日航労組(日本航空労働組合)は1960年を境に会社の言いなりになるご用組合から脱皮し、組合員の権利や労働条件、そして何よりも「空の安全」を第一とする、自立した労働組合としての道を歩み始めました。これに対し会社は組合の分裂と第一組合には筆舌に尽くせない程激しい差別攻撃を開始し、社内の人心は荒廃、連続する航空機の大事故を引き起こして多くの尊い人命を失わせる結果となりました。このことは99年に発行され大ベストセラーとなった山崎豊子さんの 小説「沈まぬ太陽」にも在りのままに記されています。
日航労組はその後も屈せず元気に戦い続け、多くの新しい組合員を迎え入れ現在も意気高く活動を行っていますが、6,70年代に活動した組合員は順次停年などにより職場を去る時期となっています。
北は北海道から南は沖縄まで全国各地に散らばり、一個人として生活するようになった組合員は、これまでのように連携を保ち、各自の新しい人生を実りあるものにすることと、何かの形でより良い社会に貢献することを目指し、多数のものが「日航労組OB・OG会」に結集しています。
日航労組はその後も屈せず元気に戦い続け、多くの新しい組合員を迎え入れ現在も意気高く活動を行っていますが、6,70年代に活動した組合員は順次停年などにより職場を去る時期となっています。
北は北海道から南は沖縄まで全国各地に散らばり、一個人として生活するようになった組合員は、これまでのように連携を保ち、各自の新しい人生を実りあるものにすることと、何かの形でより良い社会に貢献することを目指し、多数のものが「日航労組OB・OG会」に結集しています。