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JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

誰が為の幸せ?

2010年03月01日 19時06分17秒 | in the forest
伝えたい気持ちはあるのに、うまく言葉にならない。

でも伝えなきゃいけない。そんな状況に直面した。

結果は決して悪くはなく、望んでいた方向へ進んだものの、

激しい感情の衝突で身も心もぐったり。

自分を貫くには労力がいる。そうして疲れる…



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祈り

2009年12月02日 17時22分53秒 | in the forest
心穏やかに落ち着いてエッセイを書きたい。

ただ、それだけのことが・・・できない。

心のアンテナは、半分閉じたまま。

吸収することも、ままならない。

好きなモノを、何のてらいも迷いもなく

がむしゃらに追いかけられた、あの頃と

何が違うのだろう。

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ごくありふれた日記

2008年11月03日 02時41分00秒 | in the forest
 得意としていたテレビ番組評が書けなくなった。もう随分まともに向き合っていない。あんなに大好きだったドラマも、たかじんさんの番組も、ロクに見なくなっている。それでも時折、心を惹かれるドラマに出くわす。前クールの『四つの嘘』がそうだった。たった一つ、楽しみにしていた作品。それさえも夫は目の敵にし、CM予告を見ようものなら、「くだらんドラマ」と吐き捨てるようにつぶやいた。

 私は軽くため息をつく。放っておいてほしい。人が何に夢中になろうと、心の世界へまで介入してほしくない。この日記だって、どうせ見てるんでしょ?ブービートラップ、仕掛けとくね。

 うさぎ道まっしぐら。魅惑的に見えるにはどうしたらいいの?自分を研究し尽くした。買い物先で、ターミネーターのごとく服をサーチ。”人間の本質は、そんな所にない”という言葉が虚しく響く。はーん?そうおっしゃいますけどね、そんなものにでもしがみついていなければ、私は壊れるの。内面・本質、誰がわかるって言うの。

 ネタの為なら何でもやる。困ったお姉さんだと思っていたけれど、今誰より、中村うさぎさんの気持ちを理解できる、そんな心境。自分に自信、持てないんじゃないかな。その行動だけで決め付けるのは不謹慎なので、彼女の作品を手にとってみよう。

 『嫌われ松子の一生』を再読。彼女はね、認めて欲しかったのだと思う。父親を始めとする、好きだった男たちに。そのほとんどは、彼女へ屈折した愛を注いでいる。それが、どんなに彼女を傷つけてきたか。確かに自暴自棄かもしれない。それでも私は、そうなる彼女をわらえない。軽蔑もできない。彼女の人生を二度までも狂わせた男が、こんな自分を許し続けてくれた彼女は神だったかもしれないと思い当たる。ふざけるな!神な訳ないでしょう。人間だから彼女は苦しみ、そうして心を閉ざしてしまったんじゃないの。

 エッセイを書いてるうち、ふと東野圭吾の『白夜行』を、読み返したくなった。あのヒロインの感情-確か直接的には描かれていないと言う話だが-を追ってみたい。主人公の男性との哀しい結びつき、ある意味憧れだなぁ。中島みゆきの『空と君のあいだに』を思い出すよ。”空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる” この歌を聴くとね、泣き出したくなるの。私はそんな男性を、求めているのかもしれない。さぁ、このページから、みんなとっとと逃げ出すよ♪そして誰もいなくなった・・・ぷっ。

 止まっていた私の時間が、徐々に動き出そうとしている。一つ一つ、向き合えるもの、増やしていこうとしているけれど、まだ一進一退といった所かな。私ね、ある仕事をしているの。その業務に関わることで、しんどい思いをすることがある。責任の追及に絡むと、時間と労力、それに気も遣うのよ。結果、努力報われ嬉しくなる時もあれば、不当な嫌がらせの末、実害を被ることも。自転車の空気抜かれるわ、タイヤ傷つけられるわ、後のシート汚されるわ、今度は何をするんじゃ、バンビーノって感じ。先日は、重い荷物を前カゴに載せた途端、ガッターン、バランス崩して中の荷物が駐輪場へ散乱した。ふぅ~前カゴの留め付け金具、外されてるやん。

 私になら、何をしてもいいと思っているのかな・・・。こう感じたことは、今回だけじゃないけどね。まっこんな状態ですワ。という訳で、ありふれた愚痴日記でした~。

 https://www.youtube.com/watch?v=kTAs3mnDXOI


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慟哭

2008年07月21日 12時20分00秒 | in the forest
大の大人が、声を放って泣ける場所は、どこにあるのだろう。

ここでないことは確か

誰かに読まれるのを想定して書いている以上、100%の真実なんて出せないから

それでも私は、魂を救う為に、書き続けている。

自分の為に、書き続けている。

好きだった人との恋バナは、険しい山のよう。

幾度も道を変え、登ろうとしては、途中で挫け

膝をつき

しゃがみこみ

すべてを解き放ってしまいたいと思うけれど、

脳裏をよぎる立場や存在に絡め取られてしまう。

たまに叫び出したくなる時がある。

こんな私ばかりじゃない!

すべてを内に秘め、

今日もまた、可愛くない女、愚かな女を演じるのだろうか。

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アイム・イン・ブルー

2008年03月28日 12時32分00秒 | in the forest
 この日記は、近いうちに削除しようと思っています。いつもみたいに少し・・・また少し・・・愛情を積み上げるように書いていないし、何より後ろ向きなので。オチもありません。為にもなりません。それでもよければ読んでください。

 学生時代から書くことが好きでした。最初は、友人たちとリレー小説。その後は、テレビドラマに題材をとったパロディー小説。大層なもんちゃいますよ。所謂腐女子の世界です。男の集団が出てくる刑事モノなんか格好のネタでね、そこに倒錯愛を見つけて妄想を繰り広げるの。うしし。女子校の一部には、こうした世界へ興味を示す乙女たちがおりまして。彼女たちの欲望を満たすべく?小さな努力を重ねておりました・・・と、人の所為にしておりますが、本当は自分が書きたかった、それだけの話。

 大学では、そうした趣味の世界が高じまして、文芸部へ所属していました。さすがにこうした場所には、その筋のスキモノが集まるのねぇ。お気楽な私は、底辺でゆらゆら。読書会では、フランソワーズ・サガン(『 悲しみよこんにちは』)なんかについて語るの。おフランスの作家など知らんちゅーねん。ああいう場で取り上げる作品には、なじめんかったなぁ。他校とも、一戦交えたりするんですよ。どうせ交えるなら、他のことで交えたい。後輩には、才能あふるる人材が何人かおりましてね、書くものでも話の内容でも、先をいってました。宴席で、ある後輩が江戸川乱歩について語っていたんですよ。話を継いでいたら、「先輩が仰ってるのは江戸川乱歩。私たちが話しているのはエドガー・アラン・ポー」なんて返された。アチャー!この頃から赤っ恥人生を歩んでいたのですね。尤も江戸川乱歩というペンネームは、推理小説の祖、ポーをもじったものだそうだから、大きく外れていた訳ではないんですよと、言い訳しておこう。

 エッセイを書き出したのは、この頃。イタい短編小説に手を染めたものの、すぐにダメだと悟りました・・・。全くの絵空事を膨らませていく力はないの。だから今書いているのも、事実を基にした形式です。特殊な経験もしているので、「本当なの?」とよく聞かれるのですが、80%はそうだと解釈してください。あとの20%は~ ぐふふ、思い込みもあれば、勘違いもあるでしょう。それに、あくまで私の目線ですから。ちなみに私のお家芸は、早とちり。思い込みに、勘違いに、早とちり。散々だな。ああ道理で!と頷いた方、何人かいらっしゃいますね。間違いない。この要素で恋が始まり、そして終わるんです。 苦笑。(← 太宰治を気取ってみた)自分を道化にするのはやめよう。もう疲れた。ナルシストという訳ではないけれど、私は自分が好きでした。スットコドッコイな所もひっくるめて。よく言われているでしょう?明石家さんまが、自分の出演番組を見ながらケラケラ笑ってるって。あの気持ちわかるなぁ。一緒だもの。常に自分が一番の観客なの。今もこのエッセイ読み返して笑ってるよ。キモい!悪かったね。

 そんな能天気女が、ある時から自信を持てなくなりました。折りしも、ある小説でこんな一文と出会ったんです。”愛される資格があれば生きるのも、また充分に資格ありとす”負けちゃだめですよ、あなたはまだ、人を惑わすだけのものを持っているのですから・・・かわいい部下が泣いてくれるのよ。(リストラされた課長と、彼をこっそり慕い続けていた女子社員の話なのです)思わずネタ帳にメモりましたねぇ。自分の存在を否定されるのは、そんな自分と向き合うのは辛いけれど、認めてくれる人がいたら救われる。そういう人を、大切にせなアカンね・・・。往々にして忘れがちになるの。それでも愛してくれる人がいることを。いや、そうじゃないか。自信がぐらついてるから、折角の支持も一時的な気休めにしかならない。心がほっこりして、「ありがとう!」って思って、先へ進みかけたのも束の間、また言いようのない感情が襲ってくる。その繰り返し。

 そんな中、「やっぱり、じんちゃんが元気だと嬉しいわ♪」と言ってくれたお仲間さんがいました。’痛快’’熱血’ じんちゃんが行く!山田詠美のようにはいかないよぅ。まだまだ不惑の境地にはなれず、依然悩みまくりまくり。それでも彼女の一言はありがたく、そんな言葉をかけてもらえるに至った継続というのも、捨てたもんやないなぁと。コツコツ続けていくのは、決して容易くない。調子のいい時ばかりじゃなく、すべてを投げ出したくなることだって。それでもひょっこり、思いも寄らない小さな幸せや満足感を連れてくることがある。だから私は、書くこともCafeも、辞められないんだろうな。前向きでいることは難しい。それでも信じ続けること。それでも愛し続けること。一度ついた臆病虫、簡単に去ってくれません。だからといって、殻の中にいても変わらない。それを破るのは自分自身。縛りを解くのも。

 最近こんな風に思うのです。Cafeは世の中の縮図だと。仮想世界というけれど、その空間を作り上げているのは生身の人間。本質的な部分は変わらないんじゃないかな。多少違ったキャラを演じていても、行動パターンはそうそう変えられるものではないから・・・。’Cafe侮るべからず’と感じておりますヨ。(ここでの行状、ちゃ~んと?現実世界へも反映してくるのだ)

 愛し方を間違っているのだろうか、係わり方を間違っているのだろうか、悩めることもありますが、ここに留まりますネ。うるさい存在、目の上のたんこぶ、一人はおらな。(爆)

 なんか元気でてきた。やっぱり削除はやめよう。最後までお付き合いくださってありがとう♪ 

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