経営者のための聖書講座

永遠のベストセラー、聖書からビジネスのヒントを学ぶ

No.92 預言者たち~エリヤ(3):ありのままを見つめる

2008-04-28 23:49:01 | 列王記
「エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、
 雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、
 三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。
 しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。」

新約聖書のヤコブの手紙(5章17-18節)には上記のような記述がある。
そう、信仰に溢れ、一見、勇猛なエリヤも、わたしたちと同じ人間だった。
つまり、落ち込むこともあったのだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。
彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。
「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。
 わたしは先祖にまさる者ではありません。」
彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。
御使いが彼に触れて言った。
「起きて食べよ。」
見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、
エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。
主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、
「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。
エリヤは起きて食べ、飲んだ。
その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、
ついに神の山ホレブに着いた。
エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。
見よ、そのとき、主の言葉があった。
「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
エリヤは答えた。
「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。
 ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、
 祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。
 わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」
  列王記上19:4-10
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

イスラエルの王アハブの妻で悪女のイザベルに命を狙われ、
エリヤは逃避行を続けた。
心身ともに疲れ果てたエリヤは自分の感情を素直に言い表す。
「もう十分です」。
憐れみ深い神は、彼に使いを送り、パン菓子と水を施された。
長くつらい旅はその後、四十日四十夜に及んだ。
ホレブ山に到着したエリヤは、わが身に起こった不条理を神に打ち明けた。

人生の長い旅の途中には、逆風にさらされるときもあるだろう。
つい気分が萎えることも人間として当然起こりうる。

強い人とは決して自分の感情を押し殺し、やせ我慢する人ではない。
自分の内に起きているものをしっかりと見つめ、味わうことのできる人、
そういう人が逆境のたびに自らの器を広げ、人生を豊かに生きていく。

エリヤは自分の内にある悲しみや怒りを心にしまい込むようなことをしなかった。
だからこそ彼は戦い続けることができたのだ。

そんな「忍耐強い」彼に、神は励ましと次なる指針をもたらされた。

今、あなたはどのような状態にあるだろう?
目を背けずに、自分の内に何が起きているのかを味わってみてはいかがだろうか。

No.91 預言者たち~エリヤ(2):強烈なビジョン

2008-04-26 15:30:39 | 列王記
経営者の役割、その一つは先を見ることだ。
まだ誰も見ていないビジョンをはっきりと描く。
それが強烈であるならば、周囲にあるものはそこに向かって一斉に動き始める。

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エリヤはアハブに言った。
「上って行って飲み食いしなさい。激しい雨の音が聞こえる。」
アハブは飲み食いするために上って行き、エリヤはカルメルの頂上に上って行った。
エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめた。
「上って来て、海の方をよく見なさい」と彼は従者に言った。
従者は上って来て、よく見てから、「何もありません」と答えた。
エリヤは、「もう一度」と命じ、それを七度繰り返した。
七度目に、従者は言った。
「御覧ください。手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ます。」
エリヤは言った。
「アハブのところに上って行き、激しい雨に閉じ込められないうちに、
 馬を車につないで下って行くように伝えなさい。」
そうするうちに、空は厚い雲に覆われて暗くなり、風も出て来て、
激しい雨になった。
アハブは車に乗ってイズレエルに向かった。
主の御手がエリヤに臨んだので、
エリヤは裾をからげてイズレエルの境までアハブの先を走って行った。
 列王記上18:41-46
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

このとき、この地域には3年間雨がなかった。
人々が飢饉に苦しんでいる最中、エリヤの耳には激しい雨の音が聞こえていた。

するとエリヤはカルメル山の頂に従者とともに登り、地にうずくまった。
エリヤは従者に、海の方角を見てくるように命じた。

従者が海を見渡すと、海の上には真っ青な空が広がるばかりで、
気候に何の変化も見出せなかった。

「何もありません」という従者の報告は6度に及んだ。
しかし、エリヤの自信は揺らぐことがなかった。

7度目、ついに従者は、かなたに手のひらほどの小さな雨雲を発見する。
それは次第に空を覆うほどに成長していき、激しい雨が降り始めた。

まだ誰も見ていないビジョンを思い描き、困難があってもあきらめずに
見つめ続けたき、物事が動き出す。

あなたのビジョンが現実化するのを部下はまだ見出していないかもしれない。
あるいはまだ、手のひら大にすぎない状態かもしれない。
部下が「何もありません」と愚痴をこぼしても
あなたは自分のビジョンを信じ続けられるだろうか?



「はっきり言っておく。
 だれでもこの山に向かい、
 『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、
 少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
 だから、言っておく。
 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。
 そうすれば、そのとおりになる。」
                             (マルコ11:23-24)


No.90 預言者たち~エリヤ(1):揺れぬ思い

2008-04-23 12:40:37 | 列王記
イスラエルとユダが荒廃していく過程で、勇気を持って真理を唱えた人々がいた。
彼らは神の言葉を預かる者であり、「預言者」と呼ばれた。
今回から、彼ら預言者たちを取り上げ、ここで紹介していきたいと思う。

最初に登場するのはエリヤだ。
彼は、新約聖書の福音書において、ある時モーセと共に山頂に現れ
イエスと三者会談する(マタイ17章)ほど、インパクトのある預言者である。

彼は、イスラエルの悪名高きアハブ王の時代に活躍した。
その時代、アハブ王の悪妻イザベルによって預言者仲間らは虐殺され、
国内はイゼベルの推進するバアル崇拝に汚染されていた。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
エリヤはすべての民に近づいて言った。
「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。
 もし主が神であるなら、主に従え。
 もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」
民はひと言も答えなかった。
エリヤは更に民に向かって言った。
「わたしはただ一人、主の預言者として残った。
 バアルの預言者は四百五十人もいる。
 我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。
 彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、
 火をつけずにおかせなさい。
 わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。
 そこであなたたちはあなたたちの神の名を呼び、
 わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。
 火をもって答える神こそ神であるはずだ。」
民は皆、「それがいい」と答えた。
 列王記上18:21-24
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エリヤはただ一人残った主の預言者だった。
彼は大勢に屈することなく敢然とバアルの預言者450人に立ち向かった。
多くの人々がどっちつかずに迷っている中、強い意思をもって信念を貫き通した。

あなたの経営理念は何だろう?
あなたの存在意義は?

その他大勢と同じことをやっていては、ビジネスは成功しない。

たとえ一人になっても、周囲の妨害があっても、自らの意志を貫けるだろうか。
それほどの思いの強さがあなたの内にはあるだろうか。

何事かを成し遂げた者は、何があっても自分の思いを諦めなかった者なのだ。

No.89 王たちの系譜~ヨシア:衣を裂く

2008-04-19 12:57:07 | 列王記
ヒゼキアの3代後、そのひ孫にあたるヨシアがユダ王国の王となった。
ヨシアの祖父、父ともに王であったが、彼らは悪政を行い、
ユダを衰退させていた。
ヨシアは8歳で王となり、31年間王位にあった。
彼はユダ王国で善政をおこなった最後の王として記録されている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ヨシヤ王の治世第十八年に、王はメシュラムの孫でアツァルヤの子である
書記官シャファンを主の神殿に遣わして言った。
「大祭司ヒルキヤのもとに上り、主の神殿に納められた献金、
 すなわち入り口を守る者たちが民から集めたものを集計させなさい。
 それを主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡し、
 更に神殿の破損を修理するために主の神殿にいる工事担当者に渡しなさい。
 すなわち職人、建築作業員、石工に渡し、
 神殿修理のための木材や切り石を買わせなさい。
 ただし、彼らは忠実に仕事をしているから、
 彼らに渡した金の監査は必要ではない。」
そのとき大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、
「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」
と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。
書記官シャファンは王のもとに来て、王に報告した。
「僕どもは神殿にあった献金を取り出して、
 主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡しました。」
更に書記官シャファンは王に、
「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」
と告げ、王の前でその書を読み上げた。
王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。
 列王記下22:3-11
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ヨシアが26歳のとき、荒れ果てていた神殿の修理に取り掛かった。
ヨシアは工事担当者たちに資金を与え、あえて監査を行わなかった。
職人、建築作業員、石工らは、王の信頼に応え、忠実に働いた。

同じ国でも、王によって人々の活気が違ってくるのは興味深い。

作業の最中、大祭司は神殿から、当時その存在を忘れ去られ、埃をかぶっていた
律法の書、いわゆる「モーセの五書」を発見した。

大祭司から書記官に手渡された律法の書は、王の前で読み上げられた。
はじめて「モーセの五書」に接したヨシアは、それを聞くと、
自らの衣を引き裂いた。
真理と現状の乖離にショックを受けたのだ。

ヨシアは長老たちをはじめ、国中のすべての人々に、律法の書を読み聞かせ、
その教えを浸透させ、律法発見から1年の内に大改革を行った。


ヨシアの治世は、ユダの歴史において
燃え尽きる前に最後の輝きを放つ灯心のような時代となった。

ヨシアは国民から慕われ、
彼の死はすべてのユダとエルサレムの人々から嘆かれた。
預言者エレミヤはヨシアを悼んで、聖書に残る「哀歌」を作った。


ヨシアの後、4人の王が次々にユダを治めるが、
坂を転げ落ちるように国は衰退し、
ヨシアの死から23年後、バビロンによって、ついにエルサレムは陥落する。


◎今日の設問
・過ちに気づいたあと、あなたはどんなリアクションを取りますか?

No.88 王たちの系譜~ヒゼキア(2):油断

2008-04-14 22:29:40 | 列王記
ヒゼキア王の治世は29年に及んだ。
彼は途中、死の病にかかるが一命を取り留める。
しかし、ヒゼキアはこのとき思わぬ油断をしてしまう。

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そのころ、バビロンの王、バルアダンの子メロダク・バルアダンは、
ヒゼキヤが病気であるということを聞いて、
ヒゼキヤに手紙と贈り物を送って来た。
ヒゼキヤは使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫のすべて、
武器庫、また、倉庫にある一切のものを彼らに見せた。
ヒゼキヤが彼らに見せなかったものは、宮中はもとより国中に一つもなかった。
預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て、
「あの人々は何を言ったのですか。どこから訪ねて来たのですか」
と問うた。ヒゼキヤは、
「彼らは遠い国、バビロンから来ました」
と答えた。更に、
「彼らは王宮で何を見たのですか」
と問うと、ヒゼキヤは、
「王宮にあるものは何もかも見ました。
 倉庫の中のものも見せなかったものは何一つありません」
と答えた。そこでイザヤはヒゼキヤに言った。
「主の言葉を聞きなさい。
 『王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、
  ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、
  と主は言われる。あなたから生まれた息子の中には、
  バビロン王の宮殿に連れて行かれ、
  宦官にされる者もある。』」
   列王記下20:12-18
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

当時バビロンは、強国アッシリアの支配に反逆する、
ユダと同じ立場の弱小国家だった。
ユダの王ヒゼキアが病気と聞き、仲間意識を感じたのか、
バビロンの王は見舞いの使者をエルサレムに送った。

ヒゼキアは嬉しかったのだろう。
誰にとっても同情は嬉しいものだ。
だが、嬉しすぎて舞い上がってしまったのだろうか、
ヒゼキアの歓待は少々度を越えたものとなった。

彼は、バビロンの使者に、国家の宝物庫と武器庫の全てを公開した。

後にユダを苦しめるのはアッシリアではなく、バビロンであることを
このときヒゼキアは夢にも思っていなかったのだろう。

イザヤの預言は的中する。
約100年後、バビロンはユダの首都エルサレムを陥落させる。
バビロンへと宝物は残らず持ち去られ、人々は捕囚として連れ去られる。

ヒゼキアの大盤振舞いが、バビロンにとってユダ征服の誘惑の種となったのだ。

このときのヒゼキアは人が良すぎたと言わねばなるまい。


◎今日の設問
・あなたの会社に関わる情報の公開・非公開のラインはどこにありますか?

No.87 王たちの系譜~ヒゼキア(1):謙虚

2008-04-10 11:32:03 | 列王記
ヨシャファトから8代後、ヒゼキアという王が南王国ユダに登場する。
彼の時代、一つの衝撃的な出来事が起きている。
治世6年に、かつての同胞、北王国イスラエルが、
強国アッシリアの前に屈し、ついに滅亡してしまうのだ。
アッシリアの触手は、ヒゼキアの南王国にも伸ばされる。
治世14年、アッシリアの王はユダの砦の町を次々と占領し都エルサレムを包囲、
ユダの言葉を使って国民に降伏を呼びかける。
「ヒゼキアにだまされるな。彼はお前たちを救うことはできない。」
「ヒゼキアの言うことを聞くな。わたしと和を結び、降伏せよ。
 そうすればお前たちは命を得、死なずに済む。」
ヒゼキアは絶体絶命のピンチに立たされる。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った。
また彼は宮廷長エルヤキム、書記官シェブナ、
および祭司の長老たちに粗布をまとわせ、
預言者、アモツの子イザヤのもとに遣わした。
彼らはイザヤに言った。
「ヒゼキヤはこう言われる。
『今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、
 胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない。
 生ける神をののしるために、その主君、アッシリアの王によって
 遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、
 あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。
 あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうが、
 ここに残っている者のために祈ってほしい。』」
 列王記下19:1-4
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北王国イスラエルが滅亡した理由は、列王記下17章にはっきりと記されている。
預言者はそのことを警告していたが、
イスラエルの王らは聞き従うことがなかった。

南王国ユダは、イスラエル滅亡後も140年近く存続した。
その違いは何か?

ここで、ヒゼキアはイザヤという預言者を尊敬し重んじているのがわかる。
イザヤはヒゼキアに的確なアドバイスを与えることができる人物だった。

精神面での強力なサポートを得たヒゼキアは
アッシリアに屈することなく自らの信念を貫くことができた。

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その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。
朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。
アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。
彼が自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、
アドラメレクとサルエツェルが彼を剣にかけて殺した。
彼らはアララトの地に逃亡し、
センナケリブに代わってその子エサル・ハドンが王となった。
 列王記下19:35-37
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歴史は理屈ではなく、ある一つの大きな力によって動かされている。



◎今日の設問
・あなたにとって、どんなことがあっても譲ることのできない信念は何ですか?

No.86 王たちの系譜~ヨシャファト:教育の効果

2008-04-06 14:12:51 | 歴代誌
南王国ユダには、幾人かの善王が存在した。
今回はその中の一人、アサの息子、ヨシャファトから学びたい。
ヨシャファトの治世25年間、彼の王国は平穏であった。

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彼はその治世第三年に、高官たち
ベン・ハイル、オバドヤ、ゼカルヤ、ネタンエル、ミカヤを遣わして、
ユダの町々で教育を行わせた。
彼らと共にレビ人のシェマヤ、ネタンヤ、ゼバドヤ、アサエル、シェミラモト、
ヨナタン、アドニヤ、トビヤとトブ・アドニヤが遣わされ、
また祭司エリシャマとヨラムがこれらのレビ人に同行した。
彼らは主の律法の書を携え、ユダで教育を行い、
ユダのすべての町を巡って、民の教化に当たった。
 歴代誌下17:7-9
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ヨシャファトは王となるなり、次のことに着手した。
まずは、軍備の増強。
すべての砦の町に軍隊を配置し、占領地に守備隊を置いた。
そして、偶像の排除。
ユダから、聖なる高台とアシェラ像を取り除いた。

安全を確保し、悪弊を一掃した彼が、その治世第3年に取り組んだこと、
それは、国民の教育であった。

桜咲く春、我が国では、新入社員らが社会人として新たなスタートを切る。
あなたの会社もこの時期、フレッシュな風が吹いているところかもしれない。

御社はどの位、社員教育に力を入れているだろうか?

ヨシャファトの試みは数年後、効果を発揮する。
敵が連合して、戦いを挑んできた時、
ユダの人々は、ヨシャファトの意図をよく理解し、高い精神性を示し、
ともに国難に立ち向かう。

「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。
 年老いてもそこからそれることがないであろう。」
                       (箴言22:6)

教育を軽視してはならない。


◎今日の設問
・御社の新入社員に何としても理解してもらいたいことを
 一つあげるとしたら、それは何ですか?


No.85 王たちの系譜~北王国の王たち:共通点

2008-04-03 11:42:47 | 列王記
北王国イスラエルはというと、ヤロブアムの後、18人の王が次々と国を治める。
在任期間は最長がヤロブアム2世の41年間、最短がジムリの7日間とバラバラだ。
だが、彼らに対する「列王記」の紹介は一種代わり映えがしない。
在任期間の紹介の後、おおむねこのように表現されている。

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彼は主の目に悪とされることを行い、
イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった。
列王記下14:24
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イスラエルの王たちは、それぞれが国を一生懸命治めようとしたことだろう。
しかし、根本が上記のようであったがゆえに、国は迷走を続けた。

その間、数々の預言者が遣わされ警告を発するが、
王たちに顧みられることはなかった。

イスラエルは次第に衰退し、ついにホシュアの時代、
アッシリアに占領され、滅亡する。

聖書を読んでいるとリーダーシップの要諦は意外にもシンプルなものかもしれない
ということに気づかされる。
複雑に考える必要はないのだ。

そういえばソロモンも言っていた。

「ただし見よ、見いだしたことがある。
 神は人間をまっすぐに造られたが
 人間は複雑な考え方をしたがる、ということ」
              (コヘレトの言葉7:29)


次回以降、

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彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、
右にも左にもそれなかった。
 列王記下22:2
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というように紹介される
南王国ユダの数人の王たちから学んでいきたいと思う。