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最小単位

2010-04-24 03:37:12 | Feel something

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初めて書いたブログは「一番大切なもの」というタイトルだった。

それは「命」だと結論づけた。

「死」については

死んで生きることと

生きながら死んでいること

その違いを書いた。

俺の頭の中にはいつも「なんで」が居座っていて

それを脳内メーカーだっけか、みたら「愛」とか「友」ではなく

「?????????」だらけなはずだが

ただ、愛するもののために死ぬことができるだろうか?とか

俺を愛してくれているものが、俺のために死ぬといったときにどうするか?

そこに俺の人としての矛盾がある。

前者の場合、躊躇するかもしれないが、状況によっては選択するだろう。

今の日本には目に見えるような、そういう状況はないだろうけれど。

でも、後者の場合そうさせないと断言できる。

世界を100人の村に例えたモノを子供に読み聞かせたことがある。

確かに分かりやすくなる要素があるけれど

やはり俺はひとつの星として考える

そういうアプローチだ。

もっといえば宇宙に影響を受けながらそれでも「特異」なたった一つの星として。

陸上、海洋の自然体系があって食物の連鎖もある。

それは大気や水分の気温による変化

土も水も空気も、あらゆる動植物を含めた生態系と密接に関係している。

生き物を広義で言えば、地球まるごと生きている。

考えることを覚えた人間はある意味不幸だといえるだろう。

それはもう考えることを止めることができないからだ。

動物として考えたとき、外敵天敵から身を守ることは極自然なことだけど

そして生きるために他の命を奪うことも極自然なことだけれど

たかが国境だとか、それを広げようだとか

あるいは豊かなのに、より豊かになるための争いで

誰かから何かを無理やり奪い取るために

誰かの命が、直接的でも間接的でも危険にさらされたり

奪われるってのは、考えることを諦めた人間のすることだ。

それらを人間と呼ぶことが正しいのだろうかとも思う。

とはいえ、考えて経験を積み重ねそして老いていく。

考えたという前提の経験に勝るものはないし

それをもつ老人の知恵を無駄にする手はない。

親子三代同居する、いまは長寿だから親子四代でもいいだろう。

毎日共に生活することが、少し前の日本の家庭が取り戻せたらと思う。

それは音楽に似ている。

生も死も身近に感じることができるだろう。

ライブに勝るものはない。

息遣いや、温もりは電話や電波じゃ伝わらない。

そこを諦めてはいけないんじゃないかとそう思う。

そんなかんじ。

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コメント

いまだ愛する.ってか

2010-04-10 21:09:12 | Feel something

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大好きな君へ

君のLAST ONEは一旦保留にしておかないか?

俺をもっとインスパイアして欲しい

イケそうで逝けないぜ

My lover ・・・

Your still my one

Come on NEXT someone

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