樹業人~風の通心

持続可能な社会や森林・建築・木製品について、気ままに こそっと考える為のネタ帳です。

備えて、動いて、発信して 仕掛ける 1

2012-03-20 | ひとり言

書きたい事は山ほどあれど どれも そう簡単には文章に出来ないことばかり。

そっこん、忘れないうちに 昨日 多賀町商工会で講演をして頂いた 仮設の南三陸さんさん商店街を立ち上げに尽力されている (株)ヤマウチ社長 山内正文のお話をメモとして残しておこうと思います。自分用なので 書きなぐりますが 自分の心だけにとめておくのはもったいないので 読みたい方は 読みにくいと思うけれど 読んで下さい。

メディアに取り上げられた地域や店に支援が偏るという話を聞きます。
しかし、私がほんの少しだけれどかかわってきた 住田町の木造仮設住宅も 石巻の木の屋石巻水産さんも 南三陸の千葉のり店さんからご紹介して頂いた 今回の山内社長との出会いも すべて個人的な人のつながりでした。

そして、共通するのは 皆さん 震災前から積極的に活動されていた事、震災直後から復旧ではなく復興を視野に入れ 早々に動いて発信されていた事、そして 今も仕掛けをつくり続けておられる事です。ほんと、もう少し共通する所をうまく表現したいけど 今は無理w

でも、御商売をされている木の屋さんもヤマウチさんも お父さんの世代が地域の為に動き、息子さんが自社も含めて情報発信をするという すばらしい連携が出来ています。


10時に米原に着かれて 長浜、彦根から多賀へ たまたま本社にいた時に到着されて パチリ☆ すごい存在感。父は、1時に到着されると思っていたらしく あわてて迎えに出たようで 普段着で髪のセットもしないまま(笑)


商工会の方が対象の講演だったのだけど もっとたくさんの方に聞いて頂きたいお話でした。



最初、ご自身も津波で大変な目にあわれ、地域の為に走り回っておられるのに ボーっと日々を過ごしている私たちに対して とても丁寧にお礼を言って頂き とても 心が痛くなりました。もう、頭など下げないで欲しいと・・・。ほんと、さして何もできていない事を申し訳ないと思いました。

まず、震災が起こった時の行動を話して下さいました。

地元メディアの取材を受けられていた時に揺れたそうです。そこから、何箇所かある店や工場事務所を自転車で回られ、もう一度巡回し、津波を見物していた社員を避難させ、事務所に大切なものを取りに戻り・・・・と お話だけでも 相当な時間の経過と思いきや「ちょうど20分」と 言いきられました。以前にも津波を経験されていて、南三陸沖の場合の津波の到達時間に合わせ、50回以上 シュミレーションしてきたとの事。そして、高台に逃げる時間も入れて 30分と。さすがです。リスクマネージメントの大切を思い知りました。

その後、従業員の方のお譲さんが撮られたという高台にある中学校からの 志津川を逆流してくる津波の映像を見せて頂きました。奥まで到達するのに10分と言われ 確かに時間そうかもしれませんが、リアルな説明を聞きながらでしたので とても長く感じました。
たまに、音声が入ります。ビデオを無言で撮っている娘さんの声。自分にも言い聞かせるように「これは、現実だから」と。
次の日が、中学の卒業式で中学生は学校にいて でも体育館に集められ 津波は見せないようにしていたとの事。その日は、子供たちは体育館。住民は各教室で マットやカーテンなどを利用して一夜を過ごし、次の日には 既に「自治会」をつくったとの事でした。
ご存じのように 役場は機能していない中で 各班のリーダーは商店街の人、副はPTAの人。
そして、朝夕ミーティング。

ここがすごいなと思うのが、どうして商店街の人がリーダーなのかって 町の人の顔を知っていてどこの誰かがわかるからとの事。そう、私が小さい頃は そうだったかもしれないけれど 今は大型の店が出来て 私たちの町では そんな交流はなくなっている気がする。
なお且つ、商店街で毎年 何回も色々なイベントをされてきたそうで 連携も出来ていたのだろう。ここは、ちよっと 考えておいた方がいいかも。町の規模にもよるしね。

最初は、山間の村から届けられたおにぎりを2~3人で一個たべ お米を持ちだしてきたお母さんもいて それを 家庭科の教室で調理し そうこうしているうちに 魚を満杯つんだトラックが近くのアリーナに避難している事がわかり 長丁場を覚悟して それを分け合いしのいだとの事。

ちょうど、その中学が高速から降りて一番最初の避難所にらしく 又 トラックも確保してあったので 他の避難所へ物資を配る拠点にされたそうだ。
ここでの学び1  避難所への物資は 人数分より多めに渡す。しかも 細かく数えない。時間がかかるだけ。公務員でなくて よかったとの事(笑) 多めに渡せば文句は出ないという いかにも商売人さんらしい采配だこと。

そのうちに、それまでネットワークのあった商店街から物資が届き始めたとの事。

それが 「全国ぼうさい朝市ネットワーク」
あれ、見てびっくり。kikitoも取り組んだ 「地方の元気再生事業」の取組みだったのね。
今回の大震災では、山形県酒田市の中通り商店街を「隣」と位置づけ、酒田市に全国からの救援物資や義援金を集中して、酒田市から南三陸町へトラックを派遣する方法をとられたとの事。ほんと 酒田市の中通り商店街の皆さまはがんばって下さったそうです。
でも、確かに遠い。 すごく、可能性を感じる取組みなので ぜひ もっと全国に広げて行って頂けるといいなぁと 思った次第です。
「震災疎開パッケージ」というのもあるそうです。

いや、このバージョンで 木造仮設住宅もやれるではないかと・・・。
色んな案が 頭を駆け巡ってきました。むふっ。

そして、いよいよ 4月29日に 売るものも資金も設備もない中で開催された「福興市」についての話になります。これには、もう少し 先でよいではないかとか 田植えがすんでからにしようよという話が出たそうですが そこで 後押しをされたのが たぶん 阪神大震災の神戸長田町の商店街の方だったのではないでしょうか。

こちらに 記事が。

とにかく 商売の「のろし」をあげないとと しかも どこよりも先に と 背中を押してもらわれたそうだ。 最初 南三陸から参加されたのは 1軒だけ。後は 全国の商店街から人もテントも持ってこられて行われたそうです。お客様も お金がないので 地域通貨のタコ券(?)で・・・。

気持ちがどん底の中でも これをきっかけに 少しずつ 南三陸の商店街の人も変わっていったし 町民の方も自分で選んでものを買ったり 何より 人が集まることで 安否確認の場所になったそうだ。 地域の商店の役割 存在意味を見つけられたのではと。

私ごとですが、弊社も火事や雪、水害で工場がひどい事になった事が数度あり やはり喪失感というのがあるのだけれど 前回の時に すぐに 家族みんなで 古民家を改装してレストランをというお客様のところに( ちよっと違ったかも)営業もかねて食事に行った事を思い出しました。結局、とんでも系なことにはなったし、何を言い出すんだ父ちゃんは!!! と思ったけれど それでも 無理してでも 「動く」ことが 次の一歩につながるという事を学んだことを「のろし」の話を聞いて思い出ました。

やっと 半分。でも 今日は これくらいで。続きは、また。

ふぅ 明日は 久しぶりのフルのお休みです。うれしぃー。 

 


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1 コメント

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いいねえ (炭作)
2012-03-22 19:16:41
相変わらずでいいねえ。
こっちは毎日、炭やきの準備です。原木の太いやつはこの前ユニックで運んだので、枝とか、上木の細いやつとか、現場で1本づつ刻んで、紐で縛って、軽トラまで運んで、山のように積んで、仕事場まで運ぶ。全部独り。気持ちいいくらい孤独な作業。幸せ~
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