実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

5月の活動(9) もしわたしが浴衣娘(ゆかたべー)だったら

2012年05月30日 | 日記

隊員NO.6ちーろです\(^o^)/

 山中温泉の浴衣娘(ゆかたべー)のおはなしをします。

昔は今と違って山中温泉の旅館には内湯がなく、湯治客は全て湯座屋(今の総湯)へ行きました。

そして湯座屋には脱衣所がありませんでした。湯治客を送迎し、客が湯から上がるのを浴衣を

持って待つのが16才未満のかたべーの仕事でした。(べーとは石川県の方言で少女のことです。)

ゆかたべーは湯座屋で、自分のお客に間違えることなく浴衣を着せるのが自慢だったそうです。

ゆかたべーは16才を過ぎると、シシと呼ばれる湯治客相手の遊女になりました。


山中節の原型は、江戸時代後半に湯座屋で湯につかる若者とかたべーが湯座屋の壁越しに

掛け合った「湯座屋節」だといわれています。

このころ毎年冬になると山中温泉には、加賀の浜所である塩屋・瀬越・橋立から北前船船乗り衆が、

1年の仕事の疲れを癒すためにやってきました。きっと潮焼けした男気のある若い男性がたくさん

きたのでしょう。

船乗り衆が北前船でいった北海道で聞き覚えた松前や江差の追分をうたっているのを、かたべーがまね

しながらうたったのです。

山中節の一節に

「ゆかた肩にかけ 戸板にもたれ 足で呂の字を書くわいな」

があります。

雪降る冬の夜、思いを寄せる男性客が湯からあがるのを、何人ものかたべーがじっと寒さをこらえて

待っていました。”呂”とは江戸時代の隠語で「キス」を意味します。

「忘れしゃんすな 山中道を」には、「恋しいあなた、山中でいつまでもあなたを待っている

わたしのことを忘れないでね!」という

山中温泉のゆかたべーの恋心が込められていて、どこかとても悲しげです。

 

 

もしわたしが浴衣娘(ゆかたべー)だったら・・・。

 

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