最近 森林環境についてとか 地元の木の流通についてとか ざっくりとした企業と「環境」についてとか 色々な集まりに出かける事が多くなった。
その度に 森林と人が遠くなった事を思い知らされる。
私自身も、建築を中心に仕事をしていたので 実際に数年前に自社で伐採を始める前は 山や森林は ただの風景だった。
80年以上前に 祖父が製材業から始めた会社なので もちろん「木材」は小さな頃から見ていた。
市場から 仕入れたり 素材業者さんが運んできたりするので 丸太の場合もまっとうな木だったし
そもそも ごく最近まで 既に四角く製材された製品や 更には 一軒丸ごと パカパカッと組み立てられるように「プレカット」といって 加工済みの木材を発注して 自社の工場は通過しないで 直接建築現場に納入するという事がほとんどだった。今でも 半分以上は そんな感じである。
伐採を始めたという事は この図で行くと 山主さんから樹を買ったり お施主さん自身の山の木を伐採して 製材を自分の所でして 建てるという とても「流通カット」が出来るシステムが出来上がった事になる。
が これは とんでもない事に手を出してしまったかなーと思う時がある。
例えば、樹を買う時は 生えている状態で判断するので中身は見られない。
おおよその検討はつけているらしいけれど ざっくり中に穴が空いていたり
後から 虫がウジョウジョ出てきたり…。
何にもいかせない樹もそのままにしておく訳にはいかないので伐採して持ち帰らなくてはならない。枝を払って 持って帰れる長さに伐って…。
枝の始末だけでも たいへーん。
先の方は、枝がいっぱい付いているので 節だらけだし。
「樹を活かす」のが モットーなので 炭にして建築させて頂いく家の床下の敷炭にしているけれど コストを考えれば「やってられない」かもしれない。
ロス率なんて 真っ当に計算したら とてもやってられる商売ではない。
普通の日本のどこにでもある これからは特に手入れされていない森林を活用していかなければならない事を思うと「いや ほんと バクチだわぁ」と気がついた今日この頃です。
しつこいけど 森林複合汚染の影響も 今後 心配だし。
ほとんどの方は 生えている「樹」と 製品になった「木材」しか目にされないので 森林保全だとか 安くしろだとか言われけど 「樹」から「木材」にする過程というのは、年々状況が悪化している。
製材所も 最近はプレカット工場すら 少なくなってきている。
そろそろ 国産材の出番だというのに…。
流通をカットしても 活かせるものは活かしても 人件費をへずっても 実は それでも大変なんですよぉ。
すぐに 大型設備を導入して システム化してコストダウンという話になるけれど 皆さんの税金を投入してもらっている所でさえ まともな経営はなりたっていないのではと思う。(失敗したという話もよく聞くし…)
設備にお金をかけすぎると 全国にわれ先に大量に売らなければならなくなる。
日本全体の持続ある森林の事を思えば そのやり方は いかがなものかと思う。
公的な お金が投入されて 回転する為に薄利多売で 市場価格を下げてあげくにつぶれてでは真っ当に商売しているものは たまったものではない。
又 公社などから大量に出された木材が 市場価格を下げる事もある。
買う立場でもあり 売る立場にもなる わが社は複雑だけど 風がふけば桶屋が儲かるの逆バージョンで 税金の使い方が悪循環を呼んでいる気さえする。
近くの森林の成長量に合わせて使い 足りない分やないものは 他の流域からわけてもらうというスタンスで守らないと その土地の自然は守れない。
ちょうど わが社は 川上と川下を結ぶ仕事でもあり、それぞれの立場の当事者でもある。
川下の要求を林業の人に押し付けるだけでなく 川上の「事件は、会議室で起こっているんじゃない」という声なき声を伝え 流通過程のそれぞれの大変さや「理由」をお伝えして 持続ある日本の森林資源の循環をしていくには どうすればよいかという事を考えて頂く為の情報を伝える事も 大切な私たちの仕事かもしれない。
簡単な話が、森林を手入れする労働に見合った資金が 山を守っている人に還元できる消費者価格になればいいのですけどね。
森林を守れない国は 滅びていくというのは 歴史が証明していてくれるのに いつまで のほほーんとしているのでしょうねぇ。
そろそろ 政治家の英断が必要な時期だと思うのですが いかがなものでしょ。
ガソリンも上がって、木材まで値上がりして 輸入材が入らなくなると 建築業は大変になるし 日本の景気は悪くなって 政権交代と言われるでしょうが
それでも まだ 日本の体力があるうちに手をうたないと 突然 ガクッときちゃうような気がするんですが…。
世界に誇れる森林大国なのに 森林がある事が当たり前すぎるのでしょうか。
その度に 森林と人が遠くなった事を思い知らされる。
私自身も、建築を中心に仕事をしていたので 実際に数年前に自社で伐採を始める前は 山や森林は ただの風景だった。
80年以上前に 祖父が製材業から始めた会社なので もちろん「木材」は小さな頃から見ていた。
市場から 仕入れたり 素材業者さんが運んできたりするので 丸太の場合もまっとうな木だったし
そもそも ごく最近まで 既に四角く製材された製品や 更には 一軒丸ごと パカパカッと組み立てられるように「プレカット」といって 加工済みの木材を発注して 自社の工場は通過しないで 直接建築現場に納入するという事がほとんどだった。今でも 半分以上は そんな感じである。
伐採を始めたという事は この図で行くと 山主さんから樹を買ったり お施主さん自身の山の木を伐採して 製材を自分の所でして 建てるという とても「流通カット」が出来るシステムが出来上がった事になる。
が これは とんでもない事に手を出してしまったかなーと思う時がある。
例えば、樹を買う時は 生えている状態で判断するので中身は見られない。
おおよその検討はつけているらしいけれど ざっくり中に穴が空いていたり
後から 虫がウジョウジョ出てきたり…。
何にもいかせない樹もそのままにしておく訳にはいかないので伐採して持ち帰らなくてはならない。枝を払って 持って帰れる長さに伐って…。
枝の始末だけでも たいへーん。
先の方は、枝がいっぱい付いているので 節だらけだし。
「樹を活かす」のが モットーなので 炭にして建築させて頂いく家の床下の敷炭にしているけれど コストを考えれば「やってられない」かもしれない。
ロス率なんて 真っ当に計算したら とてもやってられる商売ではない。
普通の日本のどこにでもある これからは特に手入れされていない森林を活用していかなければならない事を思うと「いや ほんと バクチだわぁ」と気がついた今日この頃です。
しつこいけど 森林複合汚染の影響も 今後 心配だし。
ほとんどの方は 生えている「樹」と 製品になった「木材」しか目にされないので 森林保全だとか 安くしろだとか言われけど 「樹」から「木材」にする過程というのは、年々状況が悪化している。
製材所も 最近はプレカット工場すら 少なくなってきている。
そろそろ 国産材の出番だというのに…。
流通をカットしても 活かせるものは活かしても 人件費をへずっても 実は それでも大変なんですよぉ。
すぐに 大型設備を導入して システム化してコストダウンという話になるけれど 皆さんの税金を投入してもらっている所でさえ まともな経営はなりたっていないのではと思う。(失敗したという話もよく聞くし…)
設備にお金をかけすぎると 全国にわれ先に大量に売らなければならなくなる。
日本全体の持続ある森林の事を思えば そのやり方は いかがなものかと思う。
公的な お金が投入されて 回転する為に薄利多売で 市場価格を下げてあげくにつぶれてでは真っ当に商売しているものは たまったものではない。
又 公社などから大量に出された木材が 市場価格を下げる事もある。
買う立場でもあり 売る立場にもなる わが社は複雑だけど 風がふけば桶屋が儲かるの逆バージョンで 税金の使い方が悪循環を呼んでいる気さえする。
近くの森林の成長量に合わせて使い 足りない分やないものは 他の流域からわけてもらうというスタンスで守らないと その土地の自然は守れない。
ちょうど わが社は 川上と川下を結ぶ仕事でもあり、それぞれの立場の当事者でもある。
川下の要求を林業の人に押し付けるだけでなく 川上の「事件は、会議室で起こっているんじゃない」という声なき声を伝え 流通過程のそれぞれの大変さや「理由」をお伝えして 持続ある日本の森林資源の循環をしていくには どうすればよいかという事を考えて頂く為の情報を伝える事も 大切な私たちの仕事かもしれない。
簡単な話が、森林を手入れする労働に見合った資金が 山を守っている人に還元できる消費者価格になればいいのですけどね。
森林を守れない国は 滅びていくというのは 歴史が証明していてくれるのに いつまで のほほーんとしているのでしょうねぇ。
そろそろ 政治家の英断が必要な時期だと思うのですが いかがなものでしょ。
ガソリンも上がって、木材まで値上がりして 輸入材が入らなくなると 建築業は大変になるし 日本の景気は悪くなって 政権交代と言われるでしょうが
それでも まだ 日本の体力があるうちに手をうたないと 突然 ガクッときちゃうような気がするんですが…。
世界に誇れる森林大国なのに 森林がある事が当たり前すぎるのでしょうか。
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