既に昨日のこと。
柿喰う客「無差別」観てきました!
久しぶりに観劇後に劇の事を反芻しています。
柿のこういう感覚はひっさびさで、お久しぶりです、おかえりなさいって感じです。
あ、2007年の「傷は浅いぞ」で柿デビューして以来、初めて乱痴気公演をこの目で観ました!
観終わって本来のキャストとの違いを考える楽しみが増えるので得した気分になりますね。
大変面白い取り組みだと思います。
では、ネタバレ防止スペースを取って感想を書きます!
とにかく重たいテーマをぎっちり詰め込んだ今作。
神、仏、死、命、穢れ、母性、女性、戦争、原爆…どう考えても成人男性が一日に摂取していいカロリーを超えてます。
ワタシ成人男性じゃないけどさっ。
おそらくエンターテイメントとして観られるギリギリの線を狙ったんだろうなって推測はできますが、その分各テーマの掘り下げが「まだ行ける…!まだまだ行けるぞ…!!」という印象です。
そして今回は普段とは逆にステレオタイプの使い方が気になりました。
というのは、難しいテーマなだけに一般的なイメージを持ってくると浅い感じがしちゃうんだよな、と。
先述のエンタメとして、ってのと同様に、中屋敷さんの考えを押し付けないようにっていう作り手サイドの判断なんでしょう、きっと。
でも、もっとガンガンに主観を押す路線の方が、「人は人、自分は自分」で観られたかもしれないなって気がちょっとしてます。
俳優は中屋敷さんと葉丸さんが印象に残ってます。
中屋敷さんは色の白さが狗吉らしくてとてもよかったです。
見た目の説得力、大事よね。
葉丸さんは頑なに穢れてはならないと兄の教えを守る狗子のストイックさが感じられました。
異様な迫力があったと思います。
あと、妹らしい妹でした。
たいたい先輩の真徳丸が語るモノローグとエピローグは劇を牽引していてさすが。
ただ、結構たいたい先輩で始まりたいたい先輩に終わる作品は観ている印象があって、ちょっと永島さんVer.も観たかったです。
大村さんは体躯の良さを感じさせない子犬っぷり。かわいかったもん、ふつうに。
玲央さんの日不見姫神は男に蹂躙されそうな印象こそしなかったものの、自分の存在に対する葛藤がきちんと伝わってきて、見応えがありました。
今回もチームで視覚的に楽しませてくれる劇でした。
ダンスも舞台装置の使い方も超かっこよかったです!
その代わり、ごめんなさい、歌はなくてもよかったかも…。
新良さんの歌声はだいすきなんですけども、悩殺ハムレットの時みたいな必要性を感じられなかったのです。
最後に、具体的に気になった点をいくつか。
(主に脚本の問題なんだけれども…。)
◆神と仏がいっしょくたに扱われていること。
全体的には神道テイストが強いのですが、狗子が写経したり、狗吉が極楽浄土に行けないと発言したり。
で、一番気になったのはケガレのこと。
フィクションじゃないスか!って言われればそれまでだし、宗派とかもいろいろあるし、時代によって考え方が変わるので一概には言えないけれど、仏教においては女性ってものすごく穢れた存在として扱われるんですよね。
や、さっき神道テイストが強いって言ったじゃんって感じだけども、今自分が『源氏物語』で仏教に関わることをやってるのでつい意識してしまいます。
ほんとに中屋敷作品は女性を崇高なものとして描くんだよなぁ。
◆古事記の訳仕方。
劇中で「大きい穴」って多用してるので、それに従ったのでしょうか?
◆カタワの設定
…必要だったかしら?(すみません)
たぶん差別される要因のひとつなんだと思うけど、めくらが劇中活きるのに対して、詰め込んだテーマ数が多いからか終盤は影が薄かったなぁ、と。
「掘れない」と「惚れない」をかけるなら他にいくらでもやりようがあったと思ってしまいました。
柿喰う客「無差別」観てきました!
久しぶりに観劇後に劇の事を反芻しています。
柿のこういう感覚はひっさびさで、お久しぶりです、おかえりなさいって感じです。
あ、2007年の「傷は浅いぞ」で柿デビューして以来、初めて乱痴気公演をこの目で観ました!
観終わって本来のキャストとの違いを考える楽しみが増えるので得した気分になりますね。
大変面白い取り組みだと思います。
では、ネタバレ防止スペースを取って感想を書きます!
とにかく重たいテーマをぎっちり詰め込んだ今作。
神、仏、死、命、穢れ、母性、女性、戦争、原爆…どう考えても成人男性が一日に摂取していいカロリーを超えてます。
ワタシ成人男性じゃないけどさっ。
おそらくエンターテイメントとして観られるギリギリの線を狙ったんだろうなって推測はできますが、その分各テーマの掘り下げが「まだ行ける…!まだまだ行けるぞ…!!」という印象です。
そして今回は普段とは逆にステレオタイプの使い方が気になりました。
というのは、難しいテーマなだけに一般的なイメージを持ってくると浅い感じがしちゃうんだよな、と。
先述のエンタメとして、ってのと同様に、中屋敷さんの考えを押し付けないようにっていう作り手サイドの判断なんでしょう、きっと。
でも、もっとガンガンに主観を押す路線の方が、「人は人、自分は自分」で観られたかもしれないなって気がちょっとしてます。
俳優は中屋敷さんと葉丸さんが印象に残ってます。
中屋敷さんは色の白さが狗吉らしくてとてもよかったです。
見た目の説得力、大事よね。
葉丸さんは頑なに穢れてはならないと兄の教えを守る狗子のストイックさが感じられました。
異様な迫力があったと思います。
あと、妹らしい妹でした。
たいたい先輩の真徳丸が語るモノローグとエピローグは劇を牽引していてさすが。
ただ、結構たいたい先輩で始まりたいたい先輩に終わる作品は観ている印象があって、ちょっと永島さんVer.も観たかったです。
大村さんは体躯の良さを感じさせない子犬っぷり。かわいかったもん、ふつうに。
玲央さんの日不見姫神は男に蹂躙されそうな印象こそしなかったものの、自分の存在に対する葛藤がきちんと伝わってきて、見応えがありました。
今回もチームで視覚的に楽しませてくれる劇でした。
ダンスも舞台装置の使い方も超かっこよかったです!
その代わり、ごめんなさい、歌はなくてもよかったかも…。
新良さんの歌声はだいすきなんですけども、悩殺ハムレットの時みたいな必要性を感じられなかったのです。
最後に、具体的に気になった点をいくつか。
(主に脚本の問題なんだけれども…。)
◆神と仏がいっしょくたに扱われていること。
全体的には神道テイストが強いのですが、狗子が写経したり、狗吉が極楽浄土に行けないと発言したり。
で、一番気になったのはケガレのこと。
フィクションじゃないスか!って言われればそれまでだし、宗派とかもいろいろあるし、時代によって考え方が変わるので一概には言えないけれど、仏教においては女性ってものすごく穢れた存在として扱われるんですよね。
や、さっき神道テイストが強いって言ったじゃんって感じだけども、今自分が『源氏物語』で仏教に関わることをやってるのでつい意識してしまいます。
ほんとに中屋敷作品は女性を崇高なものとして描くんだよなぁ。
◆古事記の訳仕方。
劇中で「大きい穴」って多用してるので、それに従ったのでしょうか?
◆カタワの設定
…必要だったかしら?(すみません)
たぶん差別される要因のひとつなんだと思うけど、めくらが劇中活きるのに対して、詰め込んだテーマ数が多いからか終盤は影が薄かったなぁ、と。
「掘れない」と「惚れない」をかけるなら他にいくらでもやりようがあったと思ってしまいました。