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ダルカラ番外公演『プルーフ/証明』

2013-06-02 15:45:13 | 日記
お久しぶりです。
研修から帰ってきて、今は自宅から職場に通う生活を送ってます。
ワタシの職場では社内の事務業務をいくつかの班で分担して行っていて、4月の末からは1週ごとに各班の業務を体験、実習していました。
そして、いよいよ今度の月曜日からやっと自分が配属される班の仕事に取り組みます。

そんな近況報告はさておき、昨日は高校から就職先の同期までさまざまな人に会った1日でした。
特にアレですよ、劇団5本指ソックスの仲間との再会は、『ロード・オブ・ザ・リング』の最後に裂け谷でフロドが旅の仲間と再会したシーンのような感慨があったような気がしたのですが、書いていて完全に言い過ぎだと思います。
でも、この人たちとの出会いが無かったらワタシはこんなにフットワークが軽い人間ではなかったし、人と出会うことを楽しいと思える人間にはなれなかったでしょう、たぶん。
昨日は自分のこれまでを1つ1つ確認して思いを馳せていく作業をした1日でした。

で、

久々に元田暁子氏の演出作品を観たのです。
観劇したら自分のために感想を書くようにしているものの、今回は「う~ん、どうしよっかな…」と思いましたが、もともと書いているのはあとで自分が読み返すためだし、基本的に観客は感想の範囲内では好き勝手言うものだと考えてもいるので書いてみます。

以下、ネタバレ防止スペースを取って、DULL-COLORED POP番外公演『プルーフ/証明』の感想です。





















序盤で「あ、“証明”って数学のアレか!」と思った時点で「結構論理的な作品なのかな」という見通しを持ってしまい、中盤以降で「あれ、ちょっと思ってたのと違うかも」「あ、これはちょっと思ってたのと完全にチガウぞ」とギャップを感じる部分がチラホラ。
思った以上に内面性が強いというか、エモーショナルな作品でした。
完全に原作に対して抱いた感想なのですが、数学を扱う必然性がどうもイマイチ………。
作中で大きな位置を占める「証明」が父のものか娘のものかという問題の結論として、親子だから字が似ることもあるだろう、というのは結構強引じゃなかろうか。
もちろん作品において、検証の方法ではなくて“ハルが”それをしたことが大事なのはわかるんですが、肩透かし感が否めませんでした。

こんなカンジで、「最後はどうなるんだろう」とすごく期待感を持たせてくれた割に「あれ、結構アッサリだな…」で終わるものが多かったし、わからなくないけどスッキリしない展開が続いた印象があります。
キャサリンがハルに引き出しの鍵を渡すまでの過程、とか。
この辺はもしかしたらもうちょっとスッキリ見せる方法があるのかもしれないなと感じました。

あと、舞台美術の背景がちょっと気になりました。
テーブルと椅子は作品の舞台がどのような場所なのかを明確にしていて劇を観易くするのに効果的だったんじゃないかなぁと思うのですが、背景の植物はワタシの抱く「シカゴ」のイメージとはずいぶん違っていて最後まで違和感がありました。

また、ワタシはこの劇が論理的であってほしい観客だったので、個人的にあんまり観劇後に余韻を持たせる工夫が有効に機能してくれなくて、終演後はカーテンコールが欲しかったです。
うまく言えませんが、この作品はキャサリンの再生(変化?)の過程を示してある種の人間の在り方を“証明”するような劇なのかなぁと思います。
だとしたら、結論をしっかり述べてきっちり劇を締めくくってくれる(「これこれこういうことがあって、キャサリンはこうなった」)方が流れとしてわかる気がしました。

ただ、黒板の使い方がかっこよくてシビれたのと、俳優陣がとても魅力的に感じられたので劇を観ていてとても楽しかったです。
登場人物に人間的魅力を感じられるかどうかは、この作品において重要なことだと思います。
各役の描き方から真摯に演目に向き合って一部の隙もなく丁寧に作っていった作品だと強く感じました。
これはたしかにガチンコだなぁ、と。

ここでちょっと横道にそれた話をば。
ワタシが元田氏の団体に携わるきっかけは元田氏演出の作品を観たことでした。
そして未だにワタシが元田暁子演出の作品でいちばん好きなのは、いちばん始めに観た『プロパガンダ・デイドリーム』です。
ここで生身の人間が生きている感じや同じものが再びつくられることはないという刹那的な輝き、演劇が持つ楽しさや魅力を(最近の作品に比べて)粗削りながらも感じさせてくれる劇でした。
今回は真摯で丁寧な作風が心地よかったし、それが元田暁子の目指す演劇の方向性なのかと思いますが、ワタシはあの公演がどうにも忘れられません。

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