初めてニニ・ロッソのコンサートに行ったとき、最初にビックリしたのはその音量の大きさです。
当時僕はステレオを持っていませんでした。
レコードはいつも小さなレコードプレーヤーで聞いていました。
それも、親からいつ「うるさい!」と言われるかと恐る恐る遠慮しながらボリュームを調整して聴いていました。
僕のほうが親よりも遅くまで起きていましたから、夜10時以降にレコードの音が聞こえよう物なら、大音量でなくとも酷く叱られたものです。
僕の親は、はっきり言って音痴です。
自分が楽しむために音楽を聴くなどということは皆無です。
今でも音楽の話を親とするなどということはありません。
そんな環境でしたから大きな音で音楽を聴くということ自体が初めての経験でした。
音の海にフワフワと浮かんでいるような感覚、耳を澄ましてではなく、全身で浴びるような音、ニニの感情が叩きつけられてくるような感覚、コンサート会場のすわり心地の悪い椅子に座っていながら感じる、あの恍惚感。
あの感覚をもう一度経験したくて、僕は演奏するのかもしれません。
今も一般的には音楽は小さな音で聴かれています。
CD等の再生音というのは、絵画に例えれば模写のようなものです。
本物にかなうはずはありませんが、せめて「感覚として」同じくらいの大きさで観賞したいものです。
多くの場合、切手のような大きさの絵画を鑑賞するように、音楽が聴かれています。
同様のことがトランペットの音にも言えます。
ニニ・ロッソの楽屋でのウォームアップを聞いた時、ニニの音は僕が想像していたよりもずいぶん大きな音でした。
大きな音で、柔らかく、伸びやかで、迫力がある音、そんな音を僕も出したいものです。
今日も気分はニニ・ロッソ
当時僕はステレオを持っていませんでした。
レコードはいつも小さなレコードプレーヤーで聞いていました。
それも、親からいつ「うるさい!」と言われるかと恐る恐る遠慮しながらボリュームを調整して聴いていました。
僕のほうが親よりも遅くまで起きていましたから、夜10時以降にレコードの音が聞こえよう物なら、大音量でなくとも酷く叱られたものです。
僕の親は、はっきり言って音痴です。
自分が楽しむために音楽を聴くなどということは皆無です。
今でも音楽の話を親とするなどということはありません。
そんな環境でしたから大きな音で音楽を聴くということ自体が初めての経験でした。
音の海にフワフワと浮かんでいるような感覚、耳を澄ましてではなく、全身で浴びるような音、ニニの感情が叩きつけられてくるような感覚、コンサート会場のすわり心地の悪い椅子に座っていながら感じる、あの恍惚感。
あの感覚をもう一度経験したくて、僕は演奏するのかもしれません。
今も一般的には音楽は小さな音で聴かれています。
CD等の再生音というのは、絵画に例えれば模写のようなものです。
本物にかなうはずはありませんが、せめて「感覚として」同じくらいの大きさで観賞したいものです。
多くの場合、切手のような大きさの絵画を鑑賞するように、音楽が聴かれています。
同様のことがトランペットの音にも言えます。
ニニ・ロッソの楽屋でのウォームアップを聞いた時、ニニの音は僕が想像していたよりもずいぶん大きな音でした。
大きな音で、柔らかく、伸びやかで、迫力がある音、そんな音を僕も出したいものです。
今日も気分はニニ・ロッソ
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