実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

「やまなかや 菊はたおらじ ゆのにほひ」

2013年10月17日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

加賀市観光ボランティア大学第13回講座 『奥の細道』-芭蕉と山中温泉-」で、

講師の西島明正先生から教えていただいたことをご紹介します。

 

松尾芭蕉山中温泉に到着したのは、1689(元禄2)年7月27日(新暦9月11日)

16時30分頃のことです。当時の山中温泉には、湯ざや(共浴場)の周りに42軒もの

宿舎がありました。芭蕉はその中でも湯ざやのすぐ近くにある湯本十二軒の一つ泉屋に

逗留しました。湯本とは、山中温泉草創から宿舎を営む旧家のことです。泉屋は、

現在の北國銀行山中支店の所にありました。今、そこには「芭蕉逗留泉屋の跡」の

石碑があります。

翌7月28日、芭蕉は、朝からゆっくりと湯につかって疲れを癒したのでしょう。

山中のお湯は昔から、「熱くもなく、ぬるくもない、やわらかでやさしいお湯だ」と

いわれています。すっかり長旅の疲れを癒した芭蕉は、夕方薬師堂(医王寺)や町辺を

歩いています。芭蕉はきっとにぎやかな山中温泉の町中を歩き、医王寺下の楊弓場

(ようきゅうじょう)山中漆器の木地挽き物を見物したことでしょうね。

この日、芭蕉は泉屋当主の久米之助に温泉頌(しょう)の懐紙を書き与え、山中温泉

すばらしさを讃えました。

温泉頌山中の句            石川県立美術館蔵

北海の磯づたひして、加州やまなかの湧湯に浴す。里人の曰(いわく)、

このところは扶桑三の名湯の、其一なりと。まことに浴することしばしばなれば、

皮肉うるほひ、筋骨に通りて、心神ゆるく、偏(ひとえ)に顔色をとどむるここちす。

彼桃源も舟をうしない、慈童が菊の枝折もしらず。

  やまなかや 菊はたおらじ ゆのにほひ   はせを

(日本海の磯づたいに旅して、今やっと山中の湯に浴している。地元の人が言うには、

山中の湯は、日本三名湯の一つであると。なるほど何度も浴していると、体の皮肉が

うるおい、筋骨まで湯がしみわたって、心はゆったりとくつろぎ、顔の色もつやを保つ

心地がする。極楽のような所であるから、わざわざ桃源郷へ行くための船を仕立てる

までもなく、またこの湯に入っていると寿命も延びるようで、中国の故事にある菊慈童は、

菊を手折ってその花の露を飲んで、長寿延命を保ったというが、その必要もない。)

どうでしょう。松尾芭蕉は、とっても気に入り、まるでここは桃源郷(理想郷)だとして、

山中の湯を最大限の賛辞でたたえたのです。喜びに満ちた芭蕉さんの顔が目に浮かぶ

ようですね!

(ブログ作成にあたっては、西島明正著『芭蕉と山中温泉』を参照させていただきました)

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