実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

松尾芭蕉と山中温泉・道明(どうめい)が淵

2013年10月18日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

加賀市観光ボランティア大学第13回講座 『奥の細道』-芭蕉と山中温泉-」で、

講師の西島明正先生から教えていただいたことをもとにレポートをつづけます。

松尾芭蕉山中温泉に滞在して3日目・1689(元禄2)年7月29日(新暦9月12日)の

ことです。芭蕉は、宿泊先の泉屋の当主・久米之助に、自分の俳号である「桃青」の

桃の一字を与えて桃妖(とうよう)」と名付けました。当時久米之助はまだ14歳でした

が、芭蕉はこの若き久米之助に、俳人としての大いなる可能性を見い出したのです。

そして、芭蕉は鶴仙渓の中でももっとも美しい場所の一つとされる

道明(どうめい)が淵において、次の句を詠みました。

   加賀山中桃妖に名をつけ給ひて

 桃の木の其葉ちらすな秋の風  芭蕉 『泊船集』

(今日から俳諧の道を歩もうとする若々しい桃妖よ、どうかそのすばらしい才能を

伸ばして大成してくれよ。)

芭蕉がこの句を詠んだ道明が淵には、昔から不思議な龍の伝説があります。

道明が淵の龍伝説

『ある長雨がおさまった日、一人の娘さんが、音を立て渦をまく濁流を見ていると、

巨大な龍が爪を逆立てながら現れ、娘さんを飲み込もうとしました。

そこに、一人の若者が立ちはだかり、龍の背中にまたがって、黄金の太刀で、

一瞬にして急所をつき、龍をおとなしくしてくれました。

命を救われた娘さんは、若者に「名前をお教えください」と尋ねました。

でも若者は「道明」とだけ名乗り、姿を消してしまいました。

娘さんは若者にどうかもう一度会いたいと毎日医王寺に行って、薬師如来に念じました。

すると道明の姿がかすかに現れました。娘が「あなたはどなた様ですか?」と聞くと、

「わたしは龍頭観音。龍とともに天に昇ります。わたしに会いたければ、薬師如来を

拝みなさい」と告げて姿を消しました。道明は龍頭観音だったのです。

村人たちはいつしかこの淵を「道明が淵」とよぶようになりました。』

現在道明が淵の上には「あやとりはし」という勅使河原宏氏デザインのとても

モダンな橋でかかっていて、橋の上から道明が淵を見下ろすことができます。そして

あやとりはし」から大聖寺川の上流の方をながめると、その川の流れが、まるで

龍が天に舞い昇っているかのようにみえるのです。また高さ30メートルもあり、

くねくねS字型に曲がりくねったあやとりはし」の上を歩くと、少し揺れて、まるで

龍の背中に乗ったような気分を味わえます。

いよいよ紅葉の季節が近づいてきました。みなさん、山中温泉においでの際は、

この龍伝説を思い出しながら、「あやとりはし」の上から、芭蕉さんも愛でたと

いう道明が淵の美しい景色をご鑑賞下さい!!

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