サムライ留学生の恋
熊田忠雄 著
集英社インターナショナル 発行
2020年7月20日 第1刷発行
本書では明治の初期、ドイツ、イギリス、アメリカに留学し、現地女性と恋に落ちたサムライ経験者、もしくはサムライの血をひく者たち九名を取り上げ、彼らが留学先でいかにして現地女性と出会い、いかなる交際を経て親密な関係を築いていったかをたどり、その結末を紹介しています。
様々な困難を乗り越え、恋を貫き結婚した人もいますが、実らぬ恋に終わった人もいる反面、相手女性を単に現地妻的にしか扱わなかった男もいます。
第一章 ドイツ女性との恋
青木周蔵とエリザベート・フォン・ラーデ
同じ国(ドイツ)に外交使節の長として三度も赴任した日本人外交官は周蔵をおいていない。
世間では「ドイツ翁」とよばれたが、その一方余りにドイツに肩入れするため、「ドイツ癖」や「ドイツ狂」と揶揄する声も聞かれた。
北白川宮能久親王とベルタ・フォン・テッタウ
戊辰戦争での「朝敵騒ぎ」、ドイツでの「恋愛騒動」といい、能久親王は思い込んだら突っ走る猪突猛進タイプ、皇族の中の「お騒がせマン」だった。
井上省三とヘードビヒ・ケーニッヒ
北白川宮能久親王に随行した井上。この人は結婚にこぎつけた。
当時のドイツ女性の印象は、アングロサクソン婦人、つまりイギリスおよびイギリス系と異なり、気位が高いというわけでなく、家庭的、献身的で、情が濃いということだったか。
第二章 イギリス女性との恋
川田龍吉とジョニー・イーディー
「男爵イモ」を開発し、全国に普及させた川田龍吉
龍吉を道南の地での農業に駆り立てたのは、この地の気候風土が留学生活を送ったスコットランドと酷似しており、その原野の風景は、恋人ジェニーとしばしば足を運んだグラスゴー近郊の田園地帯を思い出させたからである。
尾崎三良とバサイア・キャサリン・モリソン
尾崎は日本人の国際結婚第一号といわれる。
尾崎はバサイアとの間に三人の子供、そして日本の本妻の間に一子、そして妾との間に十四人もの子供を残している。
(妾との子どもが十四人というのがゴイス)
重婚状態を批判されなんとか解消した尾崎。日本最初の国際結婚は最初の国際離婚となった。
藤堂高紹とエリーナ・グレース・アディソン
エリーナ夫人と離縁するため、日本で婚姻届けと離婚届を同時に提出するという強引な方法
尾崎よりも悪質なのは、相手方の同意を一切得ることなく、一方的に離婚を決断し、推し進めたこと
第三章 アメリカ女性との恋
松平忠厚とカリー・サンプソン
徳川時代の上田藩は真田家・仙谷家・松平家の三家が治めてきたが、上田市民にとってはやはり真田家への愛着が深い。
新渡戸稲造とメリー・パターソン・エルキントン
新渡戸を「知の世界」へと駆り立てた原点は、幼いころ、生まれ育った郷里の藩(盛岡(南部)藩)が戊辰戦争で朝敵とされ、降伏という屈辱を味わった無念さを晴らすためではなかったか。
武士道とキリスト教という一見、不調和に思えるものを見事に融合させ、人生のバックボーンとした新渡戸稲造、そうした夫の考えに共感し、支え続けた妻のメリー、明治の中頃にこれほど理知的な判断のもとに結ばれた日本人男性とアメリカ人女性のカップルがいたことに驚きを禁じ得ない。
朝河貫一とミリアム・キャメロン・ディングウォール
朝河は福島県二本松市では知らぬものがいないほどの有名人で、郷土の誇り
学者として国際的名声を手に入れた朝河だったが、私生活においては妻ミリアムとの死別、恋人ベラとの別離など、愛した女性たちとの縁は薄かった。