スターアライアンスNote

世界を旅するために働く、Architectによる旅日記

’22 初夏 会津 10

2022年08月23日 |  '22 会津

 

 

白虎隊。

 

若き19名の墓所がここにあります。

戊辰戦争で朝敵とされた会津藩。

その悲劇の場所がここにあります。

 

 

 

 

16・17歳の少年で構成された、白虎隊。

 

4つの方位の名で構成された、会津藩。

その一番若い隊員で構成されたのが、白虎隊です。

隊長とはぐれた故に起きた、悲劇です。

 

 

 

 

徳川慶喜と行動を共にしたことから、朝敵とされた会津藩。

京都守護職になったときに、

この悲劇が始まていたのかもしれません。

断り続けていた松平容保。

将軍家への忠義が、

会津藩の未来を決めてしまった感じです。

 

 

 

 

こんな碑もありました。

 

イタリアから送られています。

ローマ市寄贈の碑です。

1928年に、ムッソリーニから送られています。

他にも、ドイツから送られた碑もあります。

 

 

 

 

朝敵として会津藩と行動を共にした、郡上藩。

 

将軍家に忠義を示したが故の悲劇です。

凌霜隊は戊辰戦争で、会津藩と共に行動しています。

その碑が、ここにありました。

同じようなものが、郡上八幡にもあるそうです。

 

 

 

 

さらに奥へと、進んで行きます。

 

雨のせいで、あまり暑くない感じです。

石畳の道が、雨の加減できれいに見えています。

葬ることを禁じられた、反政府勢力。

1890年になって、やっとこの場所に供養されています。

 

 

 

 

こんな、景色がありました。

 

ここから燃えるように見えた、鶴ヶ城。

それを見て、自決した白虎隊。

時代が変わる前の、悲劇の場所です。



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