10/9
10/5に「できてもしないことはできる」と書いた。
隣の畑に入っていってようやく色づいた唐辛子の実を盗むこともできるし、居酒屋でつまらんことにカッとなって隣で飲んでる客の頭をビール瓶で勝ち割って殺すこともできるし、フォアグラに核物質を混ぜて病気にさせることもできるし、キャビアと明太子のカナッペの為のクッキーを遺伝子ごと変えてしまうことだってできる。
できるけどしない。というのが日本の憲法前文や9条の理念(じゃないの?)。勝敗や生死なんて度外視して戦争に進んだこの国として、度外視すりゃできるけどしない。やらない。そう決めた当時の日本に生まれ住んでいた99%の人々の教訓や生々しい思いが詰まっているこの理念を忘れてはならず、前文の通り、世界に向けて発信しなければ。
右翼左翼ともに、「戦争できない国とか、戦争ができるようになった」などというけれど、できるできないは、憲法で「できません・しません」と権力の暴走を明確に規定し、一般人としては暴走させないように権力監視しましょうねと、謳ったわけ。
これが「戦争なんて二度としない」とういう、「できない」という消極的な言葉ではなく、積極的に「しない」ということ。これをアベ以降、メディア含めて歪曲して「積極的平和=武器と基地」になっちゃったってわけだから、ジジババも中高生も騙されないようにしてほしいな。
マスコミのマスと死んじゃいマスの意味くらいは知ってなけりゃマズいよね。なんて・・・
マスコミとは、マスコミュニケーション
マスメディアとは、マスコミで使われる媒体
もういくつ寝るとくーりーすーマスのマスも同じMASS
大勢の人の塊りのことらしいが、私は「不特定多数」と解している。
もっと言うと、顔の見えない不特定多数。
クリスちゃんがマスになった日がクリスマスかな?
特定の個人がMASSになることを、彼の教義はどう説明しているんだろう?そう素朴に疑問を持つことが哲学の入り口だろう。
さすがに腕のギブスの内側が痒くてもうものすごい。痒みはあるが場所を特定できない。痒いと思って掻いてみても的を外しているというのはよくあることだ。
痒みMASSとなると痛みになるのかな?掻きすぎて痛くしちゃうこともよくある。痛みが痒みのMASS集合体であるとすると、痒みに痛みを与えることで痒みは消えるけど、度が過ぎると痛さが残る。かさぶたができちゃったりする。
ブログやSNSなどに何か書くというのはもうMASS不特定多数に向けてのことだからその辺を考えないと。
でも私は、不特定多数というより常連さんに向けてとか、場合によっては「たったひとりに向けて」書いたりする。君だけにそれが分かるように暗号化して。
10/10
「スポーツの日」とカレンダーには書かれていて、「体育の日」ではなくなってしまったようだ。スーパーには日の丸が掲げてある。
まず、スポーツという言葉は日本語ではない。このことに右派や保守と呼ばれる人たちはなにも感じないのだろうか。
左派にしても「ジェンダー」だのなんだのとやたらヨコモジを多用する。
もうひとつ、体育という日本語は「食育」という英語圏にはほぼ消滅した概念含めて、多様な意味合いを含んでいて、単なる競技とは明らかに違う。
例えば日本の法律が、カタカナ英語混じりで今後書かれてしまうとすると、それを誰も厳密に定義できなくなるだろう。それだけ私たちの文字表現空間は外来種に侵食されて、正確な意味がとても伝わり難くなっている。
他の言語文化と相互に理解し合うにしても、意味が空洞化しては相手にも理解しようがない。馬鹿が住む列島ということになってしまう。
異なる大陸プレートが衝突して日本列島全体が隆起していて、海岸線に急こう配の山や丘が迫っている。山や丘が急勾配の河川を歴史と共に形成している。海外の人はそれらの河川が滝に見えたりする。水は流れを止めると腐るのだ。
ちなみに、全世界の水に占める淡水の割合はたった1%といわれている。淡水が豊富、これがこの地域的な理というものだから、これを先人は生かしてきたはずだ。
言葉はこの「地の理」の上に形成された物だから、そこに住み暮らす者にしか理解できない「言外」を含んでいる。
言葉と文化が噛み合わなければ、それは意思疎通が空転してしまうことになる。法律も意味が空洞化してしまうから、運用する人間により違った運用がなされることになる。
これはもう法治ではなく、独裁とか寡頭とか人治ということになる。
私は反知性的な日本の政治や霞が関の上級官僚を上記の意味で否定するが、エリート(頭が良い)という意味の反エリートではない。いまの官僚役人は日本語が通じないから、そのことに危機感を覚えてはいる。
有名進学校を出て東大に入って省庁に入って、お勉強ばかりで世間を知らず、知らないまま今度は政治の魑魅魍魎に脳みそを擦られた、コンピューターの電子回路みたいな思考がたまらなく憐れでもある。
英語教育以前に国語教育に力を注ぐべきだろう。
ここに書いたのはあくまで標準語のこと。
寒いところと暖かいところでは口の動かし方からして違うから発音だって違うし、方言は地の理だから美しい。標準語と方言でもうすでにバイリンガル(複数語)だ。
大学教授でさへ、ヨコモジエイゴ連発する悪い癖の人が多い。
ギブスの奥が痒くて仕方ない。
*ギブス・・・骨折の患部を固定する石膏。最近はグラスファイバーが主流らしい。
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