経営者のための聖書講座

永遠のベストセラー、聖書からビジネスのヒントを学ぶ

No.210 「タラントン」のたとえ(1)

2009-06-30 20:22:35 | マタイ
ジャンボ宝くじの時期に巷でよく交わされる会話・・・、
「三億円手に入れたら何に使う?」。

あなたの場合は?

「タラントン」のたとえを3回に渡って紹介する。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「天の国はまた次のようにたとえられる。

 ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、
 もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

 早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、
 ほかに五タラントンをもうけた。

 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。

 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、
 主人の金を隠しておいた。

  マタイによる福音書25:14‐18
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ある人が旅に出ることになった。この人は資産家だったようだ。
何を思ったのか彼は旅行の前に三人の僕を呼ぶと
一人一人に現金を預けた。

一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントン。

タラントンとは通貨の単位だ。
一タラントンは六千デナリオン。一デナリオンは一日の労働賃金に当たる。

わかりやすくするため、仮に一デナリオンを一万円とすると、
一タラントンは六千万円ということになる。
ということは、五タラントンは三億円だ!

いきなり「三億円」、「一億二千万円」、「六千万円」を手にした僕たちは
その後どういう行動を取ったのだろうか?

五タラントン預かった僕は、「早速」それを元手に商売を始めた。
そして、「ほかに」五タラントンの利益を得る。
つまり、主人から預かった財産を合計十タラントンにしたのだ。

二タラントン預かった僕もまた商売を起こし、
ほかに二タラントンもうける。
預かった二タラントンは四タラントンに倍増した。

一タラントン預かった僕はというと、
彼は人目を忍んで穴を掘り、
一タラントンの現金を土の中に隠してしまう。

五タラントン、二タラントンを預かった僕はリスクをかけた。
商売に失敗することは考えなかったのだろうか?
それは宝くじで当てた、失ってもともとの金ではなく、
主人から預かった財産だったのだ。

財産を預かってすぐに商売を始め、成功させたのだから、
前々からビジネスプランが鮮明に脳裏に描かれていて、
機会が訪れるのを待ち構えていたのかもしれない。

よほどの才覚があったのだろう。

では、一タラントンの僕は?
彼には商売を成功させる力がなかったのだろうか?

主人のタラントン割り当て基準は何だったか?

「それぞれの力に応じて」であった。

「六千万円」は彼に妥当な金額だったはずだ。

これも天の国のたとえである。

主人は人間にそれぞれの力に応じた機会を与える。

それをどうするかは一人一人の選択に任されている。

(続く)


No.209 賢いおとめ、愚かなおとめ

2009-06-26 23:26:09 | マタイ
調子のいい時に、ただ有頂天になっていると、
後で手痛いしっぺ返しをくらうことになりかねない。

賢さと愚かさの分岐点とは何か?

マタイ25章にある、イエスのたとえ話を読んでみよう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。

 十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。

 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。

 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。
 『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
 賢いおとめたちは答えた。
 『分けてあげるほどはありません。
  それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、
 用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。

 その後で、ほかのおとめたちも来て、
 『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
 しかし主人は、
 『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。

 だから、目を覚ましていなさい。
 あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

  マタイによる福音書25:1‐13
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

十人のおとめが夜中、ともし火を持って花婿を待っていた。
ところが、花婿の到着が遅れたので、おとめたちは皆眠り込んでしまう。

真夜中、「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声に、おとめたちは飛び起き、
皆そそくさとともし火の準備をし始めた。

そこではっきりと明暗が分かれる。
おとめたりのうち五人はパニック状態に陥った。
油が切れかかって、ともし火が消えそうになっていたのだ。

他の五人のともし火はその時、煌々と輝いていた。
あらかじめ壺に油を用意していたおかげだった。

ともし火が消えかかっていた五人は、真夜中にもかかわらず、
あたふたと油を買いに走る。
その間、花婿が到着、用意周到なおとめたちに出迎えられ、宴席に入っていった。

花婿が中に入ると戸は無情にも閉められてしまう。
やっと油を手に入れたおとめたちが戻ってきて開けてくれるよう頼んだが、
中に入れてもらうことはできなかった。

十人のおとめのうち、五人は賢く、五人は愚かだった。

将来に備えて「油」を用意しておく経営者は、
後々、賢かったと言われるようになるのだろう。

では、直近のことしか目に入らない経営者は?

この話も「天の国」のたとえ。

仕事に限らず、人生全般に当てはまる。

No.208 忠実で賢い僕

2009-06-22 21:22:48 | マタイ
御社には管理職が何人いるだろう?

あなたがどんな仕事ぶりを管理職に期待するのだろうか?

イエスが管理職について語っている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「主人がその家の使用人たちの上に立てて、
 時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、
 いったいだれであろうか。

 主人が帰って来たとき、
 言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

 しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、
 仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
 もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。
 そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

  マタイによる福音書24:45-51
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

忠実で賢い管理者とは?

使用人たちに時間どおり食事を与える者だという。

たとえ主人が不在でも、彼は決して手を抜くことがない。

このような管理者に主人は信頼を寄せ、
ついには全財産の管理をさせるようになる。

一方、主人が不在中、仲間に横暴を働き、
宴会にうつつを抜かしている管理者に対し、
主人は突如姿を現し、厳しく罰するのである。

ポイントは主人の見ていないところでの働きぶりである。

管理者に対する評価はこのような点に基準を置くことだ。

上司にはへこへこするが、部下には横柄で、見えない場所で怠けている者がいる。
そういう者に騙されてはいけない。

真に忠実な者を重用すべきだ。

ところで、このストーリーは、やはり例え話である。

あなたがイエスの僕だったらどうだろう?

賢い忠実な僕とみなしてもらえるだろうか?

主人が帰ってきた時、
あなたは褒められるだろうか、それとも罰せられるだろうか。

No.207 目を覚ましていなさい

2009-06-18 21:37:39 | マタイ
人生の終わりに何を思うのだろう?

できることなら後悔したくはない。

イエスが「再臨の時」について語っている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「その日、その時は、だれも知らない。
 天使たちも子も知らない。
 ただ、父だけがご存じである。
 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。

 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、
 人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。
 人の子が来る場合も、このようである。

 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

 だから、目を覚ましていなさい。
 いつの日、自分の主が帰って来られるのか、
 あなたがたには分からないからである。

 このことをわきまえていなさい。
 家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、
 目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。

 だから、あなたがたも用意していなさい。
 人の子は思いがけない時に来るからである。」

  マタイによる福音書24:36-44
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

要するに、イエスが戻ってくるのが終わりの時である(マタイ24:3‐31参照)。

それがいつか知っているのは神のみ。
イエスでさえわからないという。

それはノアの時と同じだそうだ。
ノアとは、「ノアの箱舟」のノアだ。

洪水が来るその日まで、
人々は「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり」・・・、
ごく普通に生活していた。
しかし、ある日大雨が襲い、ノアの家族以外は皆、洪水にさらわれてしまった。

人々は危機が迫っていることに気づかなかったのである。

終わりの時も同じように来るというわけだ。

イエスは忠告している。
「だから、目を覚ましていなさい」

経営も何が起こるかわからない。
常に目を覚ましている必要があろう。

「だから、あなたがたも用意していなさい」

いきなり終わりの時が来てもあわてずに済むには、
どんな生き方をする必要があるだろう?

その生き方は、充実した生活のカギになるかもしれない。


No.206 有言不実行

2009-06-14 16:12:58 | マタイ
「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、
 彼は兄のところへ行き、
 『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
 弟のところへも行って、同じことを言うと、
 弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。」
                       (マタイによる福音書21:28-29)

不言実行、有言実行、有言不実行、不言不実行
このうち、あなたが最も避けたいものは?

イエスは次のようなアドバイスをしている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。

「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。

 しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。
 言うだけで、実行しないからである。

 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、
 自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。

 そのすることは、すべて人に見せるためである。
 聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
 また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。

 だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。
 あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
 また、地上の者を『父』と呼んではならない。
 あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
 『教師』と呼ばれてもいけない。
 あなたがたの教師はキリスト一人だけである。

 あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

  マタイによる福音書23:1‐12
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

律法学者たちやファリサイ派の人々は、
「言うだけで、実行しない」人たちであった。

イエスは群衆と弟子たちに忠告した。
彼らの教えには従うように、
だが、彼らの行いは見倣ってはならない、と。

こう言われたらどうだろう?
「社長の言うことには従え、でも、社長の行いはマネするな・・・」。

できることなら「律法学者・ファリサイ派的経営者」にはなりたくない。

以下、チェックしてみよう。

膨大な仕事量を部下に押し付けるが、自らはノータッチ。
着る物や装飾品に凝っている(見栄のため)。
宴会や会合では上座に座らないと気分が悪い。
人からちやほやされることを好む。

これらの兆候が見られたら要注意だ。

「いちばん偉い人は、仕える者に」。
この言葉を肝に銘じたい。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」のだ。

言葉だけでなく、人生そのものも尊敬されるような経営者を目指してほしい。

No.205 招かれる人は多いが選ばれる人は少ない

2009-06-10 21:32:17 | マタイ
パーティーに招待されたとき、あなたは何を心がけているのだろう?

宴会に誘われたら、配慮すべきことがある。

イエスはパーティーを用いたたとえ話をしている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスは、また、たとえを用いて語られた。

「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。

 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、
 来ようとしなかった。
 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。
 『招いておいた人々にこう言いなさい。
  「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、
   すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』

 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。
 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、
 その町を焼き払った。

 そして、家来たちに言った。
 『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
  だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』

 そこで、家来たちは通りに出て行き、
 見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。

 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。
 この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。
 
 『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。
  そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』

 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

  マタイによる福音書22:1‐14
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これはユダヤ人への嘆きが込められたたとえ話だ。

「エルサレム、エルサレム、
 預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、
 めん鳥が雛を羽の下に集めるように、
 わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。
 だが、お前たちは応じようとしなかった。」
                      (マタイによる福音書23:37)

それまで数々の預言者がイスラエルに遣わされたが、
彼らが受けたのは拒絶と迫害だった。
エルサレムの人々はこのとき、イエスをも殺そうとしていた。

このたとえ話は、その後、福音がユダヤを出て
異邦人たちに浸透する事実を言い当てている。

たとえ話の内容に戻ろう。

王は何としても宴席をいっぱいにしたかったようだ。

家来に命じて、急きょ大通りで人を集めさせた。
その結果、会場は客でいっぱいになった。

しかし、客の中に一人礼服を着ていない者がいた。

「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」

王は側近に彼を宴会から追い出すよう命じた。


宴会に招待されたなら、TPOに合わせた服装を心がけたい。

だが、それよりも考慮したいのは、主催者の心情だ。
主催者への敬意と感謝だ。


それはそうと、この話しは天の国をたとえている。

神は天の国をいっぱいにしたい。
あなたも招かれているのかもしれない。

「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」

あなたは選ばれるだろうか?

No.204 偉くなりたい者は

2009-06-06 13:20:03 | マタイ
リーダーとフォロワーの意識の違いを感じたことはあるだろうか?

「イエスはエルサレムへ上って行く途中、
 十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。
 『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。
  人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。
  彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。
  人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。
  そして、人の子は三日目に復活する。』」
                  (マタイによる福音書20:17-19)

イエスと弟子たちはエルサレムに向かい旅をしていた。
エルサレムには大きな試練が待っていることをイエスは知っていた。
彼は自分の身に起こることを弟子たちに打ち明けた。

彼らの反応は?
以下は上記(マタイ20:17-19)の続きである。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、
その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。

イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。
「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、
 一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」

イエスはお答えになった。
「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
 このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」

二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。
「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。
 しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。
 それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」

ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。

そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。
「あなたがたも知っているように、
 異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。

 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。
 あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。

 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
 また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

  マタイによる福音書20:20-28
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

イエスが大変な試練を打ち明けたのにもかかわらず、
弟子たちは自分のことしか考えてなかった。

このタイミングで、ヤコブとヨハネの母親はしゃしゃり出ると、
自分の息子たちの出世をイエスに願い出た。

どうやら弟子たちはイエスが現世的なイスラエル王になると誤解していたようだ。
まさに「分かっていない」状態にあったのだ。

自分のプレッシャーを部下たちに話しても、
すっとんきょうな反応しか返ってこない、
そんな経験があなたにもあるかもしれない。

イエスはそんな話のかみ合わない弟子たちに対しても実に丁寧に対応している。

他の弟子たちはヤコブとヨハネのことで腹を立てるが、
イエスはこの一件を用いて弟子たちの教育の機会とした。
彼は世の中の支配者たちの姿を提示したうえで、次のように弟子たちに伝える。

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」

大きなパラダイムシフトが弟子たちに求められた。

リーダーとは支配する者、権力を振るう者ではなく、
皆に仕える者、皆の僕だというのだ。

会社でいえば、社長は社員に仕える者、社員の僕・・・。

経営者としてあなたは普段どのような意識で社員たちに接しているだろう?

「仕えられるためではなく、仕えるため」に来たのがイエスだった。

ぜひ仕える経営者をめざしてみてほしい。

No.203 ぶどう園で働く労働者

2009-06-02 21:35:30 | マタイ
御社は日給いくらでアルバイトを雇うだろうか?

あなたの日給に対する考え方は?

マタイの福音書の中に、労働者を雇う経営者の話が出てくる。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「天の国は次のようにたとえられる。

 ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、
 夜明けに出かけて行った。
 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。
  ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
 それで、その人たちは出かけて行った。

 主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。

 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、
 『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。
 主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、
 『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、
  最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。

 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。
 しかし、彼らも一デナリオンずつであった。

 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
  まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、
  この連中とを同じ扱いにするとは。』

 主人はその一人に答えた。
 『友よ、あなたに不当なことはしていない。
  あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
  自分の分を受け取って帰りなさい。

  わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
  自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
  それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

  マタイによる福音書20:1‐16
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

主人は、ぶどう園の労働者を求めていた。

夜明けに労働者を見つけ出し、日給一デナリオンの約束で彼らを雇うことにした。

主人は採用に忙しい。
九時、十二時、三時にも労働者をリクルートし、ぶどう園へと送り込む。

なんと五時にも「誰も雇ってくれないのです」という人たちを
ぶどう園へ派遣している。

夕方六時ぐらいだろうか、
主人は監督に賃金を払うよう命じた。

一時間しか働いていない者たちに一デナリオンが支払われた。
三時間働いた者たちに一デナリオン、
六時間の者たちにも一デナリオン、
朝九時から働いた者たちに一デナリオン、
夜明けに雇われた者たちにも同様に一デナリオンが支払われた。

夜明けから働いていた者たちが不平を言いだす。
「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
 まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、
 この連中とを同じ扱いにするとは」

主人は答えた。
「あなたはわたしと一デナリオンの約束をした」
「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたい」

これは天の国についてのたとえである。

「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」。


経営者であるあなたは、この話から何を感じるのだろう?