霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

二回目の肥中街道三日目(西市→滝部)

2013年10月05日 | 肥中街道

2013年10月5日(土)

山陽本線とサンデン交通バスを乗り継いて西市に到着し、ここから前回の続きを始める。
国道435号を西市小学校を左に見ながら進むと、直ぐに右側に登る細い道が見えるので、国道から分かれてこちらを登っていく(写真上)。

国道435号が今のルートに整備される前は多分こちらが国道だったと思われるが、比較的車の通行量もすくないこの山道を暫く行くとやがて小さな峠に差し掛かり、ここの分岐点で、この街道で初めての「肥中街道」なる標識にお目にかかれる(写真下)。

この辺りの旧豊田町ではまだまだ肥中街道を知る人は少なく、このような標識もごく僅かしか無いうえに道が分かり難い。従って、地元の人に出会えば大抵確認するのだが、ほとんどの人が『さぁ~』っと言って、そして、『知らんのぉ~』で終わってしまうのは、何とも寂しいことだ。
年寄りがそうなのだから、当然、若い人が知る由もない・・・っつっても、この旧道で若い人に会うことは、まず無いがネ・・・ハハハ。

明教寺を右に見て上八道(かみやじ)で一旦国道435号を横切り、刳貫堤(くりぬきつつみ)の横を抜けた後に再度国道に合流し、しばらくは国道を往く。
鷹子(たかのこ)集落入口を過ぎると、国道左手に「右たきべ道」「左くるそん山」と彫られた石柱標識が見えてくるが、この標識は明治時代に作られたもので、そのまま国道を往く右方向ではなく、左方向へ往くのが肥中街道だ。
更に街道を進むと、やがて国道491号に突き当たるのでこれを左折し、直ぐに右方向の山側に細い道が見えてくるので、これを登って往く。やがて、「みのりの丘」という名の農業公園の敷地内に入る(写真下)。ちょうど梨狩のシーズンでもあり、多くの観光客で賑わっていたので、オイラも売店で梨を買い求めた。歩きながら梨を丸かじりするのも、また乙なもんだナ。


小さな峠を超えて下っていくと、県道269号に突き当たるところに「浮石義民直訴の地」なる立派な石碑があり、その横には経緯が書かれた真新しい案内板が建っていた。前回訪れた時には案内板は無かったので最近建てられたと思われるが、三百年前の地元の方々の命を賭けた戦いにしばし思いを巡らせてみた。

ここから出合地区の手前で国道435号に合流するまでの約3km位の道程は、のんびりとした旧道の趣があって、車もほとんど通らないので道の真中を大きな顔をして(・・・生まれつきだが)歩くことができる。
と思っていたら、「肥中街道 七曲り」なる案内板がいきなり目に入り(写真下)、左手の山中方向の道へ矢印が誘うではないかっ!

この案内板も前回は無かったものだが、誘われるままに山中に分け入ってみた。そのほとんどが獣道みたいなもので、下草刈りから余り日が経ってしまうと、ちょいと歩き難くなってしまうだろう。こうやって地元の方々が案内板を整備していただくのは、大変ありがたいものなのだが、継続して道を整備する必要があることを考えると、逆に申し訳ない気もする。
この辺りから確か旧豊北町と思われるが、このような案内板を最近新たに建てたところをみると、肥中街道を町興しの一環に捉えているのかも知れない。ま、それはそれでいいことだとは思う。

出合の三叉路を更に直進し、田耕(たすき)地区で国道を一旦左に逸れて旧道を抜け、再度国道に合流して暫く往くと、左手に「肥中街道 端山尻」と書かれた案内板が見えてきたのでこれを辿ってみた。「端山尻」の読み方は分からない。折角の案内板なのだが、ふりがなをふっておいていただくと有り難いのだがネ。ただ、これもまた結構な獣道で、時折藪をかき分けながら進む道もまぁそれなりに楽しい。
そして漸く、本日ゴールの滝部に到着した。滝部まで来たからには、滝部温泉に入らなくては失礼なので(・・・ンなこたぁないが)、ちょうど客がいない時間帯なのもあって、ほぼ貸し切り状態で小一時間ほど、のぉ~んびりとお湯に浸かることができたのはラッキー。
約6時間の4万3千歩だったが、疲れをほぼ癒やすことができたのであぁる。

帰路は、すぐ側の滝部駅から山陰線に乗って帰ることにしたが、湯玉から小串にかけての右手車窓から眺める夕陽の、まぁなんと綺麗なこと(写真下)。お陰で、疲れもぜぇ~んぶ吹っ飛びましたゾナ。


四日目に続く



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2 コメント

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面白い?話 (ひだか)
2014-05-17 09:06:14
面白くないかもしれませんが・・・

今年暖かくなってから肥中街道を歩こうと思っていたところ、昨年末、豊北民俗資料館(旧滝部小学校)で「豊北の街道」展というのがありました。
それを見るついでに特牛駅から特牛港・肥中まで予備調査的に歩いてみました。
特牛駅から特牛港まで歩いた道(435号)の左手に田畑が広がり、疎水との際に幅1m前後の道が続いていました。
その道が昔の街道の跡ではないか?と思いました。
特牛港から肥中に行く際は、191号の右手に肥中石畳の案内があります。
吉敷畑にも、そういう道がありました。
「豊北の街道」展示物にルート図もありましたが縮尺が大きく、詳細がわかりづらいものでした。
ただ、史跡のメンテナンスに豊北町の人達が熱心に関わられていることも案内されていました。
(合併した下関側には熱心さが無いと思います)
ところで七曲りの後で次のようなことがありました。
「肥中街道 七曲り」の案内で獣道に入りました。それ以降案内が無いので、どちらに行けば良いのかと思いましたが、ほぼ垂直に上がるようなところにロープがありましたので伝って登りました。
後は、下の道(その横の川)に沿うように崖上を伝って行きました。多分昔は川に沿っての街道だったのでしょう。登るところは近年切り取ったので垂直になったのだろうと思います。
倒木を避けたりしながら行くと下って269号に合流します。そちら側には何の案内も無く、赤い矢印の板が立っていました。
269号をしばらく歩くと、また赤い矢印の板が立っていて、269号を分岐して矢印の方向に幅1m前後の道が見えます。
さらに269号を進むと、左側は田畑が続いています。幅は100mくらいでしょうか?その奥は林や竹やぶです。林との境が狭い道のようで用水路もあるようです。435号と合流する500mくらい手前で、左手に引き込み道があり1軒家があります。用水路の道を男性1人女性3人の一団が掃除のようなことをしながら歩いていました。
わたしは、その道が昔の街道でボランティアの人達が清掃しているんじゃないか?と思い、家の近くまで行って訊いてみました。
すると次のような話がありました。
「この用水路脇の道は新しい。街道ではない。街道の入り口には赤い矢印を立てているようだ。向こうにも赤い矢印が立っていて、そこの細い道を入ると、この家(目の前の家)の裏側を通る。軽(自動車)が通れるかどうかというくらいの道。」
とのことでした。
先ほど見た赤い矢印のことでしょう。
帰って昨年の191号脇の肥中石畳の案内近くの写真を見ると、赤い矢印が立っていました。
今後調査や整備が進むと、ルートが明確になってきそうです。
また、「端山尻」の入り口では「まむし はち に注意」とありましたが、スティックで大地を叩きながら(熊鈴の効果同様に、まむしが逃げてくれないか?)、蜂が飛んでいないか?注意しながら歩きました。わなを仕掛けている案内もありました。こわごわです。
ここも川沿いですね。少し整備すれば感じの良い道だと思いました。「端山尻」の読み方は、まだわかりません。
帰って距離を測るのに使っているMapionの地図を見ると、ここは1/3000で薄い緑の線で描かれていました。大庭までですので、現状通りです。

貴兄から県立図書館のことを教えていただいたので、下関市立図書館や県立図書館、県内の他の図書館の蔵書を調べてみました。
肥中で調べても出てきません。”街道 山口”で調べるといくつか出てきます。実際に下関の中央と長府の2館に行って実本を見ましたが肥中街道について触れていません。
大内関係は県立図書館に集中します。やはり山口まで行って県立図書館で当たらないとみつからないようです。

ここまでメモして、昨日5月16日最後の滝部から肥中までを歩きました。そして滝部と特牛で、いろいろ知ることができました。
ルート資料もわかりました。明日報告します。
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いえいえ、なかなかの・・・ ()
2014-05-17 10:11:13
ひだかさんこんにちは。コメントをありがとうございました。
注意深く街道を歩いていらっしゃる様子が、よくわかります。
仰るように、「赤い矢印」は私も気が付きました。地元でもまだ調査途上のようなので、もう少しすれば全体がきちんと整備されるかもしれませんね。
と言っても旧豊北町エリアだけの話しで、肥中街道全体でみると、街道整備はほとんど手付かずと言っていいでしょう。
ここはやはり、沿線の市町に任せるのではなくて、県教委などの県の機関が中心になって一体的にやるべきなのでしょうが、あの萩往還でさえ現状のような体たらくですから、期待はできません・・・ハハハ。

続編も楽しみにしていますが、是非ひだかさんもブログなどで自ら発信されることを期待しています。
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