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正法眼蔵 古鏡 こきょう その2

ダライラマ法王と初女先生

 

むかし

南岳禅師が

弟子の

馬祖和尚にいいました

南岳 「近頃何をしている」

馬祖 「坐禅をしています」

南岳 「坐禅して何になる」

馬祖 「仏になるためです」

そこで

南岳は一片の瓦を研ぎ始めます

馬祖はこれを見て

「何をしているのですか」

南岳は

「瓦を磨いている」

馬祖は

「瓦を磨いて何をするのですか」

南岳は

「磨いて鏡となす」

馬祖は

「瓦を磨いても鏡とはならないですよ」

そこで

南岳はいった

「坐禅をしてどうして仏となることができよう」

 

道元さまはいわれます

瓦を磨いて

鏡となるとき

馬祖は仏となる

馬祖が仏となるとき

馬祖が直ちに馬祖となる

馬祖が馬祖となるとき

坐禅が坐禅となるのである

 

これが

道元さまの

坐禅です

これを

只管打坐 (しかんたざ=ただひたすらに坐る)

といいます

 

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