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実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

大聖寺藩上屋敷はいまの東京大学にあった!!

2014年01月17日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

昨日のブログで、「大聖寺藩の参勤交代」についてお伝えしました。 

大聖寺藩の藩主や多くの藩士たちは、1年ごとに江戸で生活をしていたのですね。

江戸城の近くにあって、藩主やその家族が使っていた屋敷を「上屋敷」、少し郊外に

あって藩士が使っていたものを「中屋敷」、そして藩主の別邸であったり、資材の

搬入先として用いたものを「下屋敷」というそうです。そして大聖寺藩の上屋敷跡は

現在、東京大学医学部敷地になっているんです。ビックリですね!昨年3月と6月に、

顧問の先生が東京に行かれた機会に、その上屋敷跡や文京区千駄木あった

下屋敷跡の写真を撮ってきて下さいました。

今日は、東京に残る大聖寺藩の跡についてまとめましたので、よろしければ、

下のタイトルをクリックして、記事をお読み下さい。よろしくお願いします!!

「大聖寺藩上屋敷はいまの東京大学にあった!!」

(1)東京大学の中にある大聖寺藩上屋敷跡

(2)東京「板橋」と石川県の深~い縁

(3)旧大聖寺藩下屋敷跡地:東京「須藤公園」

(4)東京「須藤公園」(旧大聖寺藩下屋敷跡地)沿革

(5)東京谷中(やなか)に大田錦城のお墓があります!!

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「大聖寺藩の参勤交代」について

2014年01月16日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す星稜高校サッカー部準優勝オメデトウございます!!

課題研究のまとめについてレポートさせていただいてます。

今日は、郷土史家・山口隆治先生に教えていただいた「大聖寺藩の参勤交代

ついて整理してみました。大聖寺藩の参勤交代は、合計181回、おもに

信越廻り「下街道」を使って行われていたそうです。平均13泊14日の行程を

約270人もの人数で歩いていたなんて、とってもすごいことですよね!

もしよろしければ、下のタイトルをクリックして、記事をご覧下さい。

よろしくお願いします!!

「大聖寺藩の参勤交代」

(1)大聖寺藩の参勤交代

(2)大聖寺藩の歴史・参勤交代って何ですか?

(3)大聖寺藩の参勤交代には約3億円もかかりました!

(4)大聖寺藩の参勤交代・全部で181回行われました。

(5)大聖寺藩の参勤交代コースは北陸新幹線ルートとほぼ同じです。

(6)大聖寺藩の参勤交代・一日平均40kmも歩きました!!

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加賀国二之宮・菅生石部神社(大聖寺敷地)

2014年01月15日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す

1年間の課題研究のまとめをしています。

大聖寺の町について語る上で、「菅生石部神社」は欠かすことができません。

わたしたちは、菅生石部神社」で、7月の「天神講」で「蝶の舞」を、9月には、

能・敷地物狂(ものぐるい)」を鑑賞させていただきました。今度の2月には、

奇祭「御願神事(竹割祭り)」も行われます。

今日は、1400年以上の歴史をもつ菅生石部神社」についてまとめてみました。

よろしければ、タイトルをクリックして記事をお読み下さい。よろしくお願いします!

「菅生石部神社」

(1)菅生石部神社・いよいよ今日から「天神講」です!

(2)菅生石部神社には全国の斎藤さんの氏神様がいるんです!

(3)「蝶の舞」を見てきましたよ!!(菅生石部神社・天神講)

(4)菅生石部神社の文化財展(作見町・加賀市美術館)

(5)菅生石部神社・珠姫さまが心から崇敬されていました!!

(6)能『敷地物狂』・580年の時空を超えて復活!

(7)まんが「敷地物狂(しきじものぐるい)」は楽しいですよ!

(8)「敷地物狂」の整理券がとどきました!!

(9)感動しました!『敷地物狂』里帰り公演

(10)能「敷地物狂」の里帰りと「向去却来(こうこきゃくらい)」

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大聖寺藩いいとこつまみどり(2)

2014年01月14日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

この1年の課題研究のまとめをしています。今日は、昨日に引き続いて

大聖寺藩の歴史」についてまとめてみました。

加賀市の歴史や文化を考える上で、「大聖寺藩十万石」の歴史はすごく重要です。

だけど、わたしたちは意外とその重みに鈍感なのかもしれませんね!

今回は、加賀市観光ボランティア大学の講座で、伊林永幸先生や中矢進一先生から

教えていただいたことを整理してみました。よろしければ、下のタイトルをクリックして、

記事をご覧下さい。よろしくお願いします!!

(1)大聖寺藩の歴史を勉強しました!

(2)大聖寺の町っていつ頃できたのでしょう?

(3)「大聖寺城下町時代結婚式」とってもきれいでした!

(4)本当はお城をつくりたかった前田利直(大聖寺藩3代藩主)

(5)「生類憐れみの令」と大聖寺藩

(6)かつて「水害の町」だった大聖寺

(7)大聖寺藩・三河吉田橋の御手伝普請

(8)江戸時代って、農民にとってどんな時代だったのでしょうか?

(9)高持百姓と無高百姓のちがい

(10)大聖寺藩は前田利常の軍略から生まれた!!

(11)大聖寺藩主は「忠臣蔵」の吉良上野介と親戚でした!!

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大聖寺藩いいとこつまみどり(1)

2014年01月13日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

1年間の課題研究のまとめをしています。今日は、加賀市観光ボランティア大学

第2回講座大聖寺藩いいとこつまみどり」で、伊林永幸先生から教えていただいた

ことについて整理してみます。大聖寺町では、昨年6月『大聖寺町史』が発刊され、

町の皆さんの間には、「大聖寺歴史や文化を見つめ直そう!」という気運が

高まっているそうです。伊林永幸先生は大聖寺町史』編纂の中心となられた先生

です。今回は、昨年度の先輩が勉強してまとめた分について、お伝えします。

よろしければ、下のタイトルをクリックして、記事をご覧下さい!よろしくお願いします!

(1)大聖寺藩 いいとこ つまみどり

(2)『大聖寺藩士』は江戸時代『松飛様御家中』と呼ばれていました!

(3)城下町大聖寺の基礎をきずいた溝口秀勝

(4)山口玄蕃・大聖寺がこよなく愛する悲劇の城主

(5)大聖寺藩・新田開発と正徳の大一揆

(6)大聖寺・どんどん膨れあがった城下町

(7)大聖寺藩の十村制度

(8)大聖寺藩の危機・3代利直の時の出来事

(9)大聖寺藩・死んだ後、藩主になった13代利行(としみち)

(10)大聖寺・災害が忘れる前にやってきた江戸時代

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歴史のまち・大聖寺に雪が降りました!!

2014年01月12日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

わたしたちが通う実高がある「大聖寺(だいしょうじ)」のまちは、歴史と文化

の香りが漂うとてもすてきなところです。1月11日(土)の朝、「大聖寺」のまちに

雪が降りました。

1709(宝永6)年にできた「長流亭」。柿葺(こけらぶき)の屋根には、うっすらと

雪が積もりました。「江沼神社」の「ひさご池」や庭園もキレイでしょ!

大聖寺は、山の文学家・深田久弥のふるさとの町です。現在、番場町の「深田久弥・

山の文化館」では、『日本百名山写真コンテスト』の作品が飾られています。そして

生家は中町に今でも残っています。

十万石の城下町・大聖寺では、「馬場町」「鉄砲町」「弓町」など城下町ならでは

町名が使われ、町中のいたるところに真宗系の寺院の大きな屋根が見えます。

大聖寺の人びとが愛する「錦城山」には、かつて大聖寺城がありました。1600

(慶長5)年大聖寺の戦いでは、城主・山口玄蕃ら800人が最期を遂げました。

江戸時代、大聖寺藩邸があった現「錦城小学校」の前には、大正時代に

掘られた熊坂川が流れています。かわいいカモたちが元気に泳いでいました。

雪が積もった「山ノ下寺院群」はとっても美しい姿を見せてくれます。「宗寿寺」の

山門は、大聖寺藩の関所門として使われていたものです。庭には、とても不思議

形をした大きなスダジイの木が立っています。

1689(元禄2)年に『おくのほそ道』の松尾芭蕉が宿泊した「全昌寺」。五百羅漢は、

一体一体の顔かたちが違うとてもユニークなものです。1592(文禄元)年に出された

豊臣秀吉朱印状見学できます。 

そして大聖寺藩主の菩提寺である「実性院」。秋になると白いの花が咲き乱れる

参道は、雪で真っ白になっていました。 

 

十万石の城下町だった大聖寺は、歴史が香るすばらしい町です。ぜひ一度

じっくりと時間をかけて大聖寺のまちを散策してくださいね!

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最後の「加賀市観光ボランティア大学」でした!!

2014年01月11日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

 

1月9日(木)1930分から、大聖寺南町の加賀市民会館で今年度最後(19)の

加賀市観光ボランティア大学講座 加賀市の魅力を発信しよう!!-一年を振り返って-

が開かれました。実高ふれ愛隊からは、わたしとNO.2ゆきち、NO.6れいな、NO.7ゆっこ

の4人が参加しました。竹本学長をはじめボラ大世話人の皆さん、そして一年間いっしょに

勉強していただいた受講生の皆さん、本当にお世話になりました。

今回の講座では、最初にDVD「加賀市四季物語」を鑑賞して、今年一年間の活動を

振り返った後で、加賀市内で観光ガイドをされている計7つのボランティアガイド団体

皆さんから、それぞれの活動について、とてもわかりやすく紹介していただきました。

北前船の里資料館」解説ボランティアの呉藤満次さんには9月に橋立の、「山代ガイド

ヤタガラス」の加藤英二さんには7月に北大路魯山人についての先生になって

いただきました。そして「片山津うきうきガイド」の山口美幸さんや、「橋立さわやかガイド」の

宮本昭夫さんには課題研究の時間に先生になっていただきました。

講座の最後には、 受講生一人ひとりが、加賀市観光ボランティア大学で学んだことの

振り返りをしました。わたしたちにもマイクが回ってきて、4人がそれぞれ思い出に

残っていることを話しました。

NO.2ゆきちは、10月に山中温泉で、実高ふれ愛隊ガイド体験をさせていただき、

「あやとりはし」で龍頭観音の寸劇をした話をしました。NO.6れいなは、4月に瀬越

北前船主・大家家や鹿島の森を見学したこと(6月には課題研究の時間にアカテガニ

も見てきました!)、NO.7ゆっこは、6月に分校町チハカ山古墳ササユリを見た

こと、動橋丸八製茶場でおいしい「加賀棒茶」をいただいたことを話しました。

そしてわたしは、9月に「北前船の里資料館」を、呉藤満次さんのガイドで、とっても

楽しく見学したことや、「船を進めるのに3つのコンパスが必要だった」ということを

勉強した思い出についてお話しさせていただきました。

「1年間はあっという間でした!」「もっともっと加賀市のことが知りたい」という意見が

たくさんの受講生の皆さんから出てきましたよ。

わたしたち実高ふれ愛隊は、「加賀市大好き人間になろう!」を合い言葉に、

19回の講座に皆出席することができました。ボラ大の皆さん、やさしく接していただき、

ありがとうございました。本当に楽しく勉強ができました

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片山津温泉・「竜神と娘」のおはなし

2014年01月10日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

今日は片山津温泉のおはなしです。

          ↑浮御堂         ↑地下70mから湧き出る”源泉”

片山津温泉の歴史は、柴山潟からわき出た温泉を水と分ける苦難に満ちた

物語でもあります。そんな片山津温泉に、とっても不思議な伝説がありますので、

ご紹介します。

「片山津の伝説・竜神と娘」

柴山潟が今よりもずっと大きく、片山津の村がとても貧しかった時代のお話しです。

いつしか柴山潟にはとてもおそろしいおろちが棲むようになっていました。

夜中になると村人を襲ったり、近くの家を荒らすのもしばしばでした。

←屋形船から眺めた片山津温泉街の風景

困り果てた村人たちは「なんとか村をお守りください!」とお薬師さまにお参りをかさねた

のです。そんなある日、一人の大変美しい柴山潟のほとりに倒れているのが

見つかりました。村人たちはこの美しいを一生懸命に看病しましたが、不思議なことに、

そのの姿が夜になると見あたりません。はいつのまにか柴山潟のほとりに来ていた

のです。「あぶないっ。あんなところにいたら、おろちに食べられてしまう!」村人たちが

そう思った瞬間です。突然おろちが大きな口を開き、湖面から姿を現しました。

しかしは逃げることなく、手に持つ琵琶をかき鳴らし始めました。その音色はそれは

それはうっとりするもので、あの恐ろしいおろちの顔つきまでやさしくなったそうです。

そのときです。が大きな声でおろちにむかって叫びました。

「おまえは今、生まれ変わった。おまえは今日から竜神となって、片山津の村人を守れ!」

そう言うとは天へ、おろちは水中へと消え、二度と姿を現しませんでした。

その後、片山津には温泉が発見され、片山津は北陸屈指の温泉街へと発展しました。

柴山潟にある浮御堂と竜神像は、片山津の人々のへの感謝の印として建てられた

そうですよ。

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山代温泉・「太鼓の胴(タイコンド)」のおはなし

2014年01月09日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

今日は、山代温泉のおはなしです。

↑明治期の山代温泉総湯 ↑加賀國山代温泉所全図(明治34年)

山代温泉では、湯女(ゆな)のことを、「太鼓の胴(タイコンド)」とよびます。

そして、湯の曲輪のすぐ近くにある専光寺というお寺に湯女にまつわるとても悲しい

お話しが伝わっていますので、ご紹介します。

『太鼓の胴』

江戸時代の中頃、山代温泉専光寺幸蔵というイケメンの堂守がいました。

毎日暮れ四ツ(午後十時)と明け六ツ(午前四時)に時を告げるために、堂の太鼓

打つ仕事をしていました。そして当時の湯女の自由時間は暮れ四ツ(夜十時)から

明け六ツ(翌朝の四時)までと決められていました。

この堂守の幸蔵は「お光」という純情で可憐な湯女と恋に落ち、二人は暮れ四ツの

太鼓のあと、人目を忍んで、専光寺の四畳半の狭い太鼓の堂をデートの場所として

落ち逢うようになりました。若い二人にとって、そのひとときはとても幸せな時間だった

と思います。

ところが、お光が毎日の厳しい仕事と風邪がもとで床に伏すことになり、幸蔵のもとへ

行けなくなってしまいました。でも誰かに頼んでそのことを幸蔵に知らせるわけにも

いきません。そうとも知らず幸蔵は毎晩暮れ四ツの太鼓を打ち、お光が来るのを

待ちつづけました。しかし、お光は来てくれません。そして幸蔵お光と逢えない苦しさ

から、とうとう半狂乱となりました。

幸蔵はその日暮れ六ツ(午後六時)から、「お光!」「お光!」と名前を叫びながら、

止むことなく太鼓を打ち続けました。

そのころ、お光幸蔵の狂わしいまでに打ち響く太鼓の音を聞きながら、はかなくも

散っていったのです。お光の死を知らされた幸蔵は、この世に生きる希望を失い、

専光寺境内の古池にわが身を投げてお光の後を追いました。

この悲しいお話しは、山代温泉の人びとに語り継がれ、いつしか山代では湯女のことを

太鼓の堂」転じて太鼓の胴(タイコンド」と呼ぶようになったそうです。

←専光寺前の案内板←専光寺

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山中温泉・ゆかたべー(浴衣娘)のおはなし

2014年01月08日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す

今日は、山中温泉浴衣娘(ゆかたべー)のおはなしをお伝えします。

昔は今と違って山中温泉の旅館には内湯がありませんでした。山中温泉にやって

きて、湯座屋(今の総湯)のまわりの旅館に宿泊した湯治客はすべて湯座屋

行ったいいます。そして湯座屋には脱衣所がありませんでした。

そんな湯治客を送迎し、客が湯から上がるのを浴衣を持って待つのが16才未満の

少女・浴衣娘(ゆかたべー)の仕事でした。(「べー」とは石川県の方言で

「娘」のことです。)ゆかたべー湯座屋で、自分のお客に間違えることなく浴衣を

着せるのが自慢だったそうです。ゆかたべーは16才を過ぎると、獅子(シシ)

呼ばれる湯治客相手の遊女になりました。獅子とは「4×4=16(しし・じゅうろく)」

もじって名付けたもので、16才以上の大人の女性を意味します。

山中節」の原型は、江戸時代後半に湯座屋で湯につかる若者とかたべ

湯座屋越しに掛け合った湯座屋節」だといわれています。このころ毎年冬になると

山中温泉には、加賀の浜所である塩屋・瀬越・橋立から北前船船乗り衆が、1年の

仕事の疲れを癒すためにやってきました。きっと潮焼けした男気のある若い男性が

たくさんきたのでしょう。

船乗り衆が北前船でいった北海道で聞き覚えた松前や江差の追分をうたっているのを、

かたべーがまねしながらうたったのです。山中節の一節に、

「ゆかた肩にかけ 戸板にもたれ 足で呂の字を書くわいな」

があります。

雪降る冬の夜、思いを寄せる男性客が湯からあがるのを、ゆかたべーたちは下駄を

履いて、じっと寒さをこらえて待っていました。””とは江戸時代の隠語で「キス」を

意味します。

忘れしゃんすな 山中道を」には、「恋しいあなた、山中でいつまでもあなたを

待っているわたしのことを忘れないでね!」という山中温泉ゆかたべー

切ない恋心が込められているようで、どこかとても悲しげです。

もしわたしが浴衣娘(ゆかたべー)だったら・・・。」

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加賀市といえば、何といっても「温泉」ですよね!!

2014年01月07日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す今年もよろしくお願いしま~す!!

加賀市といったら 、何といっても「温泉」ですよね!「山中」・「山代」・「片山津」。

このお正月にも、きっとたくさんの方々が、癒しを求めていらっしゃったことでしょう。

温泉」はわたしたち加賀市民にとっての宝です。今日は実高ふれ愛隊の活動で、

わたしたちが発見した加賀市の3つの「温泉」の魅力についてまとめます。

◇山中温泉

「やまなかや菊はたおらじ湯のにほひ」

1689(元禄2)年に『奥の細道』で山中温泉を訪れた松尾芭蕉の句から、山中温泉

総湯を「菊の湯」といいます。大聖寺川の清流を楽しむことができる「鶴仙渓」、多くの

観光客の皆さんが町歩きを楽しまれる「ゆげ街道」、山中漆器の真髄が集められた

山中座」で味わう「山中節」。山中は「湯の花(=温泉)」「木の花(=山中漆器)」

「土の花(=九谷焼)」の情緒ただよう素晴らしい温泉地。昨年4月には「森光子一座

記念館」もオープンしました。

◇山代温泉

「山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九谷の青」

と、全国の温泉地をめぐった与謝野晶子も山代の湯を讃えました。山代温泉は、

伝説の三本足の霊長「ヤタガラス」の導きによって、725(神亀2)に開湯しました。

みなさん、「あいうえお」の五十音が、明覚上人によって、ここ山代で誕生したことを

ご存じですか?湯の曲輪(がわ)が、日本の温泉の原風景をもっともよく残し、

九谷焼再興の地である山代温泉。「古総湯」のお湯に、ゆっくりと浸かってみてください。

◇片山津温泉

片山津温泉の歴史は、水と湯を分ける戦いの歴史でもありました。1882(明治15)年6月、

大坂掘り」の名人・森仁平によって、片山津温泉は誕生しました。一昨年4月に、街湯」が

オープンし、柴山潟の美しい風景を眺めながら、温泉をゆったりと楽しむことができます。

夏に上がるデッカイ花火、冬の晴れた日に望む真っ白な白山の眺めが、片山津温泉

自慢です。「中谷宇吉郎雪の科学館」で「科学する心」を学んだ後は、「柴山潟クルーズ」・

晶子染め」体験などはいかがですか?

※明日のブログでは、加賀の温泉にまつわるおはなしをご紹介させていただきます。

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究極の美しさ・ふるさとの山「白山」

2014年01月06日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す今年もよろしくお願いしま~す!!

1月5日(日)は冬休み最後の日曜日でした。午前中はチラホラと雪も舞い降りて

いたのですが、午後からは素晴らしいお天気に恵まれました。そして夕方には、

南の方角にわたしたち加賀市民の心のよりどころ・真っ白な白山(標高2702m)

をとってもキレイに望むことができました。石川県だけでなく、福井・岐阜・富山など

いろんな所から白山は見えるのかもしれませんが、わたしは加賀市から見る

白山が一番だと思います。

大聖寺で生まれた『日本百名山』の作者・深田久弥(1903~71年)は、

加賀市から見る白山をとってもすてきな文章で紹介されています。

「日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近は

あっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そして

その山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その

山の姿は心に残っている。どんなに世相が変っても、その山

だけ昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。

私のふるさとの山は白山(はくさん)であった。白山は生家の

2階からも、小学校の門からも、鮒釣(ふなつ)りの川辺から

も、泳ぎに行く海岸の砂丘からも、つまり私の故郷の町の

どこからでも見えた。真正面に気高く美しく見えた。それは

名の通り一年半分は白い山であった。・・・

・・・その加賀平野でも、私のふるさとの町から眺めるのが

最上であることを、私は自信をもって誇ることができる。主峰の

御前(ごぜん)と大汝(おおなんじ)を均衡のとれた形で眺め

得るのみでなく、白山の持つ高さと拡がりを、最も確かに、

最も明らかに認め得るのは、私の町の附近からであった。・・・

・・・夕方、日本海に沈む太陽の余映を受けて、白山が薔薇色

(ばらいろ)に染まるひと時は、美しいものの究極であった。

みるみるうちに薄鼠に暮れて行くまでの、暫(しばら)くの間の

微妙な色彩の推移は、この世のものとは思われなかった。」

(『日本百名山』(深田久弥著、新潮社刊)より)

かつて、いまの加賀市には「白山五院」がありました。柏野寺・温泉寺・極楽寺・

小野坂寺・大聖寺というの五つお寺が、白山信仰がもっとも色濃く社会に反映

されたといわれる平安時代から室町時代、加賀江沼人びとの信仰の中心に

なっていました。そして今でも大聖寺の街並みは、まるで白山にお祈りを捧げる

ために作られたように、白山の頂に向かって何本もの道が一直線につけられて

います白山は文字通り「白い山」です。夕日で美しくバラ色に染まった白山は、

地元にいてもめったに見ることはできませんが、これまた幻想的です。

真っ白な白山を今年は何回みることができるでしょうか?

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初冬・地元加賀市をたくさん歩きました!!

2014年01月05日 | 日記

隊員NO.5いくので~す今年もよろしくお願いしま~す!

この1年間の課題研究について整理しながら、レポートさせていただきます!

今年の冬は寒い寒いといいながらも、まだ雪が少なくて一安心ですね。今日は、

わたしたちの11~12月に行った活動についてご紹介します!

11月5日の課題研究の時間、わたしたちは日本海が見たくなって、橋立漁港

尼御前岬を旅してきました。この日はズワイ蟹漁解禁の前日でした。

11月16日のボラ大では、わたしとNO.7ゆっこの二人で、「加賀の源平合戦」の

勉強をするために、首洗池実盛塚を訪問しました。斎藤別当実盛のお話って

とっても悲しいですね!

11月26日、瀬越町の「竹ノ浦館」で手づくりうどんを作りました。コシがあって、

もちもちしてて、とってもおいしかったです。

12月1日、第一回「加賀ふるさと検定」が行われました。今回、わたしたち

実高ふれ愛隊は問題作成に特別協力させていただきました。62人の合格者の

皆さん、オメデトウございました!

12月10日、小松市矢田野町のグループホームを訪問させていただきました。

家山勉先生から、今日に受け継がれる真宗の教えについて学ぶことができました。

12月21日、NO.2ゆきちとNO.3ゆかぴが、片野鴨池観察館に行きました。

レンジャーの櫻井さんや坂網猟師の池田さんにかわいいカモのことや「坂網猟

について教えていただきました!

この一年間、たくさんのみなさんにご協力いただいて、加賀市の魅力を

いっぱい知ることができました。本当にありがとうございました!

(つづく)

(お知らせ)実高ふれ愛隊プロデュース!

場所:アビオシティ加賀セントラルコート 協力:中谷宇吉郎雪の科学館

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秋・地元加賀市をたくさん歩きました!!

2014年01月04日 | 日記

隊員NO.4まこで~す今年もよろしくお願いしま~す!

1年間の課題研究のまとめについて、お伝えしています!

昨年秋、わたしたちはいくつもの体験学習にチャレンジして、加賀市の伝統工芸の

魅力を発見しました。今回は秋の活動についてご紹介します!

9月10日と17日の課題研究の時間に、大聖寺下屋敷の「らくやき工房翠雲窯」で、

らくやき体験をしました。ロクロを使って粘土をこねて、800度の窯でお皿やお碗を

作りました。荒木さん、ご指導ありがとうございました。

9月21日に、ボラ大で橋立町の「北前船の里資料館」を見学させていただきました。

秋の山崎通りやサマンダ通りで、加賀市の秋を感じました。

9月24日、天然記念物「栢野の大杉」を見てきました。「大杉茶屋」の草だんご、

とってもおいしかったですよ!

9月29日、大聖寺菅生石部神社で580年の時空を超えて、『敷地物狂』が上演され

ました。大聖寺って、能の町なんです。幽玄の世界が境内に広がっていました。

10月8日、大聖寺山ノ下寺院群にある蓮光寺で「大茶盛」体験をしました。ビックな

お茶碗にビックリ!NHK初代会長・岩原謙三のお墓も見学してきました。

10月19日、「山中温泉ガイド体験」の日です。わたしたちの活動の様子を石川テレビ

『ふれあい空間いしかわ』で放送していただきました。

10月22日の課題研究の時間、学校を飛び出して、加佐ノ岬に行ってきました。

加佐ノ岬倶楽部」でランチをいただいた後、硲伊之助先生の各品を鑑賞しました。

11月2日、「山中うるし座」で、木地師の皆さんに先生になっていただきながら、

ろくろ体験をしました。木のぬくもりと削る感触、漆塗りを実体験させていただきました。

(つづく)

(お知らせ)実高ふれ愛隊プロデュース!

場所:アビオシティ加賀セントラルコート 協力:中谷宇吉郎雪の科学館

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夏・地元加賀市をたくさん歩きました!!

2014年01月03日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す今年もよろしくお願いしま~す!

今年1年間の課題研究のまとめについてご報告しています!

今回は昨年夏に、わたしたちが訪問した加賀市のいろんな場所について

ご紹介します!みなさんも一度訪ねてみてくださいね!

6月18日の課題研究の時間を使って、「加賀温泉郷おやつきっぷ」の旅を

しました。わたしたちが食べたのは、山中温泉「いづみや」と片山津温泉「はまなか」

のコロッケ、山代温泉「惣八」の六方焼などです。とってもおいしい旅でした。

6月25日、「鹿島の森」のアカテガニを見学しました。とってもかわいかったです。

そして、片山津の「中谷宇吉郎雪の科学館」に足を伸ばして、「雪の赤ちゃん」をつくる

実験をしました。

7月9日、大聖寺番場町の「深田久弥山の文化館」を訪問しました。樹齢600年の

スダジイはとても立派でした。お昼は永町の「福ふく庵」でおいしいおそばです

7月16日、山代温泉いろは草庵」で北大路魯山人について教えていただいた後、

荒谷町で日本一のオオサンショウウオ鶴が滝を見学してきました。

7月25日には、大聖寺敷地の菅生石部神社で「蝶の舞」を鑑賞しました。舞台に立った

男の子たちは、とってもかわいかったですよ!!

8月8日、片山津温泉に行って、「柴山潟ナイトクルーズ」を体験しました。柴山潟の

涼しい風を感じながら、湖上のデッカイ花火を満喫しました。

8月17日のボラ大で、NO.5いくのとNO.6れいなが九谷町の「古九谷窯址」や

大土町をはじめとする「ひがしたに地区」を訪問しました。赤瓦がとってもキレイ

だったようですよ。

(つづく)

(お知らせ)実高ふれ愛隊プロデュース!

場所:アビオシティ加賀セントラルコート 協力:中谷宇吉郎雪の科学館

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