経営者のための聖書講座

永遠のベストセラー、聖書からビジネスのヒントを学ぶ

No.38 ダビデ(13):狂人を装う

2007-10-31 23:07:57 | サムエル記
ヨナタンの懸命な助命嘆願もむなしく、サウルのダビデに対する殺意は激しさを増していた。万策尽きたヨナタンはダビデを涙ながらに逃亡の旅へと送り出すよりほかなすすべがなかった。激しく泣きながら親友ヨナタンと別れたダビデは、空腹を抱えつつ祭司アヒメレクのもとを訪れ、供えのパンとなけなしの剣を調達すると、国境を越え、敵であったペリシテ人の地に向かった。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。
アキシュの家臣は言った。
「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。
 この男についてみんなが踊りながら、
 『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」
ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。
そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。
彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、
ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。
アキシュは家臣に言った。
「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。
 わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。
 わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。
 この男をわたしの家に入れようというのか。」
  サムエル記上21:11-16
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もはやイスラエル国内では居場所がなくなったダビデは、
安全な場所を求めてペリシテ人の王アキシュの門を叩いた。
かつての敵のもとに身を寄せねばならぬほどダビデは窮地に追い込まれていた。

だがそのもくろみは過去の名声により妨げられることとなる。
ダビデのうわさを伝え聞いていた家臣が王に警戒を促したのだ。
身の危険を察知したダビデは、とっさに王の前で狂人を装い、難を逃れる。

あの品行方正なダビデが、ひげによだれを垂らし、扉をかきむしった。

自分自身が心機一転、新たなスタート切ろうとしても、
周囲が過去のイメージを引きずって思うようにことが運ばないことはままある。
そんなときどうするか。

ダビデは恥を捨てて狂人のふるまいをした。

新しくなるには、古い自分を脱ぎ捨てる必要がある。
狂人になったつもりで、新しい課題に取り組んでいれば、
周囲の人々にある古いイメージはいつかどこかへ葬り去られるだろう。
それほどの必死さが窮地を脱するきっかけを生むこともあるだろう。

No.37 ダビデ(12):心を動かす

2007-10-29 22:50:45 | サムエル記
逃亡者ダビデはサムエルを頼り、ナヨトという場所に潜伏していたが、
目撃情報がサウルのもとに届くと、追っ手が幾度となくナヨトへ差し向けられた。
身の危険を感じたダビデはナヨトを離れ、あえてリスクを犯し、もといた都に戻った。
親友ヨナタンがそこにいたからである。

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ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った。
「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を
 犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか。」
ヨナタンはダビデに答えた。
「決してあなたを殺させはしない。父は、事の大小を問わず、
 何かするときには必ずわたしの耳に入れてくれる。
 そのような事を父がわたしに伏せておくはずはない。そのような事はない。」
それでもダビデは誓って言った。
「わたしがあなたの厚意を得ていることをよくご存じのお父上は、『ヨナタンに
 気づかれてはいけない。苦しませたくない』と考えておられるのです。
 主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。
 死とわたしとの間はただの一歩です。」
ヨナタンはダビデに言った。
「あなたの望むことは何でもしよう。」
  サムエル記上20:1-4
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ダビデはサウル王の息子ヨナタンのもとを密かに訪れた。
このような境遇になぜ自分が陥っているのか納得できないという
自分自身の率直な気持ちを友であるヨナタンに打ち明けた。

だが、ヨナタンは初めのうち、事の重大さを把握しきれなかった。
ダビデは必死になって訴え続けた。
自分が今、どれほど緊迫した状況に直面しているのかを。

持つべきものは友である。
しかし、いくら友とはいえ常に以心伝心とはいかない。
十分に説明をせずに「理解してもらえない」と嘆くのは早計だ。

ヨナタンはダビデの魂の叫びについに心動かされ言った。
「あなたの望むことは何でもしよう。」

あなたの魂の訴えは友の胸に届いているだろうか。
友の必死な願いに心が動いてしまうのは、何もヨナタンだけではあるまい。
あなたの強い思いに共鳴した人が心強い協力者となってくれるのだ。

No.36 ダビデ(11):感情の吐露

2007-10-24 22:52:37 | サムエル記
いよいよサウル王は家臣全員に、ダビデを殺すよう命令した。
ついにダビデは公にイスラエルの「お尋ね者」となった。
ダビデの長きにわたる逃亡生活が幕を開けた。

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サウルはダビデの家に使者を遣わし、彼を見張らせ、翌朝には殺させようとした。
ダビデの妻ミカルはダビデに言った。
「今夜中に避難して自分の命を守らなければ、明日は殺されます。」
ミカルはダビデを窓からつり降ろし、彼は逃げて難を免れた。
  サムエル記上19:11-12

逃げて難を避けたダビデは、ラマのサムエルのもとに行って、
サウルの仕打ちをすべて報告した。
サムエルとダビデはナヨトに行き、そこにとどまった。
  サムエル記上19:18
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一時は盟友ヨナタンの進言により名誉を回復したダビデであったが、
度重なるペリシテ軍との戦いで敵に大打撃を与えると、サウルの嫉妬が再燃、
再び命を狙われるはめに陥った。

暗殺者の魔の手はついにダビデの自宅にまで迫った。
新妻ミカルは機転を利かせ夜のうちにダビデを窓から逃れさせた。

着の身着のまま逃れたダビデは、サムエルのもとへと駆け込んだ。
サムエルとは、ダビデが将来王になると預言した、あのサムエルである。
ダビデは自分のつらい胸の内をすべて、サムエルに打ち明けた。

ビジネスの世界では、時に不条理な扱いに直面することもあるだろう。
納得しがたい気持ちになる時もあるかもしれない。

世の中は多分に不条理なものではある。
だが、だからと言ってそれに翻弄されてはいけない。
心が折れてしまわないよう工夫することが大事だ。

このとき、ダビデにはサムエルがいた。
ダビデの心中は、怒りや悲しみがない交ぜになっていたことだろう。
サムエルが、ダビデを受け止め、愚痴に耳を傾けてくれた。

心の内にある感情を表に出すだけで、不思議と気持ちは楽になるものだ。

あなたには安心して心を開き、感情を打ち明けることができる
良き相談相手がいるだろうか。

No.35 ダビデ(10):期待以上のサービス

2007-10-23 22:59:11 | サムエル記
嫉妬に燃えたサウルは自ら手を下さず、敵の手によってダビデを殺そうと企んだ。
娘のミカルがダビデに好意を寄せていることを伝え聞くと、
好都合とばかりに、ダビデを罠にかけるよう働きかけた。

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サウルは言った。
「では、ダビデにこう言ってくれ。『王は結納金など望んではおられない。
 王の望みは王の敵への報復のしるし、ペリシテ人の陽皮百枚なのだ』と。」
サウルはペリシテ人の手でダビデを倒そうと考えていた。
家臣はダビデにこのことを告げた。
ダビデはこうして王の婿になることは良いことだと思い、
何日もたたないうちに、自分の兵を従えて出立し、
二百人のペリシテ人を討ち取り、その陽皮を持ち帰った。
王に対し、婿となる条件である陽皮の数が確かめられたので、
サウルは娘のミカルを彼に妻として与えなければならなかった。
 サムエル記上18:25-27
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自分は貧しく、身分の低いものだから王の婿になるなどふさわしくないと
躊躇するダビデに、サウルは条件を与えた。
「ペリシテ人の陽皮百枚」
あえてダビデを窮地に追い込み抹殺する腹積りだった。

ダビデはその条件を聞くと奮い立ち、にわかに出陣、ペリシテ人を討伐し、
陽皮二百枚を持ち帰った。
ダビデは百の注文に対して倍の二百で応えた。

文句のつけようもないサウルは、娘をダビデに妻として与えざるを得なくなった。
こんなダビデをサウルはますます恐れるようになった。

「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。」
 (マタイ5:41)
これが聖書の期待である。

誰かに何かを要求されたとき、どんな意識でそれに臨んでいるだろう。
不承不承行い、何とかぎりぎり間に合わせるように努めるか、
それとも、喜んで取り組み、相手の期待をはるかに超える結果を提供するか。

良い意味でも衝撃を与えるのは後者の方だ。

No.34 ダビデ(9):ALWAYS

2007-10-22 21:54:32 | サムエル記
懸命に努力し結果を出したのにもかかわらず、
不当な評価しか受けられないということも時にはあるだろう。
評価する者も人間であり完璧ではない。
そんなとき、どんな心持ちでいるかが大事である。

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主はダビデと共におられ、サウルを離れ去られたので、
サウルはダビデを恐れ、ダビデを遠ざけ、千人隊の長に任命した。
ダビデは兵士の先頭に立って出陣し、また帰還した。
主は彼と共におられ、彼はどの戦いにおいても勝利を収めた。
サウルは、ダビデが勝利を収めるのを見て、彼を恐れた。
イスラエルもユダも、すべての人がダビデを愛した。
彼が出陣するにも帰還するにも彼らの先頭に立ったからである。
 サムエル記上18:12-16
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サウル王はダビデをねたみ、そして恐れた。
彼はダビデを遠ざけた。
戦士の長として何の落ち度もなかったダビデを千人隊長に降格させた。

ダビデはこの不当な人事に対してどう反応しただろうか。
ふて腐れたか。
やる気を失ったか。
怒りと憎しみに燃えたか。

いずれもNOである。
ダビデは使命感に燃え、千人隊長として、先頭に立って出陣し、
いかなる戦いにおいても勝利を収め、先頭に立って帰還した。

どんな立場であろうとも、
どんな条件であろうとも、
ダビデは与えられた役割に一生懸命だった。

そんな忠実な姿はしっかりと見られている。
神はダビデを見離さず、続けて共にいてくれた。
国中の人々はダビデを愛した。

今あなたが、あるいはあなたの会社が、どんな立場にあったとしても、
忠実に、感謝の心をもって日々の仕事に励んでいるのなら、落胆することはない。
支持してくれる人は必ず現れるはずだ。

No.33 ダビデ(8):千と万から生じた壁

2007-10-20 12:24:16 | サムエル記
戦士として召し抱えられたダビデは、派遣され出陣するたびに勝利を収めた。
サウル王はダビデを戦士の長に就任させた。
このことは、すべての兵士、家臣たちに支持された。
しかし、この主従円満の時は、長くは続かなかった。

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女たちは楽を奏し、歌い交わした。
「サウルは千を討ち、
 ダビデは万を討った。」
サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。
「ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。」
この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。
次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、
家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。
ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。
サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、
その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした。
 サムエル記上18:7-11
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華々しく活躍するダビデの人気は沸騰し、評価は急上昇した。
国中の女たちは熱狂し、ダビデの歌を歌い踊った。
「ダビデは万、サウルは千」

器の違いを突きつけられたサウル王はダビデをねたみ始めた。
悪霊に取りつかれたサウルは、ある時突然、ダビデに向かって槍を投げつけた。

ダビデはただ与えられた機会に自分の才能を精一杯発揮していただけなのだ。
サウルに反旗をひるがえそうなどとは思ってもいなかっただろう。
サウルの心中に生じたねたみが、ダビデとの関係を傷つけ、
自身の精神状態をも錯乱させた。

ねたみとは恐ろしいものである。

「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。」
                                  (ヤコブ3:16)

「神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを
 悩まし、それによって多くの人が汚されることのないように、気をつけなさい。」
                                  (ヘブライ12:15)

社内にめざましい活躍を続ける後進が現れたときどうするか。
潰しにかかるか。
その才能を認め、それがますます発揮されるようサポートするか。

指導者としての真価がそのときに問われる。

No.32 ダビデ(7):友という名の宝

2007-10-17 22:46:36 | サムエル記
ゴリアテを倒し、イスラエルの勝利の立役者となったダビデ。
一部始終を見ていたサウル王は戦士としてのダビデに大いに関心を寄せる。
「勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱え」たサウルが彼を見逃すはずがなかった。

ダビデの活躍に心動かされたという点では王の息子ヨナタンも例外ではなかった。

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ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、
ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。
サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。
ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、
着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた。
 サムエル記上18:1-4
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英雄は英雄を知る。
ヨナタンは、大胆かつ兵士思いの優れた指揮官だった。
ダビデの戦いぶりを目にしたヨナタンに一種の電撃が走った。
この日を境に二人は無二の親友になる。

「隣人を自分のように愛する」ことは、律法の中で、
主を愛することに次いで最も重要な掟である。
そのような愛でヨナタンはダビデに接した。
このことが繰り返し記述されている。

愛とは与えることである、たとえ自分を犠牲にしてでも。
ヨナタンは大切にしていた武具をダビデに与えた。
後には、自らが継承するはずの王位でさえ彼に与えることを惜しまなかった。

「倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」。(コヘレト4:10)
いくら富や名声があっても、友のない人生はむなしい。
ヨナタンによって、ダビデはかけがえのない人生の宝を得た。

自問自答してみよう。
「今、自分には『ヨナタン』がいるだろうか?」
答えが「YES」なら幸いだ。
もし「NO」なら・・・。

ついでに、もう一つ自分自身に問いかけてみて欲しい。
「自分は今、誰かの『ヨナタン』になっているだろうか?」

与える者は与えられる。そして、更に豊かな人生を送る。
これは昔から変わらない法則である。

No.31 ダビデ(6):乾坤一擲

2007-10-15 22:40:53 | サムエル記
鎧を脱ぎ去り、羊飼いの身なりで戦いに向かったダビデ。
川岸で拾った手ごろな石を袋に入れ、石投げ紐を手に取ると、
巨大なペリシテ人の前に姿を見せた。
相手が少年であるのを知り、侮り、ののしる巨人ゴリアテ。
対してダビデは神による戦いであることを力強く宣言する。
その後、事態は急展開する。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ペリシテ人は身構え、ダビデに近づいて来た。
ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。
ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、
石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。
石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。
ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。
ダビデの手には剣もなかった。
ダビデは走り寄って、そのペリシテ人の上にまたがると、
ペリシテ人の剣を取り、さやから引き抜いてとどめを刺し、首を切り落とした。
ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した。
イスラエルとユダの兵は立って、鬨の声をあげ、ペリシテ軍を追撃して、
ガイの境エクロンの門に至った。・・・
 サムエル記上17:48-52
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ダビデはまっすぐ敵に向かって走った。
何のためらいも躊躇もなかった。
ダビデが放った一撃によって巨人は地に沈んだ。

だが、ダビデはそこで満足しなかった。
敵の巨体に走り寄り、すかさずとどめを刺した。

目的に向かう迷いのない果敢で俊敏な行動、
ゴール達成への妥協のない徹底的な態度・・・。
ダビデの姿から刺激を受ける者は多い。

ペリシテ軍は、一人の勇士が倒れただけで、ひるんで退却を始めた。
劣勢だったイスラエル軍は、ダビデの勝利を見て勢いづき、敵を追撃し始めた。
ダビデによる小石の一撃が、戦況を一気に逆転させた。

確信に基づいた「一撃」が状況を一変させることもあるのだ。

No.30 ダビデ(5):個性の尊重

2007-10-13 22:26:08 | サムエル記
成功体験は人をいい気分にさせる。
だが、一度味わうと、そこからなかなか抜け出せなくなる場合がある。
かつてうまくいった自分のやり方を社員に押し付けてしまい、
それが社員の個性と柔軟性を奪うこともある。

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サウルは、ダビデに自分の装束を着せた。
彼の頭に青銅の兜をのせ、身には鎧を着けさせた。
ダビデは、その装束の上にサウルの剣を帯びて歩いてみた。
だが、彼はこれらのものに慣れていなかった。
ダビデはサウルに言った。
「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」
ダビデはそれらを脱ぎ去り、自分の杖を手に取ると、
川岸から滑らかな石を五つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、
石投げ紐を手にして、あのペリシテ人に向かって行った。
 サムエル記上17:38-40
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ダビデの熱意に動かされ、サウルはゴリアテとの一騎打ちを許可した。
勇気ある代表戦士への、せめてもの餞か、
サウルは自分の甲冑を着せてダビデを戦いに送り出そうとした。

ダビデは、サウルの鎧兜を身に着けてはみたものの、
自由がきかず、動きづらくてしょうがなかった。
自分らしく戦うことを望んだダビデは、躊躇せず王の鎧を脱ぎ捨て、
羊飼いの杖を持つと川岸へと降りていった。

鎧を着たまま戦いに出ていたら、ダビデの物語は、
おそらく、この直後で終わりになっていただろう。

型にはめるのは容易だが、平凡で画一的だ。
一人一人の個性と自由を尊重するのはリスクがあるが、
驚異的な成果も期待できる。

ダビデは自由を選んだ。
彼は川岸で、気に入った石を選んで羊飼いの袋に入れると、
石投げ紐を握り締め、剣も持たずに巨人ゴリアテに向かっていった。

No.29 ダビデ(4):大胆さの根拠

2007-10-12 23:19:12 | サムエル記
ダビデは、巨人ゴリアテとの一騎打ちを王に志願した。
歴戦の勇士でさえ恐れて誰一人立ち向かおうとはしない中、
羊飼いの少年が勇んで立ち上がったのである、
それは若者にありがちな無鉄砲で軽はずみな言動だったのだろうか。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
サウルはダビデに答えた。
「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなどできはしまい。
 お前は少年だし、向こうは少年のときから戦士だ。」
 しかし、ダビデは言った。
「僕は、父の羊を飼う者です。
 獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。
 そのときには、追いかけて打ちかかり、その口から羊を取り戻します。
 向かって来れば、たてがみをつかみ、打ち殺してしまいます。
 わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人も
 それらの獣の一匹のようにしてみせましょう。
 彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」
  サムエル記上17:33-36
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サウル王には無理だと言われた。
しかし、ダビデは怯まなかった。
彼には自信があった。
羊飼いとしての役割をしっかり果たしてきたからだ。

日常の小さな勝利の蓄積が、彼の自信の源となっていた。


「ごく小さなことに忠実な者は、大きな事にも忠実である。
 ごく小さなことに不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」
(ルカ16:10)


日常の仕事をおろそかにする者に、大きな仕事ができるわけがない。
小さなことに忠実な者にこそ、大きな責任を任せることができる。

日頃の地道な努力の積み重ねが、いざという時、自信となってあらわれるのだ。

「口だけ男」や「口だけ女」には気をつけよう。

ただの大風呂敷と、理想を現実にする者の間には、大きな隔たりがある。

No.28 ダビデ(3):フレッシュな視点

2007-10-09 21:54:07 | サムエル記
サウル王率いるイスラエル軍がペリシテ軍と対峙していた。
ペリシテ軍から身長2メートル90センチの巨人ゴリアテが進み出て、
1対1の代表戦をしようとイスラエル軍に呼びかけた。
サウルとイスラエル全軍は恐れおののいた。

リーダーの恐れは組織全体に伝染するものだ。

鬨の声を上げては威勢よく戦線に赴き戦列を敷くイスラエル軍だったが、
朝な夕なやって来ては挑発の言葉を叫ぶゴリアテを見ると震え上がり、
なすすべもなく、膠着状態は40日間続いた。

父の使いでダビデが戦場を訪れた。
炒り麦とパンを兄たちに、チーズを隊長に差し入れに来たのだ。
その時だった、ゴリアテが現れ、いつもの言葉を叫んだ。
兵たちが甚だしく恐れ、後ずさりする中、ダビデが口を開いた。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ダビデは周りに立っている兵に言った。
「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、
何をしてもらえるのですか。生ける神の戦列に挑戦するとは、
あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか。」

長兄エリアブは、ダビデが兵と話しているのを聞き、ダビデに腹を立てて言った。
「何をしにここへ来たのか。荒れ野にいるあの少しばかりの羊を、
 誰に任せてきたのか。お前の思い上がりと野心はわたしが知っている。
 お前がやって来たのは、戦いを見るためだろう。」
ダビデは言った。
「わたしが、今、何をしたというのですか。
 話をしているだけではありませんか。」
 サムエル記上17:26、28-29
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初めて戦場を訪れたダビデはゴリアテに対して純粋に戦意を高揚させた。
長い間戦場にいた兄はダビデのことを生意気だと思った。

同じような光景が日常の職場でも見受けられるのではないか。
膠着状態に陥っているグループに、新人が入ってきて一言意見を言う、
あるいは全く関連性のない他の部署の社員がアイディアを持ってくる。
グループの古参らは思う、「何も知らないくせに、生意気だ」。

いつもとは違った視点を受け入れてみる。
生意気だと思われるような意見も尊重する。
そういった柔軟性と度量の大きさが、
組織を行き詰まりから救うこともあるのではないだろうか。

この膠着した戦況を打破したのは、羊飼いの少年ダビデだったのだ。

No.27 ダビデ(2):一芸に秀でる

2007-10-07 22:28:10 | サムエル記
預言者サムエルによって、王となるべき者として油注がれたダビデ。
だが、いきなり王になったわけではない。
聖書に登場する他の英雄たちと同様、その使命を遂行するに相応しい
器となるまで、長いトレーニング期間を経なければならなかった。

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サウルは家臣に命じた。
「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」
従者の一人が答えた。
「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、
勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、
まさに主が共におられる人です。」
サウルは、エッサイに使者を立てて言った。
「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」
 サムエル記上16:17-19
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この頃、サウル王は悪霊にさいなまれるようになっていた。
自らが犯した罪が原因で精神状態に異変が生じていたのだ。
王の側近は、いわゆるミュージックセラピーをサウルに勧めた。
そのための竪琴奏者として、ダビデに白羽の矢が立った。

ダビデはただの羊飼いではなかった。
竪琴をたしなんでおり、かなりの腕前だった。
しかも、後にヒット曲を連発するシンガーソングライターだった。
彼の作った詞は3000年経った今も世界中の人々に愛唱されている。
(聖書にある詩篇の多くはダビデが作った曲の詞である。)

竪琴の名手だということで、ダビデは王の傍らで仕えることが許された。
羊飼いの少年が、王の日常を自分の目で見て学ぶ尊い機会を得たのだ。
精神に時折異変をきたしていたとはいえ、サウルも一国の指導者、
ダビデにとって帝王学を学ぶまたとないチャンスとなったことだろう。
これも神によるダビデ育成プログラムの一環であったに違いあるまい。

「芸は身を助ける」というが、
趣味が本業にプラスをもたらすこともある。

仕事一辺倒では芸がない。
何か趣味を磨く余裕が生活の中にあってもいい。

転機をもたらすきっかけになるかもしれない。

No.26 ダビデ(1):英雄の登場

2007-10-05 22:48:07 | サムエル記
失敗が失敗で終わらず、
成功のための糧となることもある。
神は、人にセカンドチャンスを与えてくださる。
その呼びかけに応えた者は、失ったものとは比べようもないほどの
大きな成果を与えられることもめずらしくない。

「いつまであなたは、サウルのことで嘆くのか」。
落ち込むのをやめて、先に進むべき時がサムエルに来ていた。
預言者サムエルは、神により、エッサイという男のもとへ遣わされた。
そこにサウルの代わりに新しく王となるべき者がいるというのだ。

エッサイの息子たち7人が、候補者としてサムエルの前を通った。

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しかし、主はサムエルに言われた。
「容姿や背の高さに目を向けるな。
 わたしは彼を退ける。
 人間が見るようには見ない。
 人は目に映ることを見るが、
 主は心によって見る。」
  サムエル記上16:7
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人間は外見で人を判断する。
しかし、主は心によって見る。
全員が主によって退けられた。

一人、末の息子が残っていた。
彼は羊の番をしていて、その場に居合わせなかった。
サムエルは、その子を無理に連れて来させた。

少年の名はダビデ。
この羊飼いの少年こそ、イスラエルの王に選ばれるべき者だった。

ここに稀代の英雄、ダビデが登場することとなる。
サムエルはダビデに油を注ぐ栄誉を得た。

次回以降、ダビデについて語っていきたいと思う。

No.25 サウル(3):期待に応える

2007-10-03 21:59:24 | サムエル記
期待されて就任し、
称えられ惜しまれつつ退任する。
多くはそう願うだろう。
サウルにはそれが適わなかった。

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サムエルは死ぬ日まで、
再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆いた。
主はサウルを、イスラエルの上に王として立てたことを悔いられた。
 サムエル記上15:35
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預言者サムエルは、サウルを王に任命したことを後悔していた。
サウルが神の命令を守らず、反逆と高慢の罪に陥ったからだ。

彼は戦利品を懐に入れ、嘘をつき、不正の責任を部下になすりつけた。
不正を指摘されても、体裁を気にし、謙虚に自分の罪を認めることをしなかった。

生涯サウルに会うことを拒み続けたというサムエルの胸中やいかに。


あなたを経営者に指名した人がいるのであれば、
その人の(人々の)ことを思い浮かべてみよう。

その人(人々)は今のあなたに満足しているだろうか。
よもや嘆いているなどということになってはいないか。


サウルのことを嘆いていたのはサムエルだけではなかった。
神もまた、後悔されていた。

「・・・神に由来しない権威はなく、
今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」(ローマ13:1)

すべての権威は神に由来するという。
ならば、あなたが企業の経営者でいるのも神に由来するということになる。


あなたを経営者にすることを許した神は
あなたのことを喜んでいるだろうか。
それとも悔やんでいるだろうか。

しばし、時間をとり、自らの行いと心を吟味してみるとよいだろう。

No.24 サウル(2):類は友を呼ぶ

2007-10-02 22:48:17 | サムエル記
最近、大卒新入社員の三割が三年以内に会社を辞めている。
高卒は五割、中卒は七割で、「七五三」と言うらしい。
「第二新卒」という言葉も定着してきた。
世間では激しい人材獲得競争が行われている。

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サウルはイスラエルに対する王権を握ると、
周りのすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、
更にはぺリシテ人と戦わねばならなかったが、
向かうところどこでも勝利を収めた。・・・

サウルの一生を通して、ぺリシテ人との激戦が続いた。
サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた。
 サムエル記上14:47-52
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初代イスラエル王サウルは、就任以来、順調に勝利を重ねていった。
彼はその過程で、多くの有能な人材を見いだした。
そしてそんな人材を採用せずにはいられなかった。

「類は友を呼ぶ」という。
有能なリーダーのもとには有能な人材が集まる。
優れた指導者は、隠れた逸材を見出し、
将来の大器は、そのような指導者と共に働くことに憧憬の念を抱く。

世の中には、優秀な人材から順に次々と去っていく企業もあれば、
優秀な人材が続々と集まってくる企業もある。

あなたの会社は現在どちらの潮流にあるだろう。

優秀な人材を獲得する、あるいは繋ぎ止めるために必要なことは何か。
給料、社風、福利厚生、評価制度の改善等々、様々考えられるだろうが、
何にも増して影響するのは経営者自身の生きざまである。

「給料はどうでもいい、この人と一緒に働きたい」
と思われるような人物でいることが大切なのではないだろうか。

現状に満足せず、常に自己の器を拡大すべく研鑽に励むことが
経営者には求められる。