「なぜ、こんなこともできないんだ」
と部下たちのことを嘆きたくなることがあるかもしれない。
部下が皆、あなたと同じ技量を持ったら会社はどう変わるだろうか?
忍耐強く鍛え続けていれば、実を結ぶ時が来るだろう。
イエスは根気強く弟子たちを教育した。
イエスは三人の弟子たちと共に山に登っている。(マタイ17:1‐13参照)
十字架に向け、心を整えるための登山であったと思われる。
この世での時間が限られていることを彼は自覚していたはずだ。
そんなイエスが下山し、最初に遭遇した出来事がこれだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて言った。
「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。
度々火の中や水の中に倒れるのです。
お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
イエスはお答えになった。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。
その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
弟子たちはひそかにイエスのところに来て、
「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。
「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。
もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、
『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。
あなたがたにできないことは何もない。」
マタイによる福音書17:14-20
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
崇高な時を過ごし山から下りると、
下界では、てんかんで苦しむ子供をいやすことができずに
弟子たちが悪戦苦闘していた。
業を癒した父親がイエスにすがりつく。
イエスが発した質問の三連発から
彼の心情を窺い知ることができるのではなかろうか。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」
イエスのもとに連れて来られると、その子は一発でいやされた。
イエスと弟子たちの実力の差が明らかに示された瞬間でもあった。
後で弟子たちはイエスのところへ来て尋ねた。
「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」
こんな時は教育の絶好の機会だ。
イエスは答えた。
「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。
もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、
『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる」
からし種とは、点のような小さな小さな種である。
イエスと弟子たちとの差は、そんなからし種ほどの差でしかなかった。
しかし、その差が決定的な違いを生んだ。
からし種一粒ほどの信仰があれば、山でも動くのである。
少しの疑いもなく「できる」と信じられるかどうかが試されていた。
イエスは続けた。
「あなたがたにできないことは何もない」
イエス昇天後の使徒たちの活躍が綴られる『使徒言行録』。
我々はその中に、使徒たちを通した起こされた数多くの奇跡を見ることができる。
と部下たちのことを嘆きたくなることがあるかもしれない。
部下が皆、あなたと同じ技量を持ったら会社はどう変わるだろうか?
忍耐強く鍛え続けていれば、実を結ぶ時が来るだろう。
イエスは根気強く弟子たちを教育した。
イエスは三人の弟子たちと共に山に登っている。(マタイ17:1‐13参照)
十字架に向け、心を整えるための登山であったと思われる。
この世での時間が限られていることを彼は自覚していたはずだ。
そんなイエスが下山し、最初に遭遇した出来事がこれだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて言った。
「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。
度々火の中や水の中に倒れるのです。
お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
イエスはお答えになった。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。
その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
弟子たちはひそかにイエスのところに来て、
「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。
「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。
もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、
『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。
あなたがたにできないことは何もない。」
マタイによる福音書17:14-20
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崇高な時を過ごし山から下りると、
下界では、てんかんで苦しむ子供をいやすことができずに
弟子たちが悪戦苦闘していた。
業を癒した父親がイエスにすがりつく。
イエスが発した質問の三連発から
彼の心情を窺い知ることができるのではなかろうか。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。
いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」
イエスのもとに連れて来られると、その子は一発でいやされた。
イエスと弟子たちの実力の差が明らかに示された瞬間でもあった。
後で弟子たちはイエスのところへ来て尋ねた。
「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」
こんな時は教育の絶好の機会だ。
イエスは答えた。
「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。
もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、
『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる」
からし種とは、点のような小さな小さな種である。
イエスと弟子たちとの差は、そんなからし種ほどの差でしかなかった。
しかし、その差が決定的な違いを生んだ。
からし種一粒ほどの信仰があれば、山でも動くのである。
少しの疑いもなく「できる」と信じられるかどうかが試されていた。
イエスは続けた。
「あなたがたにできないことは何もない」
イエス昇天後の使徒たちの活躍が綴られる『使徒言行録』。
我々はその中に、使徒たちを通した起こされた数多くの奇跡を見ることができる。