最近,中央教育審議会が 「論文博士の廃止」を答申したことが話題になっている.
論文博士については「学位のため研究を狭い分野に限定してしまう恐れがある」「日本独自の制度で国際的な通用性に欠ける」などの批判があったと報じられている.
また,海外の研究者からは,(博士課程を経ない)「論文博士」は,アンフェアだとう声もあったらしい.
しかし,元来,大学院の博士課程のシステムは,米国,英国,ドイツ,日本で,それぞれ異なっている.細かくみれば,大学の学部のシステムも相当に違う.博士号の出し方だけで,一概に,「国際的な通用性に欠ける」とは云えないはずだ.(Wikiペディアに 大学院 と 学位 についてのまとまった解説がある.)
一般に,日本の博士課程は,米国よりも学位が取りにくい.理工系は最近はそうでもないが,社会科学系,人文系はいまだに,70%近くが単位取得,満期退学であり,課程の期間内では博士号を取得できない.そのため,海外留学生から(博士が取れないので)評判が悪いという話しもある.また,逆に,米国で Ph.D. をとるチャンスを逃した研究者が,査読付きの発表論文が沢山ある場合,日本の「論文博士」の制度を知って,わざわざ日本まで「論文博士」を取りにくるという例もある.
元来,日本の「論文博士」は「課程博士」に準ずるものであり,「大学院の行う論文の審査に合格し,かつ,大学院の博士課程を修了した者と同等以上の学力を有すると確認された者に授与することができる.」ことになっている.(私の母校の「博士学位授与の要件」より抜粋)
また,日本の殆どの大学では,「学位審査の条件」として,学会誌や国際学会に数編の「査読付き論文」が発表済みであることを「前提」としているところが多い.この条件においても「論文博士」は,課程博士よりも「求められる論文の本数」が多くなっている(概ね2倍程度).つまり「論文博士」の審査の前提の方が厳しいということだ.
殆どの米国のドクターコースではコースワークとそのテスト,それからドクター論文そのもの審査に重点があって,日本のように学会誌や国際学会に通った「査読付き論文の数」が課程博士の「審査着手の前提」となっていたりはしない.このことを考慮すれば,単純に,課程を経ない「論文博士」がアンフェアだとは云えないと思う.
しかし,「論文博士」の善し悪しは別としても,「課程博士」重視のトレンドは,べつに最近急にはじまったことではない.十数年前にできた大学院大学,例えば,北陸先端大学院大学(JAIST),奈良先端大学院大学(AIST-NARA)では,原則として「課程博士」だけだ.国立情報学研究所や国立天文台でも総合研究大学院大学として博士課程を運営しているが,ある程度論文がある場合でも「博士課程」に在籍することを薦めている.
答申どうりに制度を変更するかどうか?変更するとしたら制度をいつ切り替えるのか?にもよるが,従来から沢山の「論文博士」を授与している大きな大学では,駆け込みの「論文博士」の申請が増えることは間違いなさそうだ.
論文博士については「学位のため研究を狭い分野に限定してしまう恐れがある」「日本独自の制度で国際的な通用性に欠ける」などの批判があったと報じられている.
また,海外の研究者からは,(博士課程を経ない)「論文博士」は,アンフェアだとう声もあったらしい.
しかし,元来,大学院の博士課程のシステムは,米国,英国,ドイツ,日本で,それぞれ異なっている.細かくみれば,大学の学部のシステムも相当に違う.博士号の出し方だけで,一概に,「国際的な通用性に欠ける」とは云えないはずだ.(Wikiペディアに 大学院 と 学位 についてのまとまった解説がある.)
一般に,日本の博士課程は,米国よりも学位が取りにくい.理工系は最近はそうでもないが,社会科学系,人文系はいまだに,70%近くが単位取得,満期退学であり,課程の期間内では博士号を取得できない.そのため,海外留学生から(博士が取れないので)評判が悪いという話しもある.また,逆に,米国で Ph.D. をとるチャンスを逃した研究者が,査読付きの発表論文が沢山ある場合,日本の「論文博士」の制度を知って,わざわざ日本まで「論文博士」を取りにくるという例もある.
元来,日本の「論文博士」は「課程博士」に準ずるものであり,「大学院の行う論文の審査に合格し,かつ,大学院の博士課程を修了した者と同等以上の学力を有すると確認された者に授与することができる.」ことになっている.(私の母校の「博士学位授与の要件」より抜粋)
また,日本の殆どの大学では,「学位審査の条件」として,学会誌や国際学会に数編の「査読付き論文」が発表済みであることを「前提」としているところが多い.この条件においても「論文博士」は,課程博士よりも「求められる論文の本数」が多くなっている(概ね2倍程度).つまり「論文博士」の審査の前提の方が厳しいということだ.
殆どの米国のドクターコースではコースワークとそのテスト,それからドクター論文そのもの審査に重点があって,日本のように学会誌や国際学会に通った「査読付き論文の数」が課程博士の「審査着手の前提」となっていたりはしない.このことを考慮すれば,単純に,課程を経ない「論文博士」がアンフェアだとは云えないと思う.
しかし,「論文博士」の善し悪しは別としても,「課程博士」重視のトレンドは,べつに最近急にはじまったことではない.十数年前にできた大学院大学,例えば,北陸先端大学院大学(JAIST),奈良先端大学院大学(AIST-NARA)では,原則として「課程博士」だけだ.国立情報学研究所や国立天文台でも総合研究大学院大学として博士課程を運営しているが,ある程度論文がある場合でも「博士課程」に在籍することを薦めている.
答申どうりに制度を変更するかどうか?変更するとしたら制度をいつ切り替えるのか?にもよるが,従来から沢山の「論文博士」を授与している大きな大学では,駆け込みの「論文博士」の申請が増えることは間違いなさそうだ.
高等教育に興味があるものですから、論文博士に関しての議論をあちこちで見て回ってみましたが、jasonさんの議論を聞いて、すっきりしました。
各国で学位の制度は違う点もあるのだという視点をそぎ落として議論をされる方も中にはいらしたので、こちらのエントリできちんと指摘されているのが、胸のモヤモヤを晴らしてくれた気がします。
ところで、「国際的な通用性に欠ける」というのは、ボク、かなり疑問に思っています。Jasonさんのブログで言われていることは全く同感です。
ボクは昨年9月に課程博士の学位を取得しましたが、学会の数が少なくなかなか雑誌に論文が掲載されなかったために、制限時間ぎりぎりで学位を取得したしだいです。
コメントありがとうございます.高等教育は単に,課程の名称や年数だけでは単純にその内容や互換性について議論することはできません.
日本は,戦前の大学のシステムは,イギリス,ドイツ,戦後はアメリカの影響をうけていると思います.
前後,小学校から大学まで,各課程の年数はアメリカ式になりましたが,当初の大学の教授は戦前の教育を受けた人が多かったわけですから,結果的に「日本式」のスタイルが出来たのだと思います.
以下の本が,専攻に関わらず参考になります
博士号とる?とらない?徹底大検証!―あなたが選ぶバイオ研究人生
白楽ロックビル (著)
羊土社 ; ISBN: 4897066492 ; (2000/10)
アメリカへ博士号をとりにいく
鎌谷朝之(著)
化学同人;ISBN: 475980868X; (2001/4)
コメントありがとうございます.
学会誌への掲載論文数が,博士論文の審査の「前提」になっていることは,日本で「課程博士」がとりにくい,原因の一つになっているようです.
でも,論文の投稿数の少ない比較的小さな学会に出すとか,ちょっと変化球的なテーマで出す(査読委員がよく判らない)とか作戦を考えると,比較的短い期間ですっきり査読が通る場合もあります.
査読付論文を何個か通っていても、過程博士に入ると指導教官との共著の論文が査読つきで通っていないといけないとか制約があるところもあるようで、トホホです。
博士論文って研究者としての質の高さは、過程博士に引けをとらないと思うんですけどね。
無理に欧米にあわせることもないと思います。
昔は、大卒で技官になった方がコツコツやって修士を飛ばして博士になれたのですが、そういうのって時代にそぐわないんですかね?
最新の中教審の答申では,すぐに論文博士がなくなることはありません.
# 政治力のある医学系のところの反対が多いらしい.
また,論文博士がなくなるときは,受け皿として,課程博士<短期コース>ができるはずです.
課程博士の問題は,「海外とあわせる」というのは,実は「隠れ蓑」かもしれないと考えています.