聖書の中に福音書が四つ収録されている。
今日は、四つの福音書に共通して登場する奇跡の話である。
このとき、イエスは行く先々で群衆に取り囲まれていた。
人々を教え、癒し、多忙な毎日を送るイエス。
そんな中、ある知らせが彼のもとに届く。
「それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、
イエスのところに行って報告した。」
(マタイによる福音書14:12)
イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネが、
領主ヘロデの手により無残な死を遂げたのだ。
それを聞いたイエスは・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。
しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、
その中の病人をいやされた。
夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。
そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
イエスは言われた。
「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
群衆には草の上に座るようにお命じになった。
そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。
弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
すべての人が食べて満腹した。
そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
マタイによる福音書14:13-21
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスは、洗礼者ヨハネの死を知ると、
舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。
洗礼者ヨハネは、イエスの理解者であり協力者だった。
このときのイエスの胸中はいかばかりであっただろう。
ところが、群衆に容赦はなかった。
彼らはイエスの後を追い、「人里離れた所」に押し寄せた。
いわば休暇中に急に仕事が舞い込むようなものである。
イエスはどうしただろう?
彼は大勢の群衆を見て深く憐れんだ。
そして、その中にいた病人をいやし始めた。
夕暮れが訪れた。
イエスの弟子たちが、群衆を解散するようイエスに進言した。
人々の夕食を心配したらしい。
(自分たちが早く休みたかったのが本音かもしれない。)
イエスの答えはこうだった。
「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」
たまらず弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」
群衆は大人の男だけで五千人もいたのだ。
「それをここに持って来なさい」
イエスがパンを裂くと、弟子たちに次々とパンが手渡されていく。
弟子たちはパンを群衆に分配していった。
この日、草の上で大晩餐会が催された。
すべての人が食べて満腹した。
弟子たちが残ったパン屑を集めると、十二の籠がいっぱいになった。
五つのパンから始まり、五千人以上の人々を
満腹させて余りあるパンが供給されたのだ。
人生は理屈通りに運ばない。
だからこそエキサイティングでもある。
「『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』
と書いてあるとおりです。
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
あなたがたに種を与えて、それを増やし、
あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙二9:9-10)
惜しみない、憐れみ、慈しみが、理屈をこえた結果をもたらすことがある。
今日は、四つの福音書に共通して登場する奇跡の話である。
このとき、イエスは行く先々で群衆に取り囲まれていた。
人々を教え、癒し、多忙な毎日を送るイエス。
そんな中、ある知らせが彼のもとに届く。
「それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、
イエスのところに行って報告した。」
(マタイによる福音書14:12)
イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネが、
領主ヘロデの手により無残な死を遂げたのだ。
それを聞いたイエスは・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。
しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、
その中の病人をいやされた。
夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。
そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
イエスは言われた。
「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
群衆には草の上に座るようにお命じになった。
そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。
弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
すべての人が食べて満腹した。
そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
マタイによる福音書14:13-21
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イエスは、洗礼者ヨハネの死を知ると、
舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。
洗礼者ヨハネは、イエスの理解者であり協力者だった。
このときのイエスの胸中はいかばかりであっただろう。
ところが、群衆に容赦はなかった。
彼らはイエスの後を追い、「人里離れた所」に押し寄せた。
いわば休暇中に急に仕事が舞い込むようなものである。
イエスはどうしただろう?
彼は大勢の群衆を見て深く憐れんだ。
そして、その中にいた病人をいやし始めた。
夕暮れが訪れた。
イエスの弟子たちが、群衆を解散するようイエスに進言した。
人々の夕食を心配したらしい。
(自分たちが早く休みたかったのが本音かもしれない。)
イエスの答えはこうだった。
「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」
たまらず弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」
群衆は大人の男だけで五千人もいたのだ。
「それをここに持って来なさい」
イエスがパンを裂くと、弟子たちに次々とパンが手渡されていく。
弟子たちはパンを群衆に分配していった。
この日、草の上で大晩餐会が催された。
すべての人が食べて満腹した。
弟子たちが残ったパン屑を集めると、十二の籠がいっぱいになった。
五つのパンから始まり、五千人以上の人々を
満腹させて余りあるパンが供給されたのだ。
人生は理屈通りに運ばない。
だからこそエキサイティングでもある。
「『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』
と書いてあるとおりです。
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
あなたがたに種を与えて、それを増やし、
あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙二9:9-10)
惜しみない、憐れみ、慈しみが、理屈をこえた結果をもたらすことがある。