隊員NO.3せりかで~す(^_^)v
12月11日(火)の課題研究の時間に、「加賀の一向一揆」について勉強しました。
講師の先生は、11月20日に引き続き、庄町にある因乗寺のご住職・家山勉先生でした。
家山先生は、今回もわたしたち高校生の目線に立って、とってもやさしくお話しをして下さって、
たのしく勉強することができました。家山先生、本当にありがとうございました。
わたしたちが住む加賀市は浄土真宗がとてもさかんな土地柄で、日常生活の中にもそのことが
感じられます。隊員NO.6ち~ろの家では、毎朝仏壇に、ご飯を盛った仏供(ぶっぐ)をお供えするのが、
お父さんの日課になっています。また、そのほかの隊員の家でも、おじいちゃんやおばあちゃんが
「南無阿弥陀仏」と仏壇の前で唱える姿を毎日見ています。今回わたしたちが「加賀の一向一揆」について
調べてみようと思った理由は、そのようなわたしたち加賀市に住む者にとってあたりまえの
真宗の風景がどこから生まれたのかを知ることでした。
前回、家山先生から1488(長享2)年に加賀の百姓たちが、守護大名の富樫政親を倒して、
加賀の国に「百姓の持ちたる国」が誕生したことをお話しいただきました。
ですから今回わたしたちは、蓮如の教えがこれほどまでに加賀の人びとの心をとらえていった理由とは何か、
「百姓の持ちたる国」が約100年もの長きにわたって続いたのはなぜかということや、
その100年の間に今の加賀市でどんなことがあったのかを調べてみたいと思いました。
家山先生はおっしゃいました。「菅谷の徳性寺に行くと、蓮如ゆかりの品々がたくさんあります。それらを見れば、
蓮如がどのようにして加賀の人たちに自信を与え、「百姓の持ちたる国」がずっと続いたわけが分かると
思いますよ。」そして「16世紀の前半に百姓の持ちたる国はピークを迎えますが、1530年ころ大きな混乱が
起きます。その当時の出来事を加州三か寺の一つ・山田光教寺跡に行って調べてみましょう。」
わたしたちは事前研修として三木地区会館で家山先生から30分ほどお話をしていただいた後、
山中町菅谷にある徳性寺と山田町西山田の光闡坊 (こうせんぼう)に出かけることになりました。
さて、「百姓の持ちたる国」って、どんな国だったのでしょうか?
(おまけ)
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