生きている間に何を成し遂げるか?
この世に何を残すか?
これらは自分の存在意義にかかわる壮大な問いである。
イエスは自分の存在意義を明確に把握していた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスはそこをたち、通りがかりに、
マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とは
どういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書9:9-13
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスが収税所の前を通りかかった。
マタイという徴税人がそこに座っていた。
当時イスラエルはローマ帝国に支配されており、
人々はローマ帝国に税金を納めることになっていた。
民衆にとって収税所の徴税人は、
同胞から税金をむしり取るローマ帝国の手先だった。
しかも、徴収金額からかなりの利幅を自分の懐に入れており、
人々からは罪人と同等にみなされていた。
イエスはマタイを見ると彼に声をかけた。
「わたしに従いなさい」
マタイは立ち上がってイエスに従った。
イエスの人を見抜く目、
人を瞬時に従わせてしまう魅力には
驚くばかりだ。
イエスは人々から忌み嫌われている徴税人の中から逸材を見つけ出したのだ。
マタイに何かを感じ取ったのだろう。
経歴だけで人を判断してしまう採用担当者にはとうていできない芸当だ。
マタイは嬉しかったのだろう。
仲間を家に呼んで食事会を始めた。
もちろんイエスも弟子たちも招待されていた。
イエスは徴税人であろうと罪人であろうと人をわけ隔てすることはなかった。
大勢の罪人たちと一緒に食事を楽しむイエス。
ファイリサイ派の人々は、そのシーンをいぶかしげに見つめていた。
ファリサイ派とはユダヤ人の律法を厳格に守ろうという一派である。
徴税人とは対極にあった人々と言っていいだろう。
ファリサイ派の人々はたまらずイエスの弟子に問いかけた。
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
それに答えるイエスの言葉は深い。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」
「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
とはどういう意味か、行って学びなさい」
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
イエスは人間の内面を見ていたのである。
愛情をもって。
この徴税人マタイは後に十二弟子の一人となるマタイであり、
『マタイによる福音書』を書いたマタイである。
世界一のベストセラー作家になったと言っても過言ではあるまい。
イエスと出会い、マタイの人生は大きく変わったのだ。
皆さんが人材育成で心がけていることは何だろう?
何を基準に人を判断しているだろう?
憐れみといけにえ。重要視しているのはどちらだろう?
この世に何を残すか?
これらは自分の存在意義にかかわる壮大な問いである。
イエスは自分の存在意義を明確に把握していた。
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イエスはそこをたち、通りがかりに、
マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とは
どういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書9:9-13
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イエスが収税所の前を通りかかった。
マタイという徴税人がそこに座っていた。
当時イスラエルはローマ帝国に支配されており、
人々はローマ帝国に税金を納めることになっていた。
民衆にとって収税所の徴税人は、
同胞から税金をむしり取るローマ帝国の手先だった。
しかも、徴収金額からかなりの利幅を自分の懐に入れており、
人々からは罪人と同等にみなされていた。
イエスはマタイを見ると彼に声をかけた。
「わたしに従いなさい」
マタイは立ち上がってイエスに従った。
イエスの人を見抜く目、
人を瞬時に従わせてしまう魅力には
驚くばかりだ。
イエスは人々から忌み嫌われている徴税人の中から逸材を見つけ出したのだ。
マタイに何かを感じ取ったのだろう。
経歴だけで人を判断してしまう採用担当者にはとうていできない芸当だ。
マタイは嬉しかったのだろう。
仲間を家に呼んで食事会を始めた。
もちろんイエスも弟子たちも招待されていた。
イエスは徴税人であろうと罪人であろうと人をわけ隔てすることはなかった。
大勢の罪人たちと一緒に食事を楽しむイエス。
ファイリサイ派の人々は、そのシーンをいぶかしげに見つめていた。
ファリサイ派とはユダヤ人の律法を厳格に守ろうという一派である。
徴税人とは対極にあった人々と言っていいだろう。
ファリサイ派の人々はたまらずイエスの弟子に問いかけた。
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
それに答えるイエスの言葉は深い。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」
「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
とはどういう意味か、行って学びなさい」
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
イエスは人間の内面を見ていたのである。
愛情をもって。
この徴税人マタイは後に十二弟子の一人となるマタイであり、
『マタイによる福音書』を書いたマタイである。
世界一のベストセラー作家になったと言っても過言ではあるまい。
イエスと出会い、マタイの人生は大きく変わったのだ。
皆さんが人材育成で心がけていることは何だろう?
何を基準に人を判断しているだろう?
憐れみといけにえ。重要視しているのはどちらだろう?