隊員NO.5あやかで~す(^_^;)/
10月11日(木)の加賀市観光ボランティア大学第13回講座 「『奥の細道』-芭蕉と山中温泉-」で、
わたしたち受講生に思わぬプレゼントがありました。
そのプレゼントとは、1943(昭和18)年11月18~19日に山中温泉吉野屋で行われた句会にかんする史料で、
ボランティア大学の世話人をしていただいている山口丁三さんがご紹介くださったものです。
一つは、この吉野屋での句会でうたわれた句をまとめた高浜虚子直筆の書です。
高浜虚子(たかはまきょし、1874~1959年)は、明治・昭和期の俳人・小説家でホトトギスの理念となる
「客観写生」「花鳥諷詠(ふうえい)」を提唱したことで知られます。この日虚子は、芭蕉250回忌の行事出席のため、
関西に行く途上、山中温泉に立ち寄ったのです。句会が行われた日の山中温泉は、とっても寒かったようですが、
宿の前の山は一面紅葉し、その全山の紅葉の上に雪がさらさらと降っていて、大変に美しかったそうです。
そしてもう一つが、句会参加者の写真です。写真中央には高浜虚子がいます。そしてなんと虚子の名作『虹』の
ヒロインとして有名な森田愛子と彼女が深く愛した師・伊藤柏翆の姿もあるのです。
←「俳人伊藤柏翆と森田愛子」(福井県立図書館ホームページより)
森田愛子は1917年(大正6)年、福井県三国の豪商森田三郎右衛門と名妓田中よしの娘として生まれました。
福井県立三国高等女学校(現・三国高校)を経て、東京の実践女子専門学校へ進学します。女学校時代の同級生
によれば「愛子さんと東京で道を歩けば、通りすがるもの全てが振り返った」というほどの美人だったそうです。
結核を患った愛子は、鎌倉で療養生活に入りますが、鎌倉の地で、高浜虚子門下の伊藤柏翆と出会い、弟子入り
します。 高浜虚子が、美人聡明であったこの孫弟子を大変かわいがったことが世に知られています。
小説『虹』では、結核を患い、1947年(昭和22)年に31歳の若さで亡くなる森田愛子の姿を
高浜虚子が情感を込めて描写しています。
「虹の橋かゝりたらば渡りて鎌倉(=虚子の処)に行かん」といひし三国の愛子におくる
虹たちて忽(たちま)ち君の在る如し 虚子 (「君」はいとしい異性に対し使う語です)
愛子が亡くなる直前に虚子に送った電報の句
虹消えて既に無けれど在る如し 愛子
小説『虹』の中には、山中温泉吉野屋での愛子の様子もつづられています。
いま山中温泉には、昭和28年10月に建てられた高浜虚子の句碑が建っています。
秋水の音高まりて人を想ふ
この句は、すなわち遠く芭蕉を思い、近く森田愛子を思って詠んだ句です。
山口さんのプレゼントのおかげで、小説『虹』のこと、森田愛子のことがもっと知りたくなりました。