2013年3月1日。
いつになく落ち着いた気持ちで11年目のシーズンがスタートしました。
オフシーズンに自分のリズムがつかめずいらいらしたり、不規則な日々に嫌気がさしたりもしたけど・・・
今年のシーズンもいたって落ち着いてスタートしました。
1日同じルーティンで過ごしていくことの大切さを時間しながらも・・・
不安もたくさんあり、期待もたくさんあり、何より楽しみが溢れるくらい気持ちを込めてスタートできた気がします。
今年に限っては、ここ数年では一番オニヒトデの発生が少なく、ダイビングPOINTの調査も開発も充実した形で潜ることができたオフシーズンでした。
小さい時からダイビングするときには、自分の中の何かをその海で見出せるように目的意識をもって、考えて、意識して無心になり感じるように努力しています。
そんな癖があるからなのか、この海に潜る時にいつも感じる不思議な感覚があります。
世間的にガイドとして見せる海とは違った自分の中だけの感覚なのだと思います。
それは言葉では言いづらいのだけど・・・・・
なんか不思議な感覚。
ある時には生命を感じ、ある時には死を感じるようなちょっと不思議な感覚。
きっと様々な海で似たような感覚を感じる人たちがいるのだと思います。
海に潜り、いろいろなことを考えながら、ふと考えることをやめたときその感覚が芽生えてきます。
んんん・・・・・????
そう何か自分でも分からないのでこの話題はやめましょう(笑)
またうまく表現できるときに書きたいと思います。
シーズンがスタートし、その感覚とは別に海を正面からとらえ、同調しながらガイドの仕事がはじまりました。
ぶつぶつと多良間の海と会話しながら、神経を研ぎ澄ませ、お客さんと向き合うことが本当に楽しいなぁって感じます。
案外、不器用で感情の出し方も下手な自分。
海の中の表現もきっと下手だから意識して海にお客さんにこの気持ちが伝わるように一生懸命考える日々です。
スタートして3日・・・時化る日が多いけど、素直に向き合いながら楽しんでいます。
「海」は地球の70%を占めます。
潜れる範囲なんてほんのわずか。
それでもすごい感動が生まれます。
だからこそ、僕はダイビングの基本は、安全を重視した中での「自由」だと思っています。
それを追求したいからこそ、歯を食いしばってここ多良間の海で確立してきました。
はき違えると大変なことになる「自由」。
こんなこと言うと角が立つのかなぁ・・・と感じながらも自分のブログなので書いてみます。
各地に潜り、率直に感じること。
近年のダイビングは不自由が多すぎると。
その海が脚光を浴びれば浴びるほどダイビングが窮屈になっていきます。せっかくの素晴らしい海なのに・・・
求めて来たことは遮られ、縛られていきます。
海に潜るということは、非現実的な世界を満喫していくこと。
それを追求して様々な諸先輩ダイバーが確率してきました。
しかし、近年行き過ぎて、そこにルールを作りすぎ非現実からかけ離れてしまっていると感じます。
そう、「水族館」的な感覚。
時に来島頂くお客さんの話を聞いていると共感することも多く、すべてではないがきっとそんなわずかな部分での「不自由」にずれを感じてきたダイバーが多い気がします。
ルールは必要だけど、僕は海の景観は「商品」ではないと感じてならないのです。
多くの同業者からは「商品」だからこそ守るのだと聞きます。が、僕は全く違う見解でこの仕事をやっています。
お客さんからも良く聞く言葉があります。
「あの人はダイビングマナーがなってないよね」
「あの人は海のルールを何もわかっていないよね」
「あの人はルールも守れない最低なダイバーだよね」
と。
でも「ルール」あるべきレジャーなのか・・・「ルール」あるべきスタイルにしたのは我々業者です。
だから・・・そのようなとらえ方もちょっと違うのかなと思います。
誰しも見たい魚がいて、それを見たいとき・・やみくもに近づいて逃がしてしまい、そうなった後にきっとどうにすれば見やすいかを考えるでしょう。
誰しも見たい景観があり、それを見たいとき・・飛び出してしまい周囲から冷たい目でみられてしまい、どうすればこの景観みれるのか考えるでしょう。
全てがいきなり、「はい。あなたの番です。どうぞ見てください。」となれば、興ざめしてしまいませんか。。。
こんな時、ガイドは「この魚を見るときはこうして見ると最高ですよ。」と言うでしょう。
これは、このようなことを多々経験したガイドが最短で最良の策を考えて決めていった「ルール」なのだと思います。
そこには、島内ルール、ローカルルール、人間関係、商売関係・・様々なことを考慮した「ルール」も混ざってきます。
でも、客観的にそれを強いられたとき・・・きっと窮屈に感じるのだと思います。
少なくても僕は。。。。感じてしまいます。
僕は経験をしてきたから、「こんな時はこうするともっと近くでもっと楽しめるよ」って感じてしまうだけなのかもしれない。
でも我々は「魅せる」仕事なのだから追及して「魅せる」ことを促し、極限まで欲望を満たしていくことをしないといけないのではと思うのです。
その中で「ルール」は守らなければいけないけど、ただそれ通りに動き、そこでただたんにいるのなら・・・おそらく・・・そのガイドはそこで10本潜ったダイバーでもできると。
でも、このようなことを追求するのは・・・寂しいかな、現状たくさんのしがらみがある島では無理なんです。
だから僕は海を極限まで「魅せる」ためにここに来ました。
それが楽しいから。それが僕の思うダイビングだから。
ここ多良間島をダイビングスポットとして開発してきました。
だからこそ、他からの無意味な欲望だけの業者をシャットアウトして、強い信念で考え抜いた「自由」をテーマに今年も頑張ろうと思っています。
感覚が違う人がいたとしても、プロがプロであるために、この追及をやめてしまうのならば・・・
・・・・・
・・・・・
僕はそこには共感できないかな。
僕が思う海を魅に来た方にするガイドの役割は、全てを追求して魅了してついてきてもらうことだと。
決してルールを守るように縛り、時にはフィンをひっぱり、時には押さえつけることではないと思っています。
ガイドは「見張り」ではなく、「魅了させる」ためにいるのだと感じてならないこの頃です。
それは、安全、環境保護なんていうのは当然の認識として。
そんな気持ちを胸に今年も「自由」が僕のガイドのテーマです。
もっというと・・・
「あれ?目の前にこれいるけどいいのかな」
「あれ、あの魚こっちに来たけどいいのかな」
「あれ・・・もしかして・・・なんか自由にさせられてる???」
がテーマです(笑)
今シーズンも熱くガイドしていきます!!!
そう。。それが、小さなころ父につながれた手で感じた「ダイビング」だから。
いつになく落ち着いた気持ちで11年目のシーズンがスタートしました。
オフシーズンに自分のリズムがつかめずいらいらしたり、不規則な日々に嫌気がさしたりもしたけど・・・
今年のシーズンもいたって落ち着いてスタートしました。
1日同じルーティンで過ごしていくことの大切さを時間しながらも・・・
不安もたくさんあり、期待もたくさんあり、何より楽しみが溢れるくらい気持ちを込めてスタートできた気がします。
今年に限っては、ここ数年では一番オニヒトデの発生が少なく、ダイビングPOINTの調査も開発も充実した形で潜ることができたオフシーズンでした。
小さい時からダイビングするときには、自分の中の何かをその海で見出せるように目的意識をもって、考えて、意識して無心になり感じるように努力しています。
そんな癖があるからなのか、この海に潜る時にいつも感じる不思議な感覚があります。
世間的にガイドとして見せる海とは違った自分の中だけの感覚なのだと思います。
それは言葉では言いづらいのだけど・・・・・
なんか不思議な感覚。
ある時には生命を感じ、ある時には死を感じるようなちょっと不思議な感覚。
きっと様々な海で似たような感覚を感じる人たちがいるのだと思います。
海に潜り、いろいろなことを考えながら、ふと考えることをやめたときその感覚が芽生えてきます。
んんん・・・・・????
そう何か自分でも分からないのでこの話題はやめましょう(笑)
またうまく表現できるときに書きたいと思います。
シーズンがスタートし、その感覚とは別に海を正面からとらえ、同調しながらガイドの仕事がはじまりました。
ぶつぶつと多良間の海と会話しながら、神経を研ぎ澄ませ、お客さんと向き合うことが本当に楽しいなぁって感じます。
案外、不器用で感情の出し方も下手な自分。
海の中の表現もきっと下手だから意識して海にお客さんにこの気持ちが伝わるように一生懸命考える日々です。
スタートして3日・・・時化る日が多いけど、素直に向き合いながら楽しんでいます。
「海」は地球の70%を占めます。
潜れる範囲なんてほんのわずか。
それでもすごい感動が生まれます。
だからこそ、僕はダイビングの基本は、安全を重視した中での「自由」だと思っています。
それを追求したいからこそ、歯を食いしばってここ多良間の海で確立してきました。
はき違えると大変なことになる「自由」。
こんなこと言うと角が立つのかなぁ・・・と感じながらも自分のブログなので書いてみます。
各地に潜り、率直に感じること。
近年のダイビングは不自由が多すぎると。
その海が脚光を浴びれば浴びるほどダイビングが窮屈になっていきます。せっかくの素晴らしい海なのに・・・
求めて来たことは遮られ、縛られていきます。
海に潜るということは、非現実的な世界を満喫していくこと。
それを追求して様々な諸先輩ダイバーが確率してきました。
しかし、近年行き過ぎて、そこにルールを作りすぎ非現実からかけ離れてしまっていると感じます。
そう、「水族館」的な感覚。
時に来島頂くお客さんの話を聞いていると共感することも多く、すべてではないがきっとそんなわずかな部分での「不自由」にずれを感じてきたダイバーが多い気がします。
ルールは必要だけど、僕は海の景観は「商品」ではないと感じてならないのです。
多くの同業者からは「商品」だからこそ守るのだと聞きます。が、僕は全く違う見解でこの仕事をやっています。
お客さんからも良く聞く言葉があります。
「あの人はダイビングマナーがなってないよね」
「あの人は海のルールを何もわかっていないよね」
「あの人はルールも守れない最低なダイバーだよね」
と。
でも「ルール」あるべきレジャーなのか・・・「ルール」あるべきスタイルにしたのは我々業者です。
だから・・・そのようなとらえ方もちょっと違うのかなと思います。
誰しも見たい魚がいて、それを見たいとき・・やみくもに近づいて逃がしてしまい、そうなった後にきっとどうにすれば見やすいかを考えるでしょう。
誰しも見たい景観があり、それを見たいとき・・飛び出してしまい周囲から冷たい目でみられてしまい、どうすればこの景観みれるのか考えるでしょう。
全てがいきなり、「はい。あなたの番です。どうぞ見てください。」となれば、興ざめしてしまいませんか。。。
こんな時、ガイドは「この魚を見るときはこうして見ると最高ですよ。」と言うでしょう。
これは、このようなことを多々経験したガイドが最短で最良の策を考えて決めていった「ルール」なのだと思います。
そこには、島内ルール、ローカルルール、人間関係、商売関係・・様々なことを考慮した「ルール」も混ざってきます。
でも、客観的にそれを強いられたとき・・・きっと窮屈に感じるのだと思います。
少なくても僕は。。。。感じてしまいます。
僕は経験をしてきたから、「こんな時はこうするともっと近くでもっと楽しめるよ」って感じてしまうだけなのかもしれない。
でも我々は「魅せる」仕事なのだから追及して「魅せる」ことを促し、極限まで欲望を満たしていくことをしないといけないのではと思うのです。
その中で「ルール」は守らなければいけないけど、ただそれ通りに動き、そこでただたんにいるのなら・・・おそらく・・・そのガイドはそこで10本潜ったダイバーでもできると。
でも、このようなことを追求するのは・・・寂しいかな、現状たくさんのしがらみがある島では無理なんです。
だから僕は海を極限まで「魅せる」ためにここに来ました。
それが楽しいから。それが僕の思うダイビングだから。
ここ多良間島をダイビングスポットとして開発してきました。
だからこそ、他からの無意味な欲望だけの業者をシャットアウトして、強い信念で考え抜いた「自由」をテーマに今年も頑張ろうと思っています。
感覚が違う人がいたとしても、プロがプロであるために、この追及をやめてしまうのならば・・・
・・・・・
・・・・・
僕はそこには共感できないかな。
僕が思う海を魅に来た方にするガイドの役割は、全てを追求して魅了してついてきてもらうことだと。
決してルールを守るように縛り、時にはフィンをひっぱり、時には押さえつけることではないと思っています。
ガイドは「見張り」ではなく、「魅了させる」ためにいるのだと感じてならないこの頃です。
それは、安全、環境保護なんていうのは当然の認識として。
そんな気持ちを胸に今年も「自由」が僕のガイドのテーマです。
もっというと・・・
「あれ?目の前にこれいるけどいいのかな」
「あれ、あの魚こっちに来たけどいいのかな」
「あれ・・・もしかして・・・なんか自由にさせられてる???」
がテーマです(笑)
今シーズンも熱くガイドしていきます!!!
そう。。それが、小さなころ父につながれた手で感じた「ダイビング」だから。
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