらず、毎日ひたすらにトイレ掃除をするということは出来ますね
さらに、トイレに限らず、生活、仕事の場がいつもキレイに掃除が行き届いていることが、
仏法のうえでも大切な作法なのだろう、修行なのだろうと感じました
お寺がキレイなのもそういうことなのですね
 
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