モーツァルトとは何か
池内紀 著
文藝春秋 発行
1991年12月25日 第一刷
第1章 時代の申し子、時代の頂点
モーツァルトが死んだのは1791年。社会秩序が音を立てて崩れていった時代。フランス革命を準備した総体的な変化があった。
モーツァルトが元気だった頃のヨーロッパは、国意識は弱かった。ザルツブルクという都市、あるいはミュンヘンという町があって、そのあたりのバイエルンという地方があってという、地方なり、町が、非常に緩やかな形で集合していた状態。とくにドイツ語圏は。
当時のヨーロッパは、宮廷はフランス語、音楽家の仲間と会うときはイタリア語。教会の司祭とはラテン語で話す。共通語があった。それに結ばれた緩やかな文化共同体。
モーツァルトこそ一つの文化が生み出した人物であり、音であり、メロディーであった。優れた作品であればあるほど、時代との結びつきが強いと思う。それはモーツァルトはあの時代に一番密着していたから。その残り香が楽しい。
第2章 「小さな大人」の旅の日々
モーツァルトの生まれたザルツブルク。非常に美しくて、非常に小さな町。
否定的な面では、狭くて息苦しい。
イタリアかぶれの大司教がイタリア風の都市造りをした。
普通ヨーロッパの街には市庁舎があって、その前に広場があり、そこから教会や散歩道につながっている。要するに市民の場がある。
しかしザルツブルクには市民の場にあたるものが全然ない。聖堂前の広場、聖職者の場所があるだけ。
モーツァルトはオーストリア人といわれるが、正確にいうとザルツブルク人。そこは大司教座のある独立した都市国家。
ザルツブルグのトンネル
イタリア好きの大司教がイタリア恋しさに掘った。向こう側だけボコッと空いていた。イタリアからの風が来てほしかったため。
歴代の大司教は南に対する恋しさと、住んでいる街の狭さで悶々としていたのではないか?
ザルツブルクの公使の歓迎の宴
料理の注文があり、そのあとで音楽の注文がある。料理と同じような注文で音楽も「軽く、腹にもたれないで」とか「後味のいいもの」みたいな感じで注文を書いている。
第3章 手紙のなかの天才
モーツァルトは大旅行家
十八世紀頃にヨーロッパの旅行網が整備された。
当時の乗合馬車は朝の二時とか四時に出発する。郵便が運ばれる時間に合わせていた。
第4章 ウィーン時代とフリーメイソン
絶対王政とか絶対主義はピラミッド型。縦の構造
それに対して秘密結社は横の構造。縦社会に対する横の平等。それもフランス革命につながる。
第5章 オペラの魅惑
小林秀雄のモーツァルト
オペラを目をつぶって聞くのは小林秀雄的曲解
オペラは音楽的には器楽的かもしれないが、人間の持っているドラマというもの、ぶつかり合い、また離れていくのが本当に実現しているから、やっぱり舞台を見ないとだめ。
日本のモダンなコンクリートだけのホールはオペラに向かないのではないか。
オペラというのは、本当にうねうねとした曲線ずくめでつくった、一種の胎内感覚のような劇場がふさわしい。
一人ぼっちというのは自分と対話しているから、誰もいらない。ロマン派はみんなそれかな。
モーツァルトはその逆で、孤独を許さない、関係のなかにしか人間が存在しないというあり方でしょうか。
第6章 死の一年
死の前、どうしてモーツァルトはあれほど窮迫していたのか?
人気が低下した。コンサートが減って収入減
賭け事に凝った?
死ぬまで着飾ったり、部屋の模様替えをやめなかったから?