「顧客満足」とはよく聞く言葉だ。
しかし、ただ聞いているだけでは絵に描いた餅。
社員一人一人の心掛けがあって初めてそのような現象が生じる。
日頃の社員教育とリーダーたる経営者の模範が不可欠といえよう。
与えることにおいてイエスが抱いていた期待に触れてみよう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスは、
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」
と言われた。
出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、
すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、
飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
人々を解散させてください。
そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」
これに対してイエスは、
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。
弟子たちは、
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、
みんなに食べさせるのですか」と言った。
イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」
弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、
青草の上に座らせるようにお命じになった。
人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
すべての人が食べて満腹した。
そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。
パンを食べた人は男が五千人であった。
マルコによる福音書6:31-44
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスの弟子たちは忙しい生活を送っていた。
出入りする人が多く、食事をする暇もなかった。
ある日、イエスはそんな彼らに言った。
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」
弟子たちの歓声が聞こえてきそうである。
さっそく一同は舟に乗り、人里離れた所へ向かった。
あたかも、日常の業務を離れ、リゾート地で社員旅行を楽しむような感じだ。
舟の中の弟子たちは、既にリラックスしながら、
人里離れた場所でのバカンスを夢見ていたのではなかろうか。
しかし、一行を乗せた舟が「人里離れた所」に近づいたとき、
弟子たちは、信じられない光景を目の当たりにする。
岸辺には、イエスの行き先を嗅ぎ付け、先に到着した群衆がひしめいていたのだ。
既にそこは、「人里離れた所」ではなかった。
弟子たちはそこで、引き返したい衝動にかられたかもしれない。
上陸したイエスは、大勢の群衆を見て、彼らを憐れんだ。
そして、いろいろと教え始める。
「飼い主のいない羊のような」状態の群衆を
無視することができなかったのである。
休暇中のはずの弟子たちは夕方まで
イエスのサポートをしなければならなくなった。
大分時間がたったころ、弟子たちはイエスに進言する。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
人々を解散させてください。
そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう」
一見、群衆に対し、細かい心配りをしているようにも見えるが、
早く仕事から解放されたいがゆえにそう言っているように思えるのは気のせいか。
これに対してイエスは何と答えたか?
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」
弟子たちは反応した。
「わたしたちが・・・?」
どこまで与えなければならないのか?
弟子たちはこのとき、気が遠くなるような思いにとらわれていたかもしれない。
しかし、この後である。
有名な奇跡が起きるのは。
五つのパンと二匹の魚を用いて、
イエスは、五千人の男を満腹させ、さらに十二籠の余りを生じさせる。
どこまでも与える姿勢から奇跡が生まれたのである。
休暇中に群衆を見た時点で与えることを拒否することもできた。
長い時間をかけて群衆を教えた後で与えることをやめてもよかった。
しかし、イエスは休暇中であろうが、十分に教えた後であろうが、
与えることをやめずに、更にまた与えた。
あなたの会社の与える限界はどこか?
あなたは社員が顧客に対し、どこまで与えることを期待しているのだろう?
顧客にとっての「満腹」とは、どのような状態を指すのだろう?
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」(ルカ6:38)
奇跡的な成果は、限界を超えた「与える心」から生じるのかもしれない。
しかし、ただ聞いているだけでは絵に描いた餅。
社員一人一人の心掛けがあって初めてそのような現象が生じる。
日頃の社員教育とリーダーたる経営者の模範が不可欠といえよう。
与えることにおいてイエスが抱いていた期待に触れてみよう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスは、
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」
と言われた。
出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、
すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、
飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
人々を解散させてください。
そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」
これに対してイエスは、
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。
弟子たちは、
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、
みんなに食べさせるのですか」と言った。
イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」
弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、
青草の上に座らせるようにお命じになった。
人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
すべての人が食べて満腹した。
そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。
パンを食べた人は男が五千人であった。
マルコによる福音書6:31-44
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イエスの弟子たちは忙しい生活を送っていた。
出入りする人が多く、食事をする暇もなかった。
ある日、イエスはそんな彼らに言った。
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」
弟子たちの歓声が聞こえてきそうである。
さっそく一同は舟に乗り、人里離れた所へ向かった。
あたかも、日常の業務を離れ、リゾート地で社員旅行を楽しむような感じだ。
舟の中の弟子たちは、既にリラックスしながら、
人里離れた場所でのバカンスを夢見ていたのではなかろうか。
しかし、一行を乗せた舟が「人里離れた所」に近づいたとき、
弟子たちは、信じられない光景を目の当たりにする。
岸辺には、イエスの行き先を嗅ぎ付け、先に到着した群衆がひしめいていたのだ。
既にそこは、「人里離れた所」ではなかった。
弟子たちはそこで、引き返したい衝動にかられたかもしれない。
上陸したイエスは、大勢の群衆を見て、彼らを憐れんだ。
そして、いろいろと教え始める。
「飼い主のいない羊のような」状態の群衆を
無視することができなかったのである。
休暇中のはずの弟子たちは夕方まで
イエスのサポートをしなければならなくなった。
大分時間がたったころ、弟子たちはイエスに進言する。
「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
人々を解散させてください。
そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう」
一見、群衆に対し、細かい心配りをしているようにも見えるが、
早く仕事から解放されたいがゆえにそう言っているように思えるのは気のせいか。
これに対してイエスは何と答えたか?
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」
弟子たちは反応した。
「わたしたちが・・・?」
どこまで与えなければならないのか?
弟子たちはこのとき、気が遠くなるような思いにとらわれていたかもしれない。
しかし、この後である。
有名な奇跡が起きるのは。
五つのパンと二匹の魚を用いて、
イエスは、五千人の男を満腹させ、さらに十二籠の余りを生じさせる。
どこまでも与える姿勢から奇跡が生まれたのである。
休暇中に群衆を見た時点で与えることを拒否することもできた。
長い時間をかけて群衆を教えた後で与えることをやめてもよかった。
しかし、イエスは休暇中であろうが、十分に教えた後であろうが、
与えることをやめずに、更にまた与えた。
あなたの会社の与える限界はどこか?
あなたは社員が顧客に対し、どこまで与えることを期待しているのだろう?
顧客にとっての「満腹」とは、どのような状態を指すのだろう?
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」(ルカ6:38)
奇跡的な成果は、限界を超えた「与える心」から生じるのかもしれない。