経営者のための聖書講座

永遠のベストセラー、聖書からビジネスのヒントを学ぶ

No.202 らくだが針の穴を通る

2009-05-30 00:00:14 | マタイ
経営者ともなれば優先順位を考える機会が多いのではないだろうか。

固執せず常に柔軟に物事を捉えられるようになりたいものだ。

今日、紹介するのは、ある金持ちの話しだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」

イエスは言われた。
「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。
 もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」

男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。
「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
  父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」

そこで、この青年は言った。
「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」

イエスは言われた。
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、
 貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。
 それから、わたしに従いなさい。」

青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。
たくさんの財産を持っていたからである。

イエスは弟子たちに言われた。
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、
 らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

  マタイによる福音書19:21-24
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ある金持ちの好青年がイエスに近づいてきた。

彼は幼少のころから律法に従って生きていた。

人殺しをしたことはないのはもちろんのこと、
姦淫も盗みもしたことはなかった。
正直で、両親を敬い、周囲の人に親切だった。

そんな彼でも不安に思うことがあった。
それは命について。

彼は自分には何かが欠けていると自覚していたようだ。

青年は自ら近寄り、イエスに質問した。

イエスとのやりとりを通し、次のようなアドバイスが彼に与えられる。

「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、
 貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に富を積むことになる。
 それから、わたしに従いなさい」

青年はこれを聞くと、悲しみながらイエスのもとを立ち去った。

せっかくイエスが永遠の命を得るために必要なアドバイスをしたのに、
彼は受け入れられなかったようだ。

彼にとっては自分の財産の方が、永遠の命より価値が高かったのだろうか。

イエスはそばにいた弟子たち(すべてを捨ててイエスに従っていた)に言った。

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」

執着は時に人の目を曇らせる。
本当に大事なものを見失わせてしまう。

No.201 赦し

2009-05-25 21:03:03 | マタイ
「赦し」は聖書の重要なテーマの一つだ。

「何回赦すべきでしょうか」

というペトロの質問に、イエスはたとえ話を用いて回答した。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。
 七回までですか。」

イエスは言われた。
「あなたに言っておく。
 七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

 そこで、天の国は次のようにたとえられる。

 ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、
 王の前に連れて来られた。
 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、
 自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。

 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』
 としきりに願った。
 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に
 出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。

 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、
 主君の前に出て事件を残らず告げた。
 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。

 『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
  わたしがお前を憐れんでやったように、
  お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』

 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、
 家来を牢役人に引き渡した。

 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、
 わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

  マタイによる福音書18:21-35
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「七の七十倍までも赦しなさい」。

一タラントンは六千デナリオンである。
とうことは一万タラントンは六千万デナリオンだ、
ちなみに一デナリオンは一日の労働賃金であった。

一万タラントンがいかに莫大な金額かおわかりいただけると思う。
この家来は主君に一万タラントン借金をしていたが返済できなかった。

主君は家来に家族も持ち物も全部売って借金を返済するよう求めたが、
「どうか待ってください。きっと全部お返しします」とひれ伏し、しきりに願う
家来を憐れみ、借金を帳消しにしてやった。

この赦された家来が外に出ると、
自分に百デナリオンの借金をしている仲間に会った。
この金額は、彼が帳消しにされた借金の六十万分の一だった。

六千万円の借金を帳消しにされたばかりの男が
自分に百円の借金をしている友人に会ったようなものだ。

ところが家来は仲間の首を絞めながら、借金の返済を迫った。
仲間はひれ伏して「どうか待ってくれ。返すから」としきりに願ったが、
家来は承知せず仲間を牢屋にぶち込んだ。

この一部始終を聞いた主君は怒った。
そして借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。

思い当たる節は?

イエスがこのたとえ話を通して伝えたかったメッセージは何だろう?

「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」
                 (ルカによる福音書6:37)

あなたは何回まで赦すのだろうか?


No.200 税金を納める

2009-05-21 19:42:39 | マタイ
「税金」、
この言葉を聞いて、あなたの胸に去来するものは何か?

イエスの時代にも税金があった。

税金についてのイエスの態度は?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一行がカファルナウムに来たとき、
神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、
「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。

ペトロは、「納めます」と言った。

そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。
「シモン、あなたはどう思うか。
 地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。
 自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」

ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。

「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。
 湖に行って釣りをしなさい。
 最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。
 それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

  マタイによる福音書17:24-27
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

神殿税というものがあったようだ。
税を集める者たちがペトロのもとを訪れ、イエスは神殿税を納めないのか聞いた。

ペトロはプレッシャーを感じたのだろうか、
イエスに意志を確認する前に、「納めます」と素直に回答したのだった。

ペトロが家に入ると、イエスが税金の話を持ち出した。

「シモン、あなたはどう思うか」

ご承知の通り、イエスはよく質問を弟子に投げかける。
シモンはペトロの本名である。

「地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。
 自分の子供たちからか、それともほかの人々からか」

答えは明らかである。ペトロは「ほかの人々からです」と答えた。

ペトロの答えを聞いたイエスはこう返した。

「では、子供たちは納めなくてよいわけだ」

神殿が神の家であるならば、神の子であるイエスが神殿税を納める必要はない。

だが、イエスは続けて言った。

「しかし、彼らをつまずかせないようにしよう」

釣り上げる最初の魚の口の中に銀貨が一枚入っているから、
それを自分たちの分として納めるようイエスはペトロに命じた。

イエスは納税した。
人々をつまずかせないためだった。


ここでイエスの薫陶を受けたペトロは、
後年、自分の手紙の中でこう言っている。

「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。
 それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、
 善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。
 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。
 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、
 悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。」
                             (ペトロの手紙一2:13-16)


No.199 からし種一粒

2009-05-17 18:45:13 | マタイ
「なぜ、こんなこともできないんだ」
と部下たちのことを嘆きたくなることがあるかもしれない。

部下が皆、あなたと同じ技量を持ったら会社はどう変わるだろうか?

忍耐強く鍛え続けていれば、実を結ぶ時が来るだろう。

イエスは根気強く弟子たちを教育した。

イエスは三人の弟子たちと共に山に登っている。(マタイ17:1‐13参照)
十字架に向け、心を整えるための登山であったと思われる。
この世での時間が限られていることを彼は自覚していたはずだ。

そんなイエスが下山し、最初に遭遇した出来事がこれだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて言った。
「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。
 度々火の中や水の中に倒れるのです。
 お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」

イエスはお答えになった。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
 いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
 いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。
 その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」

そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。

弟子たちはひそかにイエスのところに来て、
「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。

イエスは言われた。
「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。
 もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、
 『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。
 あなたがたにできないことは何もない。」

  マタイによる福音書17:14-20
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

崇高な時を過ごし山から下りると、
下界では、てんかんで苦しむ子供をいやすことができずに
弟子たちが悪戦苦闘していた。
業を癒した父親がイエスにすがりつく。

イエスが発した質問の三連発から
彼の心情を窺い知ることができるのではなかろうか。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
 いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
 いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」

イエスのもとに連れて来られると、その子は一発でいやされた。
イエスと弟子たちの実力の差が明らかに示された瞬間でもあった。

後で弟子たちはイエスのところへ来て尋ねた。
「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」

こんな時は教育の絶好の機会だ。

イエスは答えた。
「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。
 もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、
 『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる」

からし種とは、点のような小さな小さな種である。
イエスと弟子たちとの差は、そんなからし種ほどの差でしかなかった。
しかし、その差が決定的な違いを生んだ。

からし種一粒ほどの信仰があれば、山でも動くのである。
少しの疑いもなく「できる」と信じられるかどうかが試されていた。

イエスは続けた。
「あなたがたにできないことは何もない」

イエス昇天後の使徒たちの活躍が綴られる『使徒言行録』。
我々はその中に、使徒たちを通した起こされた数多くの奇跡を見ることができる。

No.198 あなたは幸いだ

2009-05-13 21:25:33 | マタイ
「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」(マタイ7:17)

どれだけ人を育てたかで、リーダーの良し悪しを見る基準にすることもできよう。

イエスは3年間で世界を変える人材を何人も育てた。

人材育成において大切なこととは何か?

今日は前回の続きである。

「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』
 シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」
                            (マタイによる福音書16:15-16)

弟子たちにイエスは問いを投げかけた。
ペトロが一人声を上げた。

これにイエスはどう対応したか?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
すると、イエスはお答えになった。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
 あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。

 わたしも言っておく。あなたはペトロ。
 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
 陰府の力もこれに対抗できない。

 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
 あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
 あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

  マタイによる福音書16:17-19
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

イエスはペトロを称賛した。
褒めるべき時は思いっきり褒めるのだ。

「シモン・バルヨナ」はペトロの本名。
「ペトロ」は、イエスが彼につけた新しい名、「岩」という意味があるそうだ。

ここでイエスはペトロの役割を予告した。

ペトロは他の弟子たちの前でイエスから褒められた。
気分が良かったに違いない。

イエスは、このあと、自分の身に起こることを弟子たちに打ち明ける。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、
と弟子たちに命じられた。

このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、
長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
三日目に復活することになっている、
と弟子たちに打ち明け始められた。

すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」

イエスは振り向いてペトロに言われた。
「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。
 神のことを思わず、人間のことを思っている。」

  マタイによる福音書16:20-23
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

衝撃的な言葉がイエスの口から発せられた。

実際すごいことがここで語られたのだ。
イエスは自分がどこでどのように死ぬかを予告しただけでなく、
復活することを予告したのだ。
しかも、「三日目」という具体的な日数まであげて。
(もし、予告が当たらなかった場合、イエスに対する評価はどうなっただろう?)

弟子たちはこれを聞きショックを受けたに違いない。

ペトロはここでも他の弟子たちに先んじてアクションを起こす。
彼はイエスを脇へ連れて行くと、イエスを諌め始めたのだ。

「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」

彼なりの親切心を表明したつもりだったのだろう。

だが、イエスは振り向くとペトロに言った。

「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。
 神のことを思わず、人間のことを思っている。」

ペトロは他の弟子たちの前でイエスから叱責されてしまったのである。

ペトロにしてみれば、褒められたかと思えば叱られるという
アップダウンの激しい一日を体験したことになる。

しかし、決してイエスは感情的に弟子たちに接していたわけではない。
一定の基準をもって弟子たちを育てていたことが、その言動から読み取れる。
(イエスのもっていた基準とは何か?)

なぜ叱られ、なぜ褒められたのか、わからなければ部下は混乱してしまう。
ぶれない一定の基準をもつリーダーのもとで、部下は信頼して学び、成長する。

叱責されたペトロを見て、このとき弟子たちには混乱が生じていたことだろう。
新しいことを学ぶにはもってこいの状況だ。
ここでイエスはとても大切な教えを弟子たちに授ける。

「それから、弟子たちに言われた。
 『わたしについて来たい者は、
  自分を捨て、自分の十字架を背負って、
  わたしに従いなさい。
  自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
  わたしのために命を失う者は、それを得る。
  人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、
  何の得があろうか。
  自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」
             (マタイによる福音書16:24-26)

全世界を手に入れることよりも価値あることについてイエスは語った。

No.197 何者だと言うのか

2009-05-09 22:04:02 | マタイ
三年間で何が可能だろう?

イエスが宣教したのは約三年間。
たった三年で、彼は世界に影響を与えた。

活動期間中、イエスは弟子たちの教育にも力を注いだ。
実際、諸国に福音を伝えたのは弟子たちである。
人材育成の成果といえよう。

福音書の随所に、イエスが弟子たちを教育しているシーンを見ることができる。
マタイ16章もその一つだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。

弟子たちは言った。
「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
 ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

  マタイによる福音書16:13-16
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

イエスは弟子たちとフィリポ・カイサリア地方に旅に出た。
目新しい光景が一行の前に広がっていたことだろう。

日常を離れたときの教育には効果がある。
印象に残りやすいから。

イエスはおもむろに弟子たちに尋ねた。

「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」

人の子とはイエスのこと。
人々が自分のことを何者とみなしているか、聞いたのだ。

福音書を読むとイエスがよく質問を投げかけているのがわかる。

弟子たちは口を開いた。
「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
 ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます」

どうやら当時、イエスは預言者の生まれ変わりだったという評判が
世間には広まっていたようだ。

イエスは、すかさず尋ねた。

「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」

「あなたがたは」?

情報通なのに、自分の意見を聞かれると、口ごもってしまう人がいる。

周りの人がどう言っているかではなく、
自分がどう思っているかの方が大切だ。

ペトロが答えた。
「あなたはメシア、生ける神の子です」

自分の頭で考えさせる、
意見を表明する機会を与える、
そんな接し方をする指導者のもので人材は育っていく。

ところで、このときイエスは、人間にとってとても重要な質問をした。

イエスのことを何者だと言うか? 

あなたの答えは?




No.196 船を出る

2009-05-05 21:51:59 | マタイ
「出る杭は・・・」。
あなたの会社の中にも、「出る杭」にあたる社員がいるかもしれない。
御社では、「出る杭」はどうなるのだろう?

男だけで五千人の群衆にパンを配り、満腹させた後の話である。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、
その間に群衆を解散させられた。
群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。
夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、
逆風のために波に悩まされていた。

夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、
「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
イエスはすぐ彼らに話しかけられた。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

すると、ペトロが答えた。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、
水の上を歩いてそちらに行かせてください。」

イエスが「来なさい」と言われたので、
ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、
「主よ、助けてください」と叫んだ。
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。
舟の中にいた人たちは、
「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

  マタイによる福音書14:22-33
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

皆を満腹させた後、弟子たちを舟に乗せ、群衆を解散させ、
やっとイエスは一人になることができた。
イエスは祈るためひとり山に登った。

もともと洗礼者ヨハネが殺されたとの報を受けて、
人里離れた場所へ移動したイエスである。
山の上で彼は何を祈ったのだろうか。

一方、弟子たちは舟で湖を移動中だった。
逆風による波に悩まされていた。

明け方、イエスは何と湖の上を歩いて弟子たちの乗る舟に近づいて行った。
驚くべきことである。
しかし、一番驚いたのは揺れ動く舟の中にいた弟子たちだった。

彼らは恐怖のあまり叫び声をあげた。
幽霊だと思ったからだ。

イエスはパニック状態の弟子たちに話しかけた。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」

一人ペトロが返答した。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、
 水の上を歩いてそちらに行かせてください」

ペトロはユニークな弟子だった。
十二使徒の中で、ペトロのような申し出をした者は他にいなかった。

イエスの許可を得て、ペトロは舟の外に足を踏み出す。
まっすぐにイエスを見据えながら、ペトロは水の上をしばらく歩いた。

しかし、強風に意識が移り、怖くなったとたん、彼は沈みだした。
「主よ、助けてください」と叫ぶペトロ。

イエスはすぐに手を伸ばし、溺れるペトロを捕まえると
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と彼を諭した。

そして、ペトロを伴って弟子たちの待つ舟に乗り込んだ。

ものすごい光景である。

途中、失敗はしたものの、ペトロは湖の上を歩くことができた。
舟を出てイエスに近づくという
思い切った行動を取った者だけに許された奇跡だった。

ペトロのような社員は貴重な存在である。
リスクをかけられない社員ばかりの会社は不幸だ。

自ら「舟を出る」社員はいるだろうか?

彼は失敗するかもしれない、
そんなときあなたはどうするだろう?

勇気をもってリスクをかけた社員に手を差し伸ばしてあげるのは、
貴重な戦力を失わないために必要な行為といえよう。

イエスが世を去った後、グループを指導したのは、このペトロであった。


No.195 五千人を満足させた奇跡

2009-05-01 22:50:17 | マタイ
聖書の中に福音書が四つ収録されている。
今日は、四つの福音書に共通して登場する奇跡の話である。

このとき、イエスは行く先々で群衆に取り囲まれていた。
人々を教え、癒し、多忙な毎日を送るイエス。
そんな中、ある知らせが彼のもとに届く。

「それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、
 イエスのところに行って報告した。」
                  (マタイによる福音書14:12)

イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネが、
領主ヘロデの手により無残な死を遂げたのだ。      
それを聞いたイエスは・・・

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。

しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、
その中の病人をいやされた。

夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。
そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

イエスは言われた。
「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
群衆には草の上に座るようにお命じになった。

そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。
弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

すべての人が食べて満腹した。
そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

  マタイによる福音書14:13-21
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

イエスは、洗礼者ヨハネの死を知ると、
舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。

洗礼者ヨハネは、イエスの理解者であり協力者だった。
このときのイエスの胸中はいかばかりであっただろう。

ところが、群衆に容赦はなかった。
彼らはイエスの後を追い、「人里離れた所」に押し寄せた。

いわば休暇中に急に仕事が舞い込むようなものである。

イエスはどうしただろう?

彼は大勢の群衆を見て深く憐れんだ。
そして、その中にいた病人をいやし始めた。

夕暮れが訪れた。
イエスの弟子たちが、群衆を解散するようイエスに進言した。
人々の夕食を心配したらしい。
(自分たちが早く休みたかったのが本音かもしれない。)

イエスの答えはこうだった。
「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」

たまらず弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」

群衆は大人の男だけで五千人もいたのだ。

「それをここに持って来なさい」

イエスがパンを裂くと、弟子たちに次々とパンが手渡されていく。
弟子たちはパンを群衆に分配していった。
この日、草の上で大晩餐会が催された。

すべての人が食べて満腹した。

弟子たちが残ったパン屑を集めると、十二の籠がいっぱいになった。

五つのパンから始まり、五千人以上の人々を
満腹させて余りあるパンが供給されたのだ。

人生は理屈通りに運ばない。
だからこそエキサイティングでもある。

「『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』
 と書いてあるとおりです。
 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
 あなたがたに種を与えて、それを増やし、
 あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
                   (コリントの信徒への手紙二9:9-10)


惜しみない、憐れみ、慈しみが、理屈をこえた結果をもたらすことがある。